2006-10-01

貞感院忌 (没後200年)

テーマ:我が家の家史

今日は、貞感院こと森美喜の命日である。200年前の今日、文化13年(1805)閏10月1日、江戸藩邸で急死した。享年71歳。


美喜は久留里森家3代・森光嶢の夫人で、父は久留里藩主・黒田直純公。

 森家も元々は津山藩主、三日月藩主に連なる大名家の血統ではあったが、分家して3代も経て、光嶢の時代には黒田家の古参家臣となっていた。しかし、血縁は無かった。


 森家は光嶢の祖父・光照が三日月藩主森家から分家して中山家に仕官し、三男の中山三五郎に仕え、この三五郎が黒田家の養子となった事から光照も黒田家に随身し、黒田家臣となった経緯がある。中山家出身者が黒田家の当主となっている以上、当主との縁は深いが、黒田家代々に仕えた重臣から見れば森家はまだまだ新参の匂いが残っていた。これを一気に払拭するのは藩主との血縁を結ぶことにある。


 直純公の息女を嫁することで、森家は黒田家の縁戚となり、黒田家の家紋・木瓜の紋も許された。藩主の一族になった証である。


実は直純公には18人の女子が居た。女子の中には多度津藩主・京極高慶や黒石藩主・津軽著高(あきたか)といった大名に嫁いだ者も居たが、多くは重臣に嫁がせたり養女に出したりしている。森家もその一家であり、その事情は先に述べたとおりだろう。 光嶢の妻となった美喜は直純の12女。 他藩に嫁がず、家臣に嫁ぐことで生まれ育った江戸屋敷内で住み続けられ、父母の傍に居られる美喜は幸せだっただろう。


 既に夫の光嶢は他界しており、静かな隠居生活をしていたが、この日光嶢の弟・光厚のところへ会津若松藩の家老、西郷頼母が訪ねてきた。光厚と頼母が歓談しているところへ美喜も加わり、その座で急に倒れて亡くなったという。この状況から考えて、おそらく心臓麻痺だと思われる。


 美喜の姉や妹の多くは、黒田家の菩提寺に葬られたが、美喜だけは亡夫が葬られた深川の法苑山浄心寺を選んだ。浄心寺は森家の菩提寺であり、古くは津山藩主・森長継公の正室が葬られた日蓮宗の寺院。黒田家に生まれ、黒田家で生活したこの公女が永住の地として最後に選んだのは、夫の菩提寺であった。

戦前の浄心寺境内 (古絵葉書より

後世、久留里森家8代・森勝蔵が記した「久留里藩制一班」の第三巻には黒田家法号帳が収録されている。勝蔵が自ら書写したものであるが、その多くは黒田家の菩提寺・武陽山能仁寺(埼玉県飯能市)に葬られ、藩主家らしく「院殿」号が付与されている。

ところが。


貞感院妙喜日光大姉


これが美喜の法号である。院殿号が並ぶ中で、一文字少ない院号はよく目立つ。

藩主家の親族とはいえ、同姓でない家臣が院殿号を称する事は許されておらず、それに習った形である。
そこには、藩主の公女として生まれながらも、そのプライドを捨てて一家臣の妻に徹した夫への愛情を垣間見た気がした。


浄心寺本堂 (戦前の絵葉書より


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