ランキングに参加してます。
ポチっといただけると
大変励みになります!m(_ _)m

日本史 ブログランキングへ



天下統一を成し遂げた
豊臣秀吉が亡くなったとき、

徳川家康はすでに
60歳を目前にしていました。


当時としては老齢の域に入っていた家康は、
満を持して行動を始めます。



秀吉の晩年、
「五大老」「五奉行」という10名の大名が、

豊臣秀頼を守るという名目で設置され、
中でも家康は、
「五大老」の筆頭という大きな権力を握っていました。



秀吉の遺児、秀頼が成人するまで、
この10名が結束して豊臣家を守る……という、
約束だったのですが、

家康は秀吉の死が発表されると、
次々と勝手な行動に出始めます。




まずは、秀吉が禁止していた
「大名同士の婚姻」を
どんどん進めていきました。



家康は、
伊達政宗、福島正則、蜂須賀家政などの
大名との婚姻を進めます。


「豊臣家への忠誠」という、
タガをはずしていくのが、
家康の計画の第一歩だったのです。



本日の用語 : 五大老(ごたいろう)
豊臣家の職制の1つで、五奉行の上位にあって政務を統轄する役目をしていた。
当初、徳川家康・前田利家・毛利輝元・宇喜多秀家・小早川隆景が就任し、小早川隆景の死後は上杉景勝が任じられた。
もともと秀吉は、大きな力を持つ家康を警戒し、政権内に取り込むことでその力を弱める目的があったと言われている。




AD

ランキングに参加してます。
ポチっといただけると
大変励みになります!m(_ _)m

日本史 ブログランキングへ





清洲会議をきっかけに、
政治の実権を握った秀吉は、

敵対する柴田勝家を倒し、
徳川家康と講和。


四国・九州を平定し、
さらに関東、奥州を平定して、
全国統一を完成させてしまいました。



その間、わずか8年。


もちろん、信長が20年かけて、
統一事業を進めてきたからこその8年です。



しかし、秀吉の支配にも
特徴がありました。


それは、降伏した相手の
命と所領を取り上げなかったということです。


晩年の秀吉には
残忍な所業も目立ちますが、

この時点では、
比較的おおらかな手法が功を奏して
天下統一は成し遂げられていきました。


本日の用語 : 賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い
1583年に起きた、織田家の筆頭家老・柴田勝家(しばた かついえ)と、
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)との戦い。
賤ヶ岳は現在の滋賀県長浜市にある地名。
越前・北の庄(現在の福井県福井市)にいた勝家は、たび重なる秀吉の攻撃から味方を守るために出陣した。
織田家を二分したこの戦いは秀吉の勝利に終わり、勝家は妻のお市の方(信長の妹)とともに自害した。







AD