こんばんは、林まゆです。

 

現在、ミニアルバムを2枚、

 

「parte de まゆ」、「Love Perfusion」、

 

をライブ会場で販売させて頂いておりますが、

 

「Love Perfusion」のジャケ写を変更いたしました。

 

ジャケット写真は、そのアルバムにとって、とても重要なものだと考えています。

 

反省し、今後このようなことが無いように致します。

 

収録曲などまったく同じですが、

 

旧ジャケ写の「Love Perfusion」を買って頂いた皆様、

 

お手数ですが、ジャケ写を交換いたしますので、お声をかけて頂きたいと思います。

 

今後、こんなことが無いようにしっかりしたいと思います、

 

申し訳ありませんでした。

 

(旧ジャケ写)              (新ジャケ写) 

 → 

AD

反抗期の無い子供

テーマ:

こんばんは、林まゆです。

突然ですが、皆様は反抗期がありましたか?

 

つい最近、ライブの打ち上げの席で、

「うちの子は反抗期ないよ」

「あの人の子も反抗期なさそう、大人びてるよね~。」

というような話を聞きました。

 

私は反抗期はあった方がいいと思います。

もし自分に子供が出来て、その子に反抗期がないと不安になると思います。

 

反抗期の無い子供は下の2つのパターンに分かれるそうです。

①親と価値観がほぼ同じの友達のような関係

②親が過保護過干渉だったり、甘やかし過ぎたり、

子供に無関心だったりするので、「私はこれをしたい!」という自己主張能力が欠如している。

 

私は反抗期がありませんでした。それはある人に、「あなたは反抗期あった?」と聞かれ、「そういえば無かった」と気づいたのです。

私の姉は母とよく口論をしていて、反抗期がありました。

 

大人になった今、私と親はギクシャクした関係ですが、姉は対等な関係を保っています。

 

小さい子供たちは親に守ってもらわないと生きていけません。

親に嫌われたくないのです。

でも、血が繋がっているとは言え、「子供は一番身近な他人」と言われるように、

小学校や中学校で色んな人と出会い色んな経験をして、自己形成されていき、親と違う価値観などを持ち始め、反抗期が表れるのだと思います。

 

でも、②のような子供はどうなるでしょう。

 

例えば、

親に認めてもらおうと、期待に応えようと、振り向いてもらおうと、

良い子を演じ続け、そしてそれに疲れた時に、何がその子に起こるか、、、、

 

これを私自身が体験しているので、

「反抗期なくて楽~」のような発言をする人には、

強い嫌悪感を感じてしまいます。

小さな子供が、これからの人生の中で、慢性的な生き辛さを抱えてしまうかもしれません。

家庭は個人が属する一番小さな社会と言われます。

心理学者のアドラーは、「人間の思考パターンは10歳前後の時に決まる」と言っています。

私の場合、

「大人しくしていればいい、何かあったら、ああしてこうすればいい。」

具体的には言えませんが、こういう思考パターンが出来上がってしまったみたいです。

 

でも、アドラーは「環境も遺伝もあなたの今の性格には関係ない」

「変わらないことを決め続けているだけだ!」と一刀両断にするので、

「確かにそうだけど、残酷な心理学者だな。」と思っています。

でも確かに、曲を創ったりして、ストレス発散しているのは、今の自分の意志で、

なんとも複雑な感じです。

 

それから、ドイツの心理学者エーリッヒ・フロムは、著書の「愛するということ」のなかで、

他者への愛とは、徹底的にその人の立場に立って考える事だ、とも言っています。

もし、この記事を読んで、「ん、うちの子は、、、」と思われたなら、

ちょっと足を止めて頂き、本音を言い合えているか確認してほしいなと思います。

徹底的に子供の立場になって考えて欲しいなと思います。

私は自分の体験があるので、親のあり方に敏感になってしまうのです。

 

「子どもがいない私に何が分かる?」と言われるとおっしゃる通りですが、

姪が小さな時は、苦労させられました。。。(笑)

長文まとまりなく偉そうに失礼いたしました。

 

もし良かったらご参考にして頂きたいサイト

(反抗期が無い子供たち!?)http://www.nhk.or.jp/hogosya-blog/100/243823.html

(反抗期がなかった場合、大人になると大変?)http://tyugaku.net/hankouki/nai.html

(反抗期の無い人は危険?)http://mental-effect.com/no-period-of-rebelliousness-3560

 

AD

2回目の東京ライブ。

 

2/28@西麻布BULLET'S、3/4@新宿JAM (ワンマン)。

 

色んな方々に本当にお世話になりました 了└|力"├(゚▽゚*)♪

 

 

 

何とも不思議な空間。。。

 

 

この建物は何だったのだろう、、、気になる。。ヽ(~~~ )ノ ?

 

 

 

 

∑o(*'o'*)o ウオォォ!

 

 

「しろしい」という博多弁を伝授?しましたφ(^∇^ )

 

こんな私に付き合ってくれた皆様ありがとう(ノд・。) 

 

 

 

きーーーーーっヾ(*`Д´*)ノ"彡☆

 

 

 

 

 

東京には用があって何回か来ていたけど観光は初めて(〃'∇'〃)ゝ

 

人が多いし寒い! と思ったけど、大阪も福岡もこの時期寒かった。

 

 

 

「言うことや約束することは実行することよりはるかに易し」

@花園神社

 

本当にその通りだ。

 

ワンマン、とても温かい雰囲気だったので、

色々と話してしまいました。。が嘘は何一つ。。。

花園神社で引いたおみくじみには他にも、

「あなた、まだまだだから努力しーよ」

みたいなことも書かれていて、

「分かっとるよ(*・ε・*」と思いつつおみくじスゴイな思いました。

 

 

↓Before(がんばるぞー )  & After(色んなことあったねー)

 

   

 

 

 

ありがとう  ありがとう  ありがとう  ありがとう  ありがとう    

 

 

 

まゆ

AD

こんばんは、林まゆです。

 

アメリカ合衆国やカナダの、秋の収穫を祝う日、感謝祭(Thanksgiving Day)。 

 

 

 

多分、一生忘れられない出来事がありました。

 

 

約十年前、NYに留学している時、

 

留学をはじめて半年がたち、寮を出て一人暮らしを始めました。

 

クイーンズやブロンクスの方が家賃がずっと安かったけど、

 

最後のすねかじりお願い、と学校に近いマンハッタンの1LDKを借りました。

 

チャイナタウン、コリアンタウン、リトルイタリー、色んな街がある中、

 

通りを挟んで斜め前に↓のような日本風の飲食店が多くある、

 

 

日本街、EastVillageの通り沿いにあるアパートメントでした。

 

NYで色んな体験をしました、日本ではありえない光景や出来事、

 

新鮮で刺激的な日々でした。

 

良いことも沢山ありました、でも反面キツイことも沢山ありました。

 

私が留学したのは、9・11同時テロの後でした。

 

 

知り合いもいないのに一人NYに行くとなると、

 

両親が心配するだろうと思い、なるべく頻繁に「元気だよ~」と国際電話をかけました。

 

朝の登校中に、街中で突然、黒人の男性に握手を求められ、

 

「私はエイズです~~、、あなたの恵みを~~、、、」と言われ、

 

よく分からないけど、、、離してくれなくて5ドルわたしたり、

 

地下鉄でペットボトルの水ペットボトルを売っている男性から、その水を買うと、

 

使用済みのペットボトルに水がいれてあるものだったり、

 

通りを歩いていると、突然前から来たスパニッシュ系の男性に、

 

「Get off from my way, bitch!」 と、そこをどけ怒り顔!みたいにいきなり言われたり。

 

とにかく色々あったのですが、一番は感謝祭に全財産盗られた事でした。

 

 

あの日は天気が良く、ユニオンスクエアやいたるところが、出店などで賑わっていました。

 

 

収穫祭ということで、街中、良い雰囲気でした。

 

私は一人のんびり、街や人の雰囲気を楽しんでいました。

 

すると、ヨーロッパ系の私より背の低い小太りな男性が話しかけてきました。

 

彼は、何か困った様子で、英語がうまく話せないようでした。

 

私はどうしたらいいのか分からずふりむきひよこ、他の人に聞いてみたらいいという感じになり、

 

丁度通りかかった、中東アジア系の男性に話しかけました。

 

するとその男性は、うまくコミュニケーションをとって、私にこう言いました。

 

「彼には他の州に手術をしないといけない母がいるのだけど、

 

口座を持っていないから送金できなくて困っているみたいだよ。」

 

私は全く疑いませんでした、それは大変!力になってあげたいと思いました。

 

それからさらに小太りの男性はロトくじ券宝くじを私に見せました。

 

すると中東アジア系の男性は、驚いてこう言いました。

 

「これは凄い、彼は大金が当たっている!」と、わざわざ新聞みたいなのも見せられました。

 

「彼に協力すると、大金が貰えるよ、なんてラッキーなんだ!」

 

私は、へえそうなんだ、、、

 

それはいいとして早く手術費を送金しなきゃいけないんじゃと思い、

 

私が持っている銀行口座を使わせてあげようと考えました。

 

でも、その中東アジア風の男性は色々ペラペラ話し出して、

 

「この大金持ちに信用してもらうためには口座からお金を出して見せなければびっくり!!

 

「クレジットカードを持ってるんだろう?それも使えるか彼に見せようびっくり!!

 

何だか、よく分からない展開になったのです。

 

今考えると何で少しも疑わなかったのでしょう、バカだった私は、

 

その中東アジア風の男性の言われるままに行動しました。

 

銀行からおろせる金額全部おろして見せました、

 

それから「ShoeMania」という靴屋痛っに行き、

 

私のクレジットカードの限度額一杯の金額で沢山のブランドの靴を買いました。

 

さすがの私も、なんで靴を選んでいるんだろう、、、?早く送金しなくていいの?

 

と怪しく感じはじめましたが、小太りの男性の話を信じてしまっていたのです。

 

店から出て、中東アジア系の男性は、私が両手に持っている靴が入った袋を

 

「僕が持つよ。」と言って、「送金は僕がするよ、お礼のお金を渡したいそうだ。」

 

と言われ、小太りの男性から札束が入った様な封筒をもらいました。

 

「おめでとう、まゆみ!!」そう言われ、中を見ようとするとすかさず、

 

「あ!靴屋のビジネスカードを貰ってきてくれないか!?」と言ってきたのです。

 

「えっ?」と思ったけど、もう言われるがままになっていて、

 

靴屋にビジネスカードを貰って戻ってきました。 

 

すると、そこには、待っているはずの二人の姿がなかったのです。

 

「あれっ?どこ行ったんだろう??」 

 

現状がつかめず、しばらくウロウロ探しました。

 

いない、、、もしかして、、、どうして、、、、私はパニックネコになりました。

 

近くの映画館のロビーにしゃがみこみ、

 

貰った封筒を開けると、新聞紙をお札のサイズに切り取ったものの束が入っていました。

 

しばらく放心状態ネコでした。

 

 

「私騙されたんだ。。。」 

 

 

最初に声をかけてきた男性と、後に声をかけてきた男性はグルだったのです。

 

ふらふらとロビーを出て、近くの警察所に行きました。

 

私は大声で泣きながら、つたない英語で警官に事情を話しました。

 

後で詳しく連絡があると聞いて、警察所を出ました。

 

私は、ふらふら歩いて、頼れる友人もいなかったし、帰る途中悲しみや怒りが湧いて、

 

歩けなくなって、家具屋さんの前においてあったベンチに座り一時間ほど泣いていました。

 

通り行く人々は私を気にもせず、ただただ涙しずくが止まりませんでした。


日が暮れて身体が冷たくなり、まるでマッチ売りの少女になった気分でした。

 

アパートメントに帰り、涙は止まらず、一晩中泣きました。

 

次の日の夜に、むかいのデリストアでバイトをしていた同い年くらいの日本人男性が、

 

腫れた目目をした私を見て「どうしたの?」と聞いてくれて、

 

事情を話したら、200ドルを貸してくれました。せめてもの救いでした。

 

その後、大きな警察所に行き、担当のDitectorと話し、

 

パソコンの犯罪者データを見せられ、似た人がいたら教えるよう言われました。

 

しかし、外人さんの顔は見分けがつきにくく、あの二人かどうか分かりませんでした。

 

その後、靴屋の防犯カメラなど調べてくれたみたいですが、

 

あの二人は見つかりませんでした。

 

日本大使館の方からも電話があり、「大変でしたね。」と言われました。

 

クレジットカード会社の人と話したら、

 

「その場合、保険は対応できません。」と言われました。

 

私がしっかりしていないせいだったとは言え、

 

「助けたい」という気持ちは踏みにじられ、

 

Thanksgiving Dayに全財産だった約1800ドルを盗られ、

 

「あの日本人1800ドルくれてありがとうかんぱ~い!!」と思われているかと思うと、

 

 

 

 

本当に憎しみで一杯になりました。

 

この出来事があってから、私は人間不信に陥りました・・・ヤバイ

 

外出する時は、夜でもサングラスサングラスをかけて、携帯で話すふりをして歩くようになりました。

 

 

 

まあ、でも今となっては、「ThanksgivingDayに全財産あげちゃったんだ(笑)」

 

と笑い話に出来るし、あの二人のことを許してはいますが、

 

親切な日本人をターゲットにする外人には「Go hell」と思ってしまう自分がいます。

 

 

あの頃、最後のすねかじりとはいえ、家賃の高いアパートメントに住んで、

 

1800ドルで、ぎりぎりの生活をしていました。

 

 

それを盗られた後、わたしは住んでいたアパートメントを又貸しして、

 

自分は安い、トイレやシャワーが階で共有の安いユースホテルに泊まりました。

 

そこは衛生面も悪く、ネズミちゅーやゴキブリゴキブリがよく出ました。

 

学生ビザだから正式に働けないけど、

 

日本食レストランで、チップドルだけもらえるようなバイトをしました。

 

親には心配をかけたくなかったので言いませんでした。

 

本当にあの出来事は、NY留学生活の中で最も辛い出来事でした。

 

今では、いい経験だったと思えます。

 

マッチ売りの少女のように天国に行かずには済んだのだし(笑)

 

 

収穫祭、ThanksgivingDay、この言葉を聞くと、この出来事を思い出します。

 

 

 

 

 

こんばんは、林まゆです(*^_^*)

 

初めての東京ライブ、無事に終わりましたo(´v`)o 

 

リハで会場入りしてから、あっという間の一日でした。

 

観に来て下さった方々、有難うございましたありがとうハート.はーと.♥!!!

 

呼んで頂いた、NATURE DANGER GANGのセキくん、

 

本当に本当に有難うございました!!!

 

今年はライブ三年目ということで、

 

福岡以外でライブをすることを目標としていたので、叶って本当嬉しいです涙

 

こんな感じに盛り上がりましたるん♪(Photo by 小林拓馬さん)

 

 

毎曲後、PAスペースに飛び込んで、軽く着替えたり思いっきり着替えたりして、

 

ドタバタする私を見てPAさんに笑われていました(笑)

 

 

本当、感謝の気持ちでいっぱいですハート

 

最初にネイチャーの方に「22日出ますか?」「出れます!」と言った時は、

 

こんなに大きいイベントと知らなくて、全出演者を知った時、

 

「こんな凄いイベントに、私が出ていいのえー!!!!?」という感じだったのですが、

 

出ると言ったからには頑張ろうと思って、

 

映像が使えると返事が来たのが本番3日前くらいで、

 

21日Uteroでのライブ用の映像をつくっていて(お客さん少ないかもしれない、

 

22日の映像作りに集中して21日のための映像は別に作らなくても良かったけど、

 

誰か来てくれるかもと思うとやはり21日も、手を抜いたライブはしたくなくて)

 

結果、22日用の映像は新幹線の中で何とか仕上げました充血充血

 

 

新幹線の自由席を2席占領してごめんなさいごめん

 

会場に着いてあっという間でした、観れたのは4バンドくらいでした。

 

私の物販を買いたかった皆様、私や誰かが物販のとこに居なくてごめんなさいごあいさつ

 

また、東京でライブしますので、その時はちゃんとしますねごめんねパンダ!!!

 

スタッフとか沢山いて、本当凄かったですクラッカー

 

広い舞台で迫力のあるパフォーマンスをする餓鬼レンジャー。

 

 

そして、チンロックの時にVOODOOで観たNATURE DANGER GANG!

 

 

 

もっと近くで撮りたかったのだけど、ダイブがどんどん来るので、

 

怖くて近づけなかった苦笑い チンロックの時、怖くて話せなかったけど、

 

今回は、沢山色んな方と話せてうれしかったでするん♪

 

ユキちゃんとCHACCAさんと写真撮りましたハート

 

 

また是非、ネイチャーの皆さんと一緒にやりたいなあ。

 

ネイチャーと繋げてくれたボギーさん、誘って頂いたセキくん、

 

来て頂いたお客様、出演者の皆さま、スタッフの皆様、

 

そして、チンロックの後に屍になる予定だったのに、頑張った私、

 

素敵な想い出、、、本当に本当に有難うございました気合だぁ

 

 

早くまた東京でライブしたいなあo(・ω・)o