物乞い経済からの脱却を

テーマ:ブログ
2009-11-24 12:15:03
インドに行くと物乞いがたくさんいる。アメリカでも都会に行くと紙コップに入れた小銭をジャラジャラ鳴らして善意を要求する、どう考えても飢えているようには見えない元気な物乞いを見るが、インドの物乞いはいかにも悲惨な姿の人が多い。

たとえば筑波大学の徳田先生のページには障害を負った物乞いの例が写真で紹介されている。だが、徳田先生は彼らが職業的な物乞いであり、より多くの施しを求めて様々な企業努力をしていると看破している。

様々な障害を負ったプロの物乞いが競うように人々の憐憫を喚起しようとしている姿にはただただ恐れ入るしかない。ここでは憐憫をより多く得る競争に勝ち抜くことがより多くの施しを得ることにつながっている。中にはわざわざ手足を切り落としてより多くの施しを得られるように身体改造を施した者もいるという。

こうした物乞いの中にはマフィアに収益源として誘拐され、身体障害者に改造された子供まで含まれているといわれている

インドでは物乞いは大きな存在感を持った職業だ。インド南部のハイデラバードには物ごいが約1万1000人、その売り上げは年間1億5000万ルピー(約3億1000万円)にのぼるとされている(ネタもと)さらにインド全体で約73万人の物乞いがおり、その売り上げは年間18億ルピー(約37億円)にのぼるともいわれているという。

平均して一人あたり1日41ルピー(約85円)ほどの売り上げがあるらしいが、笹川陽平氏のブログによればデリーでは成人の物乞いの半数近くが1日150~300円を集めているということで、日雇い労働者の日給が100ルピーほど(ネタもと)といわれていることから考えると、人によってはまともに働くよりもずっと稼いでいることになる。こうした物乞いを相手に一日100ルピーで子供をレンタルする商売まであるらしいので、子供を連れた物乞いはレンタル子供の代金以上に収入があるのだろう。

なぜこれほどに物乞いが多いのだろうか。ヒンズー教に喜捨という習慣があり、物乞いにお金を渡すことは善行であるという倫理観が根底にあり、物乞いの収入を支えているという背景がある。さらに、奴隷以下の物乞いしかできないパリアという階層がカースト制度にあって、雇用の機会を奪っていることも問題とされている。そうした下層カーストの人々の中には仏教やキリスト教に改宗し、ヒンズー教とそのカースト制度から逃げるという行動に出る人も増えている。

だが、本当に物乞いになりたくないと皆が考えるのならば、下層カーストであったとしても、なんとか職を得ようとするだろう。カーストが全てを縛っていた昔とちがい、都市部を中心にIT分野などでカーストに縛られない労働需要も増えている。そうした職を得るために語学を身に付けたり、なんらかの専門技能を身に付けようと一生懸命勉強する人も出てくるだろう。だが、その一方でプロの物乞いにとどまる人もたくさんいる。やはり物乞いでそこそこ食えるからこそ、そこに安住する人も多くいて、マフィアの収入源にもなっているのだろう。

こうした風潮が社会全体に好ましい影響を与えるわけがない。最近ブリティッシュカウンシルが行った調査では、インドでは公用語である英語を理解できる人が、なんと中国よりも少なくなりつつあるという事実(FT.comの記事)が明らかとなっている。公用語である英語ですら十分に教育される機会を得られない貧困カーストの人々、あるいは受けたところでなんの利益もない物乞いなどの仕事に就くカーストがいることが、英語の普及に大きな妨げとなっていることは想像に難くない。おそらくインドという国が今後発展していくにはカースト制度との決別と、物乞いから脱出させるための労働政策や救貧制度の拡充が必要となるだろう。

ここで我が国に目を転じてみよう。確かに道にホームレスはいても物乞いはいない。人々は自立してその生活を支えているように見える。しかし、日本における喜捨は主に政府によって行われている。

一見まともな仕事に就いているように見えていても、その売り上げはほとんど公共事業が頼りという企業もある。官庁から仕事をもらえなければおしまい、という公益法人や外郭団体もたくさんある。こうした企業は、国からの喜捨に頼る物乞い企業とでも言うべき状況にある。こうした物乞い法人に喜捨をすることは一見良いことのように見えるけれども、本来は社会のニーズのある分野に進出したり、そこに雇用されるべき人材や、投資されるべきお金を吸い取って社会全体の効率性を大きく損なってしまう辺りはインドの物乞いと同じだ。

政府がもっとお金を刷って使えば景気は良くなる、円安になって国内産業も息を吹き返すと言う人がいる。しかし、減少の一途をたどる世帯年収を維持するために、海外から輸入される廉価品に人気が集まる日用品や食料品の価格も上昇して、インフレによって生活がさらに苦しくなる懸念については言及しようとしない。さらに、こうした財政措置が慢性化すればそこに依存する企業も労働者も増えてしまい、覚せい剤中毒患者のように、大きな痛みなしにそれを止めることができなくなってしまうことも問題だ。

新しい需要のある技能を身に付けてもっとお金を稼げるはずなのに、政府が施す公共事業という人工的に作り出された仕事に携わることで、需要ある技能を身に付けられずにいる労働者は、インドの街角で貧しい人々が物乞いという職業について自らを高める機会を奪われているのといったいどれほど違うといえるのだろうか。

たしかに、貧しい人を助けるということについて非難はしない。だが、貧しい人が自立して貧しさから脱却する政策こそが望まれている。それはおそらく輪転機で刷った国民の経済活動の裏付けのない札をばらまくことではない。

池田信夫blogに「成長戦略とは競争戦略である」というエントリーが投稿されているが、ここで池田氏は「政府が補助金で「育成」しても、企業が自力で競争できる力をつけないかぎり、成長を長期的に維持することはできない。」と指摘している。施しによって自然な競争力を企業から奪うことは、インドの物乞いのように高度に洗練された物乞い企業を増やすだけではないだろうか。
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