2015.7.19(日) 11:00
3度目の会津旅行2日目
二日酔いの為に出発がこんな時間に
まぁ、今回は特にスケジュール組んで来たわけじゃないから、その時のノリでいいんだけどさ
でももったいない時間の使い方をした
まずはホテルのすぐ近くにお腹を満たしにやってきました
野口英世青春館
野口英世が左手のやけどの手術を受けた「会陽医院跡」
医学のすばらしさに感動し、書生となり医学の基礎を学びました
2Fが資料館になっています
私は1Fの喫茶店へ↓↓
会津壹番館
趣のある店内
明治~大正の文明開化の雰囲気って感じ
官僚とドレスの貴婦人が座ってたら素敵だわぁ
お客さんもちらほらいました
時間にもよるんだろうな、2013年に前を通った時はすごい人でしたからね。
ここの他にも、奥にもう一つお部屋があって、意外と店内広いんです
モーニングを食べようと思ってたけど…
ケーキセット
かぼちゃのプリンケーキ・抹茶アイス・コーヒー
二日酔いにはアイスが効くわぁ~
本にこのかぼちゃのプリンが載ってて、すごくおいしそうだったんだよねぇ
味はかぼちゃって感じはあまりしなかったけど、おいしかったよ
コーヒーもたっぷり、ホッと一息
また1日が始まった~って気分になりました
さて、ホテルへ戻ってきました
今回おじゃましたのは、ホテルニューパレスさん
アメニティーが充実してた
化粧水・乳液はもちろん、パックや足指パットまで
このホテルの入り口に碑石があります
外郭大町口門跡
目の前からバス(はいからさん・あかべぇ)が出るので、それに乗って鶴ヶ城方面へ
西郷頼母邸跡
八重の桜では西田敏行さんがやってましたね
最終回の長いお髭、似てましたよねぇ
会津戦争では、頼母と長男を見送った後、妻千重子が親戚一同21人を居間に集めて自害
お城へ入って足手まといにならないように・・・と
内藤邸跡 庭園「白露庭」
会津戦争の降伏式はこの庭園の前(現在:会津酒造歴史館 甲賀町通り路上)で行われたそうです
この辺りを通る時はあの有名な降伏式の絵を思い浮かべます。
縁布をつけたゴザを敷き、その上に緋毛氈が敷かれ、松平容保・喜徳父子が降伏の調印をしました。
終わってから会津藩士達は、この緋毛氈を切り刻み、この日の無念を忘れぬ為に持ち帰りました。
のちに「泣血氈(きゅうけつせん)」と呼ばれています
私も何度かこの泣血氈の実物を見た事があるけど、、、切ないねぇ
明治以後は裁判所の前庭となっています。
さぁ、お城へ向かいます
やばいやばい、完全に昼過ぎだぁ~
17:00には帰らなきゃならないので速足速足
と言いながら、、、寄り道。
鶴ヶ城会館
お土産屋さん、レストランです
そう言えば…ここのお店の事務員さんから以前コメントいただいたなぁ~と思いながらキョロキョロw
顔もわからないので、見つけられるワケないんだけどね
入り口には鶴ヶ城で実際使われていた瓦が置いてあります。
(昭和40年~平成22年まで使われていたもの)
そして、この場所は桜ヶ馬場と呼ばれる場所です
馬の練習場があった場所。
江戸時代はここにしか桜がなかったそうですよ、今では城のいたるところにありますけどね
籠城戦ののち、開城してから、ここで人員調べがありました。
男子は猪苗代送りとなりました。
この時八重は男装して検査を通過。
照姫稲荷
照姫さま、容保様の義理の姉ですね
籠城戦では、六百有余の婦女子を総指揮して、炊き出し・傷病者の看護・城内に打ち込まれた砲弾の処理・弾丸の製造等に力をつくしました。
会津を守り抜こうとした姿勢・愛情にちなんで、防火・家内安全・商売繁盛の御利益があるんだとか…
なかなか見どころ満載のお土産屋さんです
つづく
会津旅行Ⅲ
<2日目> ⑥