百合の香り、切り花のかなしい均衡2






松尾真由美  詩のことばと言(コト)の葉と




二人は仲の良い姉弟のように見えます。もちろん、初対面のわたしは彼らの話題についていけません。二人は、あれはこうだ、これはこうだ、とけんか腰になるくらいまで強く意見を主張し合っているのにもかかわらず、どこか他人事のような無関心さも漂わせています。たぶん、私が考える真剣さというものが欠けているのです。アルコールがつくる雰囲気のためでしょうか、二人とも飲む勢いは変わらず、白ワインのボトルも空になりそうです。話しながら、青年の目はまたワインセラーに向かっています。翔子さんも「わたしはアルコールという水分と晴れた日が好き」といって、新しいワインを取りだします。彼らはわたしにもワインを勧めて、「おとなしいね」と口ぐちに言い合い、そのことでわたしが邪魔にならないことを気に入っているみたいでした。二人ともとてもきれいな容姿です。顔の彫りが深く、手足はほそく長い。青年からもいい匂いがしてきます。アルコールとその香りで、この部屋で起こることすべてが浮きあがってくる感じがします。シャガールの恋人たちは、きっと、愛のために中空に浮いているのでしょう。でも、ここには愛ではなく、何かもっと希薄で漠然としたものに覆われて、全体が浮遊している、そんな感覚を持ちました。責任を持たない大人の会話と態度があるのだと思います。学生のわたしも似たようなものかもしれませんが、仕事をしていないことは根がないことと同じでした。切り花のように美しい二人はアルコールという水分を吸って生きているみたいです。





松尾真由美  詩のことばと言(コト)の葉と






 「酔ったから帰る」と青年は突然言いだして、部屋を出て行きました。翔子さんはソファに座ったままワインを飲んでいます。まるで彼がいなかったかのように好きな音楽の話をし始めて止まりません。彼女の熱心な口ぶりにわたしは頷くことしかできませんでした。また、ワインのボトルを出します。シャンパンから数えると5本目のワインです。今度は赤。翔子さんのグラスを持つ指もほそく長く、きれいです。グラスに入ったワインの濃い赤色も彼女にとても似合っています。でも、わたしには、初めてすれ違ったときの翔子さんの印象は消えていました。柔らかな髪そのままに彼女の物腰は柔らかいものでしたが、今のわたしの目にうつる翔子さんはあこがれの対象にはなりません。それを察してか、酔いが回ってきたのか、わたしを離すまいとして彼女は話し続けているみたいに思えます。話しながらワインを飲み、グラスに注ぎ、ワインを飲み、グラスに注ぐ。半永久的にその動作は続くかに見えました。相変わらず、彼女からはいい香りが漂ってきます。でも、止まらない動作から照らし出されてくるものに、何もしないでいい立場にあったことで、何もできない自分になったことを高級ワインの酔いでごまかし、大事なことを回避しいている日々を感じさせます。次第に饒舌さを増していくのは彼女が寂しいからではないでしょうか? 強い香りが強い孤独感に通じていきます。けれど、翔子さんは自分を孤独だと思っていない。楽しんでいるようでいて、哀しい酔いの円環がわたしたちの周りをぐるぐると回っているようでした。そして、急にうつむいて彼女は死んだように眠りこんでしまいました。






松尾真由美  詩のことばと言(コト)の葉と



 



 わたしは翔子さんの目が覚めてくれるのを待っていました。でも、なかなか起きてくれそうもないので、彼女に近づき、身体を揺さぶりました。「ううん」といって彼女は顔を上げます。いい香りが強烈にわたしを覆ってきます。目の前にきれいな翔子さんの顔がありました。彼女の口の端から赤ワインがこぼれています。「えっ」と私は小さく声を上げてしまったようです。見てはいけないひどいものを見てしまった気がします。そして、恐くもありました。口から血を垂らしているようにも見えたからです。でも、渇いたワインが口元にこびりついているだけなのでした。それが余計になまなましい嫌悪感を駆り立てます。あこがれも何もかもどこかに飛んで、わたしは挨拶もせず、逃げ出すようにその家から飛び出しました。

 外は強い風が吹いていました。四角い小さな公園の木々がざわざわと揺れています。夜の音が激しく耳たぶを掠めていって、わたしはその公園の真ん中を走り抜け、もと来た道に戻りました。







松尾真由美  詩のことばと言(コト)の葉と






 あれから、わたしは翔子さんにも青年にも会っていません。学校を卒業し、すでに社会人になって働いているわたしは、忙しい日々の中で、翔子さんと出会ったことも、あの家で起こったことも遠い出来事になっています。でも、ひとつだけ、翔子さんが放っていたいい匂いにはいまだに惹きつけられています。逆にいえば、その香りが彼らを忘れさせません。彼らの常軌を逸した美しさが思い出されます。日常から贅沢に外れているという外見でありながら、姉弟のようなあの二人は日常から締め出されていただけかもしれません。きれいな花は見る者を喜ばせはしますが、無力なものです。地に根を張る植物に浮遊感はありません。人間よりもたくましく生きる術を心得ている感じがします。だけど、切り花は違います。無を内包しています。切り取られて移されたものに意志などはないでしょう。どことなく漂っていた無関心さや無責任さは、生きる術を切断された植物のように、注目されることだけを願う花のか弱さだったのではないでしょうか。高級ワインをあおり続け、アルコールという水分を吸収して、自分たちが生きていると錯覚している切り花の美しさと物悲しさを、気づかぬうちに彼らは体現していたのだと今は思っています。






                           了




           写真 森美千代  散文 松尾真由美