2008-06-26

多峯主山難行記‐終―寄らば大樹の陰

テーマ:我が家の家史

(続き)

標高271mの多峯主山の頂にある、黒田直邦の廟前燈籠を調査するため、森家史料調査会の調査団が山頂を目指して登山を行った。



まさにその名のとおり登山であって、大変つらい道のり。
標高271mの多峯主山は、高尾山の登山道を思わせる急勾配で、一行はまるで難行苦行のように息を切らしながら山頂を目指した。

富士登山を20回行ってきたが、それをしても変わらぬ風景を延々と上り下りするのは、つらい。


だが、ここは藩祖の墓である。歴代の久留里藩主やその重臣たちは、必ず詣でているはずであり、この道を遠い江戸や久留里から歩んできているのである。久留里森家の歴代当主たちも、この道を歩んだに違いない。


ましてや棺や墓石、燈籠を往時の人は人力でここへ運んだのだから、その労苦を思えば、我々の声は明らかに弱音である。


延々と長い尾根伝いの道を歩き、最後に77段の石段に差し掛かる。


階段を上りきると、その中央に壮大な墓所が鎮座し、一同を迎えた。我等はゴールと言わんばかりにそこに座り込み、暫しの間休息を得た。


直邦は、策謀家として活躍した柳沢吉保とは異なり、儒学を好む学者肌であった。将軍綱吉も儒学を重んじていたことから、その影響を受けていることは間違いないだろう。



そして荻生徂徠に師事し、林信篤や太宰春台とも親交を深めた。柳沢吉保は最終的に甲府15万石の大々名まで出世したが、直邦は3万石の大名に甘んじた。 どちらも一代で大名に出世した人物ながらこの大きな開きに、世の人は柳沢は策謀を好んで欲深く、黒田は学を好んで欲を出さずと、直邦を賞している。

ただ唯一欲した直邦の欲と言えば、先祖代々の地である飯能を領有する事を望み、綱吉に飛び地として認めてもらったことだろう。



調査を終え、かつての先祖たちが拝礼したその場所で一同は手を合わせ、登ってきた道を一路下山した。その途中、私は直邦公がこの山中に葬られたことを羨ましく思った。


江戸で没した大名や著名人は数多い。しかし、その何人の墓が今に残されているだろうか。


上野戦争、関東大震災、東京大空襲、そして都市再開発。


その度ごとに、墓域は危機に脅かされ、取り壊され、移転した。

または人知れず瓦解と化したものもあろう。

増上寺に葬られた歴代将軍の壮麗な廟于さえも今は一角に纏められてしまった。



しかし、人里離れた山中に葬られた直邦の墓所は、壮大な墓碑、そして著名人の碑文と共に現在に残され、今なお往時の姿を少しも変えずに残されている。 繁る樹林によって、直接的な雨は避けられ、碑文は風化を遅らせ、ありがたいことに、私の先祖の刻銘も少しも風化せずに今に残されている。


都内に残る大名墓は100年後、どのような姿になっているか、想像はつかない。しかし、直邦公の墓はあと300年、いや500年後も今と変わらぬ姿を残しているに違いない。

そして、燈籠にある我が先祖の名前も。


寄らば大樹の陰なり。

(終)

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