着信あり

テーマ:

夜は一人じゃトイレにもいけない、という

こわがりの娘が、小学3年生の頃から、

怪談の本を借りてくるようになり、


今日なんて、昨日ビデオに撮った

「着信あり」をみたい、と言ってきた!


本当に大丈夫?

なんて、言いながら、

実は怖いのはこっちだったりして。


昔は怖いものが好きで、「13日の金曜日」や

横溝正史シリーズをかかさず見てたけど、

最近はすっかりごぶさた…。


娘は暑いのにもかかわらず、

タオルケットをかかえて、見はじめる。


・・・が、途中、暗闇の廃屋のシーン以外は

思ったよりも怖くなくて、

最後の終わり方も、で、結局どうなったの?

どういう意味じゃ? という疑問が残ったまま。


だけど、実際に、いつでもどこでもつながる

便利な携帯が、恐怖の対象になったら…と思うと、

ぞぞっとする。


ふかふかの絨毯の上に、画鋲が一つ落ちた途端に、

裸足で歩けなくなるような感覚。

(佐藤雅彦さんが地雷やテロのことを

こんな風に表現してた)


実際あるかどうかも分からないが、

次の一歩が踏み出せない。


いつ、どこで、が限定ができないから、

全ての場所、全ての時間、が恐怖の対象となる。


追い詰める、逃げられない、という状況は、

小さな一つの情報で、案外簡単にできてしまうものかも、、

おぞ~、、、(←こわい)



…消化不良だったのか、(期待しすぎだったのか?)

夜、娘が「着信あり2」も見たいと言ってきた。


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ヒロシマで逢引

テーマ:

平和公園


毎年、幼なじみと時期をあわせて里帰りしている


のだが、今年はお互いの予定があわず、

一緒の時期は無理みたい。


じゃあ、どこかで会おうよ!

ということで、彼女が帰省している時に、

真ん中のヒロシマで会うことになった。


向こうはバス、こちらは新幹線で広島駅に集合。

子供4名+大人2名、の御一行。


せっかくヒロシマに来たんだから、

お好み焼きを食べよう~!


・・・という大人の意見は聞き入れられず、

ファミレスでハンバーグを

食べたあと、平和公園周辺へ。


ヒロシマ市内にきたのは久しぶりで、

平和公園にいたっては、

小学校の修学旅行以来か?


広島市民球場からは

高校野球の予選の試合が行われていた。


突き刺さるような強い日差しにセミの大合唱。

・・・めちゃくちゃ、暑かった。


はじめはよそよそしかった

子供達もすっかり慣れて、

こども科学館と図書館でおおはしゃぎだった。



幼なじみの彼女は高校を出て、

大阪、千葉に住み、今は神奈川県人。


そう、昔は同じ苗字だった。

…というか、私らが育った辺りは

ほとんどが同じ苗字だった。


(全部が親戚ってわけじゃないけれど、

詳しくたどっていけば、出所は同じなんだろうな)

だから、みんなが屋号で呼んでいた。

私の家は下手(しもて)、

彼女の家は隠居(いんきょ)、

もう一人の幼なじみの家は叶屋(かのうや)。


それが、今や苗字も違い、

ちょうど今年で、彼女とは、

一緒に過ごした倍の時間、

違う場所で過ごした事になる。


でもね、やっぱり、同じ水を飲んでいたモノ同士、というか、

同じ釜の飯(野菜?)を喰った仲間、というか、、、

どこかしら好みが似ているように思う。


夫婦で顔が似ている、なんて話を聞くけれど、

食べ物や水が一緒だと、自然と思考回路も

近づいてくるのかも。


・・・今度はいつ会えるんだろう? 来年の夏か?


来年になったら、こども達

ますます大きくなってるだろうね、、


私達はそのまんまだけどさあ、


…いや、少しは小さくなってるといいな、

(彼女は豆乳ダイエット実践中)、

などと話しながら、夕方にバイバイ。


はしゃぎ疲れたのか、帰りの新幹線で

息子は居眠りを始める。


広島~岡山間は40分で、あっという間に

着くというのに…

(降りれないかとあせりまくったよ)


長い、長い、夏休みの1日。

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ほん、ぽん、ぼん

テーマ:

1学期の算数のテストで、

「8こ」と書くところを、「8ちこ」と書いてた息子。

計算式はできても、単位を書くのが難しいらしい。


今日も、夏休みのワークで、聞いてきた。


きんぎょが すいそうに 3びき、

ばけつの5ひき います。

あわせて なんびきですか。


「なあ、なあ、おかあさん。

はちびき(8びき)でいいん?」と息子。


・・・え、はちびきって、、?


あ、

「8ならはっぴき(8ぴき)になるんだよ」

と、言ったら、


「だって、ここにはなんびきってかいてあるよ」

と、息子。


「うーん、1だといっぴき、2だとにひき、

3だとさんびきって、呼び方が違うでしょ…」


と、説明してみたのの、、なんか、

自分でもちゃんと説明できてない気がして、

ゴニョゴニョ声になってしまった。


そういや、娘が低学年の時も、

時計の読み方の○ふん、○ぷんで、

同じような経験が、、


・・・日本語って、難しいなあ、、

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直感

テーマ:

24日に「葉っぱのフレディ」という絵本を

原作にして作られた映画の上映会があった。


翻訳されたみらいななさんの講演会も。


その中で、みらいななさんが、

その本に出会い、翻訳し、発行するまでに

至ったプロセスを話された。


その中には、たまたま、と、

なぜかタイミングがうまくいって…という

言葉がよく出てきた。


22年前に発行された原作本が倉庫の中に

しまわれていて、別の本を探しにいった人が

目当ての本が見つからずに、たまたまその本を

持ってきた。


みらいさんは一晩で翻訳をされたそうだ。

ちょうど阪神淡路大震災のあとで、

子どもの心のケアになる絵本がほしい、と

いう声を聞いてのことだった。


翌日、絵本屋の人がワープロに打ち、

作者の事を調べたのだが、なかなか

コンタクトがとれなくて、結局は3年間

本棚にしまわれていた。


その後、発行されるはずの

本の発行ができなくなり、

3年前に翻訳した「葉っぱのフレディ」

が発行されることに・・・



計画どおりにすすんだのではなく、

いろんな人がその時々で携わり、

なぜかタイミングよくできていった、とのこと。


みらいさんに

「一晩で訳されたということですが、

迷いはなかったんですか?」


と質問が出た時、


「その時は”直感”で、一気にできていった感じです。

それから、すぐワープロ文字になったものだから、

その時の言葉をいじることなく発行に至った、という感じで。

でも、思うんですが、いのちっていうのも、

この直感みたいなものじゃないかな」と。


~~~~~~~~~


”いのち”は土や根や木の中の

目には見えないところで

新しい葉っぱを生み出そうと

準備をしています。


大自然の設計図は 寸分の狂いもなく

”いのち”を変化させつづけているのです。

~~~~~~~~~~~


これは、「葉っぱのフレディ」(絵本)の

最後にあるフレーズ。


たまたま、とか、なぜかタイミングがあって…

というのは、みんなのその時の「直感」が

積み重なってのこと。


自分のしたいことは、自分が知っている。

ふと湧き上がる、コレ! を大切にしていきたいな。