Hちゃんは、黄疸が出たので、インキュベーターというプラスチックの箱が運ばれてきました。

本当は、サングラスを掛けて目に直接光が当たらないようにするのですが、手で取ってしまうことがあるので、今回は別の方法が取られました。


それは、めがねの形をしたひらひらの目隠しのようなコットンを目に当てて、頭を切ったときなどにかぶされるネットでカバーをします。


その姿といったら、なんだか見ていてとんでもなく悲しくなってきます。。

しかも、オムツ一枚。Hちゃんは、少し震えながら箱の中に入れられ不安そうに手で何かをつかむような動きをしています。


私は、抱き上げたくて、それでも3時間後との授乳とオムツ交換以外は出来なくて、どんどん悲しくなってきます。。


しばらくして、個室が開いたのでそこへ移動させてくれたので、J君、Hちゃんと私の3人だけになりました。


私は、この日家に帰れると思って、すごく楽しみにしていました。前日のかかとから血を絞り出す検査で大泣きするHちゃんを見るのも、結構きつかったのですが、明日は帰れるかも!という気持ちがあって、何とか持ちこたえてました。


それが、まったく予期せぬ状況になって。。。私は、ここから何故か大泣きです。。

涙が、とめどなく出てきて、J君も大慌て。。


この日、J君姉が訪ねてくることになっていたのですが、その前にこの顔なんとかしたい、。。。とおもったのですが、無理でした。


しゃくりあげて、鼻水たらしているときに、じゃじゃ~ん。

J君の姉登場。


私を見ても、驚く様子もなく、いつものように明るく彼女も一歳を過ぎた女の子がインキュベーターに入っていたので、なんとなく気持ちは分かってくれているみたいです。


しかも、出産直後でホルモンのバランスも急激に変化しているので(この時点で母乳もしっかりと出ていません)、涙もろくなるらしいのです。。お姉さんとのたわいない会話は、今思うとすごく励まされました。このわずか数時間だけでしたが、笑っていられた瞬間でした。。


お姉さんとJ君もいなくなると、Hちゃんをみてはまた泣いてしまいます。。

どうしちゃったのかと思うほど、泣けて仕方ありません。

授乳のために、Hちゃんを箱から出すとまた泣けます。。


夜もほとんど熟睡できずに、ただHちゃんを見ては泣いて、を繰り返してました。。

その翌日。。


なんと、母乳が出てきました。。

しかも、胸が石のように張ってしまい、ものすごい痛みです。。


何がどうなっちゃったの~!!と言うくらい、たった一日でものすごい変化です。


この日のお昼に、Hちゃんの黄疸の検査をして、結果を待ちました。

午後4時。。ようやく、帰宅することが許可されました。。


Jに急いで、連絡をして、ベビーのカーシートをセットしてもらうようにしました。

これがないと、帰れないのです。。

法律で義務付けられてます。


新生児用のは、カプセルとも言われてる丸く横たわる感じのものです。一年も使えなかったりするので、私達はPlunketという母子サポートを行う団体よりレンタルしました。有料ですが、買うよりもずっとお得です。


あ~、これで家に帰れる!!!

病院生活5日目です。


眠れない日々は、まだ続くのだと思いますが、とにかくいろんな意味で緊張だらけの病院生活だったので、家に帰れるのがとてもうれしかったです。


24時間以内に退院していくママたちの気持ちが今なら分かります。。

家が一番。。


私は、産後でまだ出血もしていたり、あちこち痛みもあったのですが、痛み止めを飲みながら、荷造りを開始しました。。。あ、出発前に夕食が配られたので、それは完食!


ちなみに、病院の食事は、前日にメニューが配られるので、好きなものにチェックをして、量も種類も選べて、私はかなり大満足でした!


と言うことで、病院生活はいろんなことがありましたが、とにかく無事退院することが出来ました。


病院編は、ここまでにして、あとは忘れないうちに、お産で得た貴重なお友達からの便利情報だけアップする予定です。





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4人部屋で、私とHちゃんの最初の夜です。

すでに1時半過ぎだったと思います。次の授乳時間にどうやって起きるのか、考えてみたのですが、4人部屋だし病院と言うこともあり、携帯のアラームは使えない。。


とりあえず、寝てみようと思ったのですが、緊張もあり、興奮もあり、なかなか寝付けません。

それで、まずは最初のオムツチェック。恐る恐るチェックしてみると、交換時。。


この時点で新生児のオムツ交換などまるで経験なし。親学級で、赤ちゃんのお人形を使って練習しましたが、本物はやわらかい。。しかも、ふにゃふにゃ。。どこをどうやって、同換えるのか。。


どきどきしながら、見よう見まねでなんとなくオムツ交換完了。。

交換している間、Hちゃんはふぎゃ~と声を出して泣き始めます。すると、

カーテンだけで仕切られたこの空間。どこからともなく、他の赤ちゃんのふぎゃ~、と言う声も聞こえてきます。

そこになぜか、2人分のいびきが合唱のように聞こえてきます。。すごく熟睡できるお母さんもいるのですね。

確かにお産は、体力がものすごい消耗しますからね。

それにしても、うらやましかったです。あんなに熟睡できて。。。


オムツを交換した後うとうとするHちゃん。。

よし、寝てください!と、私のベッド脇にある赤ちゃん用の小さいベッドへ移動です。


このとき私は体中が痛くて自分のベッドに上ったり降りたりが辛かったです。

横になってみたものの、Hちゃんが息をしているか気になる新米母。。

やっぱり、もう一度息をしているか確認をしに起き上がってみる。。


こんなことを数度と繰り返しながら、明け方近くまで眠れなく、ぼんやりとベッドで横たわっていました。

そのうち、うとうとしてきて少しだけ眠りました。


明け方、Hちゃんの声を聞いて、授乳体制開始です。

ただ、これってまだミルクも出てないので、初乳という黄色っぽい汁を飲ませるのですが、出てるのか出てないのかも分かりません。しかも、うまく口に含ませてあげられず、母焦ります。。結局、ブザーを鳴らしてその日泊り込みの助産婦さんに授乳のサポートをお願いします。


この滞在では、帝王切開などを除けば基本的にお母さんや赤ちゃんの世話は特にしてもらうことはありません。

日本では、お母さんの傷の消毒とかやってくれるところもあるようですが、私の滞在した部屋やトイレには、母用傷の消毒液など特にありませんでした。産後すぐのシャワー後に、誰か消毒液をくれるのかな。。と、思ったのですが、やっぱり特になし。。。


この日本での傷を消毒してもらう話を助産婦さんなどにしたら、ものすごい驚かれてしまいました。

え~?そうなの?そんなに動いちゃいけないの?と言った感じ。


私は、NZにいるのでNZ式に従うしかないのですが、やっぱりいろんな意味で不安もあります。

もし私が、出血多量だったらだれが気付いてくれるんだろうか。。などなど。

気になることがあるときは、ブザーを押して助産婦さんに来てもらいます。こちらから聞いていかない限り野放し。。そう、思い切ってブザーを押せばサポートにたどり着けるのです。これは、とてもありがたいのですが、難点は私のように5日間など数日滞在すると担当してくれる助産婦さんが毎日変わって、アドバイスも微妙に違うのです。。母乳に関しては特に母大混乱です。


「え~?さっきの人はこういったのに。。。今度の人はこういってる。。どうしよ~!」


また、手伝ってくれるのを見ている母として、寝ているHを起こして授乳させるため、来ているものをどんどん脱がしてオムツ一枚にされるのは、ちょっといただけませんでした。なぜかというと、あの病室は非常に寒いかったからです。。私は、寒いかもしれない、と言う話を前に友人から聞いていたので、フリース素材のコートみたいなものを持参していました。この頃は、まだ暖かい日が続いているウェリントンでしたが、このコートが役に立ちました。夜もめっきり冷えて、新生児初めての夜にはそりゃもう凍えそうです。Hちゃん、かなりひんやりしてましたから。。それなのに、授乳のため目を覚ますようオムツ一枚にされるHちゃん...。

そこまでする必要あるのかな。。。と疑問に思いつつ、新米母何も言えず。。ただ、引いてしまうのみ。。


助産婦さんには申し訳ないけれどHがどっぷり熟睡していて、助産婦さんが一秒でも早くあきらめてくれること願ってました。。


次の日の夜、私の授乳がうまく出来ず、Hちゃん声を張り上げ大泣き。

そこへ、見回りの助産婦さんがやってきました。彼女は、「眠いみたいね、しばらくねかしていいんじゃない?」って、前回の授乳より最大の4時間を越えているにもかかわらず昨日とは反対のアドバイス。。


結局、毎晩こんな調子で私はどうしたらいいのかわからぬまま睡眠不足の4日目に突入。

この日は、Hちゃんのバセドウ病の血液検査をして、問題がなければ家へ帰れる!という状況でした。


午後になって、血液検査の結果を伝えに一人の助産婦さんがやってきます。

結果は、バセドウ病は今回でなかったので、生後10日目にもう一度検査をすればOKと言われたのですが。。。

Hちゃんに黄疸が出ていることが発覚。アジアの子供に多く見られますよね。Hちゃんもこのころかなり黄色身を帯びてはいました。

数値はそんなに高すぎではありませんが、光をあてるための箱に移動することを聞かされました。

ちょうど向かいのベッドの人の赤ちゃんも前日その箱の中へ入って、個室へと移動していったのでどんな感じかは想像ついていました。


でも、母このとき疲れがピークです。

しかも、この時点で個室がいっぱいなのであくまでこの4人部屋で待機して欲しいと言われ、この一言で何かがぷつんと切れた感じです。。。。


それは、また次回に。







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産後。。。

出産してから、約2週間です。今日は、約4ヶ月ぶりにジーンズ!!!!

妊娠5ヶ月ごろにはいていたジーンズですが、その後きつくなってはけず、はけるかどうかどきどきしながら試してみましたが、入った~。


出産当日、体重測定をしていたのですが、だいたい16kg増でした。陣痛でやせたのかも知れません。ピークのときは18kg増でしたから。。^^


それが、出産の翌日はたったの3.5kg減。不思議です。Hちゃんが、3kgちょっとなので本当にその分ぐらいだけ体重が減った感じです。


ところが、そこから寝不足、大忙しの日々、病気回復のための野菜を中心とした漢方系お食事のおかげか、7日で計6kg戻りました。


このお食事ですが、私の出産予定日だった14日から一週間の予定でうちに泊まりこみで滞在してくれている台湾人の友人Eちゃんによるものです。ものすごい大きなリュックをもって、クライストチャーチからやってきたので、何事かと思ったら中身はほぼすべて食料、調味料等でした。


私のために、豚肉の黒酢スープ、椎茸と鶏肉のスープ、10種類の漢方薬入り鶏のスープなど等。。

私の体が一日も早く回復するよう、毎日色んなお食事を楽しませてくれます。本当にありがたいです。。

Jも、オムツ交換から家事全部を担当しており、この2週間で3kgぐらい痩せていたので、彼も身体によいものをたくさん食べられて、本当に良かった。。


産後の回復は、順調だと思いますが、特に痛感したことは太らせておいてせておいて良かった。。ということです。今は、母乳を与えているので、とにかく体力的に厳しいものがあります。


だから、すぐに体重を戻したいというより、この体重は睡眠時間をもう少し確保できるくらいHが成長するまでの補充に出来たら良いかな、と思ってます。そんな都合よくは、行かないかも知れませんが。。


それにしても、やっぱり好きな服を着られるって、本当にうれしいです。妊娠後期なんて、あまりのお腹の大きさに着るものがもう限られていて、いっつも同じ服ばかり着ていました。だから、これから以前の服を着るのが楽しみです。お腹も引き締まる気がするし!


久しぶりのジーンズをはいて、今日はこれから植物園へ行って日光浴などをしようと思います。無理のない程度に、リフレッシュです。



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5日の5時すぎに家を出る前、今日は病院へ向かうと思っていたのでJへ荷物を先に車に積んで置くようにお願いします。Jは、まだ急がなくても大丈夫なんじゃないの?と聞いてきたので、「陣痛の一番ひどいときに、荷物取ってくるから先に車に載って待ってて、なんてわたしに言ったら怒鳴られますよ~」、と予告しておきました。それで、すんなり荷物を車に載せに行きました。その後助産婦さんとの電話で、帰ってもらうかもしれないけれど、チェックしたいからとりあえず病院へ来てください、とのこと。


5時40分に病院へ到着します。助手席を降りて病院へ入ります。


その後、陣痛と赤ちゃんの心拍音を図るため個室に通されます。

助産婦のTさんと、Jもやってきてお腹に電波のコードを腹巻のように巻いてもらいます。

その前に、トイレ行っておこうと思って、お手洗いへ。。


そこで、今度はおしるし(出血)プラス破水です。

すごいタイミング~!車の助手席には、ビニールシートを敷いて座っていたのですが、後もう少しで車の中で破水だったんですね。5分差!


このとき陣痛は、まだ耐えられたのですが、先生が来るのを待つ間の20分ぐらいで痛みが強くなってきました。それでも、

陣痛と陣痛の間はまだ数分あったので、この間はJと普通に話をしています。


ただ、外からものすごい悲鳴と言うか叫び声のようなものを聞きました。

あの声聞いたら、かなり緊張走ります。私もあんな感じになるのでしょうか。。


J「いつ生まれるのかな。。今日かな?」と、心配そうです。

M「ちょっとわからないけれど、やっぱり早めにお腹いっぱいにしてきてよかった~。まだまだ体力あるもの~」。


ところが、先生が来る前に痛みが増してきました。

先生は、私を見てすぐに「痛み止めはどうします?ガスとか無痛分娩とか?」と聞いてくれました。

今回のお産で驚いたのは、痛み止め等をあらかじめ希望として出しますが、結局は当日決めることが出来るのです。そのかわり、どんな痛み止めにどんな副作用があるかなどは事前に自分で調べておきます。


私は特に何も希望をしていませんでしたが、これ以上痛くなるのもしんどいな~

と思ってあっさりガスをお願いします。チューブを口にくわえて、息を吸ってはき

続けるだけです。


これが、ものすご~く良く効いて、しかも最高に気持ちよく(ちょっと怪しげに)私は笑顔で呂律が回らなくなりました。ただ、しばらくすると効き目が薄れてきて、そのときに大きな波みたいな痛みがやってきて、自分の意思とは関係無しにお腹に力が入ってしまいます。生まれちゃうかと思いましたが、自分でふと気付いたのです。

「どうやって生むんだろう。。」、と。気分的には、先生を待ってから、と自分に言い聞かせます。


先生が来て、内診すると「あ~、もういついきんでくれても良いです。よくここまでがんばりましたね~」

と、言われましたがそんなにがんばったか実感のないまま、ここまで来てたんですね。


ただ、私はいきみかたがよくわかりません。

それで、助産婦さんに「いきみかたが、ちょっと。。。あ~、でもなんか勝手に力が入ってくるんですけど。。」って、言って見たら「あ、本当だ。生まれそうです。いますぐ、分娩室へ向かわないと廊下で生まれてしまうかも!」なんていわれて、焦る私とJ。


私のベッドを移動させてくれる看護婦さんなどを探しているのですが病院は、お産の人がいっぱいでみあたりません。結局、Jがガスのタンク片手に助産婦さんと一緒にベッドを押しながら分娩室へ。


私は、痛みが更に増した気がして無痛分娩は出来るかどうか聞いてみると「赤ちゃんがすぐそこまで来ているので、もう間に合いません」との事。


私は、どんどん辛い~、と思っていると、もう一人助産婦さんの助っ人が入りました。

中国人の助産婦さん二人、Jを含めて3人が私を囲みます。


良かったね~、血が苦手なJ君。これで、お役目開放か。。。と思われましたが、何せわたしがいきみかたが分からずもがいてます。


二人の助産婦さんが足をサポートしてくれているのですが、力を入れる方向が分からず二人を蹴り飛ばしそうになります。Jは、必死に助産婦さんが私にいtいっていた「あごを引いて」と言う言葉を繰り返しています。


この頃、Jを見る余裕はありません。私は3人に向かって「疲れたから休憩したい!」と訴えます。

助産婦さんが、もう少しだからがんばって!と励ましてくれているにもかかわらず、「今は無理だから、もうちょっと休ませて!」と、さらい強行に訴え続けます。


(私この時点で着ているものといえば、すべて病院へついたときのままです。出産のために用意したTシャツは(役に立ちませんでした)。


助産婦さんに、せっかく何とか休憩しても良いよ、といってもらったのに陣痛と陣痛の間隔がない!!!

ものすごい残念だったけれど、助産婦さんたちに「また波が来た~!」と、訴えるとスタンバイ。

この頃、Jの腕は折れるかと思った、と聞きました。私の中で彼の腕をつかんでいた記憶が一切ないにもかかわらず。。


私は、このときいきみかたがわかってきました。ただ、ここで本当に最後の痛みが近づいてきていたので、ようやく日本語登場。


「痛い!もう出来ないよ~」と、弱音を吐きました。

旦那、こんなときに通訳させられてます。「あ、これは日本語で。。。」と話しているのを聞きました。


私は、赤ちゃんがもう近くにいるんだというのを聞いて、「ゴールは近い!ここでがんばれば、あとは休息が待っている!」と、この場になっても休息のことしか考えていませんでした。。とにかく、体力的にきっついです。


助産婦さんに「焼け付くような感じがするでしょう?」と言われ、「本当だ~、体が焼けてるみたい~」と、納得。

最後の一息。後もう少しだ~!!!!


赤ちゃんの頭だけが出てきたと思っていたのですが、あれよあれよと言う間に「おぎゃ~」という声が聞こえて、その1秒後にはお腹に赤ちゃんが乗っています。信じられないほどあっという間に。。そして泣き声は同時に止まっています。Hちゃん、誕生後たくましくミルクを探し、お腹をさまよう。。。元気そうでうれしさがこみあげます。


ようやくわが子にあえて、お腹にそのぬくもりを感じることが出来て、本当に幸せな瞬間です。

Jは、ありがとう、を繰り返しています。


その後、産後の処理とかしてもらっている間、またガスを使っていました。疲れも加わりまた頭がぼ~っとし始めます。


産後1時間半くらいでしょうか。助産婦さんが「はい、体力つけないとね。夕飯食べて」と、お盆を運んでくれます。

食欲ないんですけれど、と伝えると、「明日の朝まで何も食べ物ないですけど」、と言われラザニアとバニラアイスをいただきました。。産後のお食事は分娩室で。。私は、高めのベッドにいたので、みなくていいようなものは何一つ見ることもなく、普通にお食事出来ました。


「お父さんもいかがですか?」とJも聞かれていましたが、「僕は、結構です」と丁寧にお断りしています。

わたしは、「Jも、夕飯食べてないじゃない?私のラザニア食べない?」なんて、聞いてみたのですが、食べたくなさそうでした。後で聞いてみると、色んなものを見すぎたらしいです。。


私のガス酔いの間に、あれをとってくれとか、これをもっててくれ、とか助産婦さんのアシスタントのようになってしまったJは、くら~っとしながらも、しっかりとHちゃんを抱えて持ちこたえたそうです。J君、本当によくがんばりました。私が、感謝したいくらい勇気がありました。私には、出来なさそうな役割です。


それから、移動した先は4人部屋。4組の母子がここでカーテンの仕切りだけですごすのですが、助産婦さんがJが帰る前にシャワーをどうぞ、とのこと。ちょっと、ぐったりなんけど、自力でシャワーを浴びてみました。


気付いてみると、深夜2時です。付き人は基本的には禁止ですのでJは家路へ向かい、私とHちゃんの母子最初の夜です。(つづく)




出産。

こんにちは!先日のコメントお返事しておりませんが、読ませていただきました。ありがとうございます。

おかげさまで、Blogをのんきにアップしていた当日に無事出産いたしました。


詳細はと言うと、4月5日夕方5時40分に病院へ入り、8時52分。3360g、身長50cmの元気な女の子です。

どうやらスーパー安産のようです。これは、いつか改めて書きます。面白かったので。^^


我が家の新メンバーHちゃんは黒髪にこげ茶色の瞳を私から引き継いで、目とか口がJ風です。。

通常24時間ぐらいで皆さん退院ですが、私の場合Hちゃんがバセドウ病を持っていないかすぐに検査をする必要があったので、当初4日の滞在といわれていました。

実際、4人部屋で4日滞在は本当に大変。
周りの人だけが、24時間後と日夜問わず入れ替わって、うちのHちゃんは鳴き声がものすごい。。。看護婦さんたちもみんな知っていて、会うたびに笑われてました。それほど元気でよかったと思います。

4日後滞在し、バセドウ病の検査第一回目は無事パスできたのですが、黄疸が出てしまったので、Incubeterという箱(光の出るやつです)に入ることになりました。このときの感想、「帰れない。。この部屋から今すぐ出たい~!!!」でした。4日目と言うことで心身ともにぼろぼろ状態の母(毎日平均睡眠が最初の3日間1,2時間だったため)でした。これも、詳細は後ほどアップです。。

長く滞在した分色々ありましたが、今は笑って話せますよ。ははは。
とにもかくにも、お産は面白かったのです。病院にいたときは、笑えませんでしたが。。。

ということで、2日前に無事退院してきました。今のところ、私の体調の回復もHちゃんの成長過程も順調です。
ようやく母乳が安定してきて、Hちゃんは体重増加中です。これは、減ったり増えたりしばらく続くみたいですが。。

いや~、睡眠不足のすごさを改めて実感している、新米ママです。

昨日は、お産の開始といわれる出産間近の出血がありました。

痛みは、いつもより鈍いくらいです。


そして、昨夜はきゅ~っとする痛みが何度かあって、目が覚めました。

でも、規則的な痛みではないので、合間に寝てましたが、7時ごろから頻度が多くなってきた気がしたので数え始めました。


まずは、感覚です。大体10分ぐらいに1度の痛みで、痛みがどのくらい続くか最初は計っていませんでした。

自分の中では、一分ぐらいかな~なんて思っていたのですが、いざ計ってみるとわずか20秒。


そして、二日目にしてまた出血があったので、規則的な痛みが10分後毎になったことも一緒に伝えるため助産婦さんの携帯へメッセージを入れました。


アドバイスは、どうやら始まったみたいですね。今は、あったかいシャワーとか身体を温めたりリラックスして、痛みが10分以内に3回となったら連絡くださいとのこと。


それから、数時間がたって10分以内に20秒の痛みが3度あったので、連絡をすると、やはりそのまましばらく様子を見てくださいと。


ポイントは、一分ぐらい続く強烈な痛みが5分後とに起こったら連絡するようにとのこと。

私の状況を説明すると、「始まったばかりですから、早くても今日の夜遅くとか、明日以降の出産だと思いますよ」といわれました。


私も、陣痛がこんなに楽ってこともないだろうな~、と思っていますが、何はともあれ入院してもいいように、バックとか最終チェックを痛みの合間にしてます。


あとは体力温存のため食べてます。普通に。いや、解禁しました。血圧のため避けていたポテトチップスを。。。

おいしい~。痛みはまぎれます。


あとは、ひたすら記録をしているので、これも気がそれて良いです。


きっと、本来のすご~い陣痛が来たら、そんなのんきなことはしていられないと思いますが、まずは本当の陣痛が来るまでスタンバイ!


次の報告のときは、出産できてると良いな~。



1月9日に日本のお医者様に診ていただいた翌日、Jが北京からやってきました。

私の体調が気になり、成田から一人で最寄り駅までやってくると言って、多少迷ったみたいですが、無事会うことが出来ました。


北京の病院へ私の変わりに検査結果を聞きに言ってくれたJは、そこで恐ろしい話をたくさん聞かされてきていたので、日本のお医者さんの説明で相当安心したみたいです。


どんなことを言われたか、あまりに凄すぎて全部話してくれませんでしたが、やっぱり今いるおなかの子供をあきらめなさい、と言うこと。奥さんは、一度妊娠できたんだからもう一度妊娠できる。最初から、リスクのない子供を生んだ方が良い、などなど。


なんで、こんなにすごいのか私達の見解は、子供を基本的に一人しか持てないことと関係があるのではないかと言うことです。中国で子供が将来親の面倒を見る、という観念は今も根強く、そのたった一人の子供は健康で将来性のある子供でなければならない!と思っているからではないかと想像したのです。この子がダメなら、次の子妊娠すればいいじゃない、と。


それと、もう一つの日本のお医者さんとこちらのお医者さんの見解の違いは、検査の方法にあるらしいです。

日本のお医者さんの説明では、検査の方法が違うので今回の私が中国でもらった検査結果の数値は日本で出たものよりはるかに上回っていたのです。だから、その数値でみると私は日本で言われた中度ではなく重症に当てはまるのだそうです。


これらのことは、Jと一緒に日本の病院へ言ったときにお医者様と話した内容の一部です。

私達は、日曜日のお昼、すべての患者さんが診察を終わった後で、先生からのお時間をいただき、一時間以上今後のことや治療法について、お話していただきました。しかも、通常の診察料のみ。。。

とても、良心的な先生で本当に感謝しています。また、ここの看護婦さんも私が妊婦なので、待合室ではなくベッドで待たせてくださったり。。。(その間、ごろっとしながら雑誌読んでました。。)


Jからの質問もいくつかあったのですが、ちょっとずれてる一つは「先生、Mayumitaはシーフード食べてもいいんですか?」、です。彼は、私がシーフードの調理済みえびとか食べようとすると、止めていたのです。。

先生のお返事は、「いいですよ。食べ物の制限は特にこの病気に関してはありません」と。それで私は、堂々と焼き魚定食にたどり着けたわけです。


私は、当初1月14日にNZへ戻る予定でしたが、数値が下がるまで長時間のフライトは勧められない、という先生の言葉で、日程を変える決意をしました。


Jは、まだ残っているリサーチを続けるため予定していた14日に北京へ戻っていきました。

私達は、次に会えるのはいつなんだろうね。。。と、話していましたが、この状況ではまったく予想は出来ませんでした。


一つだけいえるのは、私はNZでの出産を希望していた、と言うことだけです。

日本では、妹が出産でお世話になった病院へ短期間と言うことで飛び入り検診してもらっていたのですが、こちらも本当にすばらしい。。。。先生のアドバイスとか病院の設備とか。


ただ、私にとっての懸念は陣痛のときに一番頼りにするであろうJがいないところで出産することと、赤ちゃん誕生から一緒に経験、体験できないということです。


NZの子育ては、夫婦が一緒にすることが多く出産の翌日から問題なければ、すぐに家に帰って旦那さんもそこから育児、家事の分担が始まります。


私も、そういう子育てを希望していたので、日本からNZへ帰れないかもしれない、というのはとにかくものすごく不安でした。


病気に関しては、先生とのお話を聞いて、病気を持ちながら暮らしていくことの覚悟や、定期的な血液検査や毎日の薬など、初めてのことですが、このぐらいでいつもと同じ日常生活を送れるのなら全然問題ない、と思っていました。そして、この機会に薬を飲みながら生活する人の気持ちもちょっと分かち合えるのではないかと思って、これも一つのよい経験だと前向きに考えていました。


実際、薬を飲み始めてから10日の血液検査では、数値が下がり始めて、私の症状は激減してきました。

驚いたのは、寒さを感じるようになったこと。長袖を切ることが苦痛ではなくなり、呼吸も落ち着いてきたことなどなど。。また、むくみがちだった顔もスッキリとしてきたので、周りのみんなが「あ~、やっぱり前は病気だったんだね~」と、言い出すくらいの明確な違いが出ていました。


1月20日に良好な兆しが見られて、とても明るい気分になりました。北京にいたJも大喜び!


ここから、NZへの帰国には長い道のりがあるのですが、それはまたこの次に。。。




前回の続きと言うより現状と言うことになりますが、休み前にちょっとうれしいことがありました。

それは、1月から周期的に続けている血液検査で、今回初めて数値が正常値へ戻ったということです。

正確に言うと、あと一項目高めの部分があるのですが、一番大事な2項目が正常値へ戻ったので、薬を減らすことが出来ました。。。薬を飲み始めてから、約2ヶ月半ぐらいですが、出産前に一度正常値まで戻ってよかったです。医師からは妊娠しているときは数値は低く出てくることがある、と聞いていますので、出産後しばらくするとまた上がってくることも予測されていますが、こうやって先のことも分かっていれば実際数値が上がっても、驚くことなくすごせます。


また、この病気の場合、一度数値が下がったからといって病気が完治!と言うわけではありません。なぜかと言うと、私は薬を飲みながらこの正常値へ戻ったからです。今後も、薬は飲み続けて、血液検査を定期的に行って、「薬のさじ加減」を専門医に続けてもらうことになります。薬無しで数値が正常値を維持できたら、しばらく薬を飲まずに過ごすことが出来ます。それでも、定期的な血液検査は再発していないか確認するために必要となってきます。


今は、病院で見ていただくお医者様が、毎回2,3人いて、同じ人ではありません。

なぜかと言うと、甲状腺の病気と妊娠の両方の分野で専門医として働くお医者様がこの病院にいないからです。おそらく世界でも数は非常に少ないと日本のお医者様に聞きました。ただ、日本でいたときラッキーだったのはこの先生の以前お世話になったドクターがこの分野で活躍される方だったのです。。だから、何か気になる点はこの先生に連絡を入れてくださったので、さらに多くのアドバイスを頂くことが出来ました。


NZの病院では、妊娠専門のお医者様と甲状腺専門のお医者さ、それ以外のないかの先生とのチームワークで私の経過確認と治療方針が決められていきました。皆さん親切で、本当に居心地が良いです。予約制ですが、時には待ち時間が一時間近くになりますが、NZの永住権保持者ということでこれらの治療がすべて無料なのです。。ですから、基本的には文句なしです!


それから、先週の定期健診ではお腹周りが99cm。。。大きいです。一週間で2cmUpです。。

今は、予定日まで一週間をきったので毎週検診していただいていますが、先週から助産婦さんに針をやってもらっています。


これは、胎児の位置を出産へ向けて整えたり、子宮の働きを促したり、色々作用はあるみたいですが、とにかく気持ちが良いです。


助産婦さんといえば、以前は担当の助産婦さんのアシスタントをしてくれていた中国人の女性が無事助産婦の試験に合格し、独立したので、私の担当は彼女にしてもらいました。経験と言う点では、これまでの助産婦さんとは比べられませんが、私にとっては彼女のきめの細かいサポートやNZでの出産に関して日本との違いから来る不安などをとても良く理解してくれる部分など、どうもしっくりくるのです。また、中国語で話しているので、「破水」、「前駆陣痛」とか英語で分からない単語は書いてもらったりすると、すぐ分かるので心強いです。。


そうです。出産前にちょっとNZでの出産準備などについても書いていけたらと思ってます。

テーマもあまり使い分けていなかったのですが、ちょっと新しく追加してみました。