仲間

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息子の卒業式まで1ヶ月を切りました。
 
あいかわらず5時起きで早朝練習。
夜遅くに帰ってくる部活の日々を送ってますが、
その合い間に自動車学校にも。
 
このご時世、オートマ限定で十分でしょ、と思っていたのに、
なぜかマニュアルを選び、(男子はMTの方が多いのかな)
「半クラッチがうまくいかん」「坂道発進が怖い」
「街で運転してる人見かけたらすげーって尊敬する」と、
自動車学校に通ってた頃の自分と同じような懐かしいセリフを
何度もつぶやき、どうにかこうにか、卒業できました。
 
が、最後の本免許の学科試験。
1点足らず不合格。
 
落ち込んで帰ってきた息子を笑顔で迎えたのはムスメ。
「仲間だな。おつかれ!」と一声。
彼女も一発合格できず、落ちた口。
 
次こそは頑張って合格してもらいたいものです。
 
 
 
 
 
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今年の大寒

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今年の大寒も、それらしい天気になった。
 
浜田は午前中こそ雨は降らなかったが、風が強くて、
墓掃除のときもビュービューいってた。
夕方からは雷、強風、雨、あられ。
翌日に控えた父の四十九日、どうなるかと思ったけど…
 
翌朝、風はぴたりとやみ、青空も見えてきた。
納骨も無事に済ませることができ、ほっと一安心。
 
 ただ、やはり寒すぎた。
お寺のお堂は広くて、空気が冷たい。
折り本の文字を追ってお経を唱えながらも、
頭に浮かんでいたのは実家の石油ストーブ。
 
はて、私は家を出る前にちゃんとストーブ消したっけ?
朝、ストーブをつけた時の映像は鮮明に浮かんでくるのだが、
その後がぼんやりとして思い出せない。
消してなくても、弟が気づいて消してくれているはず?
いや、でも、もしかして…。法事中に家が火事になったなんてシャレにもならん…
というやりとりが頭の中でしばらく続き、それがおさまったかと思うと、
 
今度は、寒い、寒い、トイレに行きたい…と、そのことばかりが
頭の中を占めてしまい、
結局、そんなこんなで法要は終わってしまったのだった。(ごめん、父さん)
 
翌日、岡山に帰る道中の瑞穂は一面銀世界だった。
けど、山を越えてしまえば別世界。
広島市内は青空が広がり、全国男子駅伝が始まる前でにぎわっていた。
 
岡山はやっぱり青空。帰ってきたなーという感覚。
ひとまず、日常が戻ってきた感じ。
 
 
 
 
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お片付け

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実家のあちこち片づけ中。

 

大正生まれの祖母が使っていた箪笥には、

まだ祖母の服が入っていた。

 

小さな箪笥で見つけた櫛。

10年間眠ってたはずなのに、現役感が半端ない。

持ち帰ることにしましょ。

 

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新しい年

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2017年元旦。

 

今回の正月は実家で、兄弟水入らずで過ごしています。

年末から銀行の手続きや事故後の処理など、

慌ただしく過ぎていきましたが、今日はちょっとのんびり。

庭掃除をしたり、山の柚子をとったり。

 

こう眺めてみると、昨年の景色となんら変わってないんだけどな…

 

さて、これから田んぼの草刈りをどうするのか、

倉庫の屋根を直してもらわないと困る、など、

大晦日に近所の人から矢継ぎ早に洗礼(?)を受け、

今さらながら父の存在の大きさを感じたのでした。

 

分からないことだらけなので、

周りの人に助けてもらってやっていくしかない。

まぁ、一人じゃないからね、3人いるからね、というのが今の救いです。

 

新しい年、よい一年になりますように。

兄弟メール

テーマ:

一本の電話から始まった嘘みたいな現実。

 

父が交通事故で亡くなった。

 

電話がかかってきたのが夕方5時半。

病院からで救急車で運ばれ、輸血が必要なので、

身内の人に帰ってきたほしい、とのこと。

その時点では、詳しいことは分からず、

まぁ、しばらく入院するくらいなのかな、と簡単に考えていたのだけど。

 

新幹線からバスに乗り換え帰っている途中で

伯父から連絡が入り、かなり厳しい状況だ、と。

 

地元に到着したのが10時40分、

それから30分後に父は息を引き取った。

 

最後に電話したのは、

ベトナム旅行の土産のスカーフを送ってくれた時。

たくさん写真を撮ってるから年末に帰ったときに見せてやる、と

そんなセリフが最後だったような。

 

集中治療室の中、ドラマに出てくるような救命機器の管につながれ、

そのうち、血圧が下がって、心拍数がゼロになって…。

若いお医者さんが死亡の確認をしてくれたのだけど、

あまりにもあっけなく、あっという間で、

その時は涙も出なかったよ。

 

近くに住む叔母が付き添ってくれ、

夜中2時半に父の遺体と家に戻り、

弟たちが朝に帰ってきてから、葬儀の準備や事故後の処理など、

慌ただしい時間が過ぎた。

 

空き家になる家のこと、田んぼのこと、

事故後の処理、いろんな事務手続き、

やることが次から次へと目に前に差し出され、

決めなくちゃいけないことが山のよう。

 

弟たちと3人でオロオロしながら、

近所の人やおばさんたちに助けてもらいながら、

とりあえずできることをして、みんなそれぞれの場所に帰っていった。

 

こっちに帰ってきて、日常がようやく戻った。

日常が戻ると、あの一週間が嘘みたい。

だって、父がいなくても、当たり前のように日常は過ぎていく。

残酷なほどに。

 

母が亡くなってから7年。

手術した後の1年は田んぼを作らなかったけど、6回ほど父と弟たちとお米を作った。

もちろん来年も作ろうと思って、町内の誰よりも早く田んぼを耕していた父。

農協さんにタネも注文していたらしい。

 

玄関には集金の人が来てもすぐ渡せるように、

歳末助け合いの募金(封筒)が準備されていたし、

カレンダーには12月の予定がいくつか書きこまれていた。

忘年会にも出席するつもりでいたんだろうなあ。

 

一番びっくりしているのは父かもしれない。

自分の状況を把握できているのか、ちょっとあやしいけど、

どうか、向こうで母と会えますように。

 

こちらは、まだまだしばらくやることがたくさんあって、

母の入院時以来の兄弟メールが復活。

しばらく連絡取り合って、ガンバリマス。