薩摩わがまま親父の「ちょっと気になる話」

「わがまま親父」が 「ちょっと気になる話・ちょっと気になる商品」について、「バナナの叩き売りの笑い」をベースに 熱く・鋭く語ります


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友人が悩んでいました。

在学生を海外に」のスローガンの元、母校の後輩たちを海外留学させるための募金が始まった・・との事で。

「協力は惜しまないが、中身がなんともお粗末すぎてねえ」というのが本人の弁。

友人の話を聞くにつれ、思い返されますのが、『薩摩藩・英国留学生のお話』です。




①概略

鹿児島県串木野の羽島漁港には、薩摩藩英国留学生の出航を伝える石碑が建てられています。

 生麦事件に端を発した薩英戦争で英国に捕らえられた五代友厚と松木弘安(寺島宗則)は、赦免されたあと
薩摩藩に捕らえられそうになって江戸へ舞い戻り、さらに五代は長崎に行った。

この後、許されて藩に戻り、五代は世界の情勢を説き、開国を進言し、上海貿易や外国留学を進言した。
島津藩は、その進言を取り入れ、慶応元年(1865)に15 名(最終的には19 名)の留学生を選んだ。

一行は、幕府役人の目を逃れるため、甑島、大島への出張を名目に、改名し、羽島に滞在して、外国船の寄港を待った。五代は長崎に飛び、英国商人グラバーに依頼し、香港行き汽船オースタライエン号を羽島に寄港してもらった。潜伏から2 カ月後、慶応元年3 月にオースタライエン号は羽島を出航し、5 月にロンドンに到着した。一行はロンドン大学で語学や近代技術を学び、その後の日本の近代化に大きな役割を残した。

※これが「あさがきた」に登場する前の五代友厚のお話です


 一行は、大目付新納久修(当時32 歳)を監督に、船奉行松木弘安(改名出水泉蔵、当時32 歳 寺島宗則のこと)、
船奉行見習五代友厚(改名関研蔵、当時31 歳)、開成所書生森有礼(改名沢井鉄馬、当時19 歳)等で、最年少は13 歳であったと言う。



ご参考までに以下に事件の概要を掲載しましたが・・知ってる方々は②へどうぞ、いきなり③でも意味は繋がります


生麦事件
1862年9月、幕政改革のため江戸城入りしていた薩摩藩国父島津久光が、目的を果たし京都へ戻る途中の出来事。
久光の行列が武蔵野国生麦村付近に差しかかったとき、乗馬で日本見物中であった英国人一行4人と遭遇する。
日本の風習や言葉を知らなかった一行は、騎乗のまま久光の駕籠付近まで近づき列を乱してしまった。激怒した薩摩藩士らは、
無礼討ちとして英国人らに斬りかかかり、1人が死亡してしまうという国際的事件が発生する。激怒したイギリス代理公使ニールは、
幕府側に謝罪と10万ポンドの賠償金、薩摩藩に対して犯人の公開処刑と、2万5000ポンドの賠償金を要求。
これに対し、薩摩藩が要求を拒否し続けることから、翌年、7隻のイギリス艦隊が鹿児島湾に現れることとなる。



薩英戦争
1863年8月11日、7隻のイギリス艦隊が鹿児島湾に現れる。
イギリスは事件解決の直接交渉に乗り込んできたのである。薩摩藩が時間稼ぎを行い、回答を出さないことから、
しびれを切らしたイギリス側は、8月15日薩摩藩の汽船3隻を拿捕するという強硬手段にでる。
(この時に後の英国留学生となる松木弘安、五代友厚が捕虜となる。)これを開戦の意思と受け止めた薩摩藩は天保山砲台から砲撃を開始し、
英国艦隊との間で激しい砲撃戦を展開。薩摩藩側は鹿児島城下北部が焼かれ、諸砲台が壊滅的損害を受けることとなる。
また、イギリス側も、弾薬庫の前に幕府から受け取った賠償金が積み上げられており、戦闘準備に時間を要したため、死傷者は60余人に及んだ。
思わぬ苦戦を強いられたイギリス艦隊は、鹿児島湾を去り横浜に戻っていく。その後、横浜のイギリス公使館で3回に及ぶ講和談判がおこなわれ、
薩摩藩が2万5,000ポンドを幕府から借用して支払うことで和解が成立する。
交渉中に薩摩側がイギリス側に軍艦購入の周旋を依頼したことから、以後、薩英の間に親密な関係が築かれていく。



五代友厚上申書
松木弘安(寺島宗則)と共に薩英戦争時イギリス側の捕虜となり、罪人扱いとなった五代友厚は幕吏や攘夷派から逃れるために長崎に潜伏していた。
ここでトーマス・グラバーと懇意の間柄になり、世界の情勢を知り危機感を感じた五代は、1864年6月頃、薩摩藩に対して今後の国づくりに対する
次のような上申書を提出する。
「これからは海外に留学し、西洋の技術を習得してこないと世界の大勢に遅れ、国の発展に役立ちません。」この上申書には、新式器機の購入による
藩産業の近代化、近代技術・知識獲得のための海外留学生の派遣、外国人技術者の雇用、これらの経費に対する詳細な捻出方法(上海貿易等)という
具体的な内容までも含まれていた。
これまでも、富国強兵に努めていた薩摩藩の政策に五代の上申書が引き金となり、イギリス留学の方針が決定されることとなる。



留学生一行の決定
1865年2月13日、視察員4人と、薩摩藩開成所を中心に留学生15人が選ばれ、留学渡航の藩命が下された。鎖国中の最中、洋行は禁止のため、
表向きの辞令は「甑島・大島周辺の調査」で、一人ひとり藩主から変名を与えられていた。城下を発つ前日、攘夷思想を持つ3人(畠山丈之助、島津織之介、高橋要)が留学辞退を申し出る。
その後、畠山のみが島津久光の説得に応じ、辞退した島津と高橋と同じ家格から村橋直衛と名越平馬が選ばれることになる。



羽島での滞在
1865年2月15日、使節団長の新納に率いられ鹿児島を出発。留学生一行はグラバーが用立てた船に乗船することとなっており、その船が長崎から羽島沖に
迂回されることになっていた。
留学生一行は、船が来るまでの2カ月余りの間、海沿いの藤崎家と川口家に逗留しながら勉学に励み、渡航に備えた。1865年4月16日、乗船する蒸気船
「オースタライエン号」が羽島沖に現れる。その後、荷物を積み込み、羽島沖で停泊する船内で寝ることとなる。




旅立ち
1865年4月17日、旅立ちの日を迎えた留学生一行は昼前に出航する。


英国までの旅路(香港)】
 羽島沖を出発した留学生たちは、乗船して直ぐに刀を取り上げられた。イギリス人や中国人の船員に囲まれ、飛び交う言葉は外国語、また慣れない食事…船内は既に外国であった。
  留学生の中には覚悟を決め、髷(まげ)を切る者もいた。
 1865年4月21日の夕刻、香港に到着。ガス燈で彩る香港の夜景に見惚れた彼らは、感嘆の声を上げる。同時に、薩英戦争時に戦った英国戦艦「ユーリアラス号」が停泊していたことにも驚く。
  洋服を仕 立て上陸した彼らは、紅茶を飲んだり、時計を買ったりとそれぞれ香港の街を満喫した。
 1865年4月29日、P&O汽船会社の客船マドラス号に乗り換えた一行は、次の目的地に向かった。



英国までの旅路(シンガポール)】
マドラス号は、乗船人数250名、客室30室の蒸気客船で食堂、浴室、トイレが完備されていた。洋式の便器を初めて見た五代友厚は、きれいな陶器に水が
流れる便器を見て、洗面器と勘違いして顔を洗った…後に財部実行は述べている。
1865年5月5日、午前中にシンガポールに到着。彼らはここで、初めてパイナップルを食べた。
翌日、シンガポールを出航する際に新たに20人程のオランダ人が乗船してきた。 松村淳蔵はオランダ人乗客が家族との別れの際にキスをする姿に驚き、
「夫が妻の口を吸って別れた。その姿が痛々しく見える。一度では落ち着かず、また吸い合っていた。・・・
夕刻、次の目的地「ペナン島」に向けて出航。・・・・




②留学生一行19名中の何人かを簡単にご紹介                                         

新納 久脩 (にいろ ひさのぶ)32歳  当時薩摩伊佐郡大口領主。一行のリーダー格           

 五代・寺島・堀を伴い、ヨーロッパ各地を回り、各国の視察をしながら、紡績機械や武器の買い付ける。

 帰国後すぐ11歳の息子をフランスに留学させて

 後年は鹿児島県に戻り、奄美の「大島島司」として活躍。



寺島 宗則 (てらしま むねのり)留学当時、32歳。長崎や江戸で医学とともに蘭学を学んでいた、島津斉彬のもとで蒸気機関研究やガス燈・写真機・電信機などの製作実験など


 渡欧中は、主としてイギリス外務省との外交交渉にあたりました、慶応2年(1866)村橋とともに帰国

 帰国後は外交官として条約改正に取り組み、外務卿・文部卿・元老院議長などを歴任しました




五代 友厚 (ごだい ともあつ) 留学当時、29歳。  安政4年(1857)より藩命により、長崎で航海術を学び、文久2年4月には幕府貿易使節船千歳丸に便乗して上海に渡航、蒸気船を購入しました。 薩英戦争の時、イギリスに拿捕された3隻のうちの1隻がこの青鷹丸です。

拿捕された船からの下船を拒否したため、寺島とともにイギリスの捕虜となりました。その後、長崎に滞在中に留学計画のもととなる「五代友厚上申書」を提出し、留学計画の実現のためにも力を尽くしました。


 渡欧中は、新納・堀とともにヨーロッパ各国を回り、各国の視察をしながら、紡績機械や武器の買い付けなどをしました。


慶応2年(1866)新納・堀とともに帰国。 帰国後は参与職外国事務掛・外国官権判事・大阪府権判事兼任などを歴任し、大阪に造幣寮(造幣局)を誘致するなどしていますが、
明治2年(1869)年には官界を去り、以後大阪で実業家としての道を歩み、明治14年(1881)官営物払い下げ事件に絡み政商とも呼ばれますが、大阪経済に多大な功績を残しました。大阪商工会議所初代会頭。
 


堀 孝之 (ほり たかゆき) 留学当時、19才。 長崎のオランダ通詞(通訳)堀家の生まれ。長崎出身。 通訳として参加。


  薩摩藩英国留学生として渡欧中は、新納・五代・寺島とともにヨーロッパ各国を回り、慶応2年3月帰国しました。

五代が実業界に転進してからは五代の事業を助け、五代の死後は遺族の世話をしていたそうです。
 
※NHKの朝ドラ「あさがきた」では五代が借金だけ残して死んだという所までは描かれましたが、その五代の遺族を助けたのがこの男です。




町田 久成 (まちだ ひさなり) 留学当時、大目付。薩摩藩開成所掛(学頭)島津門族で「一所持」格の出身。27歳。
19歳で江戸「昌平坂学問所」で学び、文久3年(1863)には大目付慶応3年(1867)6月末、帰国。

渡欧中、大英博物館やケンジントン博物館などを見学し、感銘を受けていた町田久成は
その後、博物館建設のために尽力し、帝国博物館の初代館長となりました。




村橋 久成 (むらはし ひさなり) 留学当時、御小姓組番頭。「寄合並」格の出身。22歳。
 留学を辞退した2人の代わりとして留学生に選ばれました。 慶応2年5月24日、阿久根着。村橋が他の留学生より早く帰国したのは精神的なバランスを崩したためとも言われています。

帰国後は、戊辰戦争に従軍し、函館戦争終結の和平交渉にも一役買いました。明治4年(1871)より開拓使に出仕します。
留学中に見た西欧の近代社会、近代農業を手つかずの大地で実現する夢を膨らませ、函館近郊の七重開墾場の開設、札幌の琴似に養蚕を軸とする屯田兵村建設に従事しました。
また、ドイツで醸造技術を学んだ中川清兵衛を雇い入れ、麦酒醸造所を造るプロジェクトのリーダーとなりました。この開拓使札幌麦酒醸造所が、現在のサッポロビールの前身となりました。



松村淳蔵 (まつむら じゅんぞう) 薩摩藩開成所第一等諸生。英学専修。23歳。
イギリス留学が金銭的に行き詰ってきた1867年夏、留学を続けるため、森有礼、鮫島尚信、畠山義成、吉田清成、長沢鼎とともに、アメリカの宗教家ハリスのもとへ向かいます。
しかし、1868年6月にはハリスのもとを離れ、1868年9月にニュージャージー州のラトガースカレッジに入学しますが、その後1869年にはアナポリス海軍兵学校に入学し、留学時に与えられた海軍術を学ぶという課題を全うしました。
明治6年(1873)11月帰国。その後は海軍兵学校校長として、日本の海軍教育に力を注ぎました。




森 有礼 (もり ありのり) 留学当時、薩摩藩開成所第二等諸生。英学専修。17歳。
イギリス留学が金銭的に行き詰ってきた1867年夏、留学を続けるため、アメリカの宗教家ハリスのもとへ向かいました。、
明治元年(1868)6月ハリスの薦めによって鮫島とともに帰国の途につきました。
帰国後は明治政府に出仕し、後には初代文部大臣を勤め、日本の教育制度の充実に力を注ぎました。


しかし、廃刀論や契約結婚・英語教育論などにも現れる革新的な森の考えは、当時の日本では反発を生み、明治22年(1889)2月11日「大日本国憲法」発布の日、国粋主義者によって暗殺されました。享年41歳。



長沢 鼎 (ながさわ かなえ) 留学当時、薩摩藩開成所第三等諸生。英学専修。13歳。
薩摩藩の暦学者の家系である磯長家の4男。留学生の中では最年少でした。

イギリスでは、ロンドン大学に入学はせず、スコットランドのアバディーンにあるトーマス・グラバーの実家に寄宿しながら、地元のジムネイジウム中学に通いました。地元の新聞に名前が載せられるほど、優秀な成績を修めたようです。


イギリス留学が金銭的に行き詰ってきた1867年夏、留学を続けるため、アメリカの宗教家ハリスのもとへ向かいます。
他の留学生たちがハリスのもとを離れる中、長沢だけはハリスのもとに残り、ハリスの後継者のひとりとなりました。
彼は単にハリスの事業を引き継いだだけでなく、カリフォルニアでのワイン醸造を成功させ、人々に「ブドウ王」と称されました。
アメリカに永住し、その地で82歳の生涯を閉じました。昭和9年(1934)3月1日死去。


1983年にレーガン大統領が来日した際、国会で「侍から実業家になった長沢鼎は私たちの生活を豊かにし、日米友好の歴史の中で特筆すべき」と国会の演説で敬意を表したことから広く世に知られるようになりました。

                   以上は百科事典、インターネット検索結果より・・




③本日の本題です。薩摩藩・留学生が成功した理由は

●まず留学させるには、それにふさわしい人間(勉強が出来るとか、英語が喋れるとか、家柄がなんて言う理由ではありませんよね。)を選び抜いているという事。



●何の為にイギリスに行くのか、それぞれの個人の目的が明確であった。
藩主から、明確に一人一人指示されておりました。



●しかも、行く期間も年数もイギリスに行ったのちに自分で決める
勿論、資金の補助や金は徐々に無くなるから、長期滞在のする為には自分で何とかするしかないのでありますが。

(薩摩留学生の場合、イギリスからアメリカに渡ったもの数名)




●帰ってきたら、それなりの自分のやるべき仕事や、やらねばならぬことを自覚し、各人が行動している。
(帰国後、日本の政治・教育・文化・実業・軍事面で活躍した人間、長沢のように米国に渡り実業家に転身した者・・・それを許す土壌が薩摩藩に有ったということ)




●ついでながら、特筆すべき事は生涯を終える時が特異な形であった事
(暗殺・志半ばでの病死・住職へ転身・帰国途中の死・老後不詳・行き倒れ・隠遁生活・客死・戦死・洗礼を受けキリスト教徒として死す・アメリカ永住)

・・・留学が影響したとは言えませんが、それにしてもあまり恵まれた死に方はしておりません。・・・




④この薩摩藩留学生制度と母校の留学生制度の違いは・・・(圧倒的スケール間の違い)


①圧倒的に参加者の決意や覚悟が違います。

明治維新の前でも「最低でも一年、そこから先は自分で3年5年と期間を延長している、それに比べて母校の留学制度は「僅か10日の台湾や、英国留学」だって、

圧倒的なスケール感の違い、留学という言葉が笑いますよね。




留学目的が違いますよね。

●薩摩藩留学生は、それぞれ藩主から使命が与えられていました。

(軍事の研究・武器の買い付け、外交交渉、産業振興、農業・教育の研究・文化財保護、ビール醸造、鉱山開発、等々)




●母校の留学研修内容の主なものは以下の通り

観光学研修

ICT工場見学

学生との交流・・(少子高齢化を生きるの意見交換)

▽▽市内研修

「たった10日だから仕方ない」で済ませたら、それでお終いですね、

上記の留学プランを見たら、ライオンズの人達なら、「わしらの『観光《研修》旅行』と一緒だ」と思うでしょう。・・・その程度にしか見えませんね。



百年以上前の薩摩藩の留学生には遠く足元にも及びませんネ。



●母校の留学制度の趣旨がスゴイ。

「国際的素養を身に着け、将来のグローバルリーダーの育成を図る」のが目的だそうです。

これで卒業生から1億円の募金を集めるのだってさ。


「10日間、外国に留学させたら、国際的素養が見に付くのかい」・・・友人は怒っていました。





●1億円、集めるのなら一年に一人か二人を、せめて一年間は英国の高校に編入させれば良いのにね。

これなら、グローバルリーダーが育つ可能性は有りますよ。

これは、百年前の藩主の考えも、今のわがまま親父の考えも一緒です。


人が異国に學ぶには、それなりの時間が必要です。

10日や1ケ月ではその土地に慣れることすら、出来ません。

ましてや、その国の文化や人間性・宗教観を知るところとなるには最低1年はそこに住んでみないと、何も学べませんよ。

春にしか桜は咲かないし、元旦でないと「あけましておめでとう」とは言いませんものね。

最低でも一年365日暑い日も寒い日も、台風の日も経験・滞在して、初めて「そこにいた」と言えるでしょう。




他の理由もありますよ。

一年どころか、他人の家に一泊するだけでも気を使うものです。

何が一番大変かって。翌朝のトイレが大変なのですよ。特に大の方が・・・。

客の貴方が気を使うでしょう。


他人様の家の洗面所で、「アツ、歯磨き粉カバンに入れるの忘れてた」と気付いたときに、

他人様の洗面台の棚にある歯磨きチューブから歯磨きクリームを拝借しますか?、

それともクリーム付けずに歯ブラシのみを使いますか?



「ちょっとこの辺にコンビニあるかな」と朝食後買い物に出かけますか?

それも「何しに?」なんて聞かれて・・・、「そんなこと気にしないで、家のを使えばいいわよ」と言ってくれるのはほぼ間違いないし、そうなるとわざと、その返事を待ってたようで・・・、なんだか気を使う。



つまり、生活環境がガラリと替わるという事は・・・こういう些細な所から慣れなきゃいけないという事


そこにある程度の時間が掛るから、留学の本当の成果が表れて来るのは3ケ月経過した頃から、ぼちぼちと考えた方が正しいと思うのであります。

だから、あまりに短い期間の留学なんて、留学と呼ぶのはおこがましいと。


そして、「本人が納得する答えが見つかるまでが留学期間」となったら、最低一年、後は何年でも、あるいは一生という事もあり得るのです。


薩摩の留学生19名のうち出発直前に交代した村橋久成は、ホームシックから精神を病んで早目の帰国。一番最年少参加の長瀬 鼎は生涯アメリカに留まった・・・・・、この期間の多様性が留学です。

之が留学がグローバル人材を作るキッカケになるという事です。


もっとも「一年間、外国に留学しますか」と尋ねたら、99%の高校性が辞退するでしょう。厳密に言えば9月新学期がスタートの外国なら、日本の高校を2年留年するという事になりますから、親も子も一年間の外国留学なんてさせきれない。日本の高校生たちが応募する訳がない。


之が小さな島国、日本の国の現実です。これでグローバルな人財が育つはずはありませんよね。


10日間ではお互いにお客様です。どちらも本気度はありません。裏は見せません、表だけの演技でも10日は持ちます。

これでは国際的素養なんて身につきません。

却って「生兵法は大怪我のもと」になりはしないかと友人は本気で後輩を心配しております。

その点、明治維新前後の薩摩藩の人達は偉かった、スケールも国際的だったのですよね。


密航させても将来の日本国の為に、若き人材を外国に留学させるという決断の大きさ。我が郷土の先輩たちのことながら、胸を張れます。


それに比べると、今の鹿児島人はなんとスケールが小さくなったことか、己を含めて、誠に残念です。・・明日へ続く・・



                         by薩摩わがまま親父
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今年夏の参院選に向けてやっと野党が動き出しましたね。


①つまり自公という巨大与党に対して、小さな野党が、「野党同士で足を引っ張り合っていても仕方がない」とやっと気づき行動し始めたという事です。

民主党と維新の党の合併、良いじゃないですか。やればいいのですよ。やって議席を一つでも多く獲得して、自民党の暴走に歯止めを懸けなくては日本の政治はおかしくなってしまいます。野党の存在感も無くなってしまいますよね。



今回そのキッカケを作った共産党は偉い、共産党のクリーンヒットです。

共産党は一人区での候補者の擁立を自粛し、民主党その他に選挙協力する。そうなると共産党候補に投票するはずだった票が民主党候補に流れることで、自民党との激戦区の何ケ所かでは、民主党をはじめとする野党の候補者の当選が起こるかもしれない

本当なら、野党全党がすべての選挙区で野党候補の一本化を実現して、自民党候補者対野党候補者の二人の戦いへ持って行かなければ行けない。

小選挙区制度は一位しか当選しない、2位も5位も落選は同じです。

二人だけの候補者で戦えば、今の自民党を引っくり返せる、間違いなく野党連合の勝利になります。私はそう思いますよ。



②それでなくとも、この数回の選挙の議席数では圧倒的に自民党の勝利ですが、総投票数の政党別得票数の割合を調べると、議席数程の差は有りません。

もっと端的に言えば、野党の合計数の得票率が与党を上回っているのですよね

では何故こんなに自民党の議席数が多すぎるのか、小選挙区制度であり、一位当選が自民党候補、2位と3位と4位が野党候補と言えば、もうわかりますよね。

2~4位の3人の合計得票数は一位の自民党候補より多いのに、野党がお互いに足を引っ張り合って票を奪い合うから、自民党候補が当選するという図式になっている訳です。



③そこに気付いて、「候補者を擁立しない」と決断した共産党はすごいと思いますよ。

「野党は候補者を一本に絞れ」と、何回も言ってきたけど、どこも誰もやらなかった、そりゃ相ですよね、選挙こそが政党の命であり、PRの時であり、有権者と触れあう一番の機会であり、候補者を立ててこそが政党ですものね。

頭で分かっていても、選挙協力の為に自党の候補者を引っ込めるなんて出来ない。自党のメンツを捨て、候補者を立てぬことに決めるというのはそれぐらい、たいへんな決断です。




若い優秀な方々へ


④取り敢えず、これで参院選は俄然、面白くなって来ました。若い方々がどういう選択をするのかも興味大であります。

アメリカでも過激な発言のトランプ氏が人気になっておりますし、こういう時代だからこそ、やりようによっては簡単に野党連合の大勝利もあり得るのですが。

今回、野党の選挙協力がうまくいくと次の衆議院選挙はもっと面白くなります



最も今の民主党や維新がどれだけのことが出来るのかは別問題ですよ。今の自民党より、良い政治をしてくれるかどうかの保証はありませんから。

自民党は数の暴力、旧態依然として、政治とカネや女性問題や暴言は一生ついて回る政党でしょうが、野党連合がそれよりましかどうかは今の所なんとも言えませんよね。ここが残念な所なのです、日本の政治家には魅力が無いですよねえ、本当に。


とにかく一歩前進であります。今回の野党連合こそが「弱者の戦略」という奴です。之も是非、覚えておきましょうね。


貴方こそが「野党の大同団結を実現出来る人」にならなければいけませんよ。


政治の難しい話は私の分野ではありませんので、詳しいことは政治評論家のブログをお読みくださいネ。それでは又


                          by薩摩わがまま親父
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①「とにかく問題集の問題を解いてみる、最初の一問目は 「好きなテレビ番組のこと」「学校での出来事」「好きな女の子のこと」云々と色んなことが気になったり、雑念が浮かんで来たりで、問題を解くことに集中できない。

当然解くのに時間もかかるし、正答率も極端に落ちる。

それでも構わずに解き続ける、3門目を解き終わったあたりから、能率が俄然上がり初め、あっという間に目標の十問を解き終わってしまっている。

つまり最初の3問に15分かかったとすると、その時間がウオーミングアップの時間、心と気持ちが問題に集中するまでの必要な時間だったわけさ」とА君




②「受験生がどんなに『勉強しなければ』と思っていても、夕食後、あるいは帰宅後すぐに受験勉強に取り掛かれない。

ここで『やる気が出るまでまで・・』とか、『その気になったら、始めよう』ではダメなのさ。

とにかく、その気にならなくても、問題集に取り掛かる、やってるうちに面白くなって やる気も湧いてくる。之が受験勉強のコツといえばコツだろうなあ」とB君

「これ以外の秘訣は無かったよ」と昔、居酒屋で友人がいみじくも同じことを言いましたよ。




③この二人、現役で東大と九大に合格した超優秀な学生、塾通いもせずに、家庭教師もつけずに合格の二人が異口同音に同じことを言ったのです。

残念ながら、今日のブログは私の言葉では有りません。私は二人に受験勉強のコツを質問しただけ。

この二人の言葉は正しいと思いました、これは勉強や資格試験に取り組む人には最高のアドバイスではないでしょうか?


昨日書いた通り、心が気持ちが「勉強するぞ」と変わるのはなかなか難しい。変わるまで待ってたら、いつになることやら、それが判っている人は、取り敢えず、やる気がなくとも、取り掛かる。取り掛かってしまえば、やがてやる気が出て来る。


この真理を知っているか否かが大切なのです。

勿論、取り掛かってもやる気が出ない日もある。そんな時は「思い切って気分転換をしてから」勉強へ。

この取り敢えず取り掛かって、「取り掛かってしまえば、いつの間にか夢中になって問題集に取り組んでいる」という状態を出来るだけ、コンスタントに作り上げれば、合格できる。之が受験の必勝法。



④若い優秀な方々へ


成功した人間の言う事は実に単純明快であります。

理解できます、納得します。

心や気持ちや、やる気という、なかなか外部からコントロールできない厄介なものは、ひとまずそこに置いておいて、次の段階から始めるという考え方。

言われてみると「なるほど」なのですが、なかなか気づかない。



「おかしくも無いのに笑えますか」という人に、とにかく「ワツハツハ」と大きな声で笑ってごらん」といって二人で大声を出しますと、大抵はすっきりした顔で楽しそうな表情になります。笑う事で感情が明るくなりました

研修でも、1時限目に「ご起立ください、みんなで大声を出して笑ってみましょう」とやりますと、途端に緊張がほぐれて、和やかなムードになります。

「悲しいから泣く」というのは正しいのですが、「泣けば悲しくなる」というのも又、正しいのです。

卒業式のシーズン、式典で女の子が一人、クシュンと泣き始めると、途端に泣きが伝染していきます。

つまり、外から感情をコントロール出来るのです。外部からの行動で心や感情は変わるのです。



行動で心や感情を良い方向にコントロール出来てこそ、昨日の「心が変われば・・・人生が変わる」の人生を変えることが出来るのです。

友人から学んだ言葉でブログを締めくくりますが、「取り敢えず、行動してみれば、心や気持ちが変わる」という事実は貴方を成功に導く道しるべになり得る言葉です。


                 by 薩摩わがまま親父
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心が変われば、態度が変わる。態度が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる。運命が変われば、人生が変わる ヒンズー教の教え #格言



人の心とコンニャクは裏と表が分からない

分からぬ心の裏表 今日はどちらが出てるやら。



心とはいかなるものか」と尋ねしに 「目に見えねど天地一杯」


自分でも自分の心が判らない   貴方にはあるのか無いのか次のこと



欲張り ごますり 見栄っ張り  スケベで 嘘つき やきもち焼きで

泣き虫 弱虫 部下を無視    ねたみ 嫉みの しみったれ

威張りくさるが 気が小さい   悪口 陰口 当たり前

手前勝手の 得手勝手      食いしん坊の いやしん坊

けちん坊の 怒りん坊  


    

そういう心を 治すには     私のバナちゃん食べなさい

もっとも毎日食べてても 治らないのが ここに一人いるけどな

サアそういう事は抜きにして   買って下さいこのバナナ

食べてくださいこのバナナ


心は丸く 気は長く 腹を立てずに元気一杯



                 


若い優秀な方々へ

①「心」はなかなか変わりませんから、「相手の心の悪さ」を嘆くのはやめましょう。

②「貴方の心」もなかなか変わらないでしょう、だから「心を変えられる人」は運命を人生を変えられる人なのです。

③運命や人生を変える秘訣

○難しく考えないで、一番目の「心」から変えずに 二番目の「行動」から変えてみるとうまくいきます

○他人や先輩・本に書いてある、「早起きが良い」とか、「毎日ウオーキングしたほうが良い」とか「ダイエットした方が良い」とか「一週間に一日は休肝日を作った方が良い」とかいう事をやってみるという事です。

決心して心が変わってから、実行=行動を変えずとも、最初に行動を変えれば良いだけの事なのです。


④先に「早起きを始める」あまり考えずに。「ウオーキングを始める」とかやり始めればいいのです、それが運命や人生を変えることに繋がります。
実は後から、心は変わればいいのです。・・・これがコツ


                      by薩摩わがまま親父

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自分のことを言われているようで「ドキリ」といたしますが、僅かな知識しか持たぬ人間だからこそ、若い方々の為に、毎日「何か」を語りましょう。





①「正月元旦 江戸城大広間」のブログは 毎日十数名の方々がご覧になって頂いております。
有り難いことと、感謝申し上げます。


徳川家康が正月早々、皆の前で大きなおならをしでかした。・・・というお話のこと。

この粗相に対し、徳川御三家の御殿様たちは、家康の失態を救うために『平和元旦』『武運長久』『天下泰平』と屁の音に連なる四字熟語を宣って、居並ぶ六十四州の大名たちが『へへへへーつ』とひれ伏したとか。・・叩き売りの口上ですよ



②これは家康が咄嗟の時に頓智がきくような男では無いと知っておりました、御三家の殿さま達が領地の統治術、君主論、部下の育成論、あるいは教養にための漢学や蘭学だけではなく、茶の湯や武術の外に「洒落や滑稽」というような遊びの部分も勉強していたという事です。



ご存じの通り、家康は負け戦で城へ逃げ帰る途中に 何度も馬上で脱糞しております。つまり怖くて糞を漏らしながら、

城に逃げ帰ったという事。だから彼は褌は茶色の褌を常用しておりましたし、腸が弱かった、緩かったという説も頷けるところであります。




③若い優秀な方々へ

屁・糞・セックスの話は誰が喋っても笑いが起こる。だけど喋り方一つで嫌らしくもなる。

だから、話し方教室ではこの3つが嫌らしくないように喋れると、卒業間近という事になります。

大名たちも、この三つが咄嗟に嫌らしくなく、喋れるような訓練をしていたに違いありません。

人の上に立つというのは、ここまでやるのです。やらなきゃいけないのです。



屁にも春夏秋冬がございます。

春の屁は・・・「馬の屁にポロリと落ちた玉椿」

初の屁は・・・「音も香も空に消えゆく田植えの屁」

秋の屁は・・・「イモ食ってゴメン・ゴメンと今日の月」

冬の屁は・・・「たまらずに猫も顔出す炬燵(こたつ)の屁」

解説は省略させていただきますが、20歳過ぎて意味が分からない方は 昔なら、「野暮天」と馬鹿にされますよ。

こうして身分の高い人達は教養を争っていたわけです。



⑤教養と言えば、太田道灌の話を知ってますよね。

狩りか野駆けに出て、突然の嵐に会った道灌が山奥のみすぼらしいあばら家に駆けこんで、「申し訳ないが、突然の雨に会い、ずぶ濡れだ、

済まぬが蓑傘を一つ借り受けたい」と申し出たところ、その家の娘は奥に引っ込んで「山吹の花を一輪」持ってきて、黙って道灌に差し出したという。

道灌は意味が分からず「蓑を借りたいのだ」と何度も言うが、娘は真っ赤になってうつむいているだけ。

腹を立てた道灌はそのままずぶ濡れになりながら城へ帰り、この経緯を同輩に話し「けしからん、娘だ」と言った所、

同輩たちに「お前はその年になっても、山吹の花の意味が分からぬのか」と笑われた。

それから道灌の猛勉強が始まりまして・・・。

小中学生の方々はご両親に聞いて下さいね。その他の方は知らなかったら、自分で調べて下さい。

知る必要の無い知識だけれど、知ってた方がいい知識かも知れない。




セックスの話はもっと難しい、何しろ、「秘め事」と言うぐらいだから、日本ではまともには喋れない。


ここは「わかる人だけが」分かればいい、「エツ、何々、何がオカシイの?」」という人が半分以上いて、わかる人の優越感が満たされるという笑いであります

「ねえ、どうして皆笑ってるの、教えて」と言われても教えられない。



魚釣りの趣味なんて良い趣味ですよね、何しろ一人でも楽しめますから。

雨の日曜日、家人は皆出かけてご主人一人が書斎に閉じこもって、趣味の釣竿なんか取り出しまして、

延ばしたり縮めたり、竿の汚れた部分を手や布でこすったりしておりますと、妙に「オツな気分」になったりいたしますが・・・。

ここで「クスツ」と笑いが漏れる。之がわかる人、大体お客様の2~3割、これがセックス話の極意、喋ってる本人も解説なんてしない



⑧だから洒落や滑稽という部分になると、よほど、あらゆる面に「ゆとり」が無いと出来ない芸当であるとも言えるかもしれません。

一度チャレンジしてみるのもいいかもしれませんよ、あまり効用は期待できませんが・・。

但し、無駄な知識こそが貴方の何とも言えぬ魅力に繋がるかも知れませんし、国を救う知識として、役に立つことも有りますから。


「死について」は前のブログに書きましたから、割愛。無駄を愛する気持ちも大事にしたいなあ。


                               by薩摩わがまま親父
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青年は老人を阿呆だというが、老人も又、青年を阿呆だと思っている』



あるレジ打ちの女性の話】を叩き売り風にアレンジしたら、ブーイング。

いわく、「他人の作品をパクるな、批判するな」と。




①他人様の作品をブログに長々と引用し、再掲載するのも気が引けるし、私のブログを読んでいただく方々も,それでは面白くないでしょうから、わがまま親父らしく「叩き売り風の口上」に作り替えたのですが・・・。


之なら、皆さんが声に出して読むことで、かくし芸や、朝礼のスピーチに使えると思ったのですがネ、なかなか真意は伝わらないものですねえ。

いつの時代も老人は若者にとっては「アホ」なのであります




②私は今でも『レジ打ち』は機関銃のようにものすごいスピードでは打てないと思っています。

だから私の意見を書いたまでで、このままではせっかくの良い本が他の物語まで、ケチがつきかねないから、「良く吟味して、お書きになった方が・・」との愛情で書いたつもりですが、・・・「俺が感動した本に、お前がけちをつけ始めたのだ」という事でしょうね。




③だから、「お前の書いてることは間違ってる」とか「私はものすごいスピードでスーパーのレジを打つ人を見たことがある」という意見を主張されれば良いのですが・・・、そういう意見が来るのを楽しみにもしていたのですが。


どうやら「こんな物語に感動するなんて、お前さんの魂はそんなに安っぽかったのかい」という言葉に「カチン」と来た人が多かったのでしょうね。

でも、それはバナナの叩き売り独特の言い回しであって、その辺の毒舌は許容範囲で笑い飛ばしてくれないと大道芸が廃(すた)ってしまいます

ここが大人としての器の問題でありまして、それが出来ずに単に批判するだけの若者に対して、
老人も又、若者を阿保と思っている訳でしてね。




④中には、「そういえばそうだよな、スーパーのレジはものすごいスピードで、打つことは出来ないよなあ」と初めて気づいた人だっていらっしゃいます。


だから「この話に感動して損をした」と思うのかはまた別問題であります。

感動もしたし、わがまま親父の言う事にも納得したよ」という心境には なれませんかね。




⑤優秀な若者に一言


○『私は私の意見を述べる。それがよい意見だから、いいえそれが私自身の意見だから

以前のブログに書いた通りです。

そうしないと、絶えず他人の意見に左右されます。確乎たる自分の意見が持てなくなります。

自分の意見は誰かの意見の真似事になってしまいます。


正しいか、正しくないかの前に、まず自分の意見が持てるか」という事が一番大事です。




○私はいま、デジカメを勉強し始めました。

その中で一番気に入ってるのは「カメラの目は作家の目であり、心である。・・・

自由奔放に写真を楽しむ」という先生の言葉であります。


私は自由奔放にブログを書き、且つ楽しんでいます。人まねでなく自分流のブログで有ると思っています。

写真も又、単なる有名な●●写真家の真似でなく、「これは間違いなくわがまま親父の写真だ」と言われる写真を「いつの日か撮れるようになりたい」と密かに心に誓っている今日この頃であります。

それが自由奔放に写真を楽しむことに繋がると信じて・・・。


                 by薩摩わがまま親父
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感動する前にちょっと待って・・【あるレジ打ちの女性の話】を叩き売り風にアレンジして


 (出来るだけ原文に忠実に・・・バナナの叩き売りの口上として作り替えました。)


①その女性、何をしても続かない

最初の会社は3ヶ月、上司と衝突して辞めました。

次の会社は半年で 「自分が思っていた仕事と違う」といって辞めました。

そんなこと繰り返すうちに履歴書は、辞めてしまった会社の名前がズーラズラ。


そうして彼女はどこからも社員としては雇われない。

仕方がないのでこの女性、派遣会社に登録す。

派遣会社も長続き しません、やっぱりすぐ辞める。

履歴書に、派遣先の名前だけ どんどんどんどん増えるだけ



②今度の派遣先はスーパーで 仕事内容「レジ打ち」です。

今のようにバーコード そんなものは無い時代、

当時のレジは、面倒です。電卓みたいにひとつずつ キーを打たねばなりません。

勤めはじめて1週間…仕事に慣れたその彼女、だんだん飽きて来たのです。



「私はこんな単純作業をするために、いるのではない!」


辞表を書いてはみたものの、彼女自身も考える。

どうして仕事が続かない、こんな自分は嫌なのに。

そんな矢先に母からの 「帰っておいで」の電話です。



③田舎に戻る決心で 部屋の片づけ始めます

片づけ始めたその時に、昔の日記が出てきます

パラパラめくっているうちに、小さなころに書きました


「ピアニストになりたい」という言葉が見つかった。


彼女は思い出しました、「夢を追いかけていたあの頃」を

不思議なことにその女性、ピアノのお稽古だけは、なんとなく辞めずに続けていたのです


「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか。情けない。そして、また逃げようとしている…」


泣きながら彼女は母に電話した。 「私、もう少しここで頑張る」



④ 辞表を破り、スーパーに戻った彼女は変わります。


「ピアノも練習を重ねるうちに、キーを見なくても打てるようになったんだ。私流にレジ打ちを極めてみよう!」


それから数日経ちました。 彼女は、ものすごいスピードで レジ打ち達人に変化した。

すると、色んな事に気が付きます。色んな所が見えてくる。


「あのお客さんは昨日もきていたな」


「この人は、閉店間際に来る人」


「この人は、高いものしか買わない」


お客さんを見ることが 彼女の楽しみになりました


⑤そんなある日の事でした。


いつもは安いものばかり 買うおばあちゃんが、本日は

5,000円もする立派なタイを持ちまして レジにやって来たのです

彼女は思わず声掛けた


「今日は何かいいことあったんですか?」


おばあちゃん嬉しそうに言いました


「孫がね、水泳で一等賞を取ったから、お祝いなんだよ」


彼女は、嬉しくなって言いました


「それはおめでとうございます!」


コミュニケーションが楽しくなったその女性、お客様の顔と名前を憶えます


どんどんどんどん覚えます、会話もどんどん増えていく。

「○○さん、今日はこのチョコよりも、もっと安いチョコが出てますよ」


「今日はマグロよりもカツオのほうがいいわよ」

そうしてだんだん仕事が楽しくなる。



⑥またまたある日のことでした

彼女が超スピードで レジを打っておりますと

店内放送聞こえます。


「本日は、混み合いまして、誠に申し訳ございません

どうぞ、空いているレジにお回りください」


しばらくすると、また放送


「重ねて申し上げますが、どうぞ、空いているレジにお回りください」


3回目のアナウンス、やっと彼女は気付きます。

「何かおかしい」

周りを見渡し、驚きました

他のレジは全部空、彼女のレジの前にしかお客さんが並んでない。

店の奥から店長があわてて出てきて、お客様に駆け寄って



「どうぞあちらへお回りください」


「放っといてちょうだい! 私はここへ買い物に来ているんじゃない!

あの人とおしゃべりに来ているのよ!だからこのレジじゃないとイヤなのよ!」


その瞬間、彼女はワッと泣きました・・・

別のお客さんも言いました


「特売は他のスーパーでもやっているよ

だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ

だからこのレジに並ばせておくれよ」


ボロボロと泣き崩れたまま、その彼女レジを打つこと出来ません

「仕事ってこんなに素晴らしいものなのだ」と初めて気づいた瞬間でした。

そうです、すでにその彼女、昔の彼女ではありません。


_______

「●の数だけ●●なれる!」 木下●● 著 ××レスト出版より



バナナの叩き売りの親父から一言

良い話だよねえ。

お客さん、この話に感動したんだって。お客さんの魂ってそんなに安っぽいのかい

この話おかしいと思わねえのかい。日本人て平和だねえ。


スーパーのレジ打ちってどうやるか考えたことはねえのかい

お客様のお買い上げの篭がレジ台の横におかれます、

レジ打ち職員はその横にもう一個の空篭おいて、お客様の篭から一品ずつを取り出して、値段の確認をしてレジを打つ。

それからその商品をもう一つの別の空篭の方に整理しながら移します。この作業は昔も今も変わらない。


○いいかいお客さん、

スーパーで買い物した客は勝手になんでも買い物かごに放り込む、

しかも商品の大きさバラバラで 刺身にお肉に野菜類、豆腐にお醤油・トイレットペーパー

子供のおやつにお惣菜、どこに値段のシールがあるのやら、レジ担当は一つ一つの商品を引っくり返す、裏返す。

それから金額のレジ打ちです。割引商品ございます。3個で千円もございます。

しかも打ち終わったその直後、空篭の方へその商品を入れ直す。生ものと温かい物とに分けながら


そういう作業をするする中で、どうして機関銃のようにレジ打ちが速く出来るのでしょうか。どう考えても不思議です。

そもそもスーパーのレジ打ちはキーを早く打つ職業ではございません。それが出来る職業でもございません。・・・拍手が起こる・・・

もしもこの話のように、それが出来たとしたならば、豆腐はぐちゃぐちゃ、卵は割れる、刺身は偏り、お寿司はパックの中で阿波踊り。・・・笑い・・・

お客さんより苦情の山、この女性、三日もせずに首になる。こっちの方が真実だあ。
・・・大きな笑い・・・



○私は昔、保険屋よ、当時の事務員さんはすごかった、

保険の集金領収証、50枚ぐらいを束にして、右手でパラパラめくります、

同時に左手電卓を ものすごいスピードで叩きます。

あっという間に集計されて、現金と照合完了、ご明算。まるでそろばん読み取り算。凄い神業みましたよ。これならあります、あり得ます。

それでもそれは大きさの揃った紙の束だから、出来たことです、ほんとです。


形の違う商品を篭から一つづつ取り出して、値段をいちいち確認し、ものすごいスピードでレジを打つ、そして綺麗に入れ直す。

そんな芸当出来ません。出来ません、出来ません、そんなこと出来ません。いつの時代も不可能です



○話や小説・物語、フイックション・作り話で良いけれど、嘘の話は困ります出来ない話は困ります。それで感動話は尚更困ります。

この女性、左手で一つ一つ商品を取り出して、右手でキーを見ないでレジを打つ、他のレジより格段に お客様が捌けたのかもしれません

それを知ってる常連客、少々長くなってても、彼女のレジの列に並ぶのです。そういう事はあり得ます。


出来ることはそこまでです。ものすごいスピードで次から次と商品を取り出してレジを叩くことは不可能です。


○スーパーのレジ担当 店が暇な時ならば、お客様と会話が出来るでしょうが、レジ横にお客が並び始めたら、お客様との会話は不可能です。だって「早くしろ」とお客からの無言のプレッシャーが出始めますから。

だからこの話はあり得ない話ではないかという事で、「感激したくない、魂は震えない話」となって一件落着。


バナナのたたき売りって本来いい加減なものだけど、これは舞台でもそう宣言しているし、荒唐無稽の話でも

「あるいはそういう事もあるかもしれない、わがまま親父の言う事は本当かもしれない」と思わせるところがミソだったりもしますが、これほど、いい加減な話は作らない。それとも俺の勘違いか。


○この話に魂が震えるほど感激するその貴方の柔らかい優しい心を非難しているのではありませんよ

感激する前に、瞬間的に「この話はオカシイのじゃないか」「スーパーのレジって機関銃のように早く打てるかしら」と気づく心も又、それ以上に大切だという事で・・・、言いたいことは他にもあるが、今日はこれくらいにして。


さあ、「こういう話が大好き」という方に買っていただきたいこのバナナ、「そういわれればそうだよねえ」と思った方に買っていただきたいこのいバナナこういうバナナが一房たったの千円、千円。


                                              by薩摩わがまま親父

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泣いた赤鬼・・・・(大人の童話編)・・原文を少し変えてみました。(  )の部分です。

                  web 魂が震える話より抜粋



①山の中に、一人の赤鬼が住んでいました。 

(ある日、赤鬼は人間たちの住む麓の村で美しい人間の娘さんを見つけました。

赤鬼は一目でその娘さんを好きになりました。)



赤鬼は、人間たち(その娘さん)とも仲良くしたいと考えて、自分の家の前に、

「心のやさしい鬼のうちです。

どなたでもおいでください。

おいしいお菓子がございます。

お茶も沸かしてございます」

と書いた立て札を立てました。



けれども、人間は疑って誰一人遊びにきませんでした。


赤鬼は悲しみ、信用してもらえないことをくやしがり、

しまいには腹を立てて、立て札を引き抜いてしまいました。


そこへ、友達の青鬼が訪ねて来ました。


青鬼はわけを聞いて、赤鬼のために次のようなことを考えてやりました。


青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。



そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。


そうすれば人間たちにも、赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう、と言うのでした。


しかし、

「それでは青鬼にすまない」と、しぶる赤鬼を、

青鬼は無理やり引っ張って村へ出かけて行きました。


計画は成功して、

村の人たちは安心して赤鬼のところへ遊びにくるようになりました。



毎日毎日、村から山へ、三人五人と連れ立って出かけて来ました。

(赤鬼の大好きな美しい娘さんもみんなと一緒に遊びに来ました。)


こうして赤鬼には人間の友達ができました。

赤鬼はとても喜びました。

(赤鬼は幸せでした。)



しかし、日がたつにつれて、気になってくることがありました。


それは、あの日から訪ねて来なくなった青鬼のことでした。


ある日赤鬼は、青鬼の家を訪ねてみました。


青鬼の家は、戸がかたくしまっていました。


ふと気がつくと、戸のわきには貼り紙がしてありました。


">(『山奥に引っ越しました・・青鬼』と書かれていました。)

(赤鬼は青鬼のことが心配になり、ドンドン・ズンズン山奥に入っていきました。

そして、やっとのことで洞穴の中に横たわる青鬼を発見したのです。)



(青鬼は顔や手に沢山の傷がありました。背中にもひどい傷がありました。

「あの後に、人間たちが大勢家にやってきて、竹や棒で一杯殴られたよ、

『ここを出ていけ』といわれたよ。それで、ここまで逃げてきたんだよ」と青鬼は言いました



赤鬼の目から涙が溢れました。)

「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてね

もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、

君も悪い鬼だと思われるかもしれないよ。

それで、ぼくは、傷が治ったら旅に出るけれども、いつまでも君を忘れないよ

どこまでも君の友達だから」と青鬼は言いました。



(赤鬼は青鬼の胸に飛び込むと顔を押し付け、「ワーツ」と泣きだしました。

青鬼は赤鬼を優しく抱きしめました。


赤鬼はいつまでも しくしくと、なみだを流して泣き続けました・・・)



②原文は・・・ふと気がつくと、戸のわきには貼り紙がしてありました。

そして、

それに何か字が書かれていました。



「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください

もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、

君も悪い鬼だと思われるかもしれません

それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません

さようなら、体を大事にしてください

どこまでも君の友達、

青鬼より」



赤鬼は、だまって、それを読みました。


二度も三度も読みました。


戸に手をかけて顔を押し付け、しくしくと、

なみだを流して泣きました・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


③勉強会で『泣いた赤鬼』への3つの疑問が出ました。


何故、赤鬼は人間と仲良くなりたかったのだろう?・・・という私の質問に


●人間の女の子を好きになったから、異民族に興味を覚えたり、仲良くなりたいと思う人(鬼)がいても不思議ではない。

●「でも、人間と仲良くなるよりも、青鬼との友情を大切にする方が大事なのではないか」と思うのです。

●『人間と仲良くなることは良いこと』という考え方が根底にありますよね。・・というような意見も出ました。




何故青鬼は赤鬼の想いを達成させるために自分が犠牲に(悪者に)なろうとしたのでしょうか?


●本来なら「人間と付き合う、そんなことやめておけ」とか、「何故、人間と仲良くしたいのだ」という青鬼の質問がなくちゃあオカシイですよね。


●出発点に「人間と仲良くすることは良いことだ」という哲学があって、作者はそこを問題視してないから。


●もし赤鬼の初恋と仮定すれば、「親友だから」、「自分にも経験があったから」、「赤鬼の初恋を成就させてやろう・・」と思ったのでは




何故、青鬼は留守宅に赤鬼宛ての手紙を置いたまま旅に出たのでしょうか?


●手紙を戸口に張り出すなんて、童話にしてもオカシイ、やばすぎる。


●それこそ、留守宅に人間が忍び込んできたりして、その手紙を読んだら、あるいは戸口に貼ってある赤鬼宛ての手紙を誰かが読んだら、赤鬼のインチキがばれてしまって、赤鬼は人間から、のけ者にされるのではないでしょうか?


●あれほどの頭の良い青鬼なら、赤鬼に会いに行けない状況なら、赤鬼宛てのお手紙にするでしょう。




④上記の勉強会を経て、なるべく原文をいじらないようにして、上記の『泣いた赤鬼・・大人の童話編』を皆で作り上げました。


原文の童話の出来が悪いなんて貶(けな)す気は毛頭ありません。

●子供でも、上記三つの疑問の一つぐらい持つ子がいるのですヨ。あるいは漠然と「なんかオカシイ」と感じる子がいるのですよ。

その子がそれが原因で「泣いた赤鬼を読んで感動しなかったこと」だってあるのですよ。

「僕が青鬼だったら、友達の為に悪者を演じられるだろうかと考えだしたら、その後の文章がうわの空で頭に入らず、感激することは無かった」というようなことを話した子供がいたのですよ。



●子供だから「何がしっくりこないか」をハッキリ表現できないだけ。逆に大人でも、「もう感激」なんて人もいますよ。

疑問を持つのには年齢は関係ないのです、疑問を持つ子が良くて、疑問も持たずに感激している大人はオカシイといってる訳でもありませんヨ。「疑問を持つ子も救ってね」と言いたいのです。


●「童話と言えども、理屈が通っている方が、分かりやすいし、納得しやすい」といえませんか。





⑤この勉強会で注目すべき意見は・・・以下の意見でした。


北朝鮮のミサイル発射問題が世界的に批判されていますけれども、「そもそも北朝鮮を批判してる国って、核ミサイルを保持してる国が中心なんじゃありませんか?、自分たちの核ミサイルはОKで北朝鮮が持つのはダメって何か虫が良すぎる、そもそもの理屈が通らないのではありませんか


●これに対して、私は明確な即答は出来ませんでした。勿論、だから北朝鮮が核を持って良いという事にはなりませんが。


皆さんはどのように答えられますか



                         by薩摩わがまま親父
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賢すぎるА君へ


人より賢くなりなさい。人より賢くなることはこの世で一番大切なことかもしれない。

しかし、それを人に知らせてはいけない。賢くなったら、馬鹿を演じていることです。

何故かって、君が賢いと分かれば、君にとって良いことは起こらないから・・・。




①この世の中は上手か下手か、点数が上か下か、スコアが良いか悪いか、どっちが強いか比べれば優劣の差が出ることばかり。まだありますよ、背が高いか低いか、何方が美人かなどなど・・・・。

比べればどちらかに軍配が上がることが無数にあります。



②だから人は比べたがるのですよ。「俺と彼は何方が賢いか」なんてことまでもね。

賢いか否かは比べるものではありません。貴方の賢さは貴方が自分の胸にしまい込んでいる能力です。

賢さはまさかの時に発揮すればいい、大惨事の時、貴方の咄嗟の判断が多くの人の命を救った。

貴方のアイデア一つで会社の売上が3倍になった。大きな訴訟を貴方が担当になって逆転勝訴した。



③貴方の賢さが発揮されるチャンスはいつか必ず来ます、その時までは普通の並の人間でいることです。

殊更、自分の賢さを皆に認めさせようとしないことです

貴方が賢さを前面に出して、社長以下、上司たちがそれを認めたら、貴方は雑事に忙殺されますよ。

どうでも良い些細な問題の解決に貴方の賢さを使わなければならなくなります。


そうこうしているうちに貴方の大きな賢さが萎えて行ってしまいます。たとえは適切ではないけれど、片づけ上手の主婦の整理・整頓術になったら駄目ですよ。

男の賢さは日本国の為、世界の為に使ってください。

男は毎朝、カミソリでひげを剃ることは出来ますが、安全剃刀の刃では千年の杉の大木を切り倒すことは出来ません。男の賢さは大木を切り倒す斧で無ければならない。

男の賢さの発揮の仕方を間違えないでくださいね。



何事も起きない、平穏無事な時にこそ、「もし、戦争状態になったらとか、今は会社は順調だけど、うちの会社が右肩下がりになるとしたら、こんな時だ」と考えを巡らせておくことです。

賢いから、何かが起こる前に起こった時の用意や準備・備えが出来るのですよ。考えることは自由、心の準備も誰からも咎められない。

そういう時間を持つためにも、貴方が賢いこと、賢くなったことは他人に秘密にしておきなさい。


それでも、貴方が「賢い人間だ」と気づいている人間の一人や二人はいるものです。但し、その人も賢い人だから貴方にそのことを言わない。

これが賢い人の生き方です。

優秀で賢い若い君だから、「馬鹿を演じなさい」と言う教えには抵抗があるかもしれない、でも、それで得られる、心の自由は得難いものであり、君を本物の賢い人間に成長させる時間を君に与えてくれるのです。


よく考えてみて下さい、強制ではありませんよ。


                                 by薩摩わがまま親父

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昨夜、45年ぶりに高校時代の同級生と会いました。

彼は大学卒業後、アメリカにわたり、カナダ国籍を取得、彼の地で松茸栽培で成功しております。

今回が最後かもという事で両親の墓参りを兼ねて、中国の春節を利用して家族で故郷へ凱旋してきたという訳です。

会った瞬間、お互い完全な別人で、「街ですれ違っても分からないなあ」と大笑いしました。

でもそこは昔の仲間、同級生すぐに打ち解けて、彼のその後の話に聞き入りました。



①特に彼は、3年前にカナダのゴルフ練習場で練習中に心筋梗塞で斃れたのです。救急搬送、たまたま、練習場のすぐ近くに指折りの心臓外科が有りそこに運ばれました、そして、カナダでも心臓外科の№1の医者が執刀して、命を奇跡的に取り留めたのでありました。

しかもそのお医者さんは明日から休暇で、故郷の台湾に帰る段取りになっていたという事、その先生が手術をしていなければ、とっくに命は無かっただろうという話でした。



その後人工心臓を入れて、外からモーターで心臓を動かすという生き方を余儀なくされたとか。

彼の言う事が面白い「人工心臓を入れてると、脈を打たないのだぜ、手首の脈を測ってもピクリとも動いてない、死人が生きてるって感じだったよ」

3ケ月病院で人工心臓の厄介になってるうちに、心臓提供者が現れて心臓移植施術を受けたのです。「41歳の男性の心臓を移植したので同級生の中では俺が一番若いぜ」と。

7割ぐらいの成功率という手術に掛けて成功、無事退院できたとの事。




②元々、何かをやるだろうという雰囲気の男でしたから、波乱万丈、凄い人生を歩んでいます。

彼は台湾人の奥さんとお互いバツ一の子連れ通しで再婚したそうです。

そして、彼が心筋梗塞で倒れて何日か意識不明で死線を彷徨っていた時に、彼の奥様はクリスチャンですが日本式に毎日お百度参りをかかさなかったそうです。

神様に「夫の命を助けてください、私の命を10年削って、彼に上げて下さい」と真剣に祈ったという事です。

凄いですねえ、台湾人のこの奥様の思想は日本人より、日本的かもしれません。今はこう言える日本人の奥さんは何割でしょうか?

昨夜は体調が思わしくなくて我々の再開の場には欠席でありましたが、お目にかかりたかったです。



③今ではゴルフも出来るまで元気になっておりましたが、私は「死んでてもおかしくない命が助かったんだもの、神様が『まだこの世にし残したことがあるぞ』、と命を助けたのだろうね、残りの人生を何をやるか決めたのかい」と聞いてみました。

「それがなあ、元気になることばかりに一生懸命で、いまだに、これから何をしたらいいのかそれが見つからない」と寂しそうでした。

私も瞬間、月並みな励ましを言ったものだと反省しましたがもう遅い。彼に良からぬプレッシャーを与えたかもしれません。

九死に一生を得た友に、「折角助かった命。残された命を何に使うのだ」などと偉そうなことを口走るのが私の悪い癖であります

単純に「命助かって良かったね、おめでとう、長生きしろや」で良かったのにね、



◎若い方々へ

何気ない一言が相手に思わぬプレッシャーや相手の気分を害することも有りますので、皆様は十二分にご注意下さい。

特に今回のような場合、「助かった命を今後どう使うかは」彼が考えることであり、他人がとやかく言う必要は無い問題です

余計なおせっかいは慎む事、特に酒が入るとこういう失敗が顔をのぞかせます。


                            by 薩摩のわがまま親父


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