春節(旧正月)を中国大陸で過ごすことは、非常に愉しい。

わたしはこれまで、上海、雲南、北京、大連、丹東で春節のひとときを過ごしてきたが、今年は、久しぶりに農村(遼寧省内)に足を伸ばし、忘れ難い経験をすることができた。

ホスト側家族とその親類縁者、近所の皆さんを饗(もてな)すため、豚を一頭買ったのである。

わたしは、十数年前にも、とある寒村を訪ねた際、お土産として羊を一匹買い、皆さんとともに舌鼓を打ったことがある。その時に頂いた羊湯(羊肉スープ)が大変美味しく、今でも思い出せるほど強い印象を受けた。そのときから、いつか機会があれば、ぜひ豚を頂いてみたいと、心密かな願いを抱いていたのだ。

春節は中国最大のお祝いであり、この日を祝うことは、家族の団結、親族の親睦の象徴である。わたしはかなり長い間この祝祭に出ていなかったので、50人近く集まる宴席に何か顔の立つものを持って行く必要があった。

そういう実際的なニーズと、わたしの密かな願望が、今回見事に合致したのである。わたしは3,000元也をすぐに支払い、300斤の豚を手に入れたのである。(とはいえ、都市化と交通インフラの整備が急速に進む当代中国でのことである。実際には、よりによって大晦日の午後に豚を一頭購うということは、わたしが思うほど容易な事ではなかったようだ。マイナス20度を下回るほどの極寒の中、わたしの身勝手な思いを満たすため、屈強な農家の若者が、往復6時間もかけて、奥地の農家から豚を運んできてくれた。小雪舞う、すでにとっぷりと日が暮れた後のことであった)

****** ****** ******

ところで、豚を殺(あや)め、これを食するという行為の全体を、わたしはこれまでかなり誤解していた。

わたしはそれらを、大変豪快で、タフで、野性的な行為であると、勝手に想像していたのである。

しかし、全てのプロセスを、朝8時から午後3時までつぶさに観察したところ、実際には、それらは非常に精妙で、考え抜かれ、システム的で、かつ繊細な行いであった。

屠殺者が差し込むナイフの動き、盥(たらい)にドクドクと流し込まれる鮮血の赤。生命(いのち)をうしない、だらりと横たわる豚の死骸を見つめる人びと、体毛を抜き、「食肉」化する作業をおこなうため、死骸に幾度も掛けられる熱湯と、極寒の中で立ち上る夥しい蒸気。頭を落とされ、割腹され、取り出される臓器。腸内排泄物を除けば、およそ捨てるところとてない見事な捌きぶりであった。

わたしは、気の利いた娘が茹で上がる度に一切れずつ運んできてくれる肉片、脂身を片端から胃袋に納め、思わず唸(うな)った。口にするや、その美味が強烈な陶酔感となり、足底まで電撃したからである。「食」に、これほどのエクスタシーがあるということを、わたしは生まれて初めて知った。

大の男8人が、肉を切り、骨を裂き、血を混ぜ、あるいはスープを、あるいはソーセージをつくり、饗宴の下ごしらえをする間、農家の女たちはコマネズミのように忙しく立ち回り、あるいは鯉を捌き、あるいは蟹を漬け、野菜を刻み、巨大な飯鍋で50人分の白米を用意していた。

なにもしないのは、都市に住む男女どもである。ひたすらトランプやら、世間話やらに興じるばかりで、怠慢この上ない。それではおまえはどうなのだ、と言われれば、わたしはスポンサーであり、豚の提供者であり、カメラマンであり、何よりも外国人である。(この辺は、まったくのところ、楽なのである)

あらかた料理が完成し、酒席の用意も整ったところで、シニア、ミドル、それに若僧どもという各階層に分かれて、大宴会が始まった。料理はおよそ20種類。観るだけで腹が一杯になりそうなボリュームである。

わたしは、"外国人特権"を大いに生かし、今回も最長老の隣。幾度も白酒を酌み交わし、ちょうどホロ酔いになったところで、本日の真の主役たる"荒野の八人"、豚を見事に捌いてくれた兄弟たちの食卓に移動した。そしてここでも、とにかく呑んだ。

日本人民はいい奴だけれど、日本の軍国主義はケシカラン、とか言ってきた元海軍の爺様にも、おれは難しいことはわからんが、おれの爺様も海軍(連合艦隊)で、ハワイに爆弾落として、最後はミッドウェイで沈められちゃったけど、まァ呑もう!などと適当に調子を合わせ、人民同士、大変愉快な一時を過ごしたのであった。

こうして、わたしの記念すべき"殺猪(豚の屠殺とその宴席)"は大盛況のうちに終わった。わたしはマイナス20度のなかで、6時間もカメラ片手にはしゃぎ回り、思い出深い一日を堪能した。

ところが、である。農村で丸々四日間を過ごし、大連に戻り、骨休みのためにと、市内で一番高級とされるホテルに入ってから、一挙に疲れが出てしまったのだ。原因不明の腹痛と腰痛とで、結局丸々2日寝込んでしまったのだ。

****** ****** ******

はじめて中国大陸の土を踏んでから、この夏で30年になる。それから、かれこれ10年以上大陸に住んだし、言葉の面でも、最早、ほぼネイティヴに近いレヴェルにまで来ている。

30年の間に訪れた場所は、おそらく大方の中国人より多いであろうし、中央政府官僚から学者、法曹家、銀行家、マスコミ関係者、起業家、国有企業幹部、成金、詐欺師、軍人、公安関係者、腐敗分子、宗教家、失業者、ルンペン、農民等々、わたしには実にさまざまな知り合いがいる。

わたしはたしかに、全身全霊をかけ、この「中国」と、30年間付き合ってきた。

だが、どんなに大陸での経験があろうが、言葉ができようが、畢竟、わたしは鎌倉生まれ鎌倉育ちの坊ちゃん、なのである。

除夜の鐘が三方から響き、新緑の風に咳き込むほどの若芽の匂いを嗅ぎ、しっとりと濡れた小径に桜吹雪が舞う美しい古都。ショパンの音色とフランス語で"ラ・マルセイエーズ"を口ずさみながら裏山の落ち葉を掃くご隠居が其処にいるのがごく普通の、おだやかで、やわらかく、懐かしい里。それこそがわたしの原点であり、風と、乾いた大地と、粗野ではあるが温かみのある大陸の農村は、わたしの生まれ故郷とは似ても似つかぬ、「異郷」そのものだ。

実のところ、わたしは、日本ですら「農村」に行ったことがない。「農村」に知り合いもいなければ、「農家」に泊まったことすらない。それなのに、われながら、中国大陸では随分と無茶をしてきたものである。

硬いオンドルに寝るのも、妙な造りのトイレで用を足す-今回はまだ「洋式」で「水洗」であったから、まだ良かった。以前訪れた農村では、それこそ3~4メートル下の養殖池を"爆撃"するタイプのところもあった-のも、脂ぎった煮込み料理や、山のように盛られた饅頭の類を朝から食べるのも、アルコール摂取以上の価値を全く見出し難く、文化の香りがまるでしない「白酒」も、わたしは、正直に言えば、まったく好きではない。(酒は、明らかに文化の結晶である。わたしは、ブランデーも、ウイスキイも、ビールも、日本酒も、ワインも、良い物は大好きである)

要するにわたしは、自分のキャリアや、見聞を広めるため、あるいは人付き合いのためか好奇心の故に、かなり農村で無理をしてきたのであろう。そして、おそらくはその反動で、都会に戻った途端にダウンしてしまったのだ。

それを、どうみるか。

30年も大陸と付き合ってきて、だらしない、とみるか。

まだまだローカライズ(本地化)が足りないよ、とみるか。

わたしは、実のところ、永遠に、死ぬまで、「ローカライズ」などされようもないと思っているし、そんな"根無し草"にされるほど我が故郷(ふるさと)の文化習俗が浅薄なものではないと100%確信している。

わたしは、永遠に、わたしであるし、鎌倉人であるし、日本人であって、そのままで大陸の人びとと肝胆テラス心の交流、共生、協働ができると信じており、そうして、これまでを生きてきた。

わたしは、中国大陸では、永遠に「客(きゃく)」であり、「客」としてのアイデンティティを辨(わきま)えて生きていく。

最近、日本はダメだから、あるいはダメになりそうだから、海外に、恰も華僑のごとくに雄飛すべし、などと世迷言を語る輩がいるようだが、海外に"雄飛"-あるいは離散-した民族で、なおかつ強烈な凝集力をもつもの-たとえば、ユダヤ人、華人-は、元来ニ千年このかた流浪、離散に耐えてきた強靭な文化凝集力を持っている。

日本人に対して、安易にそのような世迷言を言ったり、唱導したりしてはいけない。そういう事を敢えて言いたいのであれば、せめて、わたしの大陸での経験値を遥かに上回る程の実績や、わたしを軽く凹ますほどに開明的な新思想を示してからにしてもらいたい。

わたしは、「客」として、これからも大陸で生きる。それこそが、本分なのであり、真の相互理解に至るために最低限求められる「謙虚さ」の由来なのである。
AD
李開復(Kaifu Lee)といえば、IT業界で中国に関わっている人なら"勿論知ってるさ!"ということになるかと思う-知らないとしたら、ちょっと勉強不足ですぞ-。

マイクロソフトとグーグルの両方で、中国事業の非常に重要な部分にいた人だ。李さんはいま北京で自分の会社-その名も「創新工場(Innovation Works)」(http://www.chuangxin.com/)という-を経営している。ベンチャー・キャピタルであるが、投資者の顔ぶれが凄い。富士康(Foxconn)の郭台銘、聯想(Lenovo)の柳傳志、新東方の兪敏洪、YouTube創始者の一人である陳士駿(Steve Chen)といった錚々たる顔ぶれである。

その李さんが、Linkedinに面白いことを書いていた。題して、<>。それを日本語に訳したページがある(http://www.startup-dating.com/2012/12/why-american-internet-companies-fail-in-china-2/)。

李さんはいくつか「失敗」の原因を挙げていて、それらは(1)短期ビジョンにフォーカスしすぎる、(2)現地チームに権限がない、(3)スピードが欠けたグローバル化プロセス、(4)文化の違い-前出の日本語版サイトでの表現-として列挙されているのだが、面白いなと思ったのはこのうち最後の異文化問題について彼が書いていた内容だった。すこし長くなるが、引用してみる。

<アメリカ企業は、アイビーリーグでのMBA取得者やスタンフォード大の博士号保有者で、何年もの経験を持ち完璧な英語能力とアメリカスタイルのボディランゲージを持つ人の採用を好む。しかし、この「ウミガメたち」は中国でのインターネット闘争で日々繰り広げられる取っ組み合いには最も効果的な人材ではないかもしれない。(以下略)>(*1)

****** ****** ******

李さんの指摘は、実はそのまま「日本企業」に当て嵌まる。

アメリカ企業が"アイビーリーグでのMBA取得者やスタンフォード大の博士号保有者"を好むというのは、単なる学歴信仰から、ではないだろう。毛並みの良さでというよりむしろ、同じような価値観、文化を共有しているはず、という期待があるからだろう。

同じように、日本企業は、彼または彼女が東大や東工大で学位でも持っていれば、優秀な上に"共通言語(同質文化)"を持っているはずだと考えるし、万が一"ハズレ"の場合でも、「東大出ていたから」みたいな言い訳が立つのであろう。

そしてそれは、かなりの程度、そのとおりなのだ。

それだけの学位を取るためには相当の年月を米国(日本)社会で過ごし、英(日本)語の鍛錬をしているわけだから、我々の文化に対する相当の理解があるというのは真実である。加えて、言語というものはたしかに不思議なもので、それ(某外国語)に通ずれば通ずる程、その国の文化、思考様式、行動様式の影響を深く受けるようになっていく。(加藤周一が、フランス語に没頭する過程について書いたもののなかで、やはりそういうふうなことを言っていた)

要するに米国(ないしは日本)の文化にどっぷり浸かった中国人人材というのは米国(日本)企業にとっては非常に付き合い易い相手になるのだが、逆の視点でみれば、それだけ中国固有の土着性(=ローカルな思考様式や行動様式)が薄められる結果が生じているということが言えそうなのである。

****** ****** ******

さて、ここ十数年、具体的に言えば2000年を過ぎた頃からだろうか、あなたの身の回りの中国人は、会う度に半ば誇らしげで、半ば呆れたような顔をしてみせたはずだ-いやもう、中国は発展が速くて!三ヶ月も行ってないと、景色が全然変わっちゃうんですよ、と。

三ヶ月で景色が変わってしまう-もちろんそれは多分に誇張なのだけれども、それくらいのスピード感を-とりわけ外界に住む人間は-感じていた、ということだったのだろう。
ここで、二つのことに、思いを致しておくべきだ。

第一。世紀の変わり目からの大変化、もっとも深刻な変化は、ニョキニョキと建っていく摩天楼といったような"外見"より、むしろ大陸の中国人ひとりひとりの"内面"で起こっていた、ということ。考え方、行き方、処し方における大変化が社会の各層で生きるひとりひとりの中で巻き起こっていたということ。

第二。米国(ないしは日本)で、この激動激変の時代に、あなたの回りにいた中国人は、もっとも重要な大変化が祖国で起こっていたとき、生活の場を米国(乃至日本)に置いていたということ-つまり、ここ十数年の間に大陸で起こっていた大変化を経験せぬまま、むしろ海外の思考様式、行動様式に身を浸しつつあったということ-である。

****** ****** ******

アイビーリーグでも東大でもない、ずっと身近な話をしよう。

わたしが時折立ち寄る中国料理屋の話だ。その料理屋の女将は上海人で、デフレ日本の懐具合に相当合わせた価格設定をしている-つまり、単なる中華メシ屋である。

いつぞや、夜の飲み会を其処でやった時に、機嫌の良い女将に訊いてみた。あんたの故郷の上海なんて、もっとずっと景気がいいでしょう。こんなところでやってるより、遥かに成功するんじゃないの、と。

すると、女将は肩をすくめ、もうだめだよ、いまさら。上海に戻ったって、もう入り込む余地なんかないさと、大きく嘆息してみせたのだった。

わたしには、彼女の話の意味がわかる。中国での商い、上海での商いにはそれ相当の「背景」が必要だし、ずっと日本人相手に日本でやってきたやり方では、とてもじゃないが向こうでの競争に伍していけない、ということを彼女は言いたかったのだ。

その裏返しが、インテリ(海亀)たちの悩みなのであろう。

いつぞや上海交通大学の在日校友会に呼ばれたときに、会が始まるまで、わたしは手持ち無沙汰で会場の一角に座っていたのだが、彼らの会話を何気なく聴いていたら、あいつはもう向こう(大陸)で凄い羽振りだ、いやいやこっちのほうが凄い、おまえは戻るつもりがあるのか、いまから戻ってもどうだかなと、そんな話で持ちきりであった。

上澄みのインテリから中華メシ屋の女将に至るまで、祖国の猛烈な隆盛と、特異なゲームのやり方を身に付けた「暴発戸(成金)」のイメージが放つ一種抗し難い誘惑と、自分の現実条件の間で、多かれ少なかれジリジリと灼かれているわけである。

****** ****** ******

上澄みは上澄みで、欧米留学までの学力-または、資力-が無かったから日本に留学したのかどうかはわからないが、中国近代史の英雄の多くが日本留学組である。「成功者」を目指す上での確実な一歩、という位置付けで日本に来たのは間違いない。

中華メシ屋の女将にしたら、とりわけ、わたしが時々通う女将のように80年代から日本に渡った者たちにしてみれば、日本は、ようやく「改革開放」よちよち歩きの見すぼらしい祖国では夢でさえ描けぬ"ジパング"であって、辿り着き、とにかく、生き延びるツテさえ手繰れれば-そういうことにかけて、彼らは天才的である-、金輪際、これ以上理想的な環境はないとさえ思われたのではないだろうか。

そして彼らは、上澄みも、下積みも、こぞって、何年も、何十年もかけて日本社会を理解しようと努めてきたし、心底ではどうにも不可解な連中だと思いつつも、日本社会で受け容れられるべき行動規範を身に着けてきたはずなのである。

ところが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の黄金時代は長くは続かなかった。

バブル崩壊後は景気低迷が続き、少子化社会が進行し、政治の迷走が混乱と自信喪失に輪をかけた。

一方、江沢民時代に、企業家(資本家)こそは社会発展の前衛なりというところまで大胆に解釈されるに至った中国的社会主義は、「平等主義」などトウの昔に忘れ去ったかのような勢いで全面的市場経済化に舵を切り、ご存知の通り、世紀の変わり目頃から、猛烈な経済成長を始めたのである。

****** ****** ******

ともすれば、話の焦点がずれそうである。元にもどす。

アメリカ企業にも、日本企業にも、海の向こうに完全な現実として出現した巨大市場を攻める尖兵として、英語(日本語)でのコミュニケーションに支障なく、本土の企業文化に理解のある彼ら"海亀"をまずは使いたいという動機が働く。ごく、自然である。そして、これまでの30年このかた、彼らのスキルと人脈がどれほど日本企業の"中国進出"を支えてきたか。

ただ、彼らの優位性が最高度に発揮されるのは、ほぼ間違いなく、ローカル拠点(現法)と日本本社の間の連携調整、異文化マネジメントの場である。実際に、現法で、大型国有企業や国家機関(事業単位)相手に"公関"(さまざまな接待を核とした関係構築に基づく営業支援)を行なって、切った張ったの世界を仕切る役柄ではない-というよりそういう役割を彼らに負わせてはならない-のだ。

その理由は、至って簡単である。別に、なにも難しい話ではない。

青春時代、そしておそらくは社会に出たばかりの「新卒」時代を一貫して日本で過ごした彼らは、既に日本社会と日本文化の中で半ば日本人化-下手をすれば、半ば"日本のサラリーマン"化-しているし、インテリ度が高ければ高いほど、認識論に書生特有の甘さ-心地良い抽象化と、主体性の曖昧さ-が入り込む余地が大きいので、とてもではないが、余程の突然変異型でない限り、黒道白道なんでもありの中国国内営業を統率指揮する役割は担えないのだ。

****** ****** ******

李開復さんが紳士的に書いた、<「ウミガメたち」は中国でのインターネット闘争で日々繰り広げられる取っ組み合いには最も効果的な人材ではないかもしれない。>という表現に、わたしが「さもありなん!」と頷きたくなる理由は、まさに此処にある。

ただ、断っておくが、わたしは彼ら「ウミガメたち」が無能であると言っているわけではない。むしろ、彼らは往々にして極めて優秀なエリートであるのに-そうでないのも大勢いるが-、彼らを鼓舞し、惹きつけ、その能力を十二分に発揮させる仕組みが本社に無いのであろう。それゆえ、才能が次々日本企業からスピンアウトし、競争相手の企業に吸い込まれていくという構図がいまも続いているのだ。

たしかに大震災とフクシマ・クライシスという強烈なパンチを受けた。其処へ持ってきての「尖閣問題」である。青島、あるいは西安あたりで日系スーパーや日本車が狼藉を受ける映像が幾度もテレビで流されたが、在日華人はその度ごとに「明日は逆に我が身か」と緊張を募らせていった。いやまさか、日本では大丈夫だろう、という内心の声と、イザとなれば戦になるかもしれぬという潜在意識の重さに誰もが大なり小なり苛まれている。

わたしの周りの在日華人のなかでも、福島第一原発メルトダウンという大事故の後、中華メシ屋を畳み、一族郎党大陸に引き上げた人たちがいるが、此処での本題はあくまで中国語でいう「人材」のほうの話である。そっちのほうの話になると、どうも、原発よりは、将来に亘る政治リスクや日本の成長性を嫌気して、そろそろこの辺で大陸に引き揚げるという選択もありかと考える傾向が強いかと思う。

日本の企業-とくに大企業-は、一般的に言って、外国人を幹部に据えることが少ない。"調和"を乱されることを非常に恐れるからであって、それは、今にして思えば、日本企業だけの通弊とは言えないであろう。そういう排他性は、どこの国の企業にもあるだろうし、人種や民族どころか、宗教的背景から、あるいはもっと露骨に血縁的距離から異分子の「ウチ」への浸透を忌避する場合もあろう。

しかし、これまでわたしが見てきた、あるいは付き合ってきた数多くの「ウミガメ」たち-そのうち幾人かはわたしの非常に親しい友人-のことを思い出すと、やはり非常に残念な気持ちにならざるを得ない。あまりにも多くの有為な人材が、「日本」と「日本企業」を後にしてきたからである。


(*1)海外留学帰りの人材を「ウミガメ」というのは、「海帰(海外帰国者=HaiGui)」と「海亀(HaiGui)」の発音が同じことで、これらを掛詞にしたからである。
AD
北京と大連で半月ほど仕事をし、帰国する日のことだった。
わたしは老舗の高級ホテルから、まだ高濃度のアルコールが残る躯を引きずり、空港に向かうタクシーに乗り込んだ。

その運転手は、浅黒のうえに、深い皺の刻み込まれた、いかにも"農夫"といった顔をしていた。

そもそも、高級ホテルに横付けするタクシーのくせに、トランクに釣り道具を入れているからお前のスーツケースは入らないと言われたときからおかしなものを感じていた。

仕方なく、安全ベルトをする気にならぬ助手席に座ったら、どこから来たのか、香港か、台湾かと訊かれた。いいや日本だよ、と、すこし力を込めて応える。

するとすぐに「おまえたち日本人は、釣魚島(尖閣の中国名)のことをどう思ってるんだい」ときた。そして、畳み掛けるかのように、「中国的経済実力現在相当強了。而且中国人実際非常有凝集力的!(中国の経済力は相当なもんだぜ。しかも、とにかく団結してるんだ!)」ときた。

こいつはのっけから相当なアマチュアだと思ったので、まともに相手をする気にはなれず、軽く躱(かわ)すつもりで、「薄煕来さんは大変なことになっちゃったけれど、夏徳仁さんはいまも大活躍のようだね」と、かなり皮肉っぽく言ってやった。

ところがこの御仁、よほど"日本人"に喧嘩を売りたかったようで、わたしの「いなし」にはまるで目もくれず、「薄煕来はほんと、頭のいいやつだった。あいつはやる、と言ったら断固やるんだ。そうさ、薄煕来が国家領導(国の指導者)だったら、とうの昔に日本にミサイルの何発かお見舞いしてただろうよ!」

ここで、わたしもちょっとカチンときた。-

あのさ、まずおれはさ、中国の土を踏んでから来年で30年になるんだけどさ、から始めたのだが、いつの間にか"機関銃"をぶっ放してしまっていた。

おれは、おそらくお前より、ずっとたくさんの中国の土地を回っている。そしておそらく、お前がこの先も絶対入らないとこにも行った。北京では、学者ともメディア関係者とも、行政官僚とも法律家とも、芸術家とも企業家とも友だちだし、窓のない、電話もない所にも行って、歩いて、話を聴いてきた。いっしょに手を携えて、生きてきた。

それで自信を持って言ってやれるのは、おまえが「日本人の考えを訊きたい」というのがいかに阿呆らしい質問か、ということだ。おれの中国の友だちはみな、一人ひとり、自分の考えを持ち、冷静な物の見方ができる。同じように、おれの国には、いくつもの政党があり、また、立場の異なるいくつものメディアがあり、みな違う考えを持っている。

そこへきて、おまえはおれに、「日本人は釣魚島をどう思ってるのか」と訊いてくる。

おれは、1億2千万の日本人の意見を代表できないし、おまえも、14億の中国人を代表できない。

日本と中国の外交当局は、いまも冷静な話し合いのパイプを持っている。政治家は票取りのためにポピュリズムに走り、大衆を煽動することがあるが、官僚同士ではしっかりしたパイプが生きている-いや、このあたりは、ややテクニカルに、そう話したのだ-。

一番怖いのは、おまえみたいな普通のオヤジやジャリが、日本でも、中国でも、どこでもそうだが、腹黒い政治家どもが画策する感情的な煽動にすぐ乗っかっちまうことだ。

その次。
おまえは中国人には凝集力があると言ったが、そんなのは嘘八百で、お前自身が一番良く知っていることだ。このあいだの台風で、大連はあやうく一巻の終わりだったじゃないか。"PX"なんておっかないもんが家の隣に造られていたこと、知らなかったんだろ?

だいたい中国人の誰が、汚職腐敗天国の実情、"両極分化"が天文学的数字のレベルまで開いちゃったこの社会の実態を知らないというのだ?中国じゅうを歩いてきたこのおれが、知らないとでもいうのか?

おれの国にも、多少の腐敗はあるだろうよ。ぜんぜん無い国なんてないさ。だが、いまの中国のは、ちょいと程度がひどすぎるんじゃないのかい?おれの国じゃ、公務員は珈琲代だって受け取らないよ。それに比べて北京あたりじゃ、おれの知ってる国家機関のジャリだって一回500、600万元ぐらいは軽く懐に入れてるぞ。それで、なんの"凝集力"だ?

****** ****** ******

"農夫"の顔が、歪んだ。
そして、これまでとはあきらかに違う声音で、一言ようやくという風に絞り出した。

500万なんて…くそ。ちくしょう!ちょっとした街の小役人だってもっと稼ぐさぁ。

おれはさ、知ってるよ。お前たちが悔しいことを。怒っていることを。でも、おまえたち北方人は、いつでも牛みたいに従順で、抵抗しない。でも、南方人は違うぞ。去年だけで2万件近い"群体性事件"が起こってる。おまえは知らないかもしれないが、広東や福建、浙江あたりのやつはガッツがあるよ。組織的にモノを言い始めている。権利意識がお前らより高いんだ。いつだって、中国の改革は南方から始まった。そこへいくと、おまえらはほんと、大人しい。言うことをよく聞くんだ。いつまでも我慢して-。

そうか…。南方ではそうなのか。-"農夫"が、言う。

しかしおれは、はっきり言って、北方人が好きだ。おれの中国の友だちは、なぜかみんな北方人だ。デカイこと言うのが好きだが、実質が伴わない。おまけに適当で、どうみてもアタマは南方人に敵わないのだが、気風がいい。友だちになれる。おれは、北方人が好きなんだよ。こればかりはしょうがねえや。

わたしは、結局、この無粋で、汗臭く、くそ、ちくしょうを連発する魯智深のような男と仲良くなった。男には大学3年になる息子がおり、わたしも家族の話をすこしだけした。

大連の中心部のホテルから周水子空港まで、途中のわずかな渋滞を加えても、ほんの30分ほどの、ほんとうにささやかな交流だったが、最後に別れるとき、彼はグローブのように分厚い掌で、わたしの手を握って言った。

あっという間に、人生は終わっちまうな。

そうだよな、兄弟。お互い結構いい年なんだから、毎日大事に、身体第一でいこうや。
いい獲物釣れるといいな!

当たり前のことなのだが、ただの人間同士、ただのオヤジ同士なのだ。
クルマを降りるとき、なんだかすこし嬉しいような、それでいて悲しい気持ちになった。伝わらないだろう。この、馬鹿馬鹿しい喜劇そのものの中身は、のっぺりした「一般化」の暴力の前に、あまりに無力のような風に思えたからだった。
AD
キッシンジャーの回顧録を読んでいたら、毛沢東と会見した際に、毛が、「実は日本には感謝している。彼らの侵略が無かったら(中共が)政権を獲れたかどうか疑わしい」と語ったという部分があった。

これに倣えば、今回の"領土紛争"では「中共は石原(都知事)に感謝している。都知事の尖閣列島買い上げ発言がなければ、日本が実効支配を続けていた島に領土紛争がある、という主張を国際社会の眼前でアピールすることはできなかった」となるのだろうか。

聯合早報(シンガポール)の宋魯鄭記者は、直近の署名入り記事「従擱置争議分析魚釣島 政府有決策 勝負己定」のなかで、中国が今回収めた"成功"として、「棚上げ」状態を「実効支配を争う局面」にまで持ち込むことができたこと、を筆頭に、①香港、台湾との間で"共通の敵"を再認識することで意識共有を一層進めることができた、②"18大"を前に、"政府の威信"を高めることができた、③小型版NATOとも言うべき日韓台+アメリカの中国包囲網に楔を打ち込むことができた、④日本の政治体制のお粗末さを露呈させることができた、⑤日本へ厳しい姿勢を示し続けることで東南アジア諸国への威嚇ができた、-以上五点を挙げている。

****** ****** ******

今回の「反日デモ」は意外と複雑だ。「デモ」は"官製"であり、ある新聞などは、8月の北戴河会議で次期常務委員会人事を巡る議論が交わされたが決着がつかず、次期トップへの昇格が濃厚とされる習近平氏が裏で策動したのだ、などという書き方もしていた。

ほんとうに"官製"であった形跡がある。ところが、西安とか深センでは非常に暴力的で、なにか、「デモ」というよりは、社会動乱のような趣きとなり、ごく普通の小市民が運転する日本車が襲われ、オーナー(もちろん、中国人)が大怪我を負ったり、商店に火がかけられた上で略奪されたり、どうみても「愛国的行動」とはみえない無軌道な暴力、野蛮さが発揮されたのだった。

それだけではない。「反日デモ」の参加者は、時として毛沢東の肖像を掲げていた。毛の肖像は、単なる国家的英雄の肖像ではない。「平等主義」がまだ生きており、現在のような猛烈な二極分化、階層分化が起きた中国社会にあっては、まさに現政権に対する思想的なアンチテーゼの象徴という意味合いを帯びてくる。

****** ****** ******

これには、さすがに中国政府も参ったことだろう。"18大"の日程はいまも発表されていないが、いくらなんでも10月末までには開かれる。もう今回稼げるポイントは稼いだわけだから、そろそろ幕引き、ということになってきている。

その証左が、西安や深センの暴力事件の容疑者に対する公開捜査が始まったという事実である。CCTVの看板キャスターである白岩松に、人気番組<<新聞1+1」>>のなかで、「中国にとっての希望(注:原文では"楽観"となっていた)は中国でも"法治"がしっかりと根付いてきているということ」と語り、したがって、必ず今回の容疑者には捜査の手が伸びるのだから、とにかく早く自首しなさいよと語らせていた(http://news.qq.com/a/20120927/000139.htm)。

CCTVでこうした見解が出されるということは、すなわち今後は「反日デモ」は発動しないということであり、また許さないということだ。国内の社会矛盾があまりに大きく、民衆の怨嗟は、これをいたずらに動員して弄ぶにはあまりに危険なレベルにまで高まっていることを思い知ったからであろう。

****** ****** ******

昨日は(外務)次官協議があり、今日も経団連会長はじめ、経済貿易交流団体幹部が北京を訪れている。関係修復のための準備が進められているが、今回の騒動-まだ収束してもいないが-は、われわれ、中国と関わる者、とりわけ実業で関わる者に、きわめて大きな課題を残した。

生産拠点として対中投資をおこなった企業も、巨大な市場スケールに魅力を感じた企業も、増大する中流階級-さて、この「中流階級」という言葉を中国でどう"定義"したらよいのだろうか-の将来的ボリュームに期待して進出した小規模BtoC業者も。およそ、中国と関わり、中国人と手を組み、中国人にモノやサービスを売ろうと考えてきた全ての企業が、いま、これからのビジネスリスクをどう捉え、どのように具体的に対処すべきか、ギリギリのところで、それぞれに検討を加えている。

わたしにも、まだその答えは見えていない。しかし実業をしているから、さて、どうしましょうかね、では済まない。ひとつの方向性は、平面的(一点集中型)のアプローチからの脱却であろうかと感じている。中小企業の場合は、世界に多数の拠点を構える大手企業とは異なり、大抵が海外にせいぜい一箇所から二箇所現法を持つ程度で、しかも現状では半数近くが中国に一極集中している(「中小企業白書2012年版」参照)。これは、かなり深刻な状況だ。もちろんJ・スタインバーグが言うように、日本企業はそれだけ深く中国の産業チェーンに食い込んでいるのだから、(日本企業を)排除しようとすれば中国経済自体がおかしくなるから心配することはない、とみる向きもある(http://jp.wsj.com/Opinions/Opinion/node_519854)。

状況が落ち着くには、すくなくとも"18大"が終わり、日本の政局が落ち着く-昔の名前、ばっかりだが!-まで待たねばならない。しかし、ここはとにかく拙速は禁物で、辛抱のしどころ、なのだ。

投資形態、契約条項、企業立地、パートナー、物流、各種インフラ、政治動向、異文化など、ただでさえ要検討事項の多い海外直接投資だが、投資環境としての中国の安定性に今回大きな疑問符が付いたことは間違いない。そしてここは、われわれにとっての正念場、でもある。現地からほんとうの情報を仕入れ、情勢を分析、総合し、わたしたちもクライアントにリスク・ミニマムを図るための具体的な提案をしていきたい。
アジアの「領土紛争」が新聞紙面に載らない日はない。主役は中国、である。

世界史を少し長いスパンで見てみると、過去数世紀の基調は、同一集団内での主役交代劇こそあれ、アングロサクソン国家による世界控制であった。

20世紀、列強同士の国益が衝突し、二度の「世界大戦」が勃発、毒ガスから無差別爆撃、最後には原子爆弾まで投下される無残な全体戦争が起きた。ヒロシマとナガサキは不気味な核時代の幕開けであり、冷戦時代には「相互確証破壊戦略」が"恐怖の均衡"と称される新たな世界秩序を造り出した。

ヨオロッパは-というより、独仏は-、数百年に亘る領土をめぐる争いを、それこそ血で血を洗う関係のなかで繰り広げてきたが、核の時代には、相互に領土を争う在り方を捨て、言わば"名を捨て、実を取る"ことに成功した。それこそ1951年のパリ条約であり、欧州石炭鉄鋼共同体の発足であり、独仏が永久不戦を誓うことから始まった今日の欧州共同体だった。

****** ****** ******

今日、アジアでの「領土紛争」が、メディアによる恣意的なアジテーションもあり、恰も各国で国民レベルの感情的高揚を伴いつつ激化しているかのごとき印象を与えているのは、非常に残念なことである。

日本は、ただでさえ中国とロシアという軍事大国に隣り合わせであるのに、なにかというと領土問題が喉に刺さった棘のように作用し、地域の長期的発展を主体的かつ大胆に企図できずにこれまできてしまった。

勿論、中国にも、経済大国化、軍事大国化のなかで、軍部などには拡張主義的、好戦的な人びとがいることだろう。

だがそうでないリーダー、長期的な国益を冷静に考えられるエリートもいるわけで、中国の国家戦略からみれば、むしろ、尖閣問題などは"棚上げ"にしておき、紛争地域の「共同開発」で経済協力の"実"を上げ、地域の長期的安定を図るほうが良いに決まっている。

****** ****** ******

問題は、常に、アメリカの動向だ。

アジアの問題は、アメリカという、世界を碁盤の目で俯瞰し、国益の最大化を老獪に画策する超大国の引力から抜けられないでいる。

アジア、とくに日本、中国、朝鮮半島、台湾という経済発展地域が、地政学的な戦略利益を深慮し、"アメリカ抜きで結束する"などということはまことにケシカラン、ということになるからだ。

実のところ-いわゆる「北方領土」もまさにそうなのだが-、尖閣問題の本質は、尖閣がアメリカの国家戦略の"人質"とされ易(やす)い点にある。

****** ****** ******

アメリカは、一方では、日本の国内世論を細やかにウォッチしつつ、「尖閣は日米安保の対象なり」とアドバルーンを上げてみせ、その一方では、中国国家元首クラスの高官の子らをワンサカとアイビー・リーグに留学させる。

日本と中国の柔らかな部分、とくに世論を刺激しやすい「領土問題」を手玉に取りつつ、常に国際間で実利(=国益)を追求してやまぬ姿が、あまりに露骨である。

領土問題は、古今東西、もっとも争いの種になり易い問題だ。そして、少し長い目で歴史を見れば、ほとんど、その時々の力関係で、取ったり、取られたり、要するに、国境線がややこちらに動いたり、あちらに動いたりしても、結局は無用な血が流されるだけで殆ど関係国の経済利益を安定的に保証するもの足り得ていない、ということがわかる。

日本にとっても、中国にとっても、いまやこの二国間関係は、小さな岩礁の一時的帰趨で争いを起こせるレベルの重要度ではないはずだ。

ほんとうの国家安全保障、長期的視点に立った地域安全保障はどうあるべきかを、日本人が日本人の自律的立場で考え、中国国内の冷静な識者とのパイプを切らさず育む必要性がいまほど高まっているときはないと考える。