退院の日。

 

普通ならドレスなどを着た赤ちゃんを抱いて、おめでとうございます、と言われながら笑顔でスタッフの方達に挨拶をして病院を後にするのだろう。

 

しかし私たちはスタッフの方々にお礼を言い、その後は病院を出て隠れるようにタクシーに乗り込んだ。

 

入院生活で非現実的だった世界が、窓から見える景色によってどんどん現実感を増してゆく。自分の家に着いたときのことを想像すると怖くてたまらなく、無言で夫の手を握っていた。

 

家の前に着いた時、ここはどこだろう、と感じるほど雰囲気が違うような気がした。世界が変わって見える、という言葉があるが、その言葉がぴったりに感じた。

 

家の中に入ると、広くなった寝室と狭くなったリビングで、違うお家に帰ってきたように感じた。私が入院中に、夫がえいちゃんのベビーベッドやハイローチェア、お洋服などをリビングのスペースに仕切りをつけ部屋を作り、1室に閉じ込め開かずの間を作っていた。

 

家に着いてすぐ、家から少し遠い場所の霊安室にいるえいちゃんに会いに行こう、と夫に言った。夫は驚いて今日は退院したばっかりだしゆっくりしたら?と言ってきたが、会いたい気持ちが溢れて泣いてしまい結局夫が葬儀場の方に電話してくれて会いに行くことになった。


霊安室につき、夫と入ろうとしたが、夫は俺は会わないから1人で会っておいで、と頑なに入らなかった。情がうつってしまって辛いからいやだと。


部屋に入り、えいちゃんの小さな棺を開けた。

3日ぶりのえいちゃん。

えいちゃんの肌はカチカチに凍り、柔らかい赤ちゃんの表情から、凛々しいお顔に変化していた。涙が溢れた。こんなに小さい体で棺に入っている姿に違和感しかなかった。

 

えいちゃん、ママ会いに来たよー!3日も来れなくてごめんね。やっと退院したんだよ。1人で寂しかったね、えらいね、えいちゃん。


ほっぺを触ったり、お鼻を撫でたり、手を握ったり...。

でも頭を撫でると血が溜まってるのかやはりブヨブヨだった。えいちゃん、痛かったね。本当にごめんね。

 

胸が苦しくてどうにかなりそうだった。

面会の1時間泣きながらたくさん話しかけ、明日も会いに来るね、と家に帰った。

 

家での生活は地獄だった。

朝起きると癖で必ずお腹を撫でてしまい、夢じゃなかった、と絶望から始まる。

何をしても妊娠中のことを思い出してしまい、寝ようとしても眠れず、テレビをつけてもバラエティのテンションについていけず、外を見て普通に歩いている人を見ても、あぁいう風な普通の人生に一生戻れないんだ、と感じた。

 

入院前に育児が忙しくなると見越して家の掃除を完璧にして、食材の宅配サービスも頼んでいたので、逆に家事に没頭することもできなかった。ポストを開けると内祝い用のカタログが届いていた。

 

何もかもが地獄だった。

 

火葬までえいちゃんの霊安室にいくことでなんとか自分を保っていた。

 

そして火葬の日。

夫婦で喪服を着るのはその日が初めてだった。

 

赤ちゃんの骨は残りにくいので朝一での火葬。

 

朝早く、タクシーに乗り込む。

タクシーの運転手さんは私たちがまさか自分の子供の火葬に向かっているなんて思っていないのだろう、この辺、俺の息子が小さい頃はよく来てたんですよ〜いやぁ懐かしい!と言いながら、葬儀場に着くまで子供と行った場所の話を色々としていた。夫は、普通のテンションで運転手さんと話していたが、私は無言だった。

 

葬儀場に着くと、すでにお互いの両親が来ていた。

 

みんなでえいちゃんのところに行き、えいちゃんに話しかけながら棺にお花を敷き詰めていった。

 

私は自分が結婚式に頭につけたお花と同じ種類のお花を買ってえいちゃんの頭の周りに敷き詰め、ママとお揃いだからねと言い、この3日間で書いたえいちゃんへのお手紙を棺の中に入れた。

 

火葬場に着き、最後にえいちゃんを触る。

棺が閉じられ、火葬の機械の中に棺が入る。

扉がゆっくりとしまってゆく。

えいちゃんの顔を2度と忘れないように必死に思い浮かべた。今までの人生で最も辛い瞬間だったかもしれない。

 

もう会えない、2度と触れられない。

 

我慢していたものが一気に溢れ、嗚咽とともに泣き崩れた。お坊さんにお経を読んでもらっている時も夫が横で必死に支えていたが、もう立っていられなかった。

 

お坊さんは穏やかだった。

泣きすぎて記憶が定かではないが、私たちが息子の分まで人生を謳歌することが大事、というのと、行かないで、というのではなく、いってらっしゃいと見送ってあげることが大事、というようなことを言われた。

 

そうだな、とも思うし、でも離れたくない、と

頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 

火葬が終わったという知らせ受け、夫と2人で確認の時、私はこの後に及んで確認ということがどういうことか、忘れていた。

 

少量の白い骨がそこにはあった。

 

その時の衝撃はとても書き表せない。

えいちゃんが白い骨に。あのかわいいかわいいえいちゃんが骨になってしまった。気がどうにかなりそうだった。

 

骨を拾っている時、私の母が狂ったように叫んで泣き始めた。こんなに骨がしっかりしてるなんて!〇〇(私の名前)のお腹の中で一生懸命育ったのに...! 私も泣いていたが、母はそれより泣いていた。

 

えいちゃんも骨になってしまい、母もあんなに泣かせ、私はもう辛くて消えてしまいたかった。

 

帰りたい、とつぶやき、えいちゃんのお骨を胸に抱いて逃げるようにタクシーに乗った。

 

両親たちは一緒にご飯でも食べようと思っていたのだろう。

でも無理だった。

 

幸せな出産しか思い描いていなかった。幸せな両親たちの顔しか想像していなかった。

 

孫を楽しみにしていた両親。あんなに辛かった出産も何も報われなかった。えいちゃんは少しの間でも頑張ってくれたが、今はもう、みんなが悲しんでいる。

 

なぜこんなことになるのか。

 

えいちゃんの遺骨をもちお家に入った。

えいちゃん、やっとお家に来れたね。

もうずっと一緒だね。

 

骨になってしまったが、その事実に少し気持ちがほころんだ。

 

その日は青空が広がる快晴だったよね、えいちゃん。

悲しいのは変わらなかったけれど、なぜだかこの日からママは少しずつご飯を食べれるようになったんだよ。

 

えいちゃんがお家にいるからかな。

いつも見守っててくれてありがとう、えいちゃん。

 

アクセスがとても増えて驚いています。ご覧いただき、ありがとうございます。

このブログ再開の元の目的は自分の気持ちの整理のために、2017年秋の出産後に亡くした息子、えいちゃんへの気持ち、思い出を綴るためでした。

 

リアルな世界ではやはり気を遣いますし、えいちゃんのことを人に話すことも今後あまりないのかもしれません。でも、せめてブログの世界を通してたくさんの人にえいちゃんが生まれたことを知ってもらうだけでも、心がとても救われています。同じような体験をされた方からもメッセージやコメントをいただき、周りに同じような体験をした人が全くいない私は一人じゃないんだ、と救われる思いでした。それと同時に同じような体験をした方々に少しでも同じように救いになれればと思っています。

 

これから妊娠や出産をする方にとっては不安になってしまう内容かもしれません。でも少なくとも、予想もできないことも起こり得ること、出産前に自分でも様々な知識をつけておくことはとても大事なのだな、と私は今回の出産で思い知らされました。

このブログは私が経験したこと、思った内容を書いているただの記録なので、読みにくいこともあるかとも思いますが、ご了承いただければと思います。

 

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えいちゃんを沐浴後、精一杯明るく、家族3人でビデオを撮ったりして過ごしていた。

 

ママ:えいちゃんーママと結婚しまちゅか?チュー
(えいちゃんのほっぺにチューしながら) 

 

ママ:しまちゅ!(腹話術風)ウシシ

 

パパ:しません!w真顔

 

ママ:えいちゃんなんでそんなにかわいいんでちゅか?ラブ

(えいちゃんのほっぺにスリスリしながら)

 

ママ:ママに似たからだよー(腹話術風)ラブ

 

ママ:んーードキドキ大正解っラブ(えいちゃんにチュー)

 

パパ: ......もうビデオ終わっていい...?真顔

 

そんな幸せな時間を過ごしていると、

葬儀会社の人が病室に来た。

 

3日間ドライアイスを引いたベッドで私たちと過ごしたえいちゃんは、これから遺体の腐敗を防ぐために火葬まで葬儀場の霊安室で預かってもらうことになっていた。

 

私は帝王切開後、産後3日目。

ベッドガードにしがみつきながらやっと起き上がり、歩くのも同じ病室内の洗面所までそーっとゆっくり歩ける程度。

 

えいちゃんの火葬はせめて私がもう少し回復してからにしよう、ということで6日後に決まった。

 

えいちゃんと過ごせる期間は3日間だよ、とは聞かされていたが、私は実感がなかった。1分1秒先のことが考えられなかった。えいちゃんがかわいくてかわいくて、離れるなんて想像できなかった。

 

火葬も決まり、えいちゃんが連れて行かれる時になり、わかっていたはずなのに、パニックになった。

えいちゃんがこれから暗いところに一人ぼっちで過ごすなんてかわいそうでしょうがなかった。

 

泣きながら、えいちゃんが寂しくないように、私が握りしめていたタオルをえいちゃんのお腹において、お包みで包んだ。ママの匂いついてるからね、えいちゃん、と言いながら離れてしまう恐怖でどうにかなりそうだった。

 

葬儀場の霊安室に運ばれてしまう前に、病院のスタッフの方たちがえいちゃんの顔をみたり、会ったこともないスタッフの人たちまで手を合わせに来てくれた。普通ならとてもありがたいことだと思うが、正直知らない人がえいちゃんのことを見たりしている間、その時間が惜しかった。

 

知らない人が最後に触ったえいちゃんをそのまま連れて行こうとしたので、いやだ!私が最後にもう一度触る!と言って車椅子から立ってえいちゃんの元に必死に歩いた。涙でえいちゃんがあまり見えなかったが、えいちゃん、一人になっちゃうけど寂しくないからね、ママ火葬の前に退院して霊安室に会いに行くからね、大好きだよえいちゃん、かわいいえいちゃん、と言いながらほっぺを触った。

 

車椅子でえいちゃんが乗る車までお見送りに行った。

今日初めて会った知らない葬儀屋のおじさんにえいちゃんを預ける。葬儀屋の方には本当に失礼だが、えいちゃんが心配で心配で、連れて行かれてしまう恐怖で不信感が募っていた。生まれて3日でママとパパと離れて暗い部屋に安置されなくてはならないことを思うと胸が張り裂けそうだった。夫と違い親として葬儀屋の方に御礼も言えず、泣き叫んで見送った。

えいちゃんごめんね、えいちゃんを預けるのにママ感謝の気持ちが足りなかったよね。

 

そのあとどうやって病室に戻って、その日を過ごしたか記憶がない。

 

次の日から病室の外に出る機会を劇的に増やした。

急に歩く練習の距離を伸ばしたため、貧血で気持ち悪くなり自分の体力の低下に悲しくなった。今まで入院もしたことなければ手術もしたことはなかったので、自分の体なのに自分の体じゃないみたいだった。えいちゃんがいる時はいろんな意味で興奮状態で痛みなどあまり感じることはなかったが、一気に自分の体の不調を感じるようになった。

 

病室にずっといると悲しみでどうにかなりそうだったので、

外の空気も吸いたいと夫に病院の周りを車椅子で押してもらった。

 

段差があるたびにお腹に激痛が走った。

去年の夫の入院の時と立場が逆で、不思議な気分だった。

 

えいちゃんを産んだ時から数日しか経ってないはずなのに、外は一気に秋になっていた。非現実的な病室の中と違い、久々に外に出ると一気に現実感が増し、たった数日でこんなにも変化した自分の人生に向き合える気がしなかった。

 

どっか誰も知らない場所に移り住んでひっそりと暮らしたい、ベビーベッドやえいちゃんのものがたくさんあるお家に帰りたくない、誰にも会える気がしない、同じ仕事に戻れる気がしない、と泣いた。

 

それを聞いた夫は私が退院したときのために一旦家に帰り、ベビーベッドを解体したり、えいちゃんのために買ったり用意したものを1室に全て閉じ込め、私の目に触れないように開かずの間を作ってくれていた。

 

次お家戻ってくるときはえいちゃんも一緒だね!

そう言ってウキウキと病院へ出発したあの日の私はもういない。

 

それから数日後、私はひっそりと退院した。

 

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えいちゃんの出産〜亡くなるまで↓

40w2d 入院3日目 - えいちゃんが生まれた日①

40w2d 入院3日目 - えいちゃんが生まれた日②

40w2d 入院3日目 - えいちゃんが生まれた日③

 

えいちゃんを帝王切開で出産し、一度も近くで見れずNICUヘ搬送後、初めて会い、初めて腕の中に抱っこした後、

数分で天国へ行かなければならなかった。私はショックでその後の記憶が全くない。

 

次に記憶があるのはその日の昼、搬送された大学病院のベッドで、治療の管が取れ、きれいにしてもらったえいちゃんの遺体をスタッフが再び私の腕の中に抱かせてくれた時だった。私はまだ朦朧としていたため、夢なのか現実なのかわからなかった。

 

妊娠経過もとても順調、パパが仕事から帰ってきて、ただいまーとパパがお腹に話しかけると返事をしているみたいにお腹の中でたくさん動くパパ大好きな男の子だった。

 

私が寝ている時も、明け方によくお腹の中から脇腹をこちょこちょして起こしたりして甘えん坊だったえいちゃん。

 

なぜこんなことになったのか。

 

腕の中のえいちゃんは頭がぶよぶよだった。

どうしたんだろう...これ...

真っ白なお顔なのに、頭の部分だけは赤黒かった。

 

なんで、なんで、なんで?

なんでなの?

 

帝王切開の傷の痛みなんて全然感じなかった。

それよりも悲しみと悔しさと疑問。それしかなかった。

 

あふれる涙を流しっぱなしにしながら、冷たくなったえいちゃんを抱いていた。

えいちゃんは3400g近くもある、髪の毛もフサフサなしっかりとした男の子だった。

 

赤ちゃん元気ですよ、と言われ産んだえいちゃんは、今腕の中で冷たくなっている。頭がついていかなかった。

 

目を開けているえいちゃんは、帝王切開で生まれた後に遠目で一瞬見えただけだった。すごいかわいい!と思ったのは覚えているがどんな顔だったかあまり思い出せなく、悔しい。

 

えいちゃんの生きている時の写真はなく、夫がNICUで管にいっぱい囲まれた目をつぶったえいちゃんを撮った携帯のムービーしかなかった。えいちゃんはママの事もパパのことも一目も見れず死んでしまった。


えいちゃんを抱きながら何が起こったのかゆっくり振り返っていると、スタッフの方が病室に来ておっぱいは痛くないか聞いてきた。痛くなると心配だから、母乳を止めるお薬を飲んだ方がいいと思うの、と言われ突然のことにショックで大泣きしてしまった。

 

おっぱいは全く痛くなかったが、えいちゃんは私のおっぱいも飲めずに死んでしまったんだ,,,と思うと耐えられなくなった。お腹空いて天国に行ってしまったなんて。私は母親として何もできなかった。

 

泣いていると、スタッフが私のおっぱいをつまみ、数滴母乳をスポイトで吸って、えいちゃんの口元に入れた。

これで天国では十分なほどお腹いっぱいだから、大丈夫だよ、と言った。

 

私は出される食事にほとんど手をつけないまま、導尿の管もついたまま、眠ることもできず、えいちゃんを腕枕して過ごした。起き上がれなくて横顔しか見れないのが悔しかった。

 

大学病院のスタッフは皆、優しかった。

えいちゃんのことも、本当にかわいいね、イケメンねと言い、手形と足型を取ってくれたりした。

 

2日くらい経った頃だろうか。

NICUで診断された死因は吸引分娩の時の頭の血腫が広範囲に渡り起こる出血性ショックだったと聞かされた。

その後のCTでもそれ以上の疾患は全く見られない、健康な赤ちゃんだった。

吸引をせず帝王切開をしていれば健康に生まれていたはずだった。

 

促進剤を打つ時、帝王切開の時はあんなに承諾書にサインをするのに、吸引はそんなリスクがあるなんて全く聞かされてもなければ、想像もしていなかった。

 

思い出されるのは出産時のあのとてつもない痛み。

何回もお腹を押されながらの吸引。

その時にえいちゃんが致命傷を負ったと思うと、今でも気が狂いそうになる。

 

人生で一番悔しくて悲しい事実だった。

そして何より、えいちゃんがかわいそうでしょうがなかった。

痛かったよね、えいちゃん。

ママも痛かったけど、えいちゃんは死んじゃうほど痛かったなんて知らなかった。

ごめんねえいちゃん。ママが死ねばよかったのにね。

 

自分が生きているのが申し訳なかった。

 

えいちゃんを抱きながら過ごせた時間は3日間。

次の日歩く練習をしたが貧血がひどく辛かった。

歩けるようになったって何のためになるのだろうか、と考えたりもした。

 

夫は私のベッドの横にもう一つベッドをおいてもらい、特別に泊まっても良い許可が出ていた。

何度かえいちゃん抱っこする?と聞いたが、数回抱っこしただけで、俺はもう心の中でお別れしているから、と言い、

日中はずっと読書をしていた。私と悲しみの出し方が違うんだなぁ、と思った。

 

私は夜がきて暗くなると、暗さに恐怖を感じるようになった。睡眠薬を処方されても2時間で起きてしまう。

えいちゃんを眺めながら、寝ている夫の手を握って恐怖から何とか逃げていた。

 

携帯をみようにも、妊婦時代のアプリや赤ちゃんグッズの宣伝広告がたくさん目に入ってきて過剰に反応しては涙が止まらなかった。

 

お風呂にも入れず、髪の毛はめちゃくちゃ、むくみまくりの顔、陣痛で叫びすぎて唇がカサカサでところどころ裂けていた。えいちゃんとたくさん写真を撮ったが、どれもひどい顔だった。

 

えいちゃんと過ごせる最後の日になって、傷口をかばいながらそーっと歩き、そーっとシャワーを浴びた。髪の毛をとかし、薄くメイクもしてやっと夫と3人で写真を撮った。

 

霊安室に連れて行かれてしまう前の最後の2時間、えいちゃんを沐浴ができることになった。

妊娠中マタニティーセミナーで夫婦で練習した沐浴。

こんな形で最初で最後の沐浴をしなくてはならないなんて、涙が止まらなかった。

 

えいちゃんの着ているお洋服を脱がす。初めて見るえいちゃんの裸。ちゃんとおむつもしていて、何とうんちもちょっと出ていた。すごくびっくりした。生きていた証だった。

 

透き通るようなお腹、可愛いお手手、足もすごくしっかりしていた。背中の毛がすごく濃くて、男の子のシンボルもちゃんとしていた。全体の重さもずっしりしていて、数日前までこんな大きい子がお腹にいたんだな、と思うとえいちゃんは本当に頑張ったんだな、と思った。

 

えいちゃんの冷たい体を湯船に入れた瞬間、えいちゃんの顔がふわーっと笑顔になったような気がした。

お口もお目目もうっすら空いて、ほっぺも赤みがさしたような顔になって気持ちいいと言っているようだった。

私は涙を流しながら休みなく話しかけ、夫は無言で涙を流しながら二人でお湯をかけ、撫でた。

 

その時のえいちゃんの表情は、本当に幸せそうな顔だった。

あんなに痛い思いをして死んでしまったえいちゃん。それを思うだけでも辛いママとパパのために最後にこんな顔を見せてくれるなんて、本当にいい子。

 

今でも毎日お線香をあげるときに、その表情をしたえいちゃんが天国で楽しそうに走り回っている姿を想像するようにして心を落ち着かせているんだよ、えいちゃん。

 

ありがとう、えいちゃん。

天国でもお風呂はいってあったまってね。

 

大好きだよ、えいちゃん。

 

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40w2d 入院3日目 - えいちゃんが生まれた日①

40w2d 入院3日目 - えいちゃんが生まれた日②

 

どれくらい待っただろう。

 

待てども待てどもスタッフは戻ってこなかった。

点滴を交換するスタッフだけが何回か入ってきた。

すごく疲れていたはずなのに眠れもしない。

 

その度に私は、どうなっているんですか、と泣きながら聞く。

スタッフはよく知らないのか、赤ちゃんの呼吸が弱いので検査している、

色々全て検査しているから時間がかかっているんじゃないでしょうか...と困った顔で言った。

この病院でNICUに運ばれて亡くなった赤ちゃんはいるのか、と聞いたら、今までにはありません、

と目を合わさずに点滴を交換しながら答えた。

 

私は少し希望を持った。

 

そうかぁそうだよね。念のための検査だもんね。

きっと大丈夫だよね。そっかぁ,,,よかった!

 

いい方向に考えたかった。泣きすぎて過呼吸で興奮している私を落ち着かせるための点滴を打つか聞かれ、

疲れているのに眠れない私はそうしてください、とお願いした。

その後もずっとえいちゃん、えいちゃんとつぶやきながらえいちゃんの動画を何度も見ていていた。

 

どれくらい経った頃だろう。

やっと院長が到着し、母体を保護する義務があるから今すぐに搬送はできないと言いに来た。

私は点滴で意識朦朧としてきていたが、

なんで、どうして、院長赤ちゃん元気ですよって産んでる時もずっと言ってましたよね?と繰り返した。

 

院長は僕もさっきからずっと考えているが、なぜこうなっているのか全然わからないと静かに言った。

 

絶望した。

 

院長をずっとずっと信頼していて、その院長もわからないなんて。

えいちゃんはどうなってしまうのか。

 

私は連れて行ってくれないと自殺する!!母体保護で会わせられないなんて、そんなの体だけじゃないか。

あの子に会えずにあの子が死んだら私の心は死にます。心が死んだら今度こそ自殺します。会わせてください!

お腹が裂けてもいいです。お願いします。と泣いた。

 

大学病院のベッド数もありますし、今は人もいない状態だと思うので、朝になったら連絡してみます,,,と言われたが

納得できなかった。しかしなだめられ朝まで待つことになった。

 

夜中4時頃だろうか。

夫が私の元に戻ってきた。

 

えいちゃん、今頑張ってるから。

〇〇(私の名前)の子だから絶対、大丈夫。

○○だって生まれた時大変だったのに大丈夫だったでしょ?

強運だから大丈夫だよ。

 

私の母は私を妊娠時、2ヶ月早く破水してしまった。

羊水がほとんどなくなった状態で私を産み、1800gで生まれた私は2ヶ月保育器に入っていた。

心臓に穴が開いていたそうで、呼吸も3,4分止まったこともあったと言っていた。

健康に育つかどうかは5分5分と言われ、3歳になったら手術の予定が決まっていたそうだ。

 

母は毎日私の足をずっとマッサージし続け、母乳を届けたそうだ。

その成果かどうかわからないが、心臓の穴は自然に閉じ、手術の必要もなくなり、

この出産まで一度も入院したことがないほど健康に育った。

 

そうだ、えいちゃんもきっと大丈夫。そう信じてうとうとし始めた頃、

義母が病室へ来た。夫だけ呼ばれ、戻ってきた夫は

 

えいちゃんが危ないから今すぐ来てくれってNICUから連絡来てたみたい。

(夫の携帯は充電が切れていたため、義母に連絡が来てたよう)

行ってくるね。

 

私は一気に目が覚め、また泣いた。

私も行く!!!ねぇ連れてってよ。なんでよ。私も行くよ。

 

その時義母が私に

 

あなたがしっかりしなきゃ、お母さんなんだから。

 

と言った。

正気になんてなれなかった。

しっかりしろなんて無理だった。えいちゃんが危ないと言われている。

一度も近くで見ていない息子に会えないまま死んでしまうかもしれないのに?

私より先にお義母さんは会えてるのに。なんで?

 

いつもだったらそうですね、と言ったかもしれないが、

この時は無理だった。私母親なのになんで会えないの?おかしいでしょ?

いやだ、夫と一緒に連れて行ってくれ、と気が狂ったように泣いた。

 

そんな私を初めて見たのだろう。義母はびっくりしていた。

それを見て夫は私のそばに居たいから、義母に代わりにえいちゃんの元に行ってくれ、と頼んだようだが、

もちろんそんなことは無理で、もう時間がない、と夫は先に行ってしまった。

 

麻酔が切れてきて足だけは少し動かせるようになってきていた。

母は院長にもう一度頼んでくる、と部屋を出て行った。

気が狂いそうだった。泣いて泣いて隣の病室に入院してた人に聞こえていたかもしれない。

 

その時、母が部屋に飛び込んできた。

今から搬送してくれるって!えいちゃんに会えるよ!!

母も私も泣いた。

 

しばらくして救急車が到着し、泣いている助産師さんが無言で私の手を握って見送っていた。

 

救急車の中で夫に電話した。

夫は今どこ!?まだなの?早く、早く!!!間に合わなくなっちゃう!と泣いていた。

いつも冷静な夫がこんな風になっているのを見たことがなかった。

えいちゃんの生きている間に合わないかもしれない、とものすごい恐怖に襲われ、過呼吸になり、

ねぇ、まだえいちゃん生きてる?と救急車が着くまでずっと夫に聞いていた。

 

やっとNICUのえいちゃんのベット脇に到着し、えいちゃんの管を整理して私のベットにえいちゃんを持ってきて

私の腕に抱かせようとしていた。

 

横目で全く動かない、血色のないえいちゃんを見ていた。

すごく時間が長く感じた。

 

そしてやっとえいちゃんが私の腕に載せられた。

その場にいた家族全員泣いていた。

 

なんてかわいいんだろう。本当にイケメンだった。

眉毛と口元は夫、目元と鼻は私にそっくりだった。

髪の毛もふさふさで、男の子らしい顔だった。

 

私は抱っこしながら、えいちゃん、頑張って。ママきたから大丈夫だよ。

えいちゃんよく頑張ったねーえいちゃん、えいちゃん。がんばれえいちゃん!

 

ママが来たからもう大丈夫。

 

私は本気でそう信じていた。

現に私が話しかけたら20だった心拍が30に上がったりしていたようだ。

頭上にいた小児科医の先生に、えいちゃん助けて!と言ったら、若い男の先生は泣いていた。

なんで泣いているの?やっぱり助からないの?えいちゃん頑張ってるんだよね?意識が朦朧としていたが、

腕の中にいるえいちゃんを見つめ、幸せをかみしめていた。

 

かわいくてかわいくて本当に愛おしかった。

やっと会えた。

感じたことのないすごく幸せな感情だった。

 

えいちゃんの小さい手を握りながら、管がたくさん付いているのであまりぎゅっと抱っこできなかったが、

ほっぺやお鼻をたくさん撫でた。

 

えいちゃーん

これからパパとママと3人でたくさん楽しいことするんだよー。がんばれ、がんばれ。

えいちゃん、えいちゃんの大好きなパパも、ママもここにいるからね!

 

休みなく話しかけていたがえいちゃんは酸素吸入器を入れた口をキュッと結んでとても苦しそうだった。

私はえいちゃん、今日はもう疲れちゃったんだよね?苦しい?苦しいよね....

 

しばらくして夫の手を取り、えいちゃんの手と握らせた。

夫は泣いていた。

 

そして突然、

〇〇(私の名前)、えいちゃんね、死んじゃったんだよ。

といった。

 

私はものすごくびっくりして、パニックになった。

え?いつ??

〇〇が抱っこした時は生きてたよ。大丈夫、と言った。

そして夫は、えいちゃん、また〇〇の元に戻ってくるからね、戻ってきてって今言っておこう!えいちゃん、戻ってきてね!と

泣きながら言っていた。その場の家族もただただ戻ってくるよ、と言いながら泣いていた。

 

小児科の先生も確認させてもらいますね、と言いながらえいちゃんの目に光を当てた。

朝6時過ぎ、えいちゃんは旅立った。前日の夜20時過ぎに生まれてたった10時間しか経ってなかった。

パパの誕生日の朝だった。

 

えいちゃんは頑張っている、と思っていた私は突然の死を突きつけられ、

そのあとの記憶が全くない。

 

赤ちゃん、元気だからね、と言われながら産んだのに、

10時間後には赤ちゃんは天国に行ってしまった。

 

妊娠経過も問題はないし、出産経過も死ぬほど痛い思いをしたが問題はないはずだった。

10ヶ月お腹で育てたのに、えいちゃんと会えた時間は数分だった。

 

悔しくて、悲しくて、えいちゃんの死から2ヶ月と1週間ほどたった今もえいちゃんに会いたくて会いたくて。

 

でもえいちゃん、あんなに苦しい状況だったのに、ママが抱っこするまで待っててくれてありがとう。

えいちゃんが頑張って生きて生まれてきてくれて、ママに抱っこさせてくれたこと、誇りに思います。

大事な大事なパパとママの長男。

 

大好きだからね、えいちゃん。

 

 

緊急帝王切開後、目が覚めたらなぜだか涙が止まらなくなっていた。それに気がついた助産師に、えいちゃんの呼吸が弱く、念のためNICUに搬送されたこと、夫と一緒に行っていることが告げられた。

 

意味がわからなかった。

なぜ?えいちゃん泣いたじゃん?

 

念のためです、と言われたが心配だった。

病室にストレッチャーを運ばれ、すぐに夫に電話した。

 

えいちゃんは?なんで運ばれたの?どうしたの?

 

夫の第一声は

 

えいちゃんね、厳しいって。

 

頭が真っ白。

なんで?という言葉を10回以上言った。

 

俺もまだ会えてないけど、さっき厳しいって言われた。

また連絡する、と言われた。

 

私は意味がわからないながらも、えいちゃんにまだ近くで見れてないの!写真撮ってきてよ!えいちゃんの!送って!と頼んだ。

 

しばらくしてえいちゃんの動画が送られてきた。

見た瞬間涙が溢れた。私にそっくり。目元、鼻、まるで私が写っているようだった。わぁーえいちゃん。そっくり!私に!と横にいる母に報告した。母も本当だ!あんたにそっくりねぇとつぶやいた。

 

えいちゃんはいろんな管をつけられて、頭にも何かつけられていて、機械のように胸元が動いていた。旦那がえいちゃーん。がんばれーママ心配してるよーと話しかけていた。優しい、泣きそうな声だった。

義母も病院に到着していて、えいちゃんにまだお母さんに会ってないじゃないのよ、と話しかけていた。義母は元医療関係者なので、NICUのえいちゃんの酸素吸入器のブザー音がなる度に、あぁ酸素が,,,とつぶやいていた。ただならぬ雰囲気を感じる動画だった。

 

心配で心配で今すぐにでも会いに行きたかった。

ナースコールで今すぐえいちゃんの元に搬送して欲しいと訴えた。しかしお腹を切っているからダメだと言われた。いつ行けるのか聞いても早くて明後日くらいですかね。まずは歩けるようにならないと、と言われ号泣した。

 

何を言っているのか?えいちゃんが危ない、と言われているのに、生まれてから一度もちかくでえいちゃんを見ていないのに。

母も横でお願いします、この子まだ1度も近くで我が子を見てないんですよ?なんで搬送する前に一目会わせてあげなかったのか、、、どうにか搬送してください!と一緒に言ってくれた。

 

スタッフは院長に電話して確認しますといい去って行ったが、その後なかなか帰ってこなかった。

 

もう日付は変わり、夫の誕生日になっていた。