mind in mold

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「必要なのは海と川と湖、そして緩やかな坂道とその先に広がる丘。」
「雨の日には喫茶店へ。」

「必要なのはピクルス抜きのハンバーガーとコカ・コーラ。」
「BBQと瓶ビール。」

「必要なのは珈琲と煙草、午後の三時には紅茶とシフォンケーキ。」

「必要なのは健やかなベッドと恋人、愛し愛されたあとのピロートーク。」

「必要なのはよい酒とよい映画。」
「窓の向こうにムーミン、スナフキン。」

「ぶりきの玩具、真鍮の振り子時計。」
「芝の上にはサッカーボール。庭を眺める老人だとか、風に揺られる碁石だとか。」
「引き出しの中に眠る♠♡♦♧の妖精。」

「必要なのは知恵と知識。白衣とフラスコ、履き潰したリーバイスとコンバース。」

「必要なのはキャッシュカード。ブリオーニとシャネルの五番。」

「必要なのはぴかぴかになるまで磨き上げた硬貨と、働き者の美しい手。」



美しい決まり事、美しい組み合わせ。
型にはまった様式美の、その先はどこにあるのだろう。



『それはお葬式とロックンロールのような。』
「縁側で猫が鳴いている。」

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コンプレックス、箱買い

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 歩き方で、子持ちかどうか、わかります。


 コンプレックスってあるでしょ。
 自分の嫌いなところ、どうしても許せない部分。
 決めつけるわけじゃないけど、誰にだってあるでしょう。欲深いなら、なおさら。
 私も、持ってる、コンプレックス。

 私のコンプレックスなんてとても小さいもの、何を基準にかは、ともかく。
 取り除こうと思えば、いつだって取り除ける。なんてたって有象のもの。
 例えば顔にある大きなホクロがコンプレックスだったとしたら、それをとってしまえばコンプレックスは解消できる。でも本当にそれでいいのかって、考えてしまう。

 コンプレックスって、人と大きく違っていたり、他人が持っていないものだと思う。人と違うから、自分にしかないから気になってしまうのだろうって。(人と違っていても自分のお眼鏡かなえばそれはチャームポイントとして自分に認識されるのだろうけど)

 つまりコンプレックスっていうのは自分にしかない特徴で、むしろそれが私が私であると示しているんじゃないかって。
 よく映画とかで遺族が遺体の確認するときに、ホクロの位置とかで「あの子だわ!」って言うもの。

 だからもしこのコンプレックスを取り去ってしまったら私は私じゃなくなってしまうんじゃないかって、不安になる。固執するほどの私かはさておき。

 これがなくなったら私はどうなってしまうんだろう、とかむしろこれがあるから私なんだなんて考え出して、変に愛おしく思ったりしてしまう。嫌いなのにね。

 そんなふうに自分のコンプレックスに寛容に接してしまうこと、いいと思うし、駄目だとも思う。前向きに生きられるから。ただそのせいで封じ込めてきたものとかも、ある、よ。



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ネットデブリになる前に

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 どうして歩いただけでつかれるのだろう、筋肉痛。

 たまに自分のない人間みたいになるときがある。

 じゃがいものはなしをするとき、例えば、話している相手がじゃがいもが大好きな人だったら、じゃがいものどこが好きか、とか、どうやって食べるのが一番好きか、なんて話をすると思う。じゃがバターとか、おいしいもん。

 でも、相手が、じゃがいもなんて食べない、嫌いよ。なんていう人だったら、きっとそんな話はしない。カレーライスのじゃがいもって正直邪魔、とか、芽をとるの面倒、みたいな話をすると思う。食べると喉乾くし、ひゃっくりでる。

 別に思ってもいないことを言っているわけじゃない。どっちも本当に思っていること。結局、じゃがいも、好きなの? 嫌いなの? っていったら、普通、割と普通。

 相手に合わせているといったら、そうなのだけれど、相手が好きな物を貶すのなんて嫌な感じだし、わざわざ波風たてる必要もないと思うから。

 逆の場合、つまり、否定的な人に向かって肯定的なことをいうときは、場合による。私がじゃがいもの伝道師とかだったらじゃがいもの良さを訴えると思うけれど、別にじゃがいも、普通だから、そんなことしたらじゃがいも大好きみたいに思われるのも嫌。だからそういうことはしない。

 普通なら普通って言えばいいのかもしれない。でもただ普通、って言うとまるでじゃがいもに興味ないみたいに思われてしまう。それはそれで違う。

 自分の中で、じゃがいもについてよく考えて、じゃがいもの良い所と好きになれない所をはっきりさせた上で、普通、という結論を出しているの、どうでもいいわけじゃない。

 だから普通、の一言では少し足りない。

 それに、長所も短所も、結局は同じだし、ひとつのものに一つの感情しか抱かないわけじゃない。矛盾する感情だって抱く。そうしたら±0になってなってしまうことだってある。でも±0はただの0とは違う。そういうこと。

 いまいち上手く説明できた気がしないし、それにこんなことを、説明するんじゃなくて、表現できたらと、思う。


                     風に吹かれた一日の終わりに










$Meanuit-0308

あっ、庭の梅です。
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