松浦勝人の酒史 2  からの続き


そして、上場の翌年1月の頭、
年頭の朝礼が終わるとすぐさま
会長(前依田会長)の指示??命令??で
僕はハワイに行った。
「ハワイに移り住んだらいいんじゃないか! !

ハワイから制作の指示をすべて出せばいいから」

という会長からの指令だった。
なぜなのかあまり意味は聞かなかった。
聞いたこともあるが何かいつも理由はよくわからなかった。
だからそれ以上理由は聞かなかった。
それより単純にハワイに住んでいいということが、
いや、ハワイに住みなさいという会長の言葉は
僕にとっては願ったりかなったりの最高にうれしいことだったのだ。
一生ハワイにいてもいいということだったので、
上場してまもない僕はお金の余裕もあったので
まず家を買うことにした。
以前、それより一年前に三ヶ月間ハワイで楽曲作りの合宿
(余談だがこの時にayuのファーストアルバムの曲をほとんど作った)
を作家達といっしょに一軒家を借りてやっていたことがあり、
その近所に当時からいいなぁと
思っていた家が偶然売り出たのでその家を買った。
土地が二区画になっているので
スタジオを別棟で建てられるというのが
そこを買った最大の理由だった。
ソーシャルセキュリティーNOをとって、
グリーンカードを申請した。
当初、ハワイの生活は快適であった。
そしてハワイ特有のそのゆっくりとした時間の流れは
10年ちょっと狂ったように仕事に酒に明け暮れていた
僕にはたまらない休息であった。
一日は朝起きて夜のうちにインターネットで
送られてきているメール、音源、詞、ジャケット等の
チェックから始まる。
大事な会議にはテレビ電話の会議システムを使った。
(結果的にはあまり使わなかったが(笑))
メールに返信をして、音源や詞、ジャケットに
一通り直しを入れてお昼過ぎには仕事は片付いてしまう。
会議や打ち合わせがないとこんなにも早く
仕事が片付くのかと当時はびっくりしたものだ。
午後からはほとんど毎日考える時間か、
マリンスポーツをしていた。
そして夜はワイキキにほぼ毎日食事に行った。
この夜の食事の時間当たりから、
日本から仕事の電話連絡が来る。
が、こハワイは夕食の時間である。
したがって酒を飲んでいる。
やっかいな問題が酔っぱらっているときに来ると
困ったものだった(笑)


だが、当初快適だったはずのハワイの生活であったが、

次第に、この頃から自分は病んでいった。精神的にだ。
人生における生きていく意味がわからなくなっていた。
何のために生きているのかばっかり考えていた。

このころから朝から酒を飲むようになっていった。


松浦勝人の酒史 4 につづく