2008-04-13

森家の御霊屋(おたまや)

テーマ:我が家の家史

本日、美作の国・岡山県津山市にある森家菩提所・本源寺において、創建400年慶賛法要が営まれ、同時に森家御霊屋(おたまや)の修復落慶法要、森忠政公像と歴代藩主御位牌の修復開眼供養が行われた。


森家の宗家格である赤穂藩主森家の御当主や、その縁者も参列されたと聞く。小生にも招待状を賜り、招きを受けたが他用もあり拝辞した。記念すべき落慶法要に参列できなかったのは残念であるが、先祖あっての自分であり、今の自分の仕事を疎かにはできない。また、分家末枝の小生などが出る場所ではないのことも十分承知の上だ。



江戸時代初期、美作一国を統治した大名家・森家がその先祖を祀るために巨資を投じて建造された御霊屋は、元禄10年に改易。所領は越前松平家に引き継がれて幕末を迎えたが、その間も、森家の宗家格である赤穂藩主森家からの扶持や、拙宅の本家筋に当たる三日月藩主森家からの寄進など、所謂仕送りが続けられ、幕末にいたるまで寺の維持が図られてきた。また寺格も高かったことから新藩主家となった松平家からの援助も少なからずあったと考えられる。


森家が去った後も、こうした援助によって幾多の修復を経てきた御霊屋であるが、大正時代の修復が最後と考えられ、その老朽化は深刻なものがあった。今回の修復はまさにその念願が叶ったものと考えられよう。

聞く話によれば、今回の修復で畳床は240年前のものが用いられていたとか。これは赤穂藩による普請が行われたという古文書の資料の年代(史料調査会調べ)とも一致する。


森家が津山を去ったのは310年前の元禄10年(1697)。畳床が新調されたのは、この津山退去から70年を経ている。


 現在も修復が行われている唐招提寺や二条城といった、国を代表するような文化財ならばいざ知らず、わが国にはもっともっと後世に伝え残さねばならない数多くの文化財建造物がある。この御霊屋も、往時の為政者がその時代の最高の技術と文化の粋を投じて創られた最高傑作であり、その真剣さといえば藩主が拝礼する場所という性質からも明らかだろう。

こうした文化財は、単に森一門の聖地であるばかりではなく、後世の史家や人々が17世紀という時代の傑作を見るサンプルとして、また霊廟建築という意味においても、やはり次代に伝え残していかなくてはならない。


とはいえ、完全な修復を試みるには、膨大な額の費用が求められる。日本にはまだまだ修復を待ちながら危機に瀕する文化財が数多くある。今回についても限られた予算のなかで、大変ご苦労をされたと聞く。


 内部は礼拝施設という性質上、ここに挙げるべきではないが、その内装は修復前よりも絢爛豪華なものとなり、歴代の御位牌も修復が施され、整然と並んでいるその様子は、一国の大大名が先祖を拝礼する場所としてふさわしい場所に甦っていた。


今回の修復で、何十年保存が利くのだろうか。
桧皮葺から銅板の屋根へと変わり、これもまた維持が図られている。また御霊屋とは別に、藩祖・森忠政公の木像も修復が行われ、意外なる事実も明らかになった。写真はここに挙げるべきではないが、修復前よりもお顔の表情は穏やかで、名君と称えられし徳の厚いお人柄が感じさせられるお姿であった。


(忠政公の木像がデザインされた津山城址の森忠政像。今回の修復でこの銅像も若干の修正が要しそうだが・・・。)

人間という生き物は、46億年という地球の歴史から考えれば、昨日今日沸いて出たような存在に過ぎない。その地球もいずれは巨大化した太陽に飲み込まれるとも言われている。

そう思ったとき、300年という年月はホントに短い時代、いや時間でしかないのだけれども、それでも人間が歴史を歩んできた確たる足跡なのである。


これらの文化財も、その足跡の一つとして、後世の人々に正しく伝えられる史料となるよう、今後もあり続けてほしいものである。

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