2004-03-12

【第47話】森家の藩札

テーマ:我が家の家史
江戸時代、全国的に藩札というものが流通した。いわゆる、現在の紙幣がそれであるが、全国流通ではなく、領内限り通用が原則で(信用度の高い藩札は他領でも流通した)、最も古い藩札は福井藩の札であると言われているが、直接的な金銀を流通させることなく、「紙」として流通させることは政府、即ち藩にとって大変好都合な品物である。

ところが、そうも言ってられない。一度は発行を禁止した幕府が享保15年に再び発行を認めると、それをスタートラインにして多くの藩が資金集めを目的で藩札を乱発した。
 結果インフレとなって物価が上がる藩も出始めたわけであるが、赤穂藩森家においても同様の現象が出始めた、いや、インフレよりも悪い事態なのだ。

 赤穂藩は当時元禄事件で有名な5万石余の浅野家が改易され、永井家が3万3千石で城主となり、数年後に森家更に減封2万石で入封したため、その藩財政は逼迫していた。特産の塩田事業が上手くいっていなかったのだ。この状態はしばらく続き、幕府の藩札発行許可おりると直ちに発行を開始。
しかし、もともと信用度が低い赤穂藩札はたちまちインフレ状態を生み出し、それだけではなく偽札騒動まで浮上したのだ。

 一気に赤穂藩札の信用は低下し、本来は他藩の藩札でも、周辺藩では通用するところ、赤穂藩札は、「要注意札」として扱われ、さらには断られるに至り、領民も正規の通貨に交換しようと両替商に押しかけて支払不能に陥らせたりしている。
この風景はなんとなく今の銀行と似ている感もある。

多くの藩では改易後に入封した大名家はその旧体制の藩札の流通を禁じ、踏み倒す事例もある。新藩主にとって前居住者の借金を肩代わりする義理は無いからだ。

津山藩森家でも元禄時代に藩札を発行している。
ところが、不思議にも現物が一枚も発見されていない。
私をはじめ、藩札マニアとしては大粒のダイヤに等しく、ツチノコを探す思いであるが、これはおそらく森家が退去した後の松平家がその藩札制度を引き継いで交換に応じたからであろう。

 赤穂藩浅野家の藩札も5枚しか現存しないといわれる。一枚は日本銀行に保管されており、その札につけられた価格は20,000,000円以上だとか。浅野家改易となる際、切腹した浅野内匠頭の弟、浅野大学が責任を持って両替するように家老の大石蔵之助等の重臣に書状で指示し6割交換を敢行した。交換されたものは当然廃棄されたため、現物は残らなかったのだ。つまり残っているものは、当時の「藩札マニア」か「記念に」と保管していたものということになる。・・・・まあおそらく後者であろう(笑)

我々の手元にある1万円札が、新しい6千円札と交換されるようで不満を覚えるが、藩が潰れれば紙屑となることを覚悟していた領民は、この温情に大感激したという。

この例を取ると、森家でも改易直後にこのような行動があったのかもしれない。
・・・・・とにかくこれらの「現存希少」という事実は津山森藩札も赤穂浅野藩札も信用度が高かったということを今も立派に証明してくれている。
<<立つ鳥跡を濁さず>>とは誠このことであろう
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