松田まなぶオフィシャルブログ Powered by Ameba

日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。


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保守とは何か?リベラル革新とは何なのか?~政党政治の対立軸の再整理を~松田学の論考~

 

 総選挙を経て安倍政権一強体制が強まった日本の政界、国会では立憲民主党が対決型、希望の党が提案型を演じているようです。

 しかし、そもそも各政党は日本のどのような未来を目指しているのか、それがみえていなければ、国民にとっては不毛な国会論戦ですし、政党政治への不信は払拭されないと思います。

 

●野党で繰り返される離合集散の歴史

 1996年9月の解散で、自民党に対抗するために新進党ができ、98年にリベラル派が民主党を作りました。今回は10月の総選挙に向けて、そうした政界再編が一気に一週間で行われ、希望の党はネオ新進党、立憲民主党はネオ民主党のようなものかもしれません。

 強い自民党に対抗しようとして第二保守党を作ると、そこから漏れた中道左派、リベラル派は対自民勢力として固まろうとします。分かれては対抗できないから一緒になりますが、また分裂する、日本の野党再編はその繰り返しでした。

 自民党に対抗できる政権交代可能な野党が生まれて二大政党制を営んでいくためには、これまでの「保守対リベラル革新」とは異なる対立軸が必要だと言われて久しいです。

 想起するのは、民主党が政権を取る以前のこと、当時の民主党代表だった岡田克也氏が言論NPOのフォーラムで、冷戦体制崩壊後はイデオロギー対立がなくなり、政策面で政党間の対立軸はなくなったと述べていたことです。

 では、自民党との違いはどこにあるのか?同じ政策でも、どちらの政党がよりクリーンなのかに違いがあるというお答えでした。それでは、有権者が政治に真摯で持続的な関心を持っていくのは難しいでしょう。

 今回、民進党議員の希望の党への合流を目指した前原誠司氏は、政界からリベラル勢力を一掃して、建設的な二大保守政党政治の実現を目指していたのかもしれませんが、小池発言を機に、逆に、立憲民主党が野党第一党となる結果となり、それは失敗に終わりました。

 ある世論調査によれば、日本では国民の6割が政党政治に期待出来ないとしており、国会への信頼は落ち、自衛隊、警察といった実行力のある組織が信頼を得ているようです。

 ただ、こうした政党政治の行き詰まり状況は日本だけではありません。政党政治の閉塞感がトランプ大統領を生み、英国ではEU離脱に至ったように、各国でも政党政治は流動化しています。どの国でも、政党が民意を適切に吸収して、責任ある政治の次元へと民意を昇華させる機能を果たせていないようです。

 これは世界的にみて、エリートやインテリ層の知的怠慢による面も大きいのかもしれません。その中で、対立軸といえばポピュリズムになってしまいます。

 しかし、欧米では、既存の政治に対する不満が新たな政治勢力へと向かうのに対し、日本では政権の継続という結果になっています。恐らく、その違いは、日本では欧米ほどの経済格差が無いということかもしれません。

 日本の政権与党も、格差是正にもそれなりに注力し、介護や子育てなど社会保障を成長戦略に位置付けた「新3本の矢」を打ち出したり、野党の政策(同一労働同一賃金など)を巧みに取り入れ、争点を消してしまう「抱きつき作戦」をするなどで、明確な対立軸の余地を野党に与えてこなかったといえます。

 そもそも現実主義に立てば、最大多数の最大幸福とは多くの場合、一つの答えに収斂してくるという面があるかもしれません。確かに、イデオロギーの終焉の時代にあって、対立軸を描きにくい社会になったということはいえそうです。

 

●本来の政党政治の姿は…

 本来、政党政治とは、それぞれの政党が国や社会のあり方についての理念を掲げ、いわば国の未来選択を競い合うことで有権者の信任を獲得していく営みであるはずです。

 それぞれの理念には、それを実現する全体システムの設計思想があり、その設計思想のもとで個別の社会システムや政策分野において、理念を実現するための設計図が描かれ、さらにそのもとで、それらを実現する政策手段が提示される、その一連の全体が体系的、整合的に示されることで、有権者が未来選択を行えるようになる。

[第1図]

 こうした政策体系の競い合いこそが、政権選択選挙の総選挙の姿であるべきものです。

  「理念」としてこれまでよく言われてきた対立理念を例示したのが[第2図]です。私自身は、どうもこうした二律背反的な対立軸を理念として掲げた政治では課題解決には至らないと考え、これらをアウフヘーベンした、もう一つの軸を創造的に描いていかなければならないと考えていますが、それは別の機会に論じることにします。

[第2図]

 「政党間のイデオロギーの差が大きいほど有権者の投票参加が促される。」というのは、米国の政治経済学者アンソニー・ダウンズが半世紀以上前に述べた言葉だそうです。ただ、これからの時代において創造的な選択肢を生み出していくには、これまでのような「保守対リベラル革新」が対立軸として果たしてふさわしいのか。以下では、そもそも「保守」とは何なのか、「リベラル」とは何なのかを考えてみました。

 

●リベラリズムの系譜と対立軸としての保守

  「リベラル」といえばリベラリズムであり、その語義は「自由主義」ですが、リベラリズムの原点を探ってみると、19世紀の英国の哲学者ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)が唱えたリベラリズムとは、[第3図]のように、個人の自立性という意味での自由主義と、個人の生存と自由を守るための福祉国家的リベラリズムの2つの意味があったそうです。

[第3図]

 個人の自立という古典的な自由主義を保障するためにこそ、福祉国家的リベラリズムが唱えられ、これがニューリベラリズムとなったわけですが、結果として、公共の福祉の名のもとに国家や官僚機構が肥大化していき、ハイエクなどの流れでもあるネオ・リベラリズムが新自由主義として対立軸となっていきました。

 実は、同じ自由主義でも、その意味は多義的であり、ましてや、その対立軸とされる保守主義とは何なのかも、言葉の使い方によって差異があり、両者の対立軸は必ずしも明確ではありません。そのことを示したのが[第4図]です。

[第4図]

 同じ自由主義の中にも、自由放任型と国家干渉型の対立軸がありますし、米国では自由主義とは社会主義にもつながる概念とされ、これを拒絶するものとして現代保守主義としての新自由主義が台頭してきました。

 冷戦期のイデオロギー対立の時代は、資本主義とは保守であり、社会主義が革新であるというように対立軸は明確でしたが、これが崩れた今や、リベラルも保守も、その定義はますます曖昧になっています。

 リベラルとは、権力側から特定の価値を押し付けられず、干渉を受けないとする立場であり、それと対立するのは保守ではなく、パターナリズム、つまり、国民生活の細部にわたって権力側が面倒をみるという父権的干渉主義であるという考え方もあります。

 また、保守とは、フランス革命を生んだような合理主義的で近代主義的な左派に対立するものとして、何が真に合理的で正しいのかは神のみぞ知るであり、人間の知性には限界があるとして、常識や経験値や慣習を重んじる立場なのだという考え方もあります。

 経済政策では、リベラルが「大きな政府」、保守が「小さな政府」とされることが多いようですが、日本では保守とされる自民党が公共事業を推進する政党であることに、米国人は驚くようです。かつて米国で民主党政権のもとに公共事業を推進したニューディール政策が有名ですが、結果として「ニューディール」という言葉自体、米国ではリベラル派が使う言葉になっているようです。

 日本ではリベラルとされる民主党が「コンクリートから人へ」で公共事業の大幅削減をしました。この面をみても、保守とリベラルの区別は曖昧です。

 

●保守とリベラル革新を再定義すると…

 これまでの政治の流れを踏まえて、ここであえて保守とリベラル革新の違いについて再定義を試みると…、

 リベラル革新とは、世界的に普遍的な共通理念に向けて人類社会は進歩していくのであり、この絶対的に正しい真理の実現に向けて、どの国もが進歩の途上にある。国ごとにみられる相違は、その進歩の程度の差異を反映するものである、という考える立場。

 これに対して、保守とは、各国(や各地域)には、それぞれ異なる固有の歴史や伝統、個性があるのであり、そうした歴史の連続性と国や地域の固有性を重視する立場。

 概ね、このような分類をすると、両者の違いが分かりやすくなると思います。

 例えば、マルクス主義が想定したように、どの国も様々な矛盾をアウフヘーベンしながら、最終的には共産主義という人類共通の理想を実現した社会に行き着くという考え方は、リベラル革新の立場を分かりやすく説明するものでしょう。共産主義以外にも、人権や平等、博愛といった理念的価値を絶対視する立場である場合もあると思います。

 これに対して保守は、確かに人間が考え出した理念は理念として大事だとしつつも、そもそも神ならぬ人間は真理とは何かを規定できる存在ではなく、それを絶対視せずに、過去から営々と営まれてきた慣習的文化伝統にこそ人間社会の知恵があるということを、より重んじようとする立場だといえます。

 よく、保守は国家というものを大事にする立場だとも言われますが、それは、それぞれの国家の固有性や歴史性を重視するからこそ、国家それ自体に個々の人間を超えた独自の価値を見出しているからだといえるでしょう。

 ここで重要なのは、国家には伝統的民族共同体としての国家と、統治機構としての国家という、二つの意味での国家があり、それらを区別して考えるべきだということです。この区分けのもとに、保守は、さらに、現実的保守と改革保守の二つの立場に分かれます。

 つまり、保守とは本質的に、伝統的民族共同体としての国家を大事にする立場ですが、そこから、改革保守、すなわち、伝統的民族共同体としての国家を守り、発展させていくためにこそ、その手段であるともいえる統治機構としての国家は大胆に変革しようとする立場と、現実的保守、すなわち、同じく伝統的民族共同体としての国家を重視しつつも、必要な改革は漸進的、現実的に進めていこうという立場の二つに分かれると考えられます。

 現実的保守が、長年、官僚機構や地方組織、あるいは各種利益団体等から支えられてきた自民党であり、改革保守が、いわゆる第三極、具体的には、かつてはみんなの党、維新、次世代の党だといえます。一応、希望の党は改革保守を標榜して総選挙を戦いましたが、本当にそうかどうかが分かるのはこれからでしょう。

 [第5図]に上記の分類を示しましたが、同じ図の右側に示したのが、私がもう一つ考えられるのではないかと思う対立軸です。

[第5図]

 

●権利義務の国民間での均衡か、権利と義務(責任)の均衡か、権利を超えた責任か

 これは、国家と国民との間での権利と義務(責任)というものを軸にした分類です。

 各国民は国家に対して自らの権利を主張し、国家から権利を与えられている一方で、国家に対する義務も負っています。分かりやすいのが「受益と負担」でしょう。国から社会保障などの行政サービスを受ける権利が国民には与えられている一方で、そのための納税などの義務が国民には負わされています。

 これについて、こうした権利・義務について、その国民の間での配分における均等を重視するのがリベラル革新だとすれば、権利と義務(責任)の間の均衡を重視するのが保守ではないかとも考えられます。

 財政の文脈で捉えれば、膨大な財政赤字を抱える日本では、全体として権利が義務(責任)を上回っていますが(受益が負担を上回っている)、せめて、これを均衡させようとする責任意識に、保守というものの有様を捉えたいと思う次第です。

 そもそも国家とは将来世代に向けて永続する存在であり、権利と均衡する義務や責任を果たそうとすることは、国家の持続可能性=次世代に向けた責任というものを果たそうという意味で、国家を重視する立場だと言うこともできます。

 ここからさらに私は、国家から自らに与えられた権利を超えた責任の領域を重視する立場というものを、新しい政治の軸として打ち立てられないものかと考えてきました。

 その責任というものは、国家であれ、地域社会であれ、何らかの「公」(パブリック)に対する責任であり、その領域を拡大することに価値形成と生きがい見出していくことで、豊かさやと活力、経済成長を実現していくという立場が考えられるのではないかと思います。

 

●政党政治の類型

 以上は、保守対革新リベラルという従来の考え方を前提に対立軸のあり方を考えたものですが、ポスト安倍政治の局面で求められてくるのは、こうした対立軸とは異なる新しい対立軸の創造かもしれません。

 これを創出しなければ、健全な民主主義の基礎にある、政治に対する有権者の主体的な関わりというものは実現せず、政党政治は行き詰まってしまうのではないかと思いますが、現状はなかなか難しいようです。これを示したのが[第6図]です。

[第6図]

 その詳細は改めて論じますが、最大多数の最大幸福を実現するということであれば、理念の違いはなくても正しい政策は自ずと収斂してくるものだと考えれば、有権者は自民党一党独裁にお任せということになってしまうかもしれません。

 これに対して、政権交代可能な二大政党制は、この図に書かれているように、その実現の条件が日本では全くと言ってよいほど未整備です。

 この状況を突破するものとして、私はかつて「公約党」というものを提案したことがありますが、最近では、いずれ人工頭脳が人間を上回るシンギュラリティ―の先に、政治をAIに任せてしまえば良いという議論も出てきています。こうなると、民主主義そのものが持つはずの価値を否定することになります。

 有権者の政治に対する白けや無関心の先に、民主主義そのものが崩壊していく、そのようなことがないよう、国民を魅了する新たな対立軸をどう創出するか、今後さらに議論を進めてまいりたいと思います。

 

松田まなぶのビデオレター、第74回は「対立軸なき政党政治、保守とリベラルの再整理を」

チャンネル桜11月21日放映。

 

 

 

 

 

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信任を受けた安倍政権の使命は何なのか。~真の国民選択はその先にある~松田まなぶの論考

 

●有権者による今回の政策選択

 自民グループ、希望グループ、立憲民主グループの3極の中で、国民が今回の総選挙で選んだのは自民グループ、野党体制はますます求心力を欠き、安倍一強体制は強化されました。そのもとで、今回、自民党が政権公約で有権者と交わした約束を踏まえれば、これから[第1図]のような政策が実施されていくことを国民は選択したことになります。

[第1図]

・まず消費税については、2019年10月に10%へと予定通り引き上げられ、2%アップ分で得られる税収増5.6兆円のうち、その使途の変更によって歳出増に積み上げた1.7兆円を財源に用いて、2兆円の政策パッケージが打たれることになります。それは「全世代型社会保障(教育・子育て)」による「人づくり革命」であり、その根本にあるのは、日本の国力衰退の原因である人口減への対策です。

その中で、教育無償化については原則、3歳~5歳の全ての子どもと、低所得世帯の0~2歳児について、幼稚園や保育園費用を対象に講じられます。

・消費税の使途変更による歳出増、すなわち、本来は、消費増税によって従来の社会保障支出の財源が国債から消費税に置き換わることによって減るはずだった新規国債発行の減額分が1.7兆円程度、減ることになります。結果として、毎年度の財政健全化のベースラインがその分、悪化しますから、2020年度プライマリーバランス達成は、目標年次を先送りすることになります。

そして、金利の上昇を抑止することで財政の爆発を回避してきた日銀の金融政策、異次元の金融緩和が続けられることになります。

こうして、経済政策はアベノミクスが継続され、その第3の矢は、今後3年間の「生産性革命・集中投資期間」がポイントになります。狙いは、なかなかインフレ目標が達成されていない中で、その根っこある賃金上昇の鈍さを克服すべく、生産性を上昇させて、これを賃上げにつなげる好循環の実現にあります。

しばらく、安倍政権の重点は、「働き方改革」に置かれるでしょう。残業時間上限規制、同一労働同一賃金、そして脱時間給制度が公約でも謳われていました。単に働きやすい環境を作るだけではなく、成果に応じた賃金となってこそ生産性の上昇につながります。来年の通常国会の焦点になるでしょう。

法案としては、IR(カジノ)実施法案の取り扱いも焦点です。

・通商政策は、日米FTAを迫る米国に対して、日本は二国間よりも多国間でのルール形成を前面に出し、日EUのEPAの大枠合意に続き、早速、11月にTPP11が大筋合意され、いよいよ日本はメガ自由貿易圏の要の位置へと進んでいきます。これを受けて、農業などの国内対策も急ぐことになります。

・国際秩序面では、中国の「一帯一路」構想を意識して、日米による「インド太平洋戦略」がトランプとの間で打ち出され、これを日本が提唱する「質の高いインフラパートナーシップ」が支えていくことになります。

・総選挙で争点でもあった原発については、これをベースロード電源と位置づけ、2030年において電源における原発の比率を、現状の2%から20~22%へと引き上げることが正当化された形になります。これに必要なのは全国42基の原発のうち30基を再稼働することであり、この比率を維持するためには原発の新設(リプレース)もいずれ必要になりますが、有権者はこれに同意したことになります。

・改憲については、9条に自衛隊を明記する形での発議になるかどうかを重要な論点として、国民世論の動きを見極めることになるでしょう。国家安全保障については、北朝鮮に対する圧力路線と米国全面支持路線が国民に支持されました。自民党は総選挙で北朝鮮問題に対して「国民を守り抜く」を前面に打ち出していました。

 

●長期政権となった安倍政権の使命とは。

 今回選挙の余勢をかって来年9月の総裁選で3選となれば、2019年11月をもって安倍政権は、戦前の桂太郎を上回る憲政史上最長の首相在任期間を達成することになります。

 今回の選挙の国家的意義は、安倍政権がもう、次の選挙をそれほど意識せずに、総理として本来、やりたいことができる状態になったということにあるのではないでしょうか。もちろん、2019年に参院選はありますが、政権選択の総選挙を挟むことなく、残りの4年の任期に政権として本当の勝負をかけられます。

 安倍総理が本来やりたいことができる。次はないからこそ覚悟を決められる。長期安定政権だからこそできることに注力してほしいものです。それは、先送りされてきた戦後日本の課題の解決に、決着をつけることだと思います。

安倍総理は「新しい国づくり」という言葉をよく使ってきました。私が衆議院議員だったときには、国会審議の場で安倍総理に、その中身は何なのかという趣旨の質問を何度もしたものです。ただ、私は、次の日本の在り方の選択の前に、やるべきこと、当たり前のことを片付けるということを遂行することに、今回得られた政治的な資産を活用してほしいと思っています。

 2006~07年の第一次安倍政権の頃の安倍総理は「戦後レジームからの決別」を掲げていましたが、これを含め、本当にやってもらいたいものとして以下、4点挙げてみます。

 第一に、変えられる憲法の実現です。そのために、改憲を発議して国民投票によって初めて憲法を自分たち国民が決めるという体験を日本国民がすることそれ自体が重要です。

 第二に、国家として一人前になる、自立するということです。その上で、北朝鮮問題は一つの試金石です。[第2図]は北朝鮮問題について想定される4つのシナリオですが、理想は言うまでもなく、④「国際社会の取り決めにより、北朝鮮の核・ミサイル開発をコントロールしていく」。しかし、これが果たして現実的かという問題があります。

[第2図]

 他方で最悪のシナリオは、①「北朝鮮を核保有国として認める」ですが、特に懸念されているのは、もし北がICBMを開発すれば、本土が核攻撃されるリスクのある米国による「核の傘」、つまり、日本が核攻撃されたら米国が北朝鮮を核攻撃してくれるという「拡大抑止論」が崩壊することです。

 米国は否定していますし、米軍の本社機能の相当部分が日本に置かれているという日本の米国にとっての特殊な位置づけにも鑑みれば、日本にとって米国による「拡大抑止論」が無効になることはないともいえますが、米国のそのコミットメントには多大な負担が米国自身にかかっています。同盟国である日本として、その負担を減らすべく、どうサポートするかが重要です。おんぶにだっこでは、日米同盟は十分には機能しません。

 世界の核不拡散体制が崩壊するという意味でも最悪のシナリオである①に比べれば、②の「米国が軍事行動を展開」のほうが、まだベターかもしれません。今回の北朝鮮問題は、有事は現実にあるものだということを日本国民に確認させたといえます。

日本は日米同盟の実効性を担保すべく防衛力強化と、必要な場合には集団的自衛権の限定的行使に踏み切る。そして、世界の平和のために安全保障面でも大国としての責任を果たせる国になる。そうであってこそ、自立した国です。

 第三に、すでに行き詰まった「戦後システム」を様々な面で持続可能な全体システムへと再設計していくために、これまで先送りされてきた諸課題を解決することです。戦後システムの例を挙げればキリがありませんが、例えば、大企業を中心とするガチガチの「組織本位制」による経済社会の硬直性などがそうでしょう。

 第四に、財政問題の解決に本格的な道筋をつけることです。自らの課題も解決できない国から卒業しなければなりません。

財政だけでなく、何事も改革には痛みが伴います。だからこそ長期安定政権が必要です。かつてドイツでは、シュレーダー政権のもとで「働かざる者、食うべからず」の労働市場改革がなされ、次の総選挙で大敗してメルケル政権に代わりましたが、この改革が次のドイツ経済の持続的な成長と財政再建につながりました。それぐらいの覚悟が問われます。

 

●消費増税分の使途変更と財政再建

 ここで財政に焦点を当ててみますと、今回総選挙で急に安倍政権が打ち出した消費増税分の使途変更の背景には、次の2つがあったとされています。

 第一に、今まで掲げられてきた2020年度の財政健全化目標の実現は実際には難しく、かと言って、それを諦めたと正直に認めてしまうと、目標達成ができないほどにアベノミクスは失敗だったのではないか、うまく景気浮揚が出来なかったから目標を諦めることになったのか、との批判を浴びてしまうため、何か良い口実を探していたということです。

 第二に、これまで消費増税によって予定されていた社会保障の充実のうち、子ども子育て支援の7,000億円は、5%から8%まで増税する際に得た財源ですでに使い込んでしまっていたため、今回選挙を控え、何のための増税なのかと、特に若い世代から批判されかねないという事情があったということです。

 2%の増税分は「全世代型」で良い事があるという大義名分をもって、2020年度のプライマリーバランス目標を、いったん白紙に戻す形になったわけです。

 では、この目標達成年次を、今後、政権はどの年次に設定するのでしょうか。[第3図]は、毎年1月と7月に内閣府が改定試算値を出してロールオーバーしている「中長期の経済財政に関する試算」の数字です。そもそも、経済成長率が名目で4%近くと限りなく理想に近く、限りなく非現実的に近い?楽観的な「経済再生シナリオ」のもとで、しかも、2019年に予定通り消費税率を10%に引き上げたとしても、2020年度のプライマリーバランスは▲8.2兆円もの赤字で、目標達成のためには、これだけの金額での社会保障費の削減などが必要でした。目標のプライマリーバランスの達成は2025年度という姿です。

[第3図]

 来年1月には、今回の消費増税分の使途変更で悪化した財政状態を踏まえてロールオーバーがなされますが、プライマリーバランスの達成は、団塊の世代が全員、後期高齢者入りして財政が爆発する時期に入る2025年度よりも先に設定するというのでしょうか?そういうわけにはいかないでしょうから、その時期に入る2025年度までになんとか達成する姿をどう描くのか、注目されます。

 

●本当の国民選択とは?

 いずれにせよ、消費税に関する本当の国民選択は、2019年の10%の引上げをどうするかという点にはありませんでした。むしろ、10%への引上げで、真の国民選択をする前提がようやく始動したといったほうがいいでしょう。10%への引き上げは選択の対象ではありません。これは必要最低限のMustであって、選択肢はその先にあります。

[第4図]

 [第4図]をご覧ください。重要な国民選択の制約条件として、日本は他の先進国と比べて少子化・高齢化の程度がきつく、加えて、これまで消費増税を先送りしてきたことによって累増した政府債務の処理の問題もありますので、「低福祉・低負担」か「中福祉・中負担」かという選択ができなくなっているということがあります。

 日本のほうがデンマークよりも高齢世代の人口比率は高いですが、デンマークは租税負担率が7割近くにのぼり、消費税率(付加価値税率)は軽減税率無しの25%です。これは「高福祉・高負担」を選択している国ですが、日本の場合は、中福祉を選択すれば高負担、低福祉を選択しても中負担になってしまうという現実があります。

 このもとに、日本はどんな社会システムを選択するのか。

 大陸欧州型ならば頑張っても消費税率25%以上、米国のような自己責任型でも15%程度、民間による共助(例えば、資産を持てる高齢者が資産を活用して持たざる高齢者を底上げする世代内相互扶助)を入れるなどの努力により日本型の福祉を目指して、なんとか20%程度までに消費税率を抑えるのか。どんな社会を設計するかが問われます。

 私は消費税率を引き上げるべきだ、と言っているのではありません。もはや、そうしたゾルレン(当為)の問題ではなく、ザイン(事実)の問題として消費税率は10%よりもさらに先において、相当程度引き上げざるを得ない。課題としてのゾルレンの議論は、それをどこまで引き上げなくても済むような社会システムを構築するかにある。そこにこそ、これから日本の国民に問われる真の選択肢があるということを指摘しているわけです。

 「新しい国づくり」はまず、最低限の課題解決からです。労働市場改革なども色々と言われていますが、税制も医療も農業も…、まだ先送りされてきた改革をようやく実行しようという段階です。ここが今後の安倍政権のフェーズです。

 その次のステップ、つまり、本物の国民選択はポスト安倍政権のフェイズにあるのではないでしょうか。「戦後レジームからの決別から戦後システムの次なる全体システムの構築へ」。

 それは、今の政権与党とは異なる未来設計を選択肢として示し、対立軸を描く別の政党が担うのか、そのための政界再編が国政上の課題なのか、あるいは、ポスト安倍の自民党が担うのか。いずれにしても、これからの政治に問われるのは、どのような軸を国民選択の選択肢として打ち立てるかです。

 ここでは、消費税率を巡って、その必要性を論じましたが、政治の対立軸といえば、長年にわたり、保守vsリベラル革新ということで日本の政治は動いてきました。しかし、そもそも保守とは何なのか、リベラル革新とは何なのかは、その定義もかなり曖昧です。

 今後、議論を進めてまいりたいと思います。

 

松田まなぶのビデオレター、第73回は「信任を受けた安倍政権が今後進める政策とは?」

チャンネル桜11月7日放映。

 

 

 

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選挙結果からみえる、政党政治衰退の危機 ~松田まなぶの論考~

 

●民意が十分反映されにくい日本の選挙制度

 今回の総選挙、結果は自民党の圧勝、与党で3分の2の維持でした。野党第一党の民進党が、希望の党、立憲民主党、無所属グループへと3分し、選挙区で一人しか当選できない小選挙区制のもとでは、ほとんどの選挙区で自民党候補が勝つことになりました。

 新党の風は、希望の党には吹かず、「排除」発言でむしろ逆風となり、立憲民主党に風が吹きましたが、同党は十分な数の候補者の擁立が間に合わず、政権交代どころか、逆に、安倍一強の自公体制の継続を追認する結果となりました。

 そもそも、筆者自身が経験したことですが、第三極として「風」に期待する新党は非常に難しく、やはり小選挙区制は二大政党でなければ勝負にならないものです。

[第1図]

 特に日本の場合、共産党が主要政党の一角を占め続けています。仮に保守vsリベラル革新を政治の対立軸だとすれば、保守に対抗するためといっても、リベラルに共産が入るということにはアレルギーが強く、リベラルがなかなか対抗勢力としてまとまりません。

 そもそも、利益、利害、価値観が多様化している社会にあっては、民意を的確に反映するのは多党制だという指摘もあります。それを二つのブロックにまとめようとするから無理が生じるという議論です。

 他方、小選挙区に比例を並立させるという中途半端な制度であることを問題視する議論もあります。つまり、比例で大きく議席を取る共産党が存在する限り、小選挙区でも共産党はリベラルの票を食う存在として脅威になりますが、単純に小選挙区だけにすれば、共産党は音を上げてリベラルにつき、良い中道左派になるかもしれないという議論です。

 ただ、そもそも現行制度が作られた際に比例という仕組みが入ったのは、小選挙区だけであると人気投票になってしまう、真に国政に有為な人材が国政に入れるようにするためには、政党が「この人は」と思う人材を高い名簿順位にして確実に当選させられる仕組みを作ることが適当だという議論もあったからだという説があります。

 しかし、現状では、小選挙区に立候補した候補はほぼ全員が同一の名簿順位で比例との重複立候補となり、比例は、小選挙区で敗れた候補を惜敗率で救うための制度として使われてしまっていて、そうした意味での本来の趣旨は十分に活かされていません。

 確かに、選挙区で血みどろで戦っている候補者からみれば、名簿順位が上位にされただけで確実に当選できる比例単独候補者の存在は許せないということになります。それが現実です。

 小選挙区制のもとでは、選挙で勝って政権を取ることになった政党は、選挙区での得票率から按分した議席数よりも、実際の議席数のほうがはるかに多くなる傾向があります。民意の反映のされ方が、実際の民意よりも極端な形になるわけです。

 これは、そもそも小選挙区制が想定している二大政党ではなく、野党が多党化している場合に生じる現象といえます。小選挙区制の導入は、二大政党の間で政権交代が起こりやすい仕組みとすることが趣旨でした。

 そのもとで、選挙結果はドラスティックに、時の民意を受けた方の与党に多数の議席を与えることになります。複数の野党が並存していると、野党が一本化していれば当選していたはずの候補者が軒並み、当選できなくなります。今回起こったのは、この現象でした。

 これがもし、[第1図]にあるように、4人が当選する中選挙区だとすれば、分散した票が、その比率に応じて各党の候補者に議席を与えることになり、国政には民意がより正確に反映されることになります。

 与党も二人目の候補を当選させられる可能性が大きくなるので、ここに新規人材が参入できやすくもなります。与党候補者どうしで切磋琢磨もできることになります。

 小選挙区制になってから政界に国政を担うにふさわしい人材が少なくなったと、よく言われますが、小さな選挙区で過半の民意を獲得するために膨大なエネルギーを費やさなければ当選できないという現行制度の影響が大きいでしょう。何でもありのデパートのように過半以上の民意をつかむリップサービスをしなければ当選しませんから、特定分野で突出した、あるいは主義主張が明確な多彩な人材が、選挙区で10%の得票率でも議席を得るということは難しくなります。

 

●政党政治がうまく機能しないのはなぜか

 今回の総選挙は、大きく分けて、保守の「自民グループ」(自民+公明)、野党では改革保守とされる「希望グループ」(希望+維新)、リベラル革新に分類されている「立憲民主グループ」(立民+共産など)の「3極」が議席を争いました。それらが政権公約で掲げた理念は[第2図]のとおりで、このうち自民グループの理念を国民が支持した形になっています。

[第2図]

 ただ、どうも近年、政党政治そのものに対する不信感が国民の間で増大しているようです。その要因として、以下、4点を挙げてみました。

政党選択は未来選択になっていない。

 国政選挙の理想は、政党が日本の未来を競い合う選挙です。

 政策が法案になり、法律となって実施され、それが成果をもたらすには、通常、数年の期間を要するでしょう。政権が政権の座で、ある程度の一定の期間(例えば4~5年程度)、仕事をすれば、有権者は、その政権が前回の選挙のときにマニフェストで有権者との間で行った約束の実行状況や成果を評価しやすくなります。そして、それと比較して、他の政党が描く未来や政策との間での選択ができやすくなります。

 今回は、国会論戦すらしたことのない新党が生まれましたが、少なくとも、選挙までの間に与野党間で国会論戦が積み重ねられ、お互いの政策の練度が高まり、そうした営みが広く発信されてこそ、有権者には未来選択の的確な材料が与えられるといえるでしょう。

 解散は本来、有権者に問いかけられているような国論を2分するようなテーマがあるときになされるのが望ましいでしょう。かつての小泉郵政解散は、当時は強引と言われていましたが、郵政改革をめぐって国会運営が行き詰まり、政権が国民に問いたいテーマとしての大義名分は十分でした。

 日本も英国のように、解散権に歯止めを設けるべきだという議論が高まっています。その点では、「大義なき解散」として、今回、野党が解散権の自由な行使について問題提起したことには一定の意義があったかもしれません。そもそも政権交代を可能にするとしてなされた現行の選挙区制度は、英国をお手本にしたものでした。

 前述のような「マニフェストサイクル」の不存在もあって、今回突然、政権選択を問われた日本の有権者は、政策ではなく、雰囲気で投票している傾向が強かったといえます。

 「今の閉塞感を、『ゲームチェンジャー』なら打破してくれるのではないか。どこに行くのかわからないが、今よりはいいのではないか」という新しいものへの期待感が票を左右する傾向は、新党ができるたびに起こってきた現象です(かつては、みんなの党、かつては維新の橋下氏、今回は小池氏)。

 そこで、「排除」と言った途端に、雰囲気が一変すると、結果がこれだけ変わってしまうということが起こります。新党の候補者にとって、選挙は博打のようなものです。

 雰囲気が投票先を左右する中で、野党への投票は、与党の失敗があったときに与党を懲らしめるという意味での野党の選択という形をとることも多いですが、これは野党自体の魅力に基づく積極的選択ではなく、消極的選択ということになります。

 いずれにしても、今回の総選挙は、急ごしらえの野党のもと、とにかくバッジを維持したい、バッジがほしい人々の就職活動にように国民には映り、白けも蔓延したのではないでしょうか。結局のところ、前回総選挙に次ぐ低投票率になりました。

 解散の大義もわかりにくく、いったい何を選べというのか、何を問われているかについて、多くの有権者には実感が乏しかったようです。

 今回、選挙期間中に公表された言論NPOのマニフェスト評価の総括は、[第3図]のとおり、極めて厳しいものでした。

 

[第3図]…言論NPO政権公約評価の総括部分より、松田が抜粋

 本来、政権選択選挙で各党が競い合うのは、この国を未来に向けてどのような国にしたいのかを示す日本の設計図です。

 政党の間で異なる理念が掲げられ、そのもとに、その理念を実現する日本の全体システムの設計思想が示され、その設計思想のもとに、個別の社会システムの設計が示され、それを実現するための政策が提示される。

 この一連の体系の束をマニフェストとして示し、有権者は、どの体系の束を選択するかで投票する政党を選択する。

[第4図]

 しかし、今回も違った選挙になりました。掲げられた政権公約はどの党も総じて、近視眼的な分配政策でした。

…野党が就職活動なら、今は北朝鮮で国難だし、安倍さんには色々とあっても、外交の積み重ねがあるし、国際社会の信頼も厚いようだ、とりあえず継続して乗り切ってもらったほうがいい。野党は格差と言うが、自民党も消費税の使徒を変更までして社会保障や教育のことも考えている、野党もいまひとつ、魅力ある日本の未来を示しているわけではない、現状のほうがまだマシだ。…

 投票に行った多くの有権者は、そんな意識が強かったのではないでしょうか。

 本来は、前述のようなマジックで得票率以上にドラスティックに議席数が変わることを伴う政権交代を目指したのが小選挙区制です。有権者が政権選択を容易にできるための仕組みなのです。

 この制度のもとで、民主党が政権をとったときも、自民党が政権に返り咲いたときも、議長席からみて本会議場の右側からほとんどを与党が占め、立ち上がって総理に拍手を送る姿は、どこかの全体主義の独裁体制を彷彿とさせるものでした。

 しかし、これこそが小選挙区制が目指す強い政権の姿です。国民が選んだ政権なのですから、約束であるマニフェストをしっかり実行してもらうためには、強い政権でなければなりません。

 「安倍一強」が言われてきましたが、それはこの制度の当然の帰結だといえます。国民が選んだ政権の期間中は、議会や党内での民主主義を多少犠牲になっているように見えても、選挙での有権者の意思のほうを重視する。

 総選挙は、現行制度のもとでは、それぐらい重要な位置づけにあるのに、今回も、まともな選択にはならなかったようです。指導者を選ぶのが政権選択選挙なのに、希望の党は総理候補を明確にせず、国民は指導者の間での選択もできませんでした。

 政権公約も、急ごしらえの新党については評価が低いようです。マニフェスト評価を終えた言論NPOの工藤代表は筆者に、「自民党も含め全体に落第点の政党ばかりだったが、その中でも比較的まともだったのは、自民、公明、共産といった組織型選挙の政党だった。希望の党も立憲民主も政策面で政党の体をなしていなかった。新党はなかなか難しい。日本の政党政治は機能していない。」と述懐していました。

 

近代型政党ではない。

 小選挙区制のもとで野党への政権交代があるとしても、理念とそれを支える社会層なくしては、それは前与党に対する単なる批判に過ぎません。希望の党への入党条件は、民進党が唱えてきた政策とは全く異なっていました。

 政党は、政策を支持する民意と連携する中で、一つの社会的基盤を作っているはずです。それを捨てるようなことが平気で起こってしまいました。

 望ましいのは、日本の政党も近代型政党へと脱皮することです。

 それは、選挙は組織が担い、議員は国政に専念するという姿です。そうした役割分担ができるだけの、一定の理念に賛同する社会層をバックとした組織が選挙を行い、議員本人は、その理念を体現する政策を磨き、発信し、国民の理解を求め、政党や国会で政策の実現に邁進することのほうに力を注ぐ。

 そのような近代型政党の体をなしているのは、日本では公明党と共産党だけです。かつて、筆者が属していた次世代の党は、保守という枠組みにおいて、こうした近代型政党を目指しましたが、結党後間もない2014年の急な解散総選挙で、その機を逸しました。

 公明、共産以外の日本の政党は、自民党のような大政党でも根無し草のようなものだと言われます。つまり、個人が組織した後援会が集まり、そこから生まれた政治家が集合して政党が出来ているようなものです。「自民党とは自分党である」と言われる所以です。

 

新規人材が政界に参入しにくい。

 小選挙区になってから議員の質が低下したと、よく耳にします。特に自民党では、「二期生問題」が言われ、多くの国民から議員としての資質が問われることになった議員が目立ったようです。その二期生たちも、ほとんどが今回の自民党圧勝で三期生になります。

 今回、希望の党の場合は落下傘候補が多く、結局、地元に根付いた候補者以外は当選が難しいことも改めて証明されました。風に左右されない地元支持層が必要です。

 結局、親から地盤を受け継いだ二世三世か、働かなくても済むだけの経済的な余裕があって日ごろから地道に地元有権者との接触に専念できるような人でなければ、自ら背負うものを擲って博打をする人以外は選挙に出ることは難しいということになります。

 確かに、特に自民党では世襲議員が極めて多く、本当に民主主義の先進国なのかと海外の方々は驚くそうです。戦後70年を経て、日本も社会全体の流動性が低下しているのかもしれません。

 そうなると、各界で活躍する、世襲でもない人材が選挙に出るとなると、よほどの資力がない限り、これは博打になります。およそ国政を担うに足るだけの優秀な人材は、すでに各界で重要なポジションと責任を有しているでしょうから、いくら国政のためといえ、それを捨て去ることは困難なケースが多いと思います。

 結局、政界への人材参入は困難、新陳代謝は博打に出る人だけで起こるということになります。ドイツなどでは公務員が選挙に出て落選しても元に戻れる仕組みになっているようですが、日本もそろそろ、考えるべきときではないでしょうか。

 ちなみに、一度国会議員になった人は、落選すると、どこに再就職するにも困難が多いという現実もあります。

 また、現状では、政治に志を抱く優れた人材が、本来は与党自民党の政治家になりたくても、世襲で選挙区は一杯でなかなか入れず、不本意ながら野党から選挙に出ているケースも多くみられます。彼らの本音は自民党ですから、そもそも与党に対抗する明確な対立軸を創出する人々ではないことになります。これも、国会論戦が政権の失点を追及することに終始しがちになることの原因でしょう。

 いずれにしても、結局、国会議員にとっては選挙が全てとなり、国政よりも地元回りが最大の重要な仕事になっています。もちろん、政治が民意を反映することは極めて大事です。どぶ板で勝ち上がってきたということにも大きな意味はあります。

 ただ、筆者が衆議院議員をしていたときに議員仲間と話すと何かにつけて「うちの地元では…」の話題が多かったのは、いったい、どう考えるべきかと思ったものです。「あなたは本来、国政をするために選ばれた人なのではないか」と、思わず口に出したくなることもありました。

 自民党では、当選回数を重ねないと、「国政よりも選挙区へ行け」と言われます。それは、この地元から国政を担う人を、として選んだ地元有権者には、本来、失礼なことでしょう。

 

有権者の関心をそそる対立軸が見えない。

 この問題はより本質的です。もはや、保守vsリベラル革新、という図式では、民意をすくい上げ、的確な未来選択を果たす政治はできなくなっているのかもしれません。

 ちなみに筆者は、安倍政権の次なる日本のテーマを選択肢として提示する政治の樹立を目指しています。稿を改めて論じることにいたします。

 

 バッジほしさでの政党の離合集散にはピリオドを、それが選挙で示された有権者のメッセージだったとすれば、今回のドタバタ総選挙にも一定の意義があったといえるかもしれません。政治はこれを真摯に受け止めなければならないと思います。

 

松田まなぶのビデオレター、第72回は「選挙結果から分かる、政党政治の衰退」

チャンネル桜10月26日放映。

 

 

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