NZへ来る前に、台湾ので2年半暮らしていた。こちらの人によく、「どこから来たの?」と聞かれる。

色々考えた末、こう答えるようにしている。

「日本人です。でも、ここへ来る前台湾で暮らしていたので、台湾から来ました。」

へんてこりんな答え方かもしれないが、そこからJ君との出会いなども聞かれるので、この答えが後々会話しやすい。


留学の始まりは、1999年のアメリカ、ボストン、ニューヨークの短期留学。帰国後2年かけて将来のプランを組み始めた。


実は、アメリカへ留学する時、親にも宣言していたのだが、「これが人生で最初で最後の留学になるから」と思っていた。家族のこと、仕事のこと、年齢のこと、そんなことばかり考えていた。


しかし、アメリカでの、色んな人との出会いを通して、「留学は、これが始まりで終わりじゃないんだ」、と思うようになった。


帰国後も、次の留学を決めようか、ずっと考えていた。プランを模索すること、2年。この間、韓国、台湾、Argentinaの友人を訪ねてみた。


台湾へと気持ちが固まる最後の決め手。2000年の上海旅行。


一生懸命夢に向かって生きる中国人たちに出会った。

日本人の私にはない、情熱。不思議なアジアパワーに触れた気がした。


水墨画を心の支えとして、生計のためバーを経営するオーナー。上海京劇の役者、北京の映画俳優。そして、いつか海外へ行くチャンスを待つ、英語が堪能なバーの小姐たち。


英語圏へ行きたいと思っていたけれど、アジアへ行ってみるのもいい。。。

ちょっと、遠回りだけど、行ってしまえ!という気になった。


留学、海外移住を目指すために、考えなくてはならなかったこと。何を学び、どんな仕事をして暮らしていくか。そして、恋愛や結婚は、その時々の出会いにまかせること、などなど。

その大まかのプランは、台湾へ行き、中国語を学ぶ、日本語教師をする、中国語と英語を行かせる西洋の国へ移住を目指す。というかなりラフなイメージである。


自分でも驚いたことに、こんな大雑把なプランしかないにもかかわらず、海外移住を意識して、身の回りのものをたくさん捨てて、部屋をきれいに片づけて、家族へのお部屋返還準備までしてしまった。

心意気だけは、人一倍?


送別会をしてくれた昔の同期には、「お前な~、相変わらずわけのわからんことばかり考えおって、しかも今更海外なんて行ってどないすんねん!はよ、嫁いけや~」と、突っ込まれた。


当たってるかもしれないけれど、私は宇宙人のフリをすることにした。

これなら、話が通じなくてもOK!


そんな宇宙人も、留学前には、現地で仕事が出来るように、短期間の日本語教師養成講座を通信教育で勉強した。ほんの少し、日本語を外国語としてみることが出来た。半年のコースでは、日本語教師の「に」の字ぐらいは習得できたのだろうか。。

 

あれこれ思いをめぐらせ、日々忙しく準備をし、台湾へ渡ったのは、2002年2月5日。 

台湾へ行ったのは、海外移住を目指す、第一歩、いや第二歩?。


留学前にきっちりプランを立てていくのもいい。

しかし、今は力を抜いてこう思う。

「そうそううまくいかないのが人生~」である。実際に、そんなことの連続。


だから、フレキシブルでいよう。

乗れるときは、流れに乗って、乗れないときは、乗れるまでじっとして。。。


台湾の友人がいつも私に言ってくれていた言葉。

「なんとかなるよ~。やってみれば~。」


その言葉の通りだと思う。やれることを、やるのみ!あとは、何とかなるよ~。

そして、いまはちゃんと念願の英語圏にいるし。いろんなことが、うまく動き始めた。

彼女の言葉のおかげ!ありがとね~。


やりたいことが1から10まできっちりと形になっていなくても、海外へ向かってよかったと思う。

20代で出来なかったことは、30代でやればいい。先のことは、本当にわからない。


NZライフ9ヶ月。まだまだこれから。。。。


最近たくさんの人に読んでいただいたり、コメントいただいたりして、すごくうれしいです。ありがとうございます。


  

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NZの家庭料理

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NZ Food1                        NZ Food2        


J君の実家でご馳走になった食べ物です。

左は、ジャガイモ、右はラムだったかな。。。いずれも、オーブンでチン!

そこに、Gravy Souce(肉汁から作るソース)をかけていただきます。


NZ Food3            NZ Food4


左にあるオレンジ色のは、Kumara(クマラ、マオリ語で、一種のサツマイモです。) 白いのは、Parnsnip(パースニップの根)です。筋っぽいかな。。植物繊維が豊富そうな感じです。

右にある右側のは、コーンクリームとパンの入った、食べ物。これまたオーブンでチン!


ご飯がないかわりに、お芋関連が多いです。なれない私は、お芋を減らさないとすぐおなかが一杯になります。それでも、食べっぷりは周りがびっくりするほどですが。。。


NZの家庭料理、寒い冬にはぴったりだと思います。





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不動産トラブル in Taiwan

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慣れてしまえば、日本と違った環境も時間がたつに連れてなんとも思わなくなる。しかも、離れてみればその懐かしさがつのる。。。そんな留学生活「台湾」。


忘れもしない、アパート探しにあけくれた数日間。何が一番つらいかって、まともな物件を紹介してもらいたかったので、不動産やを通したのだが、言葉が通じない上に(友人が通訳してくれたのだが。。)気に入った物件がない。。。6件以上見せてくれたのに。


全ての部屋に共通しているのは、前の住人が去ったままの状態。たいていお掃除はしてません。

窓はあるけど、開かない窓がある部屋。

窓のないキッチン、浴室の部屋。床に虫の死骸があるお部屋。。


そして、自分に言い聞かせた。「頭の中にある、日本の住居イメージを全て消してしまえ~」と。

日本と比べてたらかなり高い金額を出さなければきれいなアパートは借りられない。私が見たところは、学生向けだったので、かなりの低価格。あいにく、ルームメイトもいなかったので、広くてきれいなお部屋もをシェアすることも出来なかった。


最終的に決めた物件は、一階が店舗(子供向け英語塾)で、店舗の中を抜けていく2階の広いお部屋。家賃も破格。しかし、これは後のとんでもないトラブルへと発展していく。


大家さんは台湾人で、非常に親切な感じの人だった。

台湾の冬は、寒いのにTシャツを着た私を見て「このコートを持っていきなさい、そんな寒い格好ではかぜをひくわ。」とか、「ご飯は食べてるの?」などと、声をかけてくれた。彼女は、NYの大学で英文科、大学院まで卒業しているので英語はすばらしい。


しかし、慣れてくると彼女の宗教に関する話を聞かなくてはならない。特に、「神が見えた瞬間」話は、私の想像を超える。


誰が何を信仰するのも自由だと思っているが、わたしは、自分の信念があって、色んな人たちの尊い言葉を自分なりにかき集めて、生きた来た。これからも、そうして生きていく。


だから、彼女の宗教話は、ちょっとご遠慮願いたかった。。。。


そして、数ヵ月後に発生したのは、強制的な退去命令。不動産屋を通しているにもかかわらず、巧みな手で契約期間内に、私を追い出す作戦に出た。しかも、その物件はいわゆる又借りで、彼女がはじめに別の人から借りている。そして、不動産屋を通して私に又貸し。その物権を手放して、別の場所に引っ越したかったのだ。


これから台湾でアパートを探す方は、賃貸契約に気をつけてください。けっこう、トラブルが多く、泣き寝入りをした人も少なくないはずです。


敷金の返還をしてもらうため、彼女に会った最後の日。なんだかんだ理由をつけられて、勝手に金額を引いている。「金額を引くのであれば、前もって伝えてもらえないと困る」と言ったけれど、「あんたは、外国人だから台湾の常識がわかってない。」といわれる始末。


かなり粘ったものの、自分の力ではこれまで!と思い、喫茶店で私を待ってくれているJくんへ電話。

頼んだばかりのコーヒーが、ちょうど目の前に置かれたところらしい。そのコーヒーを一口も飲まずに、走って私のいる場所まで来てくれた。


Jくん登場。


大家の声が突然変わった。

「こんにちは、ご用件は?英語教師の仕事のことでしょうか?」


「いや、Mayumiの件で話を聞かせてください」

激怒に変わった大家、大声で

「負け犬外国人は、とっとと国へ帰れ~」と来た。


J「この人とは、話をしても無駄だよ、お金なんかもういいよ、帰ろう」

ということで、もう彼女とは一切関わりたくなかったので、そこでおしまい!


それにしても、怖かったな~、この人。。。私のクラスメート(アメリカ人)が遊びに来たときも、彼女とすれ違いざまにけんかが勃発して、道のど真ん中で「F××。。。Bi........」と怒鳴りあいになった。しかも、野次馬のおじさんたちに囲まれながら。。。


今になっては、笑い話ですが、台湾では色んなことがありました。今回は、台湾の不動産トラブルでした!


この事件は、2002年のお話です。今思えば、あの頃から台湾の日本人Eさんと、うちのJくんにお世話になっていたんですね。。






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日本語教師復活!?

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最近ひらがなの勉強を始めたJくん。(生粋のNZ人だよ~)

中国語の漢字がかけるので、ひらがなをマスターできれば、日本語も面白くなるはず!


日常会話は、細々と覚えている。

「いってきます」「いってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」

「いただきます」「ご馳走様でした。」

「今日は、ご飯何食べる?」

ここまでは、教科書にもある。


しかし、出かける際に「いただきます」と言ってしまうことがある。本人も、気をつけているのだが使い分けは難しいらしい。


「え~、何で?」(なぜか関西風)

「それと。。。。。」

「だから~」

「だめだよ~」


一番長く話せる言葉は、

「ラグビーは面白いです。でも、ほんとう~に危ないです。だから、気をつけてください」


その他、教えてないけど、勝手に拾われている言葉。

「今日は、何食べる?」

「パンと、卵あるよ。」


卵も教えてない。


私が素の状態でつぶやく日本語を拾われているということは、わが頭の中を反復されているようで、ちょいと妙な感じ。。  


食べ物の名前ばかりじゃないか~。

仕方がない、頻度の高い単語から自動的に覚えてしまうから。


私が英語を勉強するときも同じようなことがいえる。

学校で購入した、アカデミックで最も使用頻度の高い単語500(それぞれにFamily Wordとして、動詞、形容詞、名詞、複数形、進行形などが一覧になっている。)を、重点的に勉強すると教科書とか一般の文章で必ずその単語に出くわす。


全部覚えていないが、それでも色んな文章の中に必ずとその中の単語を見かける。非常に役に立っている。


家庭で日本語を覚えるJくんの使用頻度の高い言葉は、アカデミックではない。。

「ご飯できたよ~」


しかし、必死にひらがなを勉強する人をみると、かつての先生魂が蘇る。


M 「はい、お友達の名前を書いてみましょう。」


Jの平仮名長上     え み い


M「あー、最後はちょっと違うかな~それは、い」 


そう、学習者にとって「こ」と「い」は、混乱しやすい。。


聞き取りの練習です。

「あお、きく、あか」

これらは、「あ~こ」まで覚えた人に、その中の平仮名で作れる単語を覚えてもらうもの。


しかし、集中しながら、これまで全く縁のない文字を集中して見続けるのは、一時間が限界。


「下課!(シャァク*中国語で授業が終わり)」といいながら、逃げ出すJくん。


彼の目標は、台湾の友達に日本語で手紙を書くことらしい。。。


先生復活!がんばらなくては。。。









NYでの暮らし。。

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<これは、アメリカ留学時代の記憶。。。>


ボストンから、ニューヨークの学校へ転向した。寮は、マンハッタンのど真ん中!

ロケーションは、最高だったけどこの寮がちょっと問題ありあり。


高層のビルで、部屋は4畳半。しかも、中庭に面した窓を開けたら鳩の死骸。。。40度近くある、真夏なのに窓も開けられない。。


この寮は、女性のみで若い人は10代の学生から、上は80歳ぐらいの高齢者まで。老人ホームに近い。。


トイレとシャワー、テレビルームは共同。特に、門限は無かったので夜遊びをして深夜部屋に戻ると、徘徊中のご老人に出会ってしまう。もちろん、私の名前なんて覚えられない。しかし、なぜか数字には強い。なので、私を「209号」と呼ぶ。部屋番号。。


しかし、つらいことばかりではない。学校へ行けば、楽しいクラスメートに会える。

ニューヨークでは、ボストンのアジア・ラテングループよりヨーロッパ系の学生だ。

でも、初心クラスは、日本人をはじめアジア系が占めている。


仲良くなった友達は、ドイツ人のトーマス。イタリア人のBeatrice。この二人、アート系。

二人はIssei Miyakeが好き、Vivian Westwoodが好きだといい、わたしを高級店へと連れ出す。


見るだけなら良い。。あなたたちが着るのも良い、だって二人ともモデルのようだから。Beaなんて、Pladaの防水帽子をかぶり、素足にグッチのサンダル。なのに、私に向かって「これ着てみてよっ」て。


雑誌から出てきたようなトーマスとBea。3人手をつないだら、とらわれた宇宙人だよ、私。。。。

それ以来、誰がなんと言っても高級店はいかない!そんな服が似合う私じゃないのよ。


しかし、彼らとクラブへ行くのは楽しい。彼らのおかげで、この他ヨーロッパの紳士たちともお知り合いになれた。。。シャツの第3、4ボタンまではずしてる?。七部袖のシャツって男の人も着るのね。。

ご挨拶のほっぺにキスする時間も微妙に長いじゃないの。。。


SohoにあるBeaの友達宅は、部屋から夜景が。。。天井からは、星が。。夢のような、マンハッタン生活を垣間見た。。


シングル生活を謳歌した、ボストン、ニューヨーク。20代最後のときに、これ以上の幸せって無いわ。。。と思った、アメリカ。


しかし、人生そんな単純なものばかりじゃない。帰国してみると、家族の問題やらなにやらまた、どたばたの毎日。


でも、一度味わってしまった海外はちゃめちゃ体験は、忘れることが出来ず、私を台湾へと向かわせた。


次回は、「台湾留学」。












ルームメイトとの暮らし

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Friends in Mexico

 

<アメリカのボストンで、メキシコ人二人と暮らしていたときの記憶です。。写真は、メキシコにいる友人から>

 

クラスメートのマリセラは、英語がほとんど話せない状態で幼馴染のメキシコ人と二人で暮らしていました。

私が、アパートを探していたとき彼女がたった2ヶ月なら私の部屋で一緒に暮らさない?と誘ってくれました。

 

英語を勉強していて、少しでも英語を使いたいと思っても、授業が終われば買い物以外に、使う機会はあまりありません。言語交換の登録をしたものの、パートナーも見つかりませんでしたし。。。

 

マリセラの部屋にマットレスを持ち込み、ひとつの部屋をふたりでシェアーしていました。彼女は、キングサイズの大きなベッドで、私はシングルのマットレス。

 

メキシコの子達は、姉妹や親しい友人と一緒にひとつのベッドで寝たりします。私も、眠れないとき彼女のベッドで一緒にお互いの家族のことを話しながら、過ごしたことを懐かしく思います。

 

気心が知れてくると、英語そのもののレベルではなく、相手の言いたいことがぴんとくるようになります。

 

マリセラと、ベロニカはとても面倒見が良く、家にはいつもラテン系の子達が遊びに来ていました。

そして、金曜日はラテンパーティーです。

 

授業が終わって、ひとまずSiesta(お昼ね)をして、料理を作ります。もちろん、メキシカン!

そして、パーティーは、夜10時ごろからはじまり、朝の5時までひたすら踊り続けです。

 

サルサに似たダンスで、メレンゲという踊り。初めて、音楽を聴いたときも、踊ったときも驚きの連続!

男の人との距離が近すぎるんです。しかも、かつてみたランバダというダンスのようにみえるし。。。私は、クラスメートのGonzaloに手ほどきを受けながら、少しずつ踊れるようになりました。

 

そして、誰かが帰るとき、相手のほっぺに、2回キスのような音を立てて挨拶をします。これを、学校で初めてされたときは、腰が抜けそうになったのを覚えています。Argentine人の友人は、私の驚く様を見たさに

毎朝、廊下で追いかけてきました。しかし、毎日ラテン系に囲まれていると、こういったことが自然になってくるから不思議です。

 

私は、この短い2ヶ月間で、ルームメイトとお互いの国について話したりしながら、世界地図を頭に描くのでした。そして、いつか彼らを訪ねようと心に誓いました。

 

そして、本当に訪ねた国、台湾、韓国、Argentina。。。

 

次回は、「New Yorkへ転校して」です。

 

ボストンでは、約1ヶ月ホームステイをさせていただきました。初めてのことだったので、どんなものをお土産に持っていったらいいか、どこまでプライバシーを確保させていただけるのか、など色々不安でした。

 

私の滞在したホストファミリーは、これまで10人以上の学生を受け入れているので、あちらのご家族のほうが学生さんと接することに慣れていらっしゃいました。

 

お父さん、お母さん、高校生の娘さん。3人とも、穏やかで音楽を愛し、家でグランドピアノやバイオリン、フルートなどをセッションしたり芸術的な方たちです。

 

みんないつも、声をかけてくれて、とても温かい人たちだったのですが、ひとつだけどうしても絶えられなくなってしまったこと。。。それは、ベジタリアンの家庭だったので肉、魚がない~ということです。

 

私は、人一倍食べるし、勉強すればするほどおなかもすく。朝パンを2,3枚を食べても足りません。。。学校に着くと、真っ先にベーグルショップへ駆け込みサーモンとクリームチーズのベーグルを買います。授業が終わった後も、おなかがすきすぎてまっすぐ家に帰れない。。。その結果、毎日ダンキンドーナツやバーガーキングに入り浸ることに。。。気がつけば、いつも自費の食費がかなりの額に。お昼も、チャーハン大盛りたべたりして。。

 

ホストファミリーは、アメリカンな生活を垣間見れる良い体験。しかし、家庭により差がある。私の友人は、本当に毎日トマトソーススパゲティを出され、「もうパスタは見たくない」といっていました。辺りはずれがあるかもしれませんが、本来はあとは忍耐ですね。私は、食べ物に関して忍耐無さすぎでした。。

 

そんなとき、クラスメートのメキシコ人マリセラがうちのアパートが広いから良かったらいらっしゃいと声をかけてくれた。その後、アパートを見に行くとなんて素敵なうち。。。広いバルコニー、すばらしい大広間(リビング)!!!これを見てしまった私は、ストレートに「お願いします」と言ってしまった。

 

ここには、マリセラの他に、彼女のメキシコ人の友人ベロニカが住んでいました。私は、マリセラの部屋にマットレスを持ち込み、二人でシェアー。

 

そして、彼女たちとともにラティーノ生活の始まり。。かかってくる電話は、なぜかみんな「Bueno」(メキシコのもしもし)とか「Hola」(多くのスペイン語圏で使う)ばかり。朝おきても、寝るときも周りが突然スペイン語に。。

 

次回は、「ルームメートとの生活」です。

 

 

 

 

 

 

<これは、1999年3月からのアメリカ短期留学準備と生活が始まったころの記憶です。。>

 

 

留学の手配は、手続き代行会社に入学許可証申請、VISAの申請代行を依頼しました。金額は、2万円位でした。申し込みの時期が早いと割引がありました。

仕事をしながらの準備だったので、自分で調べられないことなど、色々な質問も出来てよかったです。

英語は、恥ずかしながら学生時代まじめに勉強したことが無いのでほぼ中学生から復習。中学3年分の参考書を使いました。その後、「エイザー」の文法書(日本語訳で初歩レベル)を使用。

中学三年までの基礎と、使用頻度の高い動詞の熟語などで簡単な日常会話は大丈夫ですね。

 

あとは、英会話学校にて日常会話の基本。挨拶のバリエーションをたくさん教えてもらい、毎日練習しました。How're you?の他にどんな表現があるのか、  Fine thanks以外の受け答え方など。それから、ホストファミリー二と挨拶するとき、彼らがどんなことを聞いてくるかイメージしてそれにあわせた答え方。フライトはどうだったか、家族はどうか、部屋の説明をされたとき確認しておきたいゴミの処分などなど。。

これは、かなり役立ちました。新しい友達を作るとき、おどおどせずに自信を持って気軽に声をかけることが出来ましたから。

その他、毎日英語のビデオやニュースをとにかく見る、聞く。何度も耳にする単語で頭に残ったものがあれば、それは辞書で調べる。(使用頻度か高いか、自分が反応した音なので印象が残る)

 

そして、出発前に決めたこと。アメリカに到着して、しばらくは日本語を一切使わないこと。これは、今考えてもかなり自分に厳しい条件でした。家族にもしばらく電話をしないと言うことですから。学校でも、日本人の人が何人か「あの、、、日本人の方ですか?」と聞かれたときですら、失礼にも英語で答えていました。基本的に、その学校は英語以外母語禁止の張り紙がありましたので、良かったのですが。。。

限られた期間で目標を達成するために。日本語は、帰国すればいつでも話せると自分に言い聞かせて。約1ヶ月近く、日本語で会話などをしたことがありませんでした。

 

しかし、この強行日本語禁止を行ったことにより英語を話すための顔の筋肉が早くついてきたみたいです。

英語で話すときは、日本語とは違う、動き、口の形、などによって、口の周りの筋肉の柔軟性が必要だと思います。

相手の口の動きをさりげなくチェックして、真似するつもりで一生懸命繰り返し声に出して練習しました。一ヶ月で、英語だけの生活にストレスなしになりました。とにかく、うまくいえないセンテンスは、単語だけ声に出す、慣れたら二つの単語で、次に全部のセンテンスをすらすら言えるようになるまで練習しました。

こうしてみると、私にとってこの時が一番自分に厳しかったかもしれない!いかに充実した留学生活を送るかということで、頭が一杯でした。

 

今の生活も、もう少し初心を忘れず気合を入れなければ。。。。

 

次回は、「学生生活 in Boston」

 

 

 

 

 

 

留学ジャンルに変更したので、新しいテーマも追加しました。

これまでの、留学を決意したきっかけや、留学で得たもの、感じたことを書いてみようと思います。

 

留学のきっかけとなった理由のひとつは、大失恋。約4年のお付き合いで結婚も考えた人と別れて、かなり落ち込んでいました。彼に依存しすぎていたんですね、あの頃。でも、「時間が解決してくれる」と言う言葉は本当でした。一日一日自分のことを客観的に見ることができるようになって、以前から興味があった留学を本気で考えるようになりましたから。

 

家庭の事情もあり、その後3年ぐらいかかってようやくその目標を実現することになりました。この時既に29歳!友人たちからは、「年齢なんて気にしないで、やりたいとや自分の夢に向かって、がんばって」 と励まされました。友人の言葉は、どんなときも素直に聞くことが出来たし、その声は留学してもずっと心の中にありました。

 

私の留学目的は、英語で色んな人とコミュニケーションを取れるようになりたい!という、単純なものものでした。すると、アメリカに住む知人から、「どうせ、お気楽留学、3ヶ月、結局英語も話せない、そういう日本人山ほどいるよね。。」って、言われました。。かなり、いやな気持ちになりましたが、「無駄にするかしないかは、私次第」と思うことに。

 

留学をするか迷っている人、留学する機会をもてない人、などなどたくさんいらっしゃると思います。心から本当に願って、その気持ちを持ち続けていたら、いつか必ず実現できると思います。気づかぬうちに、自分の行動が留学モードに入っていきます。私も、気づいてみたら、ブランド品には目も向けず、通帳と、英語の教科書とにらめっこの日々になっていました。

 

あの頃の、「留学したい」という気持ちに始まり、アメリカ、台湾生活を経て、今はNZにいます。大げさかもしれませんが、人生を変える程、意味のある決断でした。。

 

その始まりから、もう何年も経ちました。

今思うこと、「あの時失恋しといて、よかった~」

 

次回の留学テーマは、「アメリカ留学の準備」です。