71年前の今日、8月6日午前8時15分過ぎは広島に原爆が投下された日です。この原爆投下に関しては放射能が人体にどれくらいの影響を与えるかというような実験の一つでもありました。


また、この犠牲は軍人だけではなく多くの市民をまきこんだと事はいうまでもありません。


私としたら戦争の問題だけで片付けるべき事ではないと常に思っています。


昨年の8月6日に私は広島平和公園を訪れました。これには広島県人だけとしてではなく、私の生まれ育った郷里の人たちも多くの犠牲者を出しているからです。いわゆる、入市被爆者といわれる方たちです。


原爆が投下される以前の広島市内というのはB29の空爆により市内の公共施設、民家などが爆撃によって延焼していたのですが、その延焼を防ぐために私の郷里からも消防団などから自警団のような部隊が300名くらい編成され広島市内に出向かれ延焼の片付けなどに従事されていたのです。


時に8月6日午前15分過ぎ、宿舎から作業に出発しようと出たとたん、、、、ピカァ・・・・・ドーン

多くの命が失われた瞬間です。


そして、翌日から数日間は先に広島入りした人たちの親族の方たちが探しに広島入りをされたのです。

「おぉい、高蓋村の者はおらんか!おおぃ小畠村のもん、、、」焼跡の中をそう叫び探されたのです。

このように高い線量の中も当時ですからせいぜい手拭いなどで口鼻を押さえながらでしょうが、今のような全面マスクだとか防護服だとかはあるわけはありません。


とうぜん被ばくのリスクを抱えての捜索でしたから帰郷されてから数年後、数十年後に被ばくによるあらゆる症状が出られた事はいうまでもありません。