• 27 Jun
    • ドラクエ王国

      こんばんは、ともすけです。     うちにドラクエのモンスターたちがやってきました。 トミちゃんにいただきました。 既に僕とトミちゃんはできている・・・いや、それはブロガーの方々の想像にお任せしましょう。     僕の部屋に散らばっていったモンスターたちを見てみましょう。       テレビ台の上になにやらキング級のスライム発見! しかし、うまくできてるな~。王冠とかどうやってつくったんやろ・・・。 ピンクのマダムっぽいスライムもいかす!         右はキングスライムですね。左の方は・・・王であることは間違いありますまい! 僕のテレビはスライム王たちに占拠された!         この画面のなかにスライムがいます。 気づかれないと思いますが。スライムベス!!         砂漠のようなところを更新するホイミスライムたち。それを見守るスライムたち。 列を乱すな~進め!         おや!?なにやら高みからこちらを見下ろす影が!! なにものだ!!?         タ、タホドラキー!!!! そんなところにいたのか!?           さあ、みんなで踊ろうぜ! いいな~いいな~スライム~っていいな! おい!ドラキーも混ざってるぞ!         後ろから見守る、はぐれメタルとバブリン。 みんな楽しそうだね。         実は後ろで隠れてるミニスライムくんもいます。     これがスライムとドラキーたちの仮の住処だ! 近々ジオラマ化する予定です。 うちの猫に襲われること確実ですが・・・。         トミちゃん、ありがとう。 こんなに嬉しいことはない・・・僕にはまだ帰れる場所があるんだ・・・。     こんなにつくってくれて嬉しいです。これだけつくるのにどれだけの労力がいったか・・・。 ふっ、それも僕への愛が深かったからのこと。愛とは罪なものだ・・・。 嘘!嘘!嬉しいな~トミちゃんアリガトウ! 手紙、とっても嬉しかったよ。 あんな情熱的な手紙をもらうとは・・・この手紙の衝撃は昔、湯川秀樹先生の手紙を読んで以来のこと! ちなみにトミちゃんとは永遠の愛を誓いました(信じるかどうかは自由です)。     以上、ドラクエ王国のお話でした。  

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  • 20 Jun
    • 日本の仏教文化について

      こんばんは、ともすけです。 日本に仏教が伝来してどのように受け入れられていったかについて書きたいと思います。 高校レベルの日本史で習っていると思うので今更感はあるかもしれませんが、別に書いている『平家物語』と関連があるものなので、確認ということで書かせてもらいます。     寺を見ていきたいと思います。 学校でならったあの伽藍配置から見ていくと、 まず蘇我氏の飛鳥寺、聖徳太子の建てた四天王寺、法隆寺まで。 飛鳥寺、四天王寺は卒塔婆中心に配置されていますが、法隆寺で金堂と対等になっています。これはとても興味深いですね。 そして天武天皇が建てた薬師寺に至っては、卒塔婆は脇役となっています。聖武天皇の東大寺では外に追いやられているようにも見えます。 ここに仏教に対する考え方の移り変わりを見ることができるように思います。     聖徳太子の時代は日本で仏教を熟知している人はおそらく聖徳太子一人だったでしょう。少なくとも聖武天皇の時代でも、なにかよくわからぬが国を治めるために・・・的な雰囲気を残していた気がします。ちなみに金堂は仏像があるわけですが、卒塔婆には釈迦の骨(仏舎利)があります。天武天皇はお釈迦様よりも薬師如来のご加護がほしかった、と考えると薬師寺の伽藍配置もなるほどそうなのだなと思います。薬師寺の三重塔はフェノロサをして「凍れる音楽」と言わしめていますね。卒塔婆が軽んじられていたわけではない気がします。     聖武天皇は鎮護国家思想の持ち主・・・まあ仏教を利用して国を収めようとした人です。国分寺、国分尼寺をつくって国中に仏教を広めた人ということは確かでしょう。この時代は東大寺大仏開眼供養会などの大きなイベントがあったり、中国のスーパースター鑑真が日本に来てくれたりして、日本の仏教にとっては輝かしい時代だったと言えるでしょう。南都六宗で学問的に仏教が研究されたりもしています。奈良は大仏教パーティーだったでしょう(意味不明)。     鑑真について少し書くと、鑑真は戒律を日本に伝えました。東大寺に戒壇院を建立しています。天下三戒壇のひとつです。ここで授戒しなければ正式な僧ではないのです。なにげに聖武天皇が授戒第1号だったようです。鑑真は唐招提寺で没します。鑑真は今で言うとどうなんでしょう、サッカーで言えばメッシが日本の小学生のサッカークラブに招かれてプレイするみたいな感じだったんじゃないでしょうか。鑑真なくしては日本に正しい仏教が普及するのはさらにさらに時間がいったでしょう。     奈良の大仏教パーティーが続きますが、寺をつくったり仏像をつくったりでお金を浪費していきます。さらに僧の政治力が強くなり自分が政治の実権を握ろうと考える人が現れます。代表的な人物が道鏡ですね。道鏡は自分が天皇になろうとするというとんでもない僧でした。スキャンダラスなものを含んでいるようですが、それだけ仏教というものの影響が強かったということです。     あまりにも熱狂した奈良の大仏教パーティーから逃れるべく、京都へと遷都することになります。ここから京都で新仏教が現れてくるわけです。それは次回に。

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  • 16 Jun
    • 『平家物語』 その3

      こんばんは、ともすけです。 『平家物語』 その3です。 この『平家物語』は平安末期の平家六代の話ですが、歴史を知らなくても楽しむことができます。また、高校レベルの歴史、古文の素養があれば十分その文化的深みまで味わうことができると思います。要するに日本の文化に触れていれば誰でも楽しむことができるものです。     平家物語〈1〉 (岩波文庫)   Amazon     冒頭。 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。紗羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」     このフレーズ、『らんま1/2』の九能帯刀という登場人物を思い起こさせます。彼には祇園精舎の鐘の声が聞こえていたのだろうか・・・ポーズだとは思いますが・・・。     「祇園精舎」とは古代インドのコーサラ国の大きな寺の名前です。そこに無常堂というものがあることを覚えておきましょう。無常堂は坊主が死を待つときの建物です。無常堂の四隅には玻璃の鐘があります。その鐘が鳴っているわけです。ではなぜ「鐘の音」ではなく「鐘の声」なのか。   「諸行無常  是生滅法  生滅滅巳  寂滅為楽」(雪山偈)   おそらく祇園精舎の鐘の音が声のように響いてきたのでしょう。僕たち日本人には馴染み深い自然観、輪廻転生の思想というものが現れています。この当時流行った浄土思想は念仏を唱えることにより阿弥陀如来に極楽浄土へ導いてもらえるというものでした。     沙羅双樹というのは釈迦が亡くなるときに横たわったときに東西南北の隅に生えていた樹の名前です。釈迦が亡くなると成長し、北と南、東と西が1本になり、釈迦の上で葉を茂らせ花を一気に咲かせたといいます。     ここまでで「白」のイメージが伝わってきます。祇園精舎の鐘は白銀です。雪山偈の雪山はヒマラヤです。そして沙羅の樹は白い花を咲かせます。釈迦の死を沙羅双樹の白い花で表してもいます。釈迦は2月15日に亡くなりましたが、季節的に白い花を咲かせない沙羅の樹が咲かせたということには奇跡の意味もあります。これは一見すると死を白のイメージで表しているようにも取れますが、これは「無常」を白のイメージで表しているととるべきでしょう。     続く。

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  • 21 May
    • F+f

      こんばんは、ともすけです。 夏目漱石から考えたことを書いてみたいと思います。決して『平家物語』をやめたわけではありません!書きたいことはまだあります。義経の情報収集力の高さ、まさに孫子の兵法、戦う前に勝つという・・・それは次回以降に。  漱石に『文学論』という本があります。  文学論 (上) (岩波文庫) Amazon  そこに「文学的内容の形式」が示されています。 F+f Fとは焦点的印象、または観念。fはこれに付着する要素。言い直すと、F=認識的要素f=情緒的要素です。 これを僕たちの日常の「経験」に当てはめると3種類に大別できるとあります。(1)Fあってfがない場合。(2)Fに伴ってfが生ずる場合。(3)fのみ存在してFがない場合。 漱石は経験論的なものの見方をしているような気がします。詳しくはわからないので次に。  (1)は数学的あるいは科学的描写。写実的描写はここに当てはまるのかなと。(2)は(1)の描写からf(情緒)が喚起されるもの。まあいろいろありますよね。もしかすると1番オーソドックスであり難しいところかもしれません。(3)は心理描写。こうはっきり言ってしまうと違うかもしれませんが分類するならここでしょう。あと会話文なんかは概ね(2)に入るのでしょうか。 漱石は『文学論』でShelleyの「A Lament」を(3)の例として出しています。”Out of the day and nightA joy has taken flight;Fresh spring, and summer, and winter hoar,Move my faint heart with grief, but with delightNo more---Oh, never more!” ロマン派っぽい詩ですがこの詩には具体的な情景描写はありません。心理描写だけではないので違うだろと思う方もいると思いますがこの詩がすべて概念と心理的要素だけでできているというところは納得していただけると思います。  アニメの歌なんかを聴いていると(3)の例はよくあるように思います。例えばテレビアニメ『3月のライオン』のED曲「ファイター」。たぶん歌詞を書いてはいけないと思うので書きませんがEDアニメのYouTubeのリンクを貼っておきます。    歌詞を読んでいただければわかると思いますがすべて概念と心理で構成されています。こういったタイプの歌詞はアニメの絵との相性がとてもよいと思います。歌詞で描かれなかった部分をアニメの絵が補完してくれる、そんな気がします。このED曲には、 「『深淵』をまえにして、いたずらにそれにおののくのではなく、その「深淵」の上に橋を架けることを考えるべきだ。」 とヴァレリーがパスカルを評して言った言葉がよく当てはまるように思います。なにかを乗り越えようとしている少年の心理を絵が補完してくれている。曲としての完成度はわかりませんが絵との相性のよさは秀でていると言えるでしょう。  (1)と(2)が合わさった(F+f)の形式というものを漱石は想定しています。それがどのようなものかを言うことは難しいですが、例えば宇多田ヒカルの「花束を君に」。この歌は朝ドラの主題歌になっていますが(F+f)に近いのではないかと思います。歌詞を書かないとどうしても説明できないのでちょっとだけ書きます。 「普段からメイクしない君が薄化粧した朝始まりと終わりの狭間で忘れぬ約束した 花束を君に贈ろう愛おしい人愛おしい人・・・」     最初の1行が(2)。異議もあるでしょうが歌詞という性質を考えると映像をつくるなら歌詞の方が主導権を握ると考えて納得してください。2、3行目が(1)。加えるなら4、5行目が(3)。無理やり感はあるかもしれませんが概ね(F+f)形式というものがどういうものかを感じ取ってもらえるのではないでしょうか。  文章を書いて伝えるということはとても難しいことだと思います。漱石の『文学論』は100年以上前のもので古びていると思われる方もいらっしゃると思いますが、ものごとというものは常に先端がいいというものではないと僕は考えています。その時代時代の最高知性が命を賭して書いたものはやはり素晴らしいものになっている、そう僕は思います。  文章を書くときに書き手はなにかを伝えようとします。僕もこの文章を書くときになにかを伝えようとしています。哲学で真理とは何かという問いがあります。僕はこの文章で真理を書かなくてはならないと要請されていると無意識に感じています。それがどのような形をとるかは別としてです。文学でも形式と内容のどちらを重視するかという問題があります。ここ数年のヒット作の傾向を見ているとやや形式に流れている気がします。  去年の邦画最大のヒット作だった『君の名は。』は形式的な完全さを求めた作品だったような気がします。観客はその内容、意味することには関心を向ける必要はなくその物語の形式を楽しんでいた、僕は1回だけしか観ていないのですがそのなかの1人です。(余談ですが真理論には整合説と対応説というものがあり、このような見方は整合説に近いと思います。このような見方は真理の源を認識主観におきます。)  「君の名は。」Blu-rayスタンダード・エディション(早期購入特典:特製フィルムしおり付き)5,184円Amazon  内容の方を重視する作品というのはほとんど見かけなかったというか僕がボンクラだったからかもしれませんがおそらく時代の要請がないのかそれを許さない状況があるのではないかと思います。強い信念とそれに対応する事実の結びつきが内容をより強くするのだろうと思うのですが、そのような作品は重い作品となり敬遠されてしまうのかもしれません。(また余談ですがこちらは対応説に近いと思います。経験論はこちらをルーツとすると言えるので『文学論』を書いた当時の漱石はこちらの考えをベースに作品を書いたのかもしれません。)  ここまで読んでくださった方は、結局なにが言いたかったのだと思われる気がしますが僕は何かを伝えたいと思っているのだと思います。それを確信しているのに表現することができない。だから書き続けているのでしょう。また尻切れトンボになってしまいましたがこの阿呆みたいな文章を読んでくださった方、ありがとうございます。

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  • 16 May
    • 『平家物語』 その2

      こんばんは、ともすけです。 『平家物語』 その2です。     平家物語 (岩波文庫 全4冊セット)   Amazon     『平家物語』は院政期から平家滅亡を書いた作品です。上では岩波文庫の本のリンクを貼っていますが、『平家物語』は幾種類もあります。大きく分けると読み本系と語り本系があります。岩波文庫は語り本系の覚一という人が書いたもので、覚一本と呼ばれるものをもとにしています。語り本系と読み本系の違いは前者より後者は源氏について詳しく書かれていることのようです。語り本系は「語り」ですから聞いて楽しむことを優先した部分もあるのではないかとも思います。具体的に中身がどう違うかについてはこの記事が長続きしたら書くことにして・・・。     『平家物語』は作者未詳ですが、なんとなくこういう経緯でできたのではないかということはわかったいるようです。1330年にできたと言われる兼好法師の『徒然草』に『平家物語』についての記述があります。それによると比叡山の天台座主が慈円だった頃に、その慈円の庇護のもとに信濃前司の行長という人が書いたと思われます。     また、慈円の書いた『愚管抄』と『平家物語』を読み比べてみると、その時代に起きた出来事の真偽が見えてくるところもあります。このほぼ同時代に書かれたと思われる作品に共通する特徴は比叡山延暦寺の影響が強く見られるということです。『平家物語』を読まれればわかることですが非常に強い宗教性が感じられます。そして『平家物語』は安居院流の唱導僧によって語られることが多かったといいます。   唱導Wikipediaより 「広義の「説教」に属する「唱導」は音韻に抑揚とメロディともない、経典の趣旨を取り出して比喩や因縁話を用いて語ることで人びとを仏教信仰に導いたのである。」     ですからこの『平家物語』という作品は強い歴史性・宗教性・娯楽性を兼ね備えた文学作品だということができると思います。     続く(たぶん)。

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  • 14 May
    • 『平家物語』 その1

      お久しぶりです、ともすけです。 これから何回かにわけて『平家物語』について書いていこうと思っています。     平家物語 (岩波文庫 全4冊セット)   Amazon   基本、参照しているのはこの岩波文庫版です。他には、     いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編   Amazon   『いっきに学び直す日本史』で『平家物語』で起きる事実関係を確認しています。     『平家物語』には日本の中世に起きた出来事が書かれています。中世とはいつごろかというと、平安時代末期から江戸時代の前までだそうです。ですからほぼ500年ほどです。その中でも平安末期の院政が始まった頃から平家政権の成立、繁栄、衰退、滅亡までの期間を扱ったのが『平家物語』です。     読む前の知識として知っておいたほうがよいことはその当時の政治システム、経済システムです。院政というものがどういう意図を持って成立したのか、それがどのような歪みをうみ、平家という武家の軍事政権を成立させることになったのか。どのような経済的基盤が当時の政権を支えることに役立ったのか。ここらへんがわかっていると物語を非常によく理解することができるでしょう。この朝廷の政治経済システムと当時の仏教勢力の関係も知っておくとなおのこと理解も進むことでしょう。また、その前後、藤原摂関家の繁栄と鎌倉幕府の成立にまで視野を広げればまた見えるものも違ってくるかもしれません。       人形歴史スペクタクル 平家物語 完全版 DVD SPECIAL BOX 45,684円 Amazon   昔の作品ですが、NHKで放映されていた人形劇『平家物語』があります。買う必要はありません。YouTubeで観ることができます。長いですが古文が苦手だった方はこちらを観るとよいかとも思います。       NHK大河ドラマ 平清盛 完全版 DVD-BOX 第壱集 45,360円 Amazon     こちらは最近の作品になります。NHK大河ドラマ『平清盛』です。あまり好評ではなかったようですが僕は楽しめました。こちらはYouTubeなどにはないようなのでレンタルがオススメです。     この『平家物語』はジャンルとしては「軍記物語」とされていて、日本には7つあるようです。 『将門記』 『陸奥話記』 『保元物語』 『平治物語』 『平家物語』 『承久記』 『太平記』 です。 どれも平安から室町時代までの中世が描かれています。ちなみに江戸時代は近世です。     近世の頃は韻文は高い評価がされていたようで、勅撰和歌集などを天皇の命で編纂していましたが散文はそれほど高い評価はされていませんでした。それゆえ散文には作者不詳というものが多いらしいです。『平家物語』がつくられたのはおおよそ1230年から1240年と言われています。

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  • 20 Apr
    • 漱石 『草枕』を読んでみる。

      こんにちは、ともすけです。   夏目漱石の『草枕』。   草枕 (1950年) (新潮文庫)   Amazon   読むのは何度目かもうわかりませんが、この小説はまあ出来事が起こらない小説と言われて有名です。出来事が起こらないというのがどういうことかよくわかりませんが、主人公の画家が架空の街に旅をする。読んでいると夢か現かよくわからない気分になってきます。     画家は「非現実」を追求しようとしています。非現実というのはこの言葉だけで想像してみてもいいと思いますが、時代的にはこの時代日本で流行った自然主義文学、つまりリアリズムとの対比で考えてみるとよいのかなと思います。     この小説では俳句や日本画、漢文の素養など江戸期に教養とされていたものが読者に求められる部分があると思います。古典の教養が必要、そんな感じでしょうか。明治になり西洋の小説を日本が取り入れるようになると言文一致の運動が起こり文体の革命が起こりました。二葉亭から始まり田山花袋、島崎藤村で完成したと言われますが、この花袋、藤村の『蒲団』、『破戒』とほぼ同時期に『草枕』は書かれています。     だから漱石はこの時点では文壇のアウトローだったわけですね。他の作家たちからどう思われていたかは調べてないのでよくわかりませんが作風が全然違います。漱石は自然主義文学というカテゴリーに入るものは『道草』しか書いていないようです。国民的作家にはいつなったのか? やはり『草枕』の前年の『坊ちゃん』が朝日新聞に載ったというのが大きいのかも。     坊っちゃん (新潮文庫)   Amazon       『坊ちゃん』は江戸っ子で短気なきかん坊だと言われますが、徳川幕府が倒れた後の新興の東京人として描かれています。対する清が旧幕の成れの果てですね。ここらへんはその時代に生きていた人びとにとってはリアルなものだったと思います。坊ちゃんは四国に赴任しますがそこでこいつら田舎者だ、みたいにいいますけど坊ちゃんも別に武士とか貴族だったわけではありません。どんな気で言っていたのか・・・それは興味ありますね。     話はずれましたが『草枕』ですがこの小説はいま現在僕らが読んでいる小説の文章とは違うもので書かれています。といっても言文一致の完成期の作品なので古典文学を読むような困難さがあるわけではありません。ただ素養が必要とされるというか、まあそんな堅苦しい言い方をする必要はないかもしれません。ただ使われている言葉が江戸以前の言葉を受け継いでいるのでその言葉から表象されるものが自ずと違ってくるというような感じです。自然主義文学が隆盛を極めて僕がなんとなく残念だったなと思うのは使われる言葉にリアリティが求められるために言葉としてシンプルな内容の薄いものが使われるようになったというのがあると思います。     これはこれで西洋文学を翻訳するときに役立ったとは思うのですが、『草枕』のような小説、または『源氏物語』などの古典文学を読めばわかるように落っことしてきたものも多いと思います。といってももう古典に帰れみたいな、美術におけるロマネスクや新古典みたいなことは起こらないと思いますが。     『草枕』を読んでいると、なにか見えそうで見えない、あれなんだろう?言葉が言葉として返ってくるみたいな感覚があります。イメージの仕方がちょっと自然主義文学とは違います。それがなぜなのかは僕もわからないのですが漱石は実験的に作品を描く作家であったことでも知られていますのでこの『草枕』でもなにかやってやろうという気持ちがあったのでしょう。ここらへんは講談社文庫の柄谷行人の解説?なんか読むとわかるような気になることができます。僕は新潮文庫で読んでますけど。     まあ「非現実」です。この『草枕』には非現実がある。読んでみて面白くなかったという可能性を持つ小説でもあると思いますが草枕とあるようにまあ小説世界を旅してみると結構楽しいかもしれません。しかしこの画家はいったい何者なのだろう・・・単純にそう思います。

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  • 14 Apr
    • プレイステーション4を買う。

      おあようございます、ともすけです。   プレイステーション4を買いました。     PlayStation 4 ジェット・ブラック 500GB(CUH-2000AB01) 32,378円 Amazon   1番安いタイプのやつ。 4K対応でなく、HDDの容量が500GB。 まあダウンロードは基本しないですし4Kテレビも持ってないのでじゅうぶんでしょう。     買った理由は「ドラクエ11」の発売日が決まったことです。 7月の末頃だったかな。3DSと同時発売。 残念ながらニンテンドースイッチ版が同時発売でなかったのでプレステ4を選びました。 他にやりたいゲームとかはないのですが、アーカイブで過去の作品とかでき・・・ますよね? ゲームをやる時間はないのですが僕の直感がこの「ドラクエ11」で堀井雄二、すぎやまこういち、鳥山明の体制が終わると告げている・・・この作品がドラクエの集大成になる・・・そんな気がします。     読書関係では最近、森博嗣の『スカイクロラ』を読み始めました。章の頭にサリンジャー「ナイン・ストーリーズ」の言文での引用があるのですがそちらのほうに目がいってしまいます。僕は学生時代国語より英語のほうを比較的一生懸命勉強したので(1:9の割合くらい)日本語で文章を書いてもどうやら英語っぽく書いてしまうようです。学生時代に教授にも指摘されました。その後遺症なのか英語の文章にかなり敏感で、このサリンジャーの文章を読んで、「これはすごいな」と感心しました。日本語で読んでては例えば同じくサリンジャーの「ライ麦」のホールデンくんが何者かはちょっとわからないのではないかなと僕は思います。まあ当然といえば当然で大学の文学部で原文で読まないなどということはありえないわけでそれをやるからこそその国の文化を知ることになるのですから。『スカイクロラ』自体も面白い話(読んでる途中)なのでオススメです。     スカイ・クロラ (中公文庫)   Amazon     あとは映画『ゴーストインザシェル』を観てきました。アニメ版、特に押井守監督の『攻殻機動隊』『イノセンス』とはテーマが違っていますがハリウッドテイストになっているのでハリウッド映画が好きな人は楽しめるのではないかと思います。ちなみに押井守監督作品で1番面白かったのは『ご先祖様万々歳』だと思います。面白い!ということです。コメディなんですよね。     GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 [Blu-ray] 5,184円 Amazon     ちなみに新潟ではNGT48がメジャーシングルデビューしました。オリコン1位だったそうで。地方のニュース枠ですごい取り上げられていて、これが地元の盛り上がりか・・・と初めての経験にちょっと驚いています。     青春時計(TypeA)(DVD付) 1,650円 Amazon   パッケージで歩いている場所をガルベストン通りというらしいです。ビートルズのアビーロードを意識してるのかな。歌は懐かしのフォークを現代風にした感じなのかな~。

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  • 28 Mar
    • スクラッチカードが。

      こんばんは、ともすけです。     いまガストでお子様ランチを頼むとスクラッチカードもらえるの知ってますか? アンパンマンのスクラッチ。   先日、ガストに行ったときに友人の子どもちゃん(3歳)がお子様ランチを頼んだのです。それでスクラッチカードをもらったのです。   その子どもちゃんのお母さんがドリンクバーに飲み物を取りに子どもちゃんから離れた途端、子どもちゃんがお母さんのバックを探りだしたのです。   「なにしてんだろう?」と見ていたら、長財布を取り出しました。   両手で持って器用にチャックを開ける。   そして手を突っ込んで・・・   500円玉を取り出し・・・   その500円玉でなんとスクラッチを削り始めたのです!   すげーーまじかーーーー! すげーーまじかーーーー!   あまりの手際の良さに感動してしまいました・・・。   子どもって知らないうちに大きくなるんだな~。   でもなんで500円玉なんだろう?   10円玉じゃないですか普通?   そこが面白くて笑えるw     しかしガストも今ではどこでも見ますね。 僕の時代はすかいらーくやバーミヤンのほうが多かったですけど。 サイゼリヤとかガストのほうが安いし時代なのかな~。

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  • 24 Mar
    • 修行の旅。たぶんその3(完結)

      旅3日目。 僕はついに神奈川近代文学館を目指すことになった。 カナブンには夏目漱石デジタルライブラリーがある。去年の秋頃だったろうか、読書メーターで知り合った方からカナブンで漱石の展示会をやっているということを教えていただいたのだ。しかしそのときは行けなかったのだ。カナブン訪問は僕の念願! 僕はついに!ついに!!という思いでみなとみらい駅へと向かった。     みなとみらい駅から通勤快速で1駅で元町・中華街駅だ。構内は入り組んでいるが確かアメリカ口から出るとカナブンに最も近いと思う。     出るとこのような公園?がある。異人墓地が右手に見える。左側には近くの園児の一行がいた。ここ横浜近辺、山下公園、港の見える丘公園は園児率が高い。平日の昼間だから園児かお年寄りが大半なのだが・・・。地域の人たちは普通に公園として楽しんでいるのだろう。         緑の多い土地である。なにか緑の生き物が頭に花を咲かせているキャラをよく見る。名前が書いてあったが忘れてしまった・・・。みなとみらい駅にもいたのだが。とにかく街を挙げて緑化政策をしているのだろう。         右上に指が写っているのは気にしないでください。坂、山手にあるので坂を登る。神奈川県は電動式自転車の普及率が高いらしい。ママチャリ、ベビーカーもよくみかける。活気のあるいい街だ。         よこはまフェア。右下にいるキャラがさっき触れた緑のいきもの。赤レンガ倉庫は昨日行ったのだがもう少し先に行くと山下公園だったのだ。         港の見える丘公園入口。曇ってるので少し寒い。         この公園は花がとても多い。緑化政策の賜物ですな。新潟のこの時期は寒さもあるけど街で花を咲かせているのはなかなか見れない。ここをまっすぐ行くと、         港があります。左手がインターコンチネンタルホテル、観覧車、ランドマークタワーがある方。右手に進むとカナブンがある。しかし景色がいい。真正面にベイブリッジが見えたかな~。こここでも園児たちが遊んでます。         画像あった!真正面にベイブリッジありますね。手前に古い建物がある。港っぽい。         花が咲いている。花の種類はわからないのですが、なにせみんな違って数が半端じゃないので、花でいっぱいです。歩いていて花の香りがする。         霧笛橋。ここを渡ると、         神奈川近代文学館。ついに来ました!漱石先生!この日をどんなに待っていたことか!! そして僕は入口へと向かった。   ・・・しかし、しかしなんと!Σ(゚д゚lll) 今日は休館日だったのです!!!!!!!!!!!!!!!!!! Σ(゚д゚lll) Σ(゚д゚lll) Σ(゚д゚lll) Σ(゚д゚lll) Σ(゚д゚lll)     新潟から来たんだよ!! Σ(゚д゚lll) これが人生というものなのか・・・僕は漱石先生とは出会わずの人生なのか・・・。 正岡子規です!野球大好き! プレーボール! ・・・取り乱しました・・・まあさ・・・また来ようよ・・・。         ということで僕はその隣にあった大佛次郎記念館に入ったのだった。 大佛次郎については以下の画像を参照のこと。         『鞍馬天狗』。猫好き。なるほどね~。 猫グッズを買ってきました。         山下公園を歩く。この記事を書いていて気づいたのひとつの記事に画像は15枚しか貼れないということ。なので「中華街に行く」の巻は省略します。山下公園から内陸側に行くと中華街があります。あと横浜スタジアム。       船だ!左端にランドマークタワーがある。観覧車も見える。パシフィコも。あいだに僕の泊まった横浜なんとか東急があります。     この街はいい街だ。こんな街住んでみたいな。歩いている人を見ていると独特のものがあってこれが横浜の地域性なのかなとか思いました。それとも観光客なのかな。そこがいまひとつわからなかったです。     そして今日僕は新潟に帰ってきたのですが、MAX315号に乗って帰ってきました。そう!新潟にはNGT48がいる!4月12日メジャーシングルデビューなのでみなさんよろしく。     新潟寒いです。帰ってきたら肩こりがひどかった・・・。東京駅まで4,50分かかってそのあと新幹線で2時間半なので結構疲れる。荷物抱えてたから筋肉使ったのかも。     帰ってきたら猫がよそよそしかったです。まるで他人を見るかのような目で見つめてきました。抱っこしてもゴロゴロいわない!16年育てた歳月を忘れたのか猫よ・・・。  

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  • 23 Mar
    • 修行の旅。 たぶんその2

      こんにちは、ともすけです。   昨日はインターコンチネンタルホテルにある中華料理店「カリュウ」に行ってきました。   食べログだとランキング3位か…。創作料理ともある。   リンク。   http://www.interconti.co.jp/yokohama/restaurant/restaurant/karyu/       31階にあったのですがエレベーターの重力が…。苦しみながら31階に到達すると…そこのフロアにはカリュウしかおらんかった…。       予約していたのでスムーズに入れる。コースはいろいろあるのでリンク先を見てください。僕が頼んだのは、   旬菜コース。 あわびフェアということで期間限定コースらしい。 ・ あわび入り前菜の盛り合わせAssorted Appetizers ・ 蟹肉、干し貝柱、絹笠茸の卵白仕立てスープSoup with Crab Meat, Dried Scallops and Mushrooms, Egg White Flavor ・ シェフお勧めの蒸し点心三種Three Kinds of Steamed Dumplings ・ 海老の柚子風味マヨネーズソースDeep Fried Prawns with Mayonnaise Sauce, Citron Flavor ・ あわび姿の黒酢入りバルサミコソースPan Fried Abalone with Balsamic Sauce, Black Vinegar Flavor ・ 牛肉のカレー風味サテ醤ソースPan Fried Beef with Satey Flavor, Carry Flavor ◆ 下記a)~b)より一品お選びください。Please select one dish from the following. a) アサリと菜の花のガーリックチャーハンGarlic Fried Rice with Clam and Canola Flower b) 野菜と翡翠麺の炒め焼きそばFried Green Noodle with Vegetables ・ オリジナルデザートOriginal Dessert ・ 福建銘茶 鉄観音茶Ti Guan Yin Tea 食材の入荷状況により、一部内容が変更となる場合もございますのでご了承くださいませ。 【こちらのメニューは2017/3/1~2017/4/28までのメニュー内容となります。】 (税金、サービス料金込み)         中華料理店とちょっと違った雰囲気。フロアがあまり中華感がなく、高級感はあるが居心地がいい。フロアのなかは他の方の迷惑になるので撮りませんでした。料理だけ撮りました。         前菜。あわびが主体のコースなだけにあわびもう来た。あわび、チャーシュー、海老など。ひとつひとつの食材が厳選されている印象。いや、僕は美食家じゃないのでわからんけど。海老とかが歯で噛むとプチリと切れるわけです。ああ、これがよく聞くプリプリ感なのだなと。あわびコースだけにあわびの美味しさが印象に残る。           蟹肉と貝柱、茸…長生きできそうな味。スープもね、具材どうしが引き立てあってるのですな。たまごスープじゃないよ。あ、ジンジャーエールも頼んでます。       点心。シェフおすすめということで。左上のやつ。なかになんだろ?菜類が入ってます。凝ってますな。下のは皮で包んであるだけあり、噛むと口の中で具材と汁の味が広がります。中華料理店なのにシュウマイはでないんだなとちらりと思う庶民の僕w      海老なんですけど、実は僕は海老が苦手なのです。おまけにマヨネーズも苦手。僕はそのまま頼みましたが、注文するときに苦手な食材などを聞いて変えてくれるようです。でもこれもとても美味しかったです。前菜で出された海老とは違う味つけで思わずシェフを呼びたいくらい(嘘)        あわびです。創作料理という感じですな。ソースとあわびが合う!あわびとはこんなに美味かったのか…今まで食べていたあわびはいったい…。黒酢とバルサミコソース…やるな!シェフを!シェフを呼べ!!      牛肉のカレー風味、うんうん柔らかくて美味しい。でもサテ醬ってなんだ?このサテ醬というのがいい味出してる気がする。野菜も美味しいし、こういうのを食べてると料理人になってみたかったと思います。世のお父さん、お母さん、小さい頃からお子さんによいものを食べさせてあげてください。   ここで大きなミス!!ガーリックライスの写真を撮るのを忘れた!あさりの味とガーリックがライスととてもマッチしていました。   なにかこのコースは食べていてシェフの思想というものを感じましたな。一流はそういうものを感じさせるものなのかもしれない。      ジャスミン茶。だいたいここまでで1時間半くらい経ってます。このコースは2時間くらいを想定してつくられているようです。ゆったりです。      ジャスミン…。かなり混んでるから予約しないと入れなかったかも。フロアの雰囲気は中華という感じはあまりしなかったです。もしかしたら公式サイトに画像あるかな。      デザート。胡麻のやつ…名前忘れたw 月餅とマンゴープリン。このマンゴーは美味いな…上に乗っている生クリームと甘さが重なりより味がまろやかになる…。   そして楽しい時間は過ぎたのだった…。       お店の人の許可を得て窓からの展望を写真に撮らせてもらいました。ベイを見ながら食事ができるのはいいね。横浜だからね。       ホテルへ戻る途中、赤レンガ倉庫に立ち寄る。     あれ?赤レンガ倉庫ですよね?戻ってきて画像見たら自信がなくなった…。    こっちは確実に赤レンガ倉庫。赤レンガ倉庫についてはたいして言うことはなし。お土産屋を見ましたが横浜煉瓦とか横浜ハーバーとか高いのですな。新潟の笹団子や磐梯太鼓とかとはわけが違うのですな…。     というわけで横浜の旅は…あれ?僕なにもしてないじゃん!なにかしよう、なにかしようと焦る…。そして今日が最終日です…。

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  • 21 Mar
    • 修行の旅。たぶんその1

      こんばんは、ともすけです。私は修行の旅に出たのだった…。行き先は秘密。これがMAXときだ!!新潟と東京を繋ぐ最強の新幹線。ちなみに乗ったのはMAXとき316号。私は東京駅から秘密の通路を抜けて、あのまぼろしの街、みなとみらいへとたどり着いたのだった…この街の恐ろしいところはエスカレーターを乗り継いでいると知らぬ間にもといた場所に戻ってしまうことだ!私は腹ごしらえにちょい飲み横丁?だったかな。そこのなんとかという店でローストビーフ丼を食した。これが安いのに美味い!!店の特徴はとにかくガーリックなのだが、このローストビーフ丼はタレが甘くローストビーフは厚く味が染みている。ガーリック風味を効かせたい人はテーブルに置いてあるガーリックチップスをかけるといいだろう。ピリッと味が締まってこれまた美味しい。ホテルの部屋。景色については次回。このホテルの驚いたところは、バスルームとシャワールームが分かれているところだ。それだけではなくトイレもわかれている。通常のシティホテルではユニットバスのところが多いのではないだろうか。それとも私が安いホテルにしか泊まっていないのか…。シャワールーム。トイレルーム。やはり景色は載せておきましょう。これが噂に聞いた観覧車か…ホテルの部屋が空いていたためにシティビューからオーシャンビューにグレードアップしてもらったのだ。いい景色だ…しかしバルコニーに出るにはまだ寒すぎる季節だった…。色がいろいろ変わるのか〜。私はプレミアムモルツを飲みながら思ったのだった。夕食は唐揚げ弁当…。

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  • 19 Mar
    • 定本 漱石全集第4巻

      おはようございます、ともすけです。今回はスマホからの入力です。みなさんスマホから記事を書かれているのでしょうか?僕はスマホからだとどうしても全体を把握できない気がしていつもパソコンから書いています。しかし時代は流れる…スマホに適応していかねば…。さて、漱石全集第4巻 虞美人草 です。紫が嫉妬で濃く染まつたんでせう僕は子どもの頃思っていました。「この世界のすべての姉ちゃんはわいのものや〜」というじゃりテンとあたるの思想!!しかし現実はそんなものではなかった。男と女のあいだには愛とまたそれと同じくらいの嫉妬、憎しみがあったのです。わたしはあなたにそれを伝えようと思うのです。あなたならもしかしたらわかってくれるかもしれない。そう、恋は罪悪ですよ…。僕はまた子どものときシティーハンターに憧れていました。一発のために命を賭ける男…いやそうではないのです!依頼主の心が俺の心を震わせたとき、俺は依頼を引き受けるのさ。そんな男にわたしはなりたい、と。そして僕は新宿歌舞伎町へと向かったのだった…。お気づきでしょう。僕は基本的にアホなのです。僕をあまり信じないように。この世界もそして人間も機械状無意識でできている。それがつながったり離れたりしてこの世界はできているのだ。だからフロイトのエディプスの三角形のようなものは間違っている。この世界はもっと豊かでありそして狂っているのだ…。この世界でなにかを語るとき、我々はマスクをつけなければ語ることはできない。それはエクリチュールで語らなけれればならないからだ。だから僕はいくつものマスクを使い分けるのだ。じゃりテンのマスク、冴羽獠のマスク、はたまたニーチェのマスク、ドゥルーズのマスク…。そのマスクに隠れている僕は…混沌です。それはディオニュソスなのです。これだけ書いてきて操作を間違えて文章消えたらどうしよう…。そんな不安を抱えながら書いています。今週はおそらく毎日記事を更新すると思います。お暇なら見てやってください。新潟のB級グルメ、カキタレカツ丼です。カキは美味しいよね!画像を見るとあまり美味しそうに見えないな。フィルターをかけるのもありかと思いました。それではまた!

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  • 17 Mar
    • ツァラトゥストラ前口上

      おはようございます、ともすけです。 ブログ更新がなかなかできないでいますが生きています。 早起きすると書く時間がありますね。 でもこれから2度寝しますがw 今回は『ツァラトゥストラ』。     我は人間ではない! 我は終わりの人間である! 我は滅びようと望む人間である。 ・・・はたしてツァラトゥストラはなにを言っているのか。 彼は狂人なのか。 そうであると僕は言いたい。 彼はまた舞踏者でもある。その舞踏者は仮面をかぶっている。 その口が「もの」を吐くのである。     ツァラトゥストラ(上) (光文社古典新訳文庫)   Amazon   光文社古典新訳文庫は言葉がゆるいためにいまひとつニーチェの言葉は伝わりにくいかと思います。しかしそれでも精読すればわかるでしょう。     前口上より   「                          1   30歳のとき、ツァラトゥストラは故郷を捨て、故郷の湖を捨てて、山に入った。そこで自分の精神を楽しみ、孤独を楽しんで、10年間、退屈することがなかった。だがとうとう心が変わった。―――ある朝、朝焼けとともに起きて、太陽に向かって立ち、こう言った。 『おお、大きな星よ!お前に照らされる者がいなかったら、お前は幸せだろうか! この10年、お前はこの洞穴のところまで昇ってきた。俺や、俺の鷲や、俺の蛇がいなかったら、お前は自分の光とその軌道にうんざりしていただろう。 だが、俺たちは毎朝お前を待ち、お前からあふれ出るものを受け取り、感謝して、お前を祝福した。 ほら!俺は、自分の身につけた知恵に飽きてきた。蜂蜜を集めすぎた蜂のように。俺の知恵を求めて差し出される手が、必要なのだ。 賢い人間が自分の愚かさに気づいて喜ぶまで。貧しい人間が自分の豊かさに気づいて喜ぶまで、俺は知恵をプレゼントしたい。分配したいのだ。 そのためには、俺が下まで降りていくしかない!お前はあまりにも豊かな星だから、日暮れには、海のむこうに沈み、下界に光をもたらしているだろう。 俺は、お前の真似をして、沈まねばならない。俺が降りていこうとする連中の言い方を借りれば、没落しなければならない。 さあ、俺を祝福してくれ!お前は静かな目だ。大きすぎる幸せでも、静かな目なら、嫉妬もせず見ることができる。 この杯を祝福してくれ!あふれんばかりのこの水が、金色に輝いてこぼれ、あらゆる場所にお前の歓喜の反映を運ぶように。 ほら!この杯が空っぽになろうとしている。ツァラトゥストラが人間になろうとしているのだ』 ―――こうしてツァラトゥストラの没落がはじまった。」     太字はそのまま。傍線は僕がつけました。『ツァラトゥストラ』を読むときの参考になればと思います。     この世界には既存の価値観というものがあります。それに適合できない人間は精神を病むしかない。そしてある人は狂人となる。つまりこの世界と戦う者は神経症にならざるを得ない。それをすすんで引き受ける者となる。それがニーチェだったと思います。     もう1度書きますがこの世界の価値観と対立するものは精神を病まざるを得ない。人間というものはそういうものです。現代社会で精神疾患が多いのは世界の価値観に適合することが出来ない人間が多くなったためです。人間はそこで狂人になるのかならないのかを決めることはできない。自己選択権はない。     現代社会では医療という名のもとで「治療」が行われ、隔離される。つまりこの時代はツァラトゥストラはおろかニーチェさえも存在不可能な時代であるということだと僕は思います。それゆえニーチェの遺した『ツァラトゥストラ』を含めた多くの作品は貴重です。人類の宝だと思います。     ツァラトゥストラはいったい我々にどんな知恵をプレゼントしたかったのか、分配したかったのか・・・。

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  • 09 Mar
    • 「クロイツェル・ソナタ」 トルストイ

      こんばんは、ともすけです。     クロイツェル・ソナタ/悪魔 (新潮文庫)   Amazon   「クロイツェル・ソナタ」、高速で読みました。 さる高貴な人物から「悪魔」が『蒲団』に似ているのではないかとのコメントをいただき、さて読もうかと思いました。しかし!僕の性格上前に載っている「クロイツェル・ソナタ」から読みたい・・・ということで「クロイツェル・ソナタ」(以下「ソナタ」)から。     まあこちらも『蒲団』と似ているところがありますね。作品成立の年を見ても花袋が読んでいた可能性は高いですね。しかしはっきりと言おう!花袋よお前は敗れていると!(格が違うと!)     どこらへんが違うかというとですね、『蒲団』と「ソナタ」は両方とも自己の内面について書いているという点で共通しています。告白型の小説ですね。ただ『蒲団』がゲスに見えるのですが「ソナタ」はゲスに見えないのです。むしろ高尚なものを読まされたという気持ちと僕的にですがトルストイという人間の作家としての器のでかさを感じさせられたのです。     なぜそのような気持ちになるかというとまずあげるならそのポズドヌイシェフ(以下「紳士」)の告白が僕の考えられる限りではその理性、その感情が限界状態までそれ以上にないほどの地点まで描かれている、なおかつそのバランスが絶妙に取れているということです。紳士の語る情景がありありと浮かんでくる、完全に僕は作品に思考をコントロールされているのです。これはトルストイの描写の力、作家としての力というしかないのではと思います。     紳士は妻を殺した男なのです。それが嫉妬に狂って殺したことは確かであるのにこの告白する紳士に汚らしさはない。ただなにかに敗れたということだけは感じます。読み込んでいないので記述は曖昧になりますがこの紳士は非常にもっともらしいことを言う。感情と同等もしくはそれ以上の理性を持ち出します。この世界は目的を達成したときに終わる。しかしこの世界は終わってはいけない。ならばどうなるか。それを先延ばしするものが必要である。それが欲望である。そして肉欲を肯定することになる。肉欲こそがこの世界を無限に引き延ばす安全弁であると。     なるほどと思います。しかしどうもトルストイはこの世界を終わらせたい気持ちが強いに違いない。究極の理想社会を目指している向きがある。マタイによる福音書から引用します。   「しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」   ここにはトルストイの大きな思想があるに違いないと思います。そしてそれをこの紳士は妻殺しということで逆向きに体現してみせているのだと。妻を殺害した後の紳士のセリフにこうあります。   「真の放蕩とは、肉体関係をもった女に対する道義的関係から自己を解放することにほかならないのです。」   つまりこれはトルストイの思想を逆に言ったように読めるのです。肉体関係をもった女に対する道義的責任関係に服従することこそが放蕩ではないのだと。これはカントのいう自由とまったく重なると僕は思います。     この作品の醍醐味は143ページ以降の紳士が自宅に帰ってきたときに妻とその不倫相手が密会している場面にあります。終わりまでの30ページの描写はもうすべてが描かれていると言っていいと感じるほどです(ただ155ページ12行目から156ページ13行目にらしからぬ描写がありました。それ以外はほぼ完璧ではないかと。)。そこには紳士の激しい嫉妬と妻を殺害するという目的を遂行する極めて冷静な理性が同時に描かれています。そしてその理性と感情の揺らぎを「フィクションであるがゆえに」極めて精密な経路を辿って描くことに成功していると思います。フィクションであるがゆえにこの殺人描写には美しさを感じるほど、ため息が出るほどです。     紳士は妻を殺した経緯をすべて覚えています。人を殺したことがないのでわかりませんがそのようなことがあるのでしょうか?   「自分の内部の憤りをますます強く煽りたてれば煽りたてるほど、意識の光がいっそう明るく燃えあがるので、その光の下では自分のしていることのすべてが見えぬはずはないのです。」   紳士は妻を短剣で刺したあと自殺を図るためにピストルを持ち出します。   「書斎に入ると、まっすぐ壁のところへ行き、ピストルをとって、点検したあとーーーちゃんと装填してありましたーーーテーブルの上においたのです。そのあと、ソファのうしろから鞘をとり、ソファに腰をおろしました。」   ピストルを点検し、侵入したときに落とした短剣の鞘を「殺害後にも関わらず」覚えているのです。   そして紳士は姉に妻のところに来いと言われます。そのとき。   「『ちょっと待ってください』わたしは妻の姉に言いました。『長靴をはいていかないのは、ばかみたいだから、せめてスリッパくらい、はかせてください』」   そして紳士は死んでいく妻を看取ります。そのときの最初の描写です。   「最初に、何よりも強いショックをわたしに与えたのは、鼻の一部と片方の目の下にかけて、痣を作って紫色に腫れあがった妻の顔でした。それは、わたしをとめようとしたとき、肘で一撃をくらった痕なのです。美しさなどみじんもなく、何か醜悪なものが目に映じただけでした。」   殺人を犯したことの動揺がありながらも妻の有様を極めて冷静に見ている。その冷静さはいったいどこからくるのでしょう。 しかしそのあと彼は妻の告白からあることに気づきます。   「このときはじめて自分自身を、自己の権利を、誇りを忘れ、はじめて妻の内に一人の人間を見いだしたのでした。」   紳士は最後の最後で妻の内に人間を見出すのです。そして妻は「生きたい!」と言って死んでいきます。   『蒲団』と「ソナタ」の違いを書きましょう。『蒲団』は地べたを這っている。対して「ソナタ」は形而上学的である、天上を見上げている。これは当時文学の最高水準を誇ったロシアと極東の小国であった日本との文化格差であると言えるのではないでしょうか。トルストイの思想に同調するかは別の話として彼の作家としての才能はやはり当代一だったのではないかと思います。もちろん現代から見ると理性が勝ちすぎている、意識をすべて描写しようとしているために想像する余地が極めて狭められているというのはあります。しかし彼の書いたものは近代文学を代表するものだと言っていいと思います。そして彼は近代の人間像を書いた偉大な作家でしょう。     先般のワイドショーでの不倫騒動などの反応を見る限り「ソナタ」は受け入れられそうな気がしますがどうなのでしょう。『蒲団』も時雄の気持ち悪さがありましたが結論としては受け入れられそうですよね。しかし「ソナタ」の言いたいことは高度に人格を完成させることだと思います。それは現代人にはとても受け入れがたい。(なのにガチャガチャ言っていることに僕は疑問を感じる。)『蒲団』というのはまさにその「ソナタ」の抱えた思想の高みを目指すというその一点が決定的に欠けている、そう言えると思います。そしてそれ以降の私小説も同様の道を辿るのでしょう。もしかしたらこの時期の日本の作家は表象としての美というものにまだ関心がなかったのかな。思想についても同じく(これは白樺派あたりが気づくのですかね。)。結局自分の私生活を暴露するという日本独自のものへと進んでいく。この謎というのは作品を読みながら解いてみたいですね。読んでて苦痛にはなるでしょうが。     う~ん、あまりいい文章ではなかったな・・・。 次に読む予定は近松秋江の「疑惑」です。もしかしたら「悪魔」を先に読むかもしれません。

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  • 07 Mar
    • 言文一致の完成を見た作品。『蒲団』

      おはようございます、ともすけです。   言文一致の完成と言われる作品、田山花袋の『蒲団』について書いてみようかと思います。以前も書いたかもしれませんが今回は読み直したので。     蒲団・一兵卒 (岩波文庫)   Amazon   この『蒲団』という作品は明治40年に書かれています。明治40年というと・・・1907年。日露戦争の後ですね。花袋は日露戦争に従軍しています。戦争から帰ってきてさてどうするものよと。友人の島崎藤村や国木田独歩が名声を得てきている。自分も、という気持ちがあったでしょう。そのような契機で書かれたのがこの作品です。     まあ日本文学を齧った人ならば読んでいない人はいないくらいエポックメーキングな作品で、その内容の過激さでその時代大論争となったという。僕は今読んでもじゅうぶん衝撃を受けると思うので読むのをおすすめしたいですね。おそらくこの作品を読んでいないと日本文学の歴史がいまいち理解できないと思います。日本文学に興味ないよというかたはスルーされてもそれはそれで構わないでしょう。     さて、花袋は尾崎紅葉の門を訪れましたが紅葉からは直接教えてもらえなかったらしい。紅葉の美文と花袋の文体はあまりにかけ離れているのでしょうがなかったかもしれません。でも『蒲団』を読むと微かに紅葉の(なのか?)美文の影響というものも受けている箇所が何箇所かある気がする。まあ先人の影響はなにかしら受けるものですからね。     『蒲団』の主人公は竹中時雄36歳妻あり、3人の子あり。職業は文筆家だが地理書の編集の仕事をしている。生活としては妻と子との生活にマンネリを感じ仕事も小説を書きたいのになぜか地理書の編集をしなきゃいけない。地理は好きみたいですけどね。そんなところに神戸の女学生から熱烈な手紙がくるのです。時雄はそれを読みながら、まあなかなか熱意があってそこそこいい文章を書くじゃないか、これで顔が良かったらな~なんて思うわけです。そのあと2通ほど手紙がきて満更でもない時雄はその女学生横山芳子19歳と文通を始めるわけです。時雄は師弟の関係を結んでどうしても気になるらしく芳子の写真を送れとか言い出す始末です。     芳子は東京にやってきて時雄の家に下宿します。作家を目指そうというわけです。女性で作家を目指すのは大変なことだぞと時雄は説得したのですが芳子はどうしても作家になりたいと上京してきます。芳子は熱心ですね。ですがここでいいたいことは2つ。ひとつは時雄は芳子を下宿させていまのマンネリ化した生活を潤いのあるものにしたかったということ。つまり芳子に恋をしてるのですね。妻子持ち36歳の男にしてはまるで童貞のようなおそろしいほどの直情的な欲望を抱いています。それが『蒲団』が評価された1番の理由だと思います。男の内面をそのまま赤裸々に書いた、表向きは真面目な男時雄が裏ではとんでもないエロ男だったという告白の作品です。そしてもうひとつは芳子ですが、彼女は岡山の田舎の超お嬢様です。神戸の女学院に通っています。母親が敬虔なキリスト教徒なのかな。この作品ではこのキリスト教というのも深く関わってきます。しかしこの芳子、親に結構甘やかされて育てられたようでかなりハイカラな女性です。文学の道を志すなどと言っていますがおそらくこれはファッションみたいな軽いノリで言ってますね。美人でなんかゆるい女、それが芳子で、そんな彼女に時雄はあわよくば的なことを考えていますがこの芳子は東京にきてなかなかのハイカラぶりを発揮して時雄を悩ませます。     まあぶっちゃけて書いちゃうと芳子はいい女なんですね。それで時雄も教えるのが楽しみになって、というか惚れちゃってメロメロになって芳子にツルゲーネフ(すごいツルゲーネフが好きらしい)なんか教えるのです。しかしこの芳子、旅先で会った同志社大学の青年田中と恋に落ちてしまうのです。いかん!いかんぞ!芳子!お前は修行中の身なのだ!と表ではいいますが、裏では芳子を取られた!おれが手をつけるより先に!という嫉妬心のかたまりとなります。そしてここらへんがあの時代なんでしょう、芳子が処女であるかどうかということが問題の焦点になっていきます。キリスト教の聖と俗みたいな話と関わるのかも。田中は同志社の神学生ですし。芳子よ、お前と田中は霊の関係だけなのか?それとも肉欲の汚い関係となってしまったのか(と書いてあります)ということが重要なこととなります。芳子と田中はあくまで清い交際だと主張するのです。     それをいちおう信じた(疑念は持っています)時雄は同志社をやめて東京にやってきた田中を説得したり芳子の親に二人の仲を許してやってくれないかと手紙を書いたりします。でもそれは表の顔。裏では嫉妬の嵐、芳子、芳子です。『蒲団』というと最後の場面が有名で、それが気持ち悪いとか言われますが実は全編を通して時雄はそんなやつです。移り香にくらりとしたり、芳子のいないあいだにこっそり部屋に入り込み田中との手紙を盗み読んだりとまさにお前は本当に「師」なのか?と。そしてついに決着をつけるときがやってきました。詳しくは書きませんがつまるところ芳子と田中のあいだに肉体関係があることがわかったのです。芳子は処女ではなかった!それが時雄には裏切りと感じられたようです。結局芳子は田舎に帰ることになります。時雄は「あの男に身を任せていた位なら、何もその処女の節操を尊ぶには当たらなかった。自分も大胆に手を出して、性慾の満足を買えば好かった。」などと本音を(こころのなかで)言い出します。「このままこうして、男を京都に帰して、その弱点を利用して、自分の自由にしようかと思った。」という人非人的な心中が赤裸々に描かれています。     そして芳子が去ってからの時雄。「さびしい生活、荒涼たる生活は再び時雄の家に音信れた。子供を持てあまして喧しく叱る細君の声が耳について、不愉快な感を時雄に与えた。」こんな感じです。世の奥様方の反感なにするものぞと本音を赤裸々に書いていきます。そして最後があの名場面。芳子の蒲団に寝て、芳子の来ていた夜着に顔を埋めながら泣く時雄。     『蒲団』という作品は実在のモデルがいるようです。竹中時雄が花袋、横山芳子が岡田三千代、田中秀夫が永代静雄らしいです。ですがこの作品は事実をありのままに書いた作品ではないということだけは書いておかなければならないと思います。花袋はこの作品のなかに相当のフィクションを入れています。ですからいわゆる私小説として作家のありのままを語ったというわけではないでしょう。ですがまあありのままに語ったと取られたことで大論争になったわけですが・・・。     作品としてはその文体はかなりシンプル。ツルゲーネフやモーパッサンなどを読んでいた花袋ですがどれほどの影響を受けていたのかは文体上はよくわかりません。しかし言文一致にこの2人の影響下で成功したとは言えるのでしょうね。地の文の描写はまあそこそこ。会話文も今読んでも違和感はない。ただ人物造形に甘さがあるような気がします。時雄はしっかり書けていたとしても芳子と田中がいまいちステレオタイプにしか描けていない気がする。そこがもしかするとあの時代の若者たちという一般性を持ち得ることになったと見ることもできるとは思います。作品の構成としても現在から回想するという形式はそこそこ新しかったのではないかなと思います。そして芳子の手紙が始めは新時代の女性としてふさわしい言文一致で書かれていたものが最後には旧時代の候文になってしまうところなどもよく考えられています。まあ個人的には楽しく読めました。日本の自然主義文学の源流がこれなんだな~と思うとなにか読んでてためになった気もするので読んでみる価値はじゅうぶんあると思います。     アフターストーリーとして花袋は『縁』、永代三千代は『ある女の手紙』を書いています。二次創作ものとしては妻視点で書かれた中島京子の『FUTON』ですか。妻は果たしてどう思っていたのか・・・興味あるところです。

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  • 24 Feb
    • うただ、点

      お久しぶりです、ともすけです。 まったく時間がない! 誰か僕の時間を盗っているな!?((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル     最近は読書もしてないので何も書くことないです。     宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌   Amazon     こんな本買いましたけどまだほとんど読んでいません。 今37頁です。 でも「世界の無限と交わる歌」のさわりの部分は出てきました。 世界の無限と交わるってどういうことよ? 少し引用してみましょう。   「とにかくいろんなことを学びたい、吸収したい。楽しいことも怖いことも、良いことも悪いことも、成功も失敗も、出会いも別れも、みんな私の世界を大きくする。同等の価値がある。私を豊かにするものを拒む理由はない。どんなことも受け入れられる。」(『点』 P8)     孫引きなんですけど。宇多田ヒカルさんが『点』でそう言ってるらしいです。8歳のときにそう思ったと。私の世界とそれと同等の価値のある世界があるわけですね。それがなんなのか。もうひとつ引用してみましょう。   「ものごとの本質に近づこうとすればするほど、自意識というものが邪魔になる。自意識を消すためには、外の世界に全感覚を開かないといけない。  家の窓を全部開ける。ドアも開ける。えい、壁も壊しちゃえ。すると、空間はつながり、一つの空間になる。「自分」の境界線が消える。あらゆるものが無限に流れ込み、無限に開放されていく。  創造が始まる。」(同、P18~19)   これ、僕が読んで宇多田ヒカルさんすごいなと思ったのが8歳の時点で「どんなことも受け入れよう」としたこともすごいのでしょうが8歳の時点で自意識をそんなに明確に持っていたのかということなんです。僕が8歳のときは何も考えてなかったな~。世界と自分が分離してないくらいアホだったかも…。小2だろ?なにも考えないでただただ野球して遊んでました。日が沈むまでみんなで野球してました…アホです…。     やっぱね、僕が思うに宇多田ヒカルさんはまわりの大人の影響を強く受けたんじゃないかな。早熟だったのではないかと。だから自分のもっている自意識の壁というものに早く気づいたのではないかな。この自意識の壁は1度築いて壊さないといけないと思うのですが宇多田さんは8歳で気づいたんだなと思うとやはりすごいなと思います。     宇多田ヒカルというアーティストを意識したのはデビューのときから結構経った後の映画『CASHHERN』の主題歌「誰かの願いが叶うころ」でした、たぶん。リアルタイムで観たか自信がないのでたぶんで。確か紀里谷和明と結婚しててそれも『キャシャーン』の映画化の主題歌なのにこんな感じの詞?って思ったのですよね。詞を読んでいてやはり早熟というかなんというかまあそれと上の2番目の引用にあるように「ものごとの本質」をしっかりとつかんだ詞であることは確かであるでしょう。     「ATフィールドは心の壁なんだよ!」…エヴァンゲリオンですが…。まあね、宇多田さんはATフィールド張らないところがすごいんだろうなと。それが音楽活動の分野だけなのか人間活動全般においてなのかはまだこの本も読んでないし『点』や『線』という本があるらしいのでまだわかりませんが。読書や映画(やアニメ)鑑賞ならATフィールド張らないことは容易でしょうが現実世界で張らないとなるとやはりすごいなと。自意識過剰な人間たちの巣窟と化したこの現代社会、やはりアーティストの言葉には耳を傾ける必要があるなと思わせられました。     あと今日は村上春樹の『騎士団長殺し』の発売日で早速手に入れてきました。昨日のNHKのクロ現+がとんでもなくNHKの迷走ぶりを表していましたがまあなんだかんだ言って売れるのでしょう。僕の行った本屋ではどうやら僕が1番乗りだったらしく(一人も人いなかった…)本もそんなに積んでなかったのでもしかしたら『1Q84』ほどじゃないのかなとか思ったり。新潮社の情報の出し方がへたくそだったというのはあるでしょう。まったく情報が出なかったので唖然としました。メール登録ってなんだったんだよと思いましたね。読むのはだいぶ後になるでしょう。     しかし、考えてみると僕が感じる他者の自意識の壁にはいったいどのようにふるまえばいいのか…。

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  • 14 Feb
    • 定本 漱石全集 第3巻

      おはようございます、ともすけです。「非人情の 天地に 逍遥したい」定本 漱石全集 第3巻です。いや〜もういい加減買うのやめようかな、と思ってきました。やはりどうして電子書籍でほぼ無料で読めるものを1冊約5000円出して×28冊集めねばならぬのかと…。それならばプレイステーション4とファイナルファンタジー15を買って楽しむべきではないかと。いまモンスターストライクではFFコラボやってます。FFも今年で30周年を迎えたそうで…僕が初めてやったのは4です。スーファミのやつ。それはとても綺麗なグラフィックじゃった…いまネットで検索してみるととんでもない絵なのですけどね。自分のなかで美化していた部分もあるのでしょう。そうだ!プレイステーション3は持ってるから10のリマスターをやろう!…まあいいやファイナルファンタジーは。でも10は泣けるらしいよ!あとは最近、「逃げるは恥だが役に立つ」を観てます。あの恋ダンスがね、なんかこの世界のみんな踊れるんじゃないかという錯覚を起こしてしまう…。観てみるとなんか内容はイメージしてたのと違いました。まあガッキーが可愛いとかいう情報しか入ってなかったのですが。なるほど〜プロの独身との秘密契約結婚とはそういうことだったのか。僕が仕事に出かける前に猫師匠が現れました。猫師匠が1番喜ぶときは新しい猫の餌の袋を開けたときですね。やはり新鮮なものが食べたいグルメなんでしょう。いまちょっとやりたいことは、『うる星やつら』の名セリフを記事にアップしたいです。これが僕の会話の根本に流れているものなんだと言うことを知らしめたい(誰に?)あの面白さを記事を読んでくださっている方がたと共有したいです。

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  • 10 Feb
    • か、が、く…。

      こんばんは、ともすけです。   僕はこのブログでは文学やら哲学やらを書いていたりするのですが、学生時代は理系の科目の方が得意だったのです。小説はそこそこ、漫画はかなり好きだったのですが成績はなんでか理数のほうがいい。こればかりは持って生まれたものなので仕方ありますまい。 なんかこの世界は数学を突き詰めれば一つの解が出るかもしれないなんて妄想を抱き出してから進路変更したのですよね。本質的には東野圭吾の『容疑者Xの献身』に出てくる石神みたいな感じなのかもしれません。文学や哲学に出会えてよかったですよね。興味なかったらまったく違う人生を歩んでいたでしょう。 それで何が言いたいかというと、僕は結構変わったものの見方してると思うのです。文学や哲学も純粋な(いるかはわかりませんが)小説好きとか哲学好きとかとは違うような気がするのです。そんなわけで昔から僕ちょっと違うんですよ、と言い続けているのです。     で、今回は『文明探偵の冒険』からの引用。この本を直接読んではいません。どっかの学校の入試問題です。作者も知らないのでどれだけ正しいことを言っているのかもわかりませんが、僕の文学や哲学を読む姿勢とだいたい同じだなと思ったので長かったですが!一生懸命打ちました。     「科学的知識は、原理的にどこまで行っても絶対的な正しさを保証され得ない。科学者のネットワークにおける議論を通してスクリーニングされ、徐々にその信頼性が高まっていき、多くの科学者が認める公の知となって、時には「科学的事実」なる称号を得る。だが仮にそうなっても改訂可能性はいつも開かれている―――当然、その確率は低いだろうけれど。だからこそ科学は、「人類にとって最も信頼に足る知」というステイタスを得たのである。…   …Natureの場合は、たとえば米国のScience誌に比べると、結果的に質の悪いものを載せる失敗よりも、載せるべき重要な論文を載せない失敗を避けることを、やや重視する傾向があるように思う。この考え方は、科学の本質に照らしても健全であろう。  要するに科学という活動にとって、[面白さ]は非常に重要なのだ。そこから何か凄いことが始まるかもしれない、という予感のようなもの。脳髄がヒリヒリするような、心臓がワナワナするような、そんな高揚感。おそらく一流の科学者なら皆、その感覚を共有しているはずだ。それこそが、科学という活動を駆動するメイン・エンジンであることは、間違いない。…   …そもそも最近の日本は[ワクワク]を軽視する社会だろう。少なくとも公の場では、[ワクワクすること]よりも[ちゃんとやること]の方が、遥かに重視される。ワクワクがなければ、先ほどの[知識のための科学]は発展しないはずなのだが、どうやら元々この国で[科学]とされていることのほとんどは、[科学に基づく技術]のことだったので、特に問題はなかったのである。」(『文明探偵の冒険』神里達博 講談社現代新書)     という至極もっともなことが書いてあるのですが。ちょっと引用がこれでも短かったと思うので何が書いてあったか補足すると、日本の科学は今まで科学に基づく技術を輸入してきた。だから技術を先進国からコピーしてくればそれでよかった。外国の知識をいち早く正確な日本語に翻訳する能力やその輸入した基本原理を自由に使って、より性能の良い製品をつくるとかが重視された。しかし先進国となった日本ではもうそうはいかないと。つまり「ワクワクする」ことを重視する社会、失敗することを恐れない姿勢のようなものが重視される社会が求められるのではないかなと。     この科学の姿勢と同じことを文学や哲学に僕は求めています。失敗を恐れずに大胆な読み方をしたい。そういう読み方をしている人のブログを見に行きたい。間違った!こいつ間違ってるぞ!とあらさがしをするのはあほらしい。大げさに言えばブログ記事のなかでなにか一行でも光る言葉が書いてあったらそれでいいのではないかと。だからみなさん、僕に優しくしてねw というわけでもないのですが、人様のブログを見に行くときはできるだけそうしたいとこころがけています。     バルトのテクスト論になぞらえるなら作者から読者の側へ権力が移ったわけですから読者は自由な読みを許されたわけです。(あんまり酷いのは駄目だけど)あと、作品について権威が書いてあるのをなぞるのもそれはその権威という作者に権力が移っただけなので読者の読みの自由は確保されないと思います。大学教育でならば一次テクストは読み込み自分に叩き込みますがそれ以外は自分でテクストを構築=表現しなくてはならない。そういうものでしょう。つまりは「ワクワクする」ものを書くことが大事だという点で僕は上の引用に同意します。そんな感じで書いていけたらな~と思います。

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  • 09 Feb
    • ドルチェ&ガッバーナ

      こんばんは、ともすけです。帰ってきたら、ガッバーナからレター。なんやろ?これ?音楽的なものがテーマ?春夏か…来たな…来ましたな…。わが愛しのガッバーナ。だが僕の身体は冬の間に増量してしまった…!疲労困憊ではあるが、身体を鍛えなおしスリムなボディを取り戻せ!実はランバンのほうが好きだったりするが…やはり僕の青春はガッバーナとディオール。人は青春と言う名の幻を追いかけるものなの…。しかし、公式サイト見ると今年も飛ばしてるなガッバーナ。Tシャツに18万ってマジか…洗濯できないだろそんなの…。スニーカーで34万円か。なるほどな…(動揺を隠せない:(;゙゚'ω゚'):)昔とユーロのレートが違いすぎてね?まあ覗くだけ覗いてみるか。そして掘り出し物を探すのだ、行け!

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プロフィール

ともすけ

性別:
男性
誕生日:
1974年10月4日
血液型:
AB型
お住まいの地域:
新潟県
自己紹介:
音楽一般に目覚めてきました。それにより読書の理解の幅も広がりました。共通点はリズムです。お薦めの本、...

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