兄弟メール

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一本の電話から始まった嘘みたいな現実。

 

父が交通事故で亡くなった。

 

電話がかかってきたのが夕方5時半。

病院からで救急車で運ばれ、輸血が必要なので、

身内の人に帰ってきたほしい、とのこと。

その時点では、詳しいことは分からず、

まぁ、しばらく入院するくらいなのかな、と簡単に考えていたのだけど。

 

新幹線からバスに乗り換え帰っている途中で

伯父から連絡が入り、かなり厳しい状況だ、と。

 

地元に到着したのが10時40分、

それから30分後に父は息を引き取った。

 

最後に電話したのは、

ベトナム旅行の土産のスカーフを送ってくれた時。

たくさん写真を撮ってるから年末に帰ったときに見せてやる、と

そんなセリフが最後だったような。

 

集中治療室の中、ドラマに出てくるような救命機器の管につながれ、

そのうち、血圧が下がって、心拍数がゼロになって…。

若いお医者さんが死亡の確認をしてくれたのだけど、

あまりにもあっけなく、あっという間で、

その時は涙も出なかったよ。

 

近くに住む叔母が付き添ってくれ、

夜中2時半に父の遺体と家に戻り、

弟たちが朝に帰ってきてから、葬儀の準備や事故後の処理など、

慌ただしい時間が過ぎた。

 

空き家になる家のこと、田んぼのこと、

事故後の処理、いろんな事務手続き、

やることが次から次へと目に前に差し出され、

決めなくちゃいけないことが山のよう。

 

弟たちと3人でオロオロしながら、

近所の人やおばさんたちに助けてもらいながら、

とりあえずできることをして、みんなそれぞれの場所に帰っていった。

 

こっちに帰ってきて、日常がようやく戻った。

日常が戻ると、あの一週間が嘘みたい。

だって、父がいなくても、当たり前のように日常は過ぎていく。

残酷なほどに。

 

母が亡くなってから7年。

手術した後の1年は田んぼを作らなかったけど、6回ほど父と弟たちとお米を作った。

もちろん来年も作ろうと思って、町内の誰よりも早く田んぼを耕していた父。

農協さんにタネも注文していたらしい。

 

玄関には集金の人が来てもすぐ渡せるように、

歳末助け合いの募金(封筒)が準備されていたし、

カレンダーには12月の予定がいくつか書きこまれていた。

忘年会にも出席するつもりでいたんだろうなあ。

 

一番びっくりしているのは父かもしれない。

自分の状況を把握できているのか、ちょっとあやしいけど、

どうか、向こうで母と会えますように。

 

こちらは、まだまだしばらくやることがたくさんあって、

母の入院時以来の兄弟メールが復活。

しばらく連絡取り合って、ガンバリマス。

 

 

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