胡と漢(49)

テーマ:

モンケ死去の報を得た後、クビライが一旦南下を続け南宋の重要都市鄂州を攻撃したことは前述した。

南宋攻略作戦を陣頭指揮する君主が不在であるにもかかわらず、攻略作戦を続行する危険をなぜ冒したのか。

河南の地から南下せずに北へ戻ってしまったら、臆病風に吹かれて撤退したと見られてもしかたがなくなってしまう。

クビライが直接指揮していた部隊だけで北へ戻り、クリルタイに出席することになる。背景とする兵力は自分が直接率いていた部隊だけになる。

だが、一旦南征する姿勢を見せると、大きな政治的効果を得ることができる。

「我こそは先代のカン、モンケの遺志を継ぐ者だ」という主張を実際の行動で裏付けることができる。自らが次代の君主たるべきだという主張の実質的な裏付けを世に示すことができる。

しかも4箇所に分散した南征中の部隊を全て自らの元に糾合することができる。クリルタイに出席するときにこれは実力の裏づけとして重要だ。

南宋攻略作戦に参加していたのはクビライ部隊のほかに、

・モンケ直属部隊
・タガチャル部隊
・ウリヤンカダイ部隊(1252年から雲貴高原に遠征し続けていた)

があった。クビライはこれらを自陣営に引き込むことに成功した。

その上で、モンゴル高原南東の端、金蓮川草原まで戻り、そこで自陣営だけでクリルタイを開催した。このクリルタイで彼は次代のカンとして選出された。

一方、モンゴル高原中央部でもクリルタイが開催され、アリク・ブケがカンとして選出された。

内戦が始まった。

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胡と漢(48)

テーマ:

トルイの息子クビライには3人の男兄弟がいた。

長男 ・・・ モンケ
次男 ・・・ クビライ
三男 ・・・ フレグ
四男 ・・・ アリク・ブケ

前述したように、モンケは1259年に四川省で倒れた。モンケの息子はまだ幼かったので、次代の君主は残る3名のうちから選ばれるのが順当となる。

フレグはこのときシリアに遠征していた。後詰を残してモンゴル高原目指して引き返し始めていた。

末弟のアリク・ブケは東西の遠征に加わらずモンゴル高原に残っていた。彼はクリルタイを招集した。

これまでも述べて来たが、これは遊牧民政権にはよく見られるパターンだ。末弟が根拠地に残る傾向があるため、末弟に君主の位が相続されるケースが比較的多い。このときもそうなりかねなかった。

結果から言うと、クビライは最終的にアリク・ブケを排除しカンの位を奪取した。その過程を見ていこう。

クビライが奪権し帝国の支配機構を整備していく過程は、「中華が拡大し、その拡大した中華の首都として北京が定着していくプロセス」をもっとも典型的にあらわしているとmattは考えている。(註)

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註: 歴史上の人物(政治家)で尊敬できる人物を1人だけ挙げよ、と言われたら、mattはクビライを挙げる。日本を攻撃した人物であるにもかかわらずだ。

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胡と漢(47)

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モンケ死す、の報は現在の河南省南部まで南下し、淮河を渡ろうとしていたクビライに直ちに伝えられた。

モンゴル帝国全体が動揺しかねない事態だった。モンケ直轄部隊も動揺していた。タガチャル率いる別働隊も出動を見合わせていた。雲貴高原にはウリヤンカダイ率いる部隊も駐屯していた。

が、クビライは南下を続け、現在の武漢(註1)地域への攻略作戦を予定通り実施した。長江を渡河し、鄂州を攻撃した。

クビライ部隊の壮挙を見た他のモンゴル諸部隊はクビライ部隊に合流するべく鄂州を目指した。

クビライ部隊はモンゴル諸部隊を合流しつつ、鄂州近郊で南宋軍と小規模な戦闘を交えた後北上し、1260年中都(註2)に到達した。

同年、モンゴル高原ではモンケやクビライの弟(末弟)アリク・ブケが君主を選ぶ大集会「クリルタイ」を召集しつつあった。

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註1: 武漢市は長江に漢水が合流する地点に所在する都市。合流地点の南側は「武昌」、北側は「漢口」、西側は「漢陽」、それぞれの地区名がある。これらの地区名はかつての都市名にちなんでいる。当時攻略の対象だったのは長江の南岸にあった鄂州で、武昌地区に相当する。

註2: 現在の北京南西郊に金代の首都中都があった。

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金属不足

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FT.com 11月18日付購読者用記事
http://news.ft.com/cms/s/4b4bebfe-586d-11da-90dd-0000779e2340.html

mattは現在

・通貨市場
・国内株式市場
・国内商品市場

で運用している。

当然、中国の商品需要の増大にも関心を持っている。商品市場ほど直接的ではないが株式市場にも影響があり、銅関連銘柄を持っているが今のところ調子が良い。

メディアでは原油や金の価格上昇の方が取り上げられやすいが、銅の価格上昇もすさまじい。

そこへ、中国政府所属の銅トレーダーが行方不明になっているニュースが、先々週からFTに載るようになった。

「国家備蓄局」なる戦略備蓄を担当する役所があり、そこの輸出入部門に所属している人物が、銅先物を売りっぱなしにしたまま消息不明になっているという。

今のところ、

・国家備蓄局がそのトレーダーを雇っていたこと
・銅先物を売りっぱなしにしていること

は本当らしい。中国当局も認めている。

記事によると、去年の5月から売り始めているらしい。去年の5月からならかなりの含み損。

問題は、12月の限月らしいのだが(12月21日が期日)、その期日までに買戻しを中国政府が履行するかどうかだ。

多分買い戻すだろう。中国人は面子にうるさいから、London Metal Exchange への出入り禁止になるようなことはそう簡単にはすまい。

もう一つの手は銅の地金をLMEの指定倉庫へ納入することだが、少なくとも100,000t分あるらしいので、現物納入の可能性は低いと思う。

そもそもそんなに中国政府に在庫がある可能性は低いと思うが、仮にあるとして、そんなに大量に国外に資源を出してしまうとは考えにくい。何のために備蓄しているのか分からなくなってしまう。万が一の戦争用の備蓄というのが出発点だから、ある程度は国防用に持っておかなければならない。それに、大量に国外に現物を持ち出したら、中国国内民間在庫量にもよるが、国内で急激に値上がりしてしまうと思う。

外貨準備はたくさんあるから、ブツを輸出するより金を払う方を選ぶと思う。

電線やマンホールの蓋など、公共の金属製品が街中で盗まれる事件がしばしば起こっていると報道されている。中国国内の金属不足に拍車をかけたくなければ、買い戻すしかないだろう。

胡と漢(46)

テーマ:

クビライは君主たる兄モンケの命を受け、1253年に南征した。現在の四川西部の高原地帯を通過し、雲南・貴州方面を攻撃した。

攻撃は成功し、在地の非漢人系政権の首都大理を制圧した。ここで、クビライは後詰を副将ウリヤンカダイに任せ、自身は北還し金蓮川に戻った。

君主モンケはクビライのこの態度に不満を持ち、クビライを担当から外した上で、自身が乗り込んで全面的な南宋攻撃を開始した。1257年。

南宋攻撃にあたって、モンケは2正面作戦を行った。

・陝西 ⇒ 四川 と南下するルートをモンケ自らが進軍する
・河南(開封) ⇒ 安徽西部 ⇒ 湖北 と南下するルートをタガチャル軍が率いる(註1)

しかし、南進したタガチャル軍は湖北省北部の交通の要衝、襄陽を攻撃している途中で撤退した。(註2)

モンケはクビライを再起用して、再度南宋攻略作戦を開始した。今度はタガチャルにとらせたルートより東側の

・河南(開封) ⇒ 安徽西部(汝南) ⇒ 湖北東部(武漢) と南下するルート

をクビライにとらせようとした。

このルートは前回「胡と漢(45)」の註3で説明した「人口の空白地帯」を強行突破するルートだった。

一方モンケは陝西を通って四川へと入った。

1259年の四川入り後、モンケが突然病死した。(註3)

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註1: タガチャルはチンギス・カンの弟オッチギンの孫。マンチュリア西部~モンゴル高原東部を牧地とする集団を統括していた。このオッチギンの血脈は清代までこの地域の有力者として続く。清朝軍「八旗」にも「蒙古八旗」として組み入れられている。

註2: 撤退の理由は「秋の長雨」以上のことはよく分かっていない。

註3: 伝染病が陣中で流行したことが分かっているので、何らかの伝染病に感染したことはほぼ間違いないが、何病かは分かっていない。ペストだという説があり、東アジアからユーラシアを横断してヨーロッパまでペストが拡がったという見方もあるが、はっきりしない。

The Franco-German Axis (8)

Angela は連立協定を成立させることにとりあえず成功した。


FT.com 11月11日付記事 "German coalition parties reach budget accord"
http://news.ft.com/cms/s/76902744-52e1-11da-8d05-0000779e2340.html

FT.com 11月12日付記事 "Agreement on budget clears way for Merkel"
http://news.ft.com/cms/s/91e375d4-5320-11da-8d05-0000779e2340.html

[要旨]

① 2007年中に財政赤字を対GDP比3%以下に抑え込む(350億ユーロ以下にする)

② 2007年1月から付加価値税を増税(16%⇒19%)

③ 付加価値税増税分の3分の2を財政赤字削減に充当

④ 付加価値税増税分の3分の1を、労働者階層の所得税減税に充当

⑤ 高所得階層に対する所得税率の増加(3%上げ)

⑥ 雇用開始後の最初の2年間は、労働者を解雇しやすくする


⑤はCDUがSPDに、⑥はSPDがCDUに、それぞれ譲歩したものらしい。バーター取引だ。

なるほどね。こういうものなんだね。連立政権って。"Consensus model" と Ljiphart が呼ぶのも一理ある。

先週1週間は、それ以前に比べて、政党間の話し合いの内容が漏れにくくなり、憶測記事の量が減っていたと実感している。

こういう取引は、表沙汰にはしにくい。あからさまに見せたら、左右両勢力の「熱烈な支持者層」が反発してしまうだろう。

①はEUで前から言われている協約に基づく目標で、総論では誰も反対できないだろう。ECBはもちろん実行を迫ってくるし。

問題は、こういった目標に向けて各国政府が実行するにあたり、各国政府に対する汎欧州的強制力が存在しないことだ。ECBはただ勧告するにすぎない。

こういう制度では、「赤字を垂れ流した者が得をし、正直者が馬鹿を見る」ことになりかねない。

それに、まだ連立協定が成立しただけのことだ。11月22日に Merkel 内閣が発足しても、その後議会で立法化できるかどうかはまだ分からない。これからだ。

まだまだ観察を続けなければならない。

リンク先

「国際派時事コラム・商社マンに技あり!」

ここの管理人の方は mattmicky は及びもつかぬほど中国経験が豊富なようです。本を書いてらっしゃいますし、メールマガジンも書かれているようです。

それから、管理人の方が「mattmicky のブログは字が小さすぎて読めない」とおっしゃっています。もしご存知の方がいらしたら、どうやったら字を大きく表示できるか、教えていただけませんでしょうか。

胡と漢(45)

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モンゴル高原の南東端に位置する金蓮川草原に本営を構えたクビライ(註1)には、周囲に姻戚関係を結んだ遊牧集団がいくつも協力者として存在していた。彼らを組織しつつ、契丹系・女真系等の集団を配下に引き込み、また兵站要員にはイラン系イスラム教徒まで含め、陣容を強化していった。

経略すべき対象は、南宋と後理国・鬼氏羅国(註2)。主な対象は何といっても南宋だった。

人口は公称2800万。当時世界で最も経済的に繁栄していたと考えられる社会だ。

南宋を攻めるには、長江という天然の防壁を越えなければならない。騎馬部隊を基幹とするモンゴル軍団は河川の戦いは得意ではない。

しかも、当時の淮河近辺は「人口の空白地帯」と化しており(註3)、行軍にあたって補給を期待できないという困難が待ち構えていた。

クビライは長期戦を前提として作戦を計画し始めた。

当時すでにモンゴル政権に華北地域はなびいていた。支配を確実にするため、華北在地有力者を金蓮川幕府に呼び、また金蓮川幕府からスタッフを華北の要地に送り込んだ。

さらに淮河流域(江蘇省北部~安徽省)と漢水流域(湖北省北部)に、漢人軍閥のうち比較的モンゴルへなびいている勢力を派遣した。

ここまでしたところでクビライはモンゴル高原にいた君主たる兄モンケに会いに行き、1252年雲南方面への攻撃命令を受けた。

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註1: 以後「金蓮川幕府」と呼ぶことにする。

註2: 後理国は現在の雲南省、鬼氏羅国は現在の貴州省付近に位置した国。非漢族が多い社会だったようだ。

註3: 現在の江蘇省北部、安徽省が該当する。北宋代末期~金代頃の度重なる戦乱で人口が激減し荒れ放題になっていたらしい。こういうところにもシナ社会の「動乱リスク」の大きさの実例を見ることができる。

The Franco-German Axis (7)

FT.com 11月3日付記事 "Merkel reassures business of her reform credentials"
http://news.ft.com/cms/s/1c0fbb60-4c90-11da-89df-0000779e2340.html

・SPD党首 Muntefering は党首の座を降りるが、Merkel 内閣に入閣(副首相兼社会労働大臣)するとのこと。

・CSU党首 Stoiber は Merkel 内閣に入閣しないとのこと。

・SPD次期党首は、候補と目された Nahles が辞退したとのこと。

というわけで、組閣が完了する前からすでに重要人物に異動がおこってしまったことになるし、連立を組む相手のSPD内部は流動的になっているらしい。

誰がどこでどういう利害のやり取りをしているのかまだよく分からない。連立協約が成立して組閣が完了するか、あるいは議会内少数派のCDUが単独で組閣するか、どちらかになると思うが、それが終わった後で「どういうやり取りがなされたか」少しづつ分かってくるだろうと思う。

可能性としては、まだ前者の方が高いと思う。

The Franco-German Axis (6)

FT.com 10月31日付記事 "Resignation weakens German coalition plan"
http://news.ft.com/cms/s/a94e9c90-4a46-11da-b8b1-0000779e2340.html

SPD党首 Franz Muntefering は次期連立内閣の社会保障大臣副首相&労働社会大臣と予定されていたが、突然党首辞任と次期入閣取りやめを発表した。

こういう突然の動きを見ると、Ljiphardt の説が信憑性を帯びて見えてくる。「比例代表制は密室政治による妥協プロセスを必要とする社会の産物」ということだ。

SPDとして譲歩したくない何かについての譲歩を Angela に要求されていたか? 何かあるのだろうが、外からは詳しくはまだ分からない。

それでもまだ、期限まで「あと12日も」ある。Euroland の権力者三名(※)の一を決める勝負は、まだまだこれからだ。

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※ 実質二名なのかもしれないが。