はじめまして。
私の名前はロッテル・マウリツィオです。
ただ、イタリアでも発音が難しいので、みんなからはマウリと呼ばれています。
ですからマウリと呼んでいただければいいでしょう。
私はベネチアのムラノ島で産まれました。
しかし、残念ながら4歳からベネチアへと引越しをしてしまいました。
子供の頃の、私の一番大好きな趣味は、ガラスの先生たちの仕事を見ることでした。
私にとって、ガラスはマジックで、先生達は魔法使いでした。
なぜなら、ただの熱い塊からどんな形のどんなものでも作り出すのですから。
始めから見ていて、何が生みだされるのかを想像するのはとても楽しいことでした。
ガラスの工場の中では、私のような子供はまるでマスコットのように可愛がられており、
時々、ある職人は私を膝にのせて、私の手をとり同じように作らせてくれました。
しかしこれは思い出としてはとても怖いものでした。
工房内はとても熱く、職人の手までも熱く、まるで地獄のようだと思っていました。
けれども大好きな場所でした。
こんな幼少時代によって、私の心にはガラス製作への憧れが芽生えたのです。
ベネチアに引越しをした後も、時間があればすぐにムラノ島に向かい、
時間が許す限り、工房で作業を見つめていたものです。
私が11・12歳ごろにガラス製作を少しやってみようと思い立った時には、
ミケーレ・ロッセッティ氏が彼が大切に育んできた色々な技術を教えてくださいました。
しかし、学校があるため長い期間、教わることができませんでした。
彼のところに行けない時期は、自分でガスバーナーを買い、
小さな動物や、ビーズを作って、お土産屋に売りに行ったりしていました。
このお金で、ガラスの材料や本を買ったのです。
これらの仕事が高校生時代のお小遣いとして、とても助かりました。
高校を卒業後はもう一度ムラノ島に戻って、仕事がしたいと思っていました。
しかし、高校にて語学をたくさん学んだ私には、
製作ではなく販売での仕事に就くほうが良いのではと、周囲から薦められました。
そして私はVIVARINI社に入社しました。この会社でなら、製造も販売も両方が出来たからです。
そして、観光としてベネチアが有名になり、LAGUNA MURANO GLASS社に転職。
後に、ローマのCRISTAL CENTER社のジェネラルマネージャーとして働きました。
その後、ローマからベネチアに戻り、ガラスを作りたいという気持ちで胸がいっぱいでした。
それから再度ビーズの作り方を学習し始め。
その後の私は、妻と出会った事によって、日常が一変しました。
何故なら、1992年日本に来ることになったからです。
そして吉祥寺に小さなベネチアンガラスのお店を開いて、昔から大好きなガスバーナーも持ち込みました。
日本での仕事が忙しくなることによって、ガラス製作に夢中になれる時間は、どんどん減ってしまいました。
そのころから、ベネチアにおけるガラスの品質低下が著しくなってきていたのです。
そこで自分自身でベネチアに工場を作ることにしました。
この工場で働く全ての職人たちは、私が直接に教えています。
100%ベネチアの技術を守りつつ、最高のビーズを作ることをモットーにしています。
今現在の段階にはかなり満足しています。
ビーズはきれいになり、ベネチアのビーズメーカーにも直接卸しております。
できるだけ多くの、お客様にベネチアンビーズを好きになって欲しいからです。
そのために最高のビーズを作りたいのです。
こんにちでは、私の工場で製作したビーズはイタリア、アメリカ、日本で買うことが可能です。
特別に一番揃っているのは、日本のベネチアンバザーです。
ガラスを子供の頃からつねに愛していた私のように、皆様にもビーズを愛して欲しいと思っています。
ビーズの持っている、美しさ、複雑さ、神秘を伝えたいのです。
この素晴らしい世界へようこそ・・・・