いや~、


最近めっきり覚えていない事が多くなった大野さんです。


なんか最近もなにか覚えていない事があうような気がするな~

何かな~ と気になっていて 気付きました。

ブログの続き書いていない。


そうだ、ブログ書こう!

(そうだ、熱海へ行こう 的な)

 

覚えられない = 老化のはじまり。


あ~、おもえば自分も年をとったものだ。

(おもえば遠くへ来たもんだ的なね)

 

振りむけば今治。 ころんで大三島。

駈け出せば伯方。 下向いて多々羅大橋。 振りむけば来島海峡。 

(これ、海援隊さんの 「こらえちゃっときない」歌詞参照)

 


数か月前ですかね、武田さんが朝のラジオ
「今朝の三枚おろし」でこう仰っていましたね。

 

曰く、

「人の病気を治す一番の良薬は 人との会話なんだ」

 

 

 

ゴ、ゴホン!

(話題を変える咳払い)

 

 

 

と、まぁ ここまで
ほぼ前回と同じ文章なのですがお気づきでしょうか?

 

「忘れる」「覚えていない」ということの表現を
似たような文章で もう一度書き始めることで表してみたわけですが

その方法は「コピー&ペースト」という実に便利な手法を用いています。

 

あぁ、これなんだな~。と そう思うわけです。

 

「文字、文章書く」と「キーボードで入力」「フリックで入力」の違い。

 

別の例えを出すと

「本を読む」と「ネットやスマホ(スマフォ?)で文章を見る」の違い。

「ダイヤル回して電話する」と「ライン電話」の違い。

「地図を開いて探す」と「ヤホーやゴーグルマップで場所検索する」の違い。

「ウィンドウショッピング」と「ネットサーフィン」の違い。

 

全て同じような行動をしているようで 実は全然違う行動をしている。

 

そして これらは

「アナログ」と「デジタル」と言い換えられるのかもしれない。

「非効率」と「効率」と言い換えられるのかもしれない。


田舎出身の僕としては、
田舎暮らしと都会暮らしの違いと言えるかもしれない。

 

いまは そういう時代、世の中になっちゃった。

 

小さい頃、テレビで見ていた「ドラえもん」

便利な まるで夢の様な道具を次々とだしてくれる存在が
実際のアニメの設定のとおり 22世紀になる頃には
本当に 世の中にそれらの機械がすべて揃っていてもおかしくない。

いや、揃っているであろう、ほとんど。

(倒置法)


僕は、勝手に こう思っているんですね。

 

アニメ「ドラえもん」は そういう22世紀にいる人たちが
このままではいけないんじゃないか?と世の中を憂いて
先人たちになにかしらの方法を用いて それを伝えたい!

 

その方法として ドラえもんを送り込み
のび太くんという企画的に抜群なモデルであるフィルターを利用して

便利な道具も使い方や 目的を間違うと大変な目に合うんだよ。
ということを 子供の頃からアニメを通じて伝えていこうではないか

、と。

 

そんな のび太くんを 笑ってみているんだけれど

自分がのび太君と同じ様な行動を日常しているんじゃないか

という事にいつか気付いてほしいんだ

、と。

(これも 長文の倒置法)


不便よりは そりゃ~便利な方が良いんだけれど
それって 当然に良いことなのか?

「バリアフリー」で 障害となるものが無いことが
便利で暮らしやすくて人のために本当になっているのか?

そんな事を考えているんですね。


「忘れる」 と 「覚えられない」 は同義語である。

そして、「思い出す」 という行為も 場合により同義語

 

「忘れる」 ≒ 「覚えられない」 ≒ 「思い出す」

(ニアリーイコール つまり 近似値 ってことね)

 

という図式が描けるのではないだろうか?
とそう思うわけです。

 

 

 

で、ここまで話を展開させて
一体大野さんはなにが言いたいのかと言うと

 

「忘れる」事が多くなったという最近の事象は
年齢もおおいに理由の一つではあるのだけれど

いろんな世の中の便利なものに日常頼りすぎてしまっていて

「覚える力」「思い出す力」といった本来備わっている能力が
「必要ない」とサボる事を覚えて 退化してしまっているんだろうな。
と思っていたんです。

 

それが僕の考えでした。


でも、それが 実はそうでもない事に気付かされる出来事が
つい最近あったんです。

 

その出来事とは一体なにか・・・・・

 

 

 

 

 

と勿体ぶったような物言いをしていますが
どうせ 次回に引っ張るんだから ということが決まっているので
もう少し この話を掘り下げて。

 

 

ま、つまり

 

いつでもネット検索したり連絡できたりするわけです。


約束を事前にしていなくても、いつでも連絡つくから会えるんです。

覚えていなくても 検索かけて 確認できるんです。

思い出せなくても 検索かけたら ヒントや答えが出て来るんです。

文字を書かなくても コピー&ペーストで いつでも文章作成できます。

だから 必要じゃなくなっているんですね。

覚えたりする事が。

(倒置法 いったい何回使うんだこのブログは)


それでも良いという世の中になっている。なってしまっている。
便利になりすぎている?

 

だからネットにかなりな部分依存する。
ネットには常に質問に対する答えが探せば出てくると思ってしまう。
ネットに出ている情報は常に正しくて新しいんだと錯覚もしてしまう。
「早い」「安い」「便利」とくれば利用しない方が少数。

 


ま、僕も こうやって ブログ
(ブログってウェブログの略だから簡単に更新できるツールの意)

という便利なシステムを利用させていただき
こんな事を書いたりしているわけですから
ネットを批判するようなことを書くのは正しくない気もするんですが

 

ある意味、世の中というよりも
自分自身に向かって言っている、言い聞かせているようなところがあります。

 

便利なものばかりに頼ってしまているから無意識のうちに

自分には「眠らせている能力」があるんじゃないか?

 

分かりますかね?

純情な感情が空回りして3分の1も伝わらない。ような気もする。

 

あれ? ・・・・・どっかで聞いたような台詞だな

 

 

「あれ・・・なんかの曲だったっけ?」

「誰が歌っていたっけ?」

「なんか金髪のボーカルだったよね」

「けっこうハイトーーンのボーカルだった気がする」

「あの歌詞 どんな内容だったっけ?」

「早口でまくしたてる系のさ」

「なんかのアニメの主題歌だったっけ?」

「スラダンのエンディングじゃなかった?」

的なね。

 


ま、

ヤホーさんかゴーグルさんで検索してみてください。

 


って 答えは

SIAM SHADEさんの「3分の1の純情な感情」って曲ですけどね。

「スラムダンク」ではなく「るろうに剣心」のエンディングテーマでしたね。

 

 

 

ゴ、ゴホン!

(話題を戻す咳払い)

 

 

 

記憶力の低下で 同じような話を延々としておりますが
便利なものに頼りすぎてしまうと忘れてしまうことが多くなり

「覚えたり」「思い出す」力が低下してしまうのではないか?

 

そして、こうなんていうか「勘」というものが鈍ってしまい
ひいては 「考える力」 までもが 弱っていくのではないだろうか?

という事を思ってしまったんですね。

 


ハードルは 高ければ高いほど 良いものではないのだろうけれど
ハードルが無ければ最高 っていうのはちょっと違う、と。

 

ま~、そんなところです。

 

 

で、

 

で、

ここまで話を再び引っ張ってきて
一体大野さんはなにが言いたかたのか?

 

 

「忘れる」事が多くなったという事は年齢も理由の一つだけれど

世の中の便利さに慣れてしまい「覚える力」「思い出す力」といった能力が
「必要ない」とサボり退化してしまっているんだろうな。

 

・・・と思っていたら

 

実はそうでもない事に気付かされる出来事がつい最近あったという事。

 

 

 

その出来事とは一体なにか・・・・・

 

 


あ~、我ながら長い。

 

最近 ちょっと自分も自覚しはじめてきた、自分の文章が長いことに。

(え?今更? で倒置法)

 

 


そして、とっても便利な コピー&ペースト 使いすぎ。

 

多分、その機能がなかったら
僕のブログは 3分の1 くらいのサイズになってるはず!

 

 

 

3分の1・・・・・ どこかで聞いたような?

 

 

 

ゴ、ゴホン!

(話題を戻す咳払いを 再び コピー&ペーストで)

 

 

 

ま、

これよりは次回に持ち越します。
最初からその予定だったのでね。

 

忘れないように記しておくと

 

テーマは

「覚える力」「思い出す力」「勘」「考える力」などは
退化していくのかもしれないけれど実は眠っているだけなのではないか?
についてです。

 

そして、もう一つ


「どこでもドア」欲しいよね。

の二本立てでお送りしようと思います。

 

 

覚えていれば・・・ですけどね

(なんじゃそりゃ)

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