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すごい人一流の人(*^_^*)

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二週間ぶりの大朝。深夜に帰宅し、朝の8時に出て北広島町の長笹という地区の総会に参加(*^_^*)

日本を旅してて思う事があるんだ。すごい人とか一流の人って言われてる人はすごいんだろうけど、そんな有名で目立つ人ばかりじゃないんだなぁ。日本に星の数ほどある集落や地域には目立たないけどすごい人が同じ数だけいて、そんな人達が何気なくさりげなく見返りのない地道な習慣的にやってくれてる事がものすごい大切なんだなぁと思うこの頃。

フェイスブックやブログでいちいち自分のやってる事人に知らせてる僕のやってる事なんて実は世の中になくてもいい事で、けど、あまりにも知られてない目立たない仕事をしてる人がいなくなったら社会は3日でゴミだらけになり人が住みにくくなる。

人間社会のすごいところはどんなしょうもない人がリーダーになってもどんなにころころ総理大臣が変わっても、そんな地に足がついて当たり前の事を当たり前のようにコツコツとしている地域の人達がいる以上多少の困難はあっても滅亡する事なく生き延びてきた事。

戦争で人を殺すために戦争に生かされた軍人たちを英霊といって崇めるけど、僕はそんな事してる間にも飢餓を偲び愛するひとの帰りを待ちながら子供たちを死なせずに育て上げた地域の人達も同じくすごいと思う。

田舎の集落にはそんな経験をした老人たちもたくさんいて昔話は尽きない。

人類は今からじゃ想像もできない逆境も殺し合いも災害も恐慌も生き延びてきた。

人類が地球もろとも破壊しない限り人はたくましく生き延びていくんじゃないだろうか。

小さな集落に集まったたくましく生き延びてきた大先輩の方々と高らかに「ふるさと」を歌ってなんとなくそう思った。


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府中町の自殺について

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来週広島県府中町でコンサートをする僕は今回の自殺の件について僕の見方を言う必要があると思うのでここに記しとく。。

メディアや行政や大人は誰のせいなのか、誰が悪いのかで違う立場の人達が表面上は謝罪の言葉を使い責任を曖昧にしている。

僕は彼を殺したのは誰のせいでもなく、いまの社会や彼の周りにいたたくさんの大人達が彼に植え付けた価値観だと思っている。

残念ながら世の中は当分変わらない。そして人間は過ちを犯し続ける。しょうもない大人もい続けるし、行政や学校の悪口を言いつづけた所で何も変わらない。

ただ、唯一変わるものは子供達の価値観。考え方、ものの見方。

先生がなんと言おうがたった1人でいいから学歴や進路で人生は決まるんではないと言葉と生き様で彼に語りかける大人がいたら彼は死ななかったかも知れない。

どんな困難もやり直しはできるが、命だけは取り戻しがつかない。

曖昧なリップサービスと責任逃ればかりしてるから同じような自殺がどんどん増える。

責任はみんなにある。親も。先生も、周りの大人も、こどもも。

みんなが責任を共有しないとまた誰かが同じ道を選ぶ。

死にたい奴は死ねばいいと思う。生きてることは死ぬよりもしんどいことだから。

それでも生きて欲しいと僕は子供達には望むから、形や学歴や収入や借金とかよりも暖かさや喜びや笑顔の温度や絶望の大切さや足りないことの有り難さや苦労する事の感動やそんな目に見えない形にならないものの価値観を生き様を通して子供達に見せていきたいと思う。

自殺するなんてもったいなさすぎる。
大人が情けなさすぎる。
社会は狂ってる。

僕は命かけてそまらんでー。
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頭がおかしくなりそう

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日本の社会はややこしすぎる

高速道路や一般道で法定速度を守ってる車は枯葉マークの車ばかり
電車の駅前や商店街の駐輪禁止区域には自転車ばかり
ゴミ捨て禁止の看板がある場所は大抵ゴミだらけ
講習では横断歩道は歩行者優先だから止まれと習ったはずなのに実際は止まる車はまずいない
法律で週40時間と定まられてる労働時間を守る人はほとんどいなく、守ろうとする人が怠け者扱いされる

法律を守らない割にはマナーを重視とか、最低限のマナーを守れと全く意味わからないことばかり言われる。

学校ではみんながしているからそれに習えと教育されるのに社会にでたらみんながしていることが法律違反だったりする。

いろんな場所でルールを決めずに「マナーを守ってください」という言葉を聞くたびに頭が狂いそうになる。

マナーって何?

だいたいルールを守れないのにマナーが守れるんだろうか?

純粋な疑問がいっぱいわいてきて頭が狂いそうになる時がある。

人混みを避けて周りに人がいない場所でタバコを吸っていたらマナーが悪いねえと言われてびっくりした。てっきりマナーがいいことしてると思った。
道で倒れてる人がいるので助けたら後ろに混雑ができ「迷惑がかかってるから立ち止まらないで」と言われいろんな人に冷たい目で見られた。
横断歩道におばあちゃんが立ってたから法律を守って止まったら後ろから来た車にクラクションならされ、ある時は追い越そうとした車に歩行者が跳ねられそうになった。

日本の都会型社会は僕には難しすぎる。田舎はシンプルでいい。

綺麗事の副作用

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危険委員会ではなく安全対策委員会

戦争記念館ではなく平和記念館

危険期限ではなく賞味期限

交通事故キャンペーンではなく交通安全キャンペーン

してあげるじゃなくさせて頂く

死体じゃなくて遺体

痴呆症ではなく認知症

日本には汚い物には蓋をして綺麗に見せる「美」の素晴らしい文化がある。しかし何事にも副作用はあり、今あらゆる分野で課題になっているのはその副産物ではないかと思い始めている。

息を吸うのには二酸化炭素が体内で増えないとしないように、人は危険が伴わないと安全を求めない。陰と陽がこの世にはあり、どちらかしかない状態は存在しない。死があるから命をもやし、危険があるから親は子を守り、お腹が空くから食べ物を探して歩き回る。

あるときコンサートのあとある中年女性が話しかけてくれた。「私の息子もたかみつくんのように私に感謝してくれてるんでしょうか」。息子は誰でもいつか母の有り難さがわかる日がくるんじゃないかなと答えると「息子は引きこもりで20年間部屋で暮らしてるんです」と言う。人はい食べないと生きてけないからいつか出ますよ。今はどうやって食ってるんですか?ときくと「私が毎日三食二階の部屋の前まで持って行き30分後に空になった食器を片付けるんです。」と言った。

当時は旅の駆け出しで「そうですか、大変ですね」しか言えなかった。今ならこういう。「あなたが息子の人生台無しにしてるんですね」。

先日行った神戸の須佐野中学校の三年生の人達から感想文が届いた。そこには嬉しい言葉がいっぱいあった。ちなみに僕は学校に了解を得てあえて「死体」「死ぬ」などの言葉を使う。客観的な話をする時は客観的な言葉を使う。相手の誰かが亡くなっていたり、身近な人の死体は遺体と呼ぶ。ここはだいぶ今の日本の常識とは違うので苦労するところ。

けど少なくとも中学校の人達は「死」と言うものをオブラートがない状態で想像してくれたようで

「テレビをなんべんみても想像出来なかったが津波の話を伝えてくれて鳥肌が立ち頭には家族や親や友達の顔が浮かんだ」

とか、

「阪神淡路大震災の事は何度も勉強したが身近にいる何気なく挨拶する人達が一瞬の内に死にそこらへんに死体として転がってる事を想像したことはなかった。そんな人が一人でも救えるようにこれからは毎日挨拶します。」

東北の被災地で出会った人達がみんな言ってた。私達みたいな人を一人でも減らさないといけない。同じ目にあっちゃいけない。

津波で亡くなった人ではなく津波で死んだ人にしか伝えられないことがある。
綺麗に化粧された遺体ではなく血みどろになった肉の塊のような死体にしか伝えられない震災や戦争の惨さがある。

ただそれを映像や展示や記念館だけで伝えようとすると今これを読んでいる人のように嫌悪感と違和感だけが残る。だけど体温が感じ、人のシワが見えるくらいの距離で「言い伝え」すると須佐野の人達のように大切な事だけを感じてくれる確率が増える。

綺麗事は大きな傘を持つテレビや役所や学校だけでいい。立場上言えない事はたくさんあるんだから。

そんな立場の人達が僕みたいな立場の人に目を向け始めてくれた事が嬉しい。

みんな同じ愛を持って頑張ってるんだから。