増田章の『からだで考える』

増田章の拓真道(タクシンドー)


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【初心】

世阿弥の晩年に著である、花鏡の一節に「初心を忘るべからず」と云う下りがある。50歳代以降の年代なら、中学校の国語あたりで学んだはずだ(学んでないかな?)。先日、私が主催する空手の交流試合の開会式で、「初心」について話をしてみた。

なぜ、「初心」の話をしたかと言えば、交流試合の前、朝日新聞のフロントランナーに柔道全日本監督の井上康生氏のインタビューが掲載されていたからだ。

その記事には、「初心」と云うタイトルが掲げられていた。井上康生氏はシドニーオリンピック柔道種目でオール一本勝ちにより、金メダルを勝ち取った、天才柔道家である。子供の頃柔道に打ち込んだ事もある私は、井上康生氏は大好きな柔道家の一人である。現役時代の井上康生氏を私もテレビを見ながら応援していた事を思い出す。

記事には、井上康生氏の51歳で急逝した母親が、康生氏に宛てた最後の手紙にあった言葉を胸に刻み込んでいると書いてあった。母からの最後の手紙には、「すべて初心に返って頑張ってください」と締めくくってあったようだ。

井上康生氏は、「強くならなきゃ」とではなく、「強くなりたい」という気持ちで柔道に打ち込む事が大切だと説く。おそらく、「勝たなければならない」「負けてはいけない」という気持ちではなく、「強くなる」また「強くなるために戦う」というような純粋な気持ちで戦うこと。そして、その重要性を若い選手達に伝えたいのだと思う。おそらく、井上康生氏の母親には、天才的な技の感覚と集中力を持って、無心に相手と柔道をしていた息子の姿を取り戻して欲しいとの思いがあったのだろう。また、わが子が無邪気に、かつ無心で柔道に集中すれば、勝てると信じていたのだと思う。

【主体性】
私には、「初心」と云えば、世阿弥の「初心を忘るべからず」の言葉が念頭にあった。ゆえに、井上氏の初心の教えには、少しだけ違和感があった。しかし、「いや、井上氏の教えは良い教えだ」と思い直し、子供達に伝えることにした。一読すると違和感のある井上氏の「初心」と世阿弥の「初心」を繋ぐ共通項を見つけたからだ。それは「主体性」ということである。つまり、他者の評価や考えに左右され行動するのではなく、自分の意志で行動するのが、チャンピオンなる人間だという風に言い換えても良いだろう。

【世阿弥の教えについて】
さて、世阿弥の言葉を知らない人からすれば、私が何を言っているかわからないと思う。ここで世阿弥の教えについて、少し書いてみたい。世阿弥とは、我が国の伝統芸能である能の先達である。その世阿弥が著した、「風姿花伝」や「花鏡」は、我が国の文学史上に燦々と輝く、珠玉の作品の一つである。私が世阿弥の名前を知ったのは、大山倍達先生の著書であった。大山先生も空手の求道者として、能の求道者である世阿弥に共感したのだと、幼い頃の私は考えていた

【初心を忘るべからず〜超々意訳】
最後に花鏡からの抜粋文を掲載しておくが、原文は古文なので難しい。世阿弥の言いたい事を、不遜だとは思うが、私流に超々意訳をしたい。もう少し正確かつ丁寧に書き記したいが、今は忙しいので、独断はご容赦願いたい。

(増田流、超々意訳)
《我々の流派には、すべてに通じる重要な言葉ある。「初心を忘るべからず」だ。
この教えには3つの教えがある。それは、初めて事物を経験する時(若い時)の感覚・意識、様々な事物を経験する、その時々(青春時代)の感覚・意識、様々な経験を経て、その上でさらに事物を経験する時(老成時)の感覚・意識、その3つの感覚・意識(初心)をしっかりと認識する事が重要だという事だ。そうすれば、熟練した後の感覚・意識をより善いものにできる。さらに、現在の結果の中に潜在する、因果の因(原因)を見極められれば、将来の果(結果)を善い事と為せる。つまり、この3つの感覚・意識とその変遷を認識できれば、より善い認識を得て、より良い結果を得ることができるのだ。また、その認識は自己の上達の過程を認識できるという事でもある。そのような者には、花(世阿弥の考える芸の核心)の種が絶える事がない。》〜時間があるときにもう少し丁寧に意訳を試みたい。御免。



【世阿弥の教えの本質とは何か】
いうまでもなく、世阿弥は芸の求道者である。そして、著書で門人に対し、生涯を通じて優れた芸を表現できるよう、教えを説いている。

世阿弥の教えの本質とは何か。私は「意識を高める事」「主体性の発揮」「事象の俯瞰」だと思う。

最後になるが、若い人も年を重ね、やがて老いる。アスリートも同様。さらに言えば、功を成した権力者も老いる。そのような移り変わりの中で、人間として輝き続けるには、この世阿弥の「初心わするべからず」の言葉は、至言、珠玉の教えと言える。冷房のない、暑い武道場での試合の前、長い話、難しい話は絶対にしてはならないと思い、話を端折ったが、私の弟子達、弟子と思う人には、この世阿弥の初心の教えを丁寧に伝えたい。前述した井上康生氏の母親の言葉も、自らの死を前にして、我が子に「初心」と伝えた。その言葉が湧出した背景には、世阿弥同様の深い思いがあったと私は思う。おそらく、多くの人には伝わらないかもしれない。世阿弥もそのような事を風姿花伝で書いている。




花鏡(原文)

然(しか)れば、當流に、萬能一德(まんのういつとく)の一句あり。
初心不レ可レ忘(わするべからず)。此句、三ヶ條(の)口傳(くでん)在(あり)。
是非(ぜひの)初心不レ可レ忘。
時々(じじの)初心不レ可レ忘。
老後(らうごの)初心不レ可レ忘。
此(この)三、能々(よくよく)口傳可レ爲(すべし)。
 一、是非(ぜひの)初心を忘るべからずとは、若年(じやくねん)の初心を不レ忘(わすれず)して、身に持ちて在れば、老後にさまざまの德あり。「前々(ぜんぜん)の非を知るを、後々(ごご)の是(ぜ)とす」と云(いへ)り。「先車(せんしや)のくつがへす所、後車(こうしや)の戒め」と云々(うんぬん)。初心を忘るゝは、後心(ごしん)をも忘るゝにてあらずや。劫成り名遂ぐる所は、能の上(あが)る果(くわ)也。上る所を忘るゝは、初心へかへる心をも知らず。初心へかへるは、能の下(さが)る所なるべし。然者(しかれば)、今の位を忘れじがために、初心を忘れじと工夫する也。返々(かへすがへす)、初心を忘るれば初心へかへる理(ことはり)を、能々(よくよく)工夫すべし。初心を忘れずは、後心(ごしん)は正しかるべし。後心正しくは、上る所のわざは、下る事あるべからず。是(これ)すなはち、是非を分(わか)つ道理也。




2016/7/12 一部修正



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