心が物質をつくっている | ヘミシンクピンポンパン

ヘミシンクピンポンパン

ヘミシンクと幽体離脱体験記

身の回りの、ありきたりの道具や

日用品の内部でさえ、我々には

未知の領域なのです。


なぜ我々は、物質世界に棲みながら

これほどまで内部空間と隔絶され

るのでしょう。

(続く)






――――――――――――――

2014、15年人類ゾンビ化計画レビューNO2

夜空を見上げれば、煌めく星々と

暗黒の宇宙が、どこまでも果てしなく

広がっています。


しかし、遥か彼方の宇宙どころか

足元の地面のわずか数センチ、数ミリ

内部でさえ我々には未知の世界です。


地球の内部はもちろん、リンゴの

内部さえわかりません。

我々の現実認識の多くの部分が

推理推論と仮説、そして記憶に

よって成り立っているのです。


リンゴはリンゴだろう!と言うのは

もちろん推理推論に過ぎません。

地球にかぎらず、全ての惑星は地底王国

と言ったものを持っているようです。

シャンバラは各惑星に存在するのです。


しかし、それを物質惑星の内部だと

解釈するなら、とんだ笑い話になるでしょう。

どんなハイテク掘削機を使っても

シャンバラにたどり着くことはありません。

それは入り口を間違えているのです。


我々の知覚は、物質の表面にしか

働いていないのです。

どのようにリンゴを切ろうとも、

如何に地球を掘り進もうとも、

我々が目にするのは、物質の表面

でしかありません。


それによってシャンバラを見失うでしょう。

通りすぎてしまうのです。

我々は、体積という3次元体験をしつつ

その知覚、認識は2次元的平面でしか

行なわれていないのです。


物質の内部空間とは、我々の心だという

事にいつか気づく日がやってくるでしょう。

そして、素粒子を創っているのは我々の

意志なのです。


究極の切断分解分離作業の果てに

捉えた最小の物質表面が素粒子であり、

その内部空間が、認識できず創造されない

限りは、素粒子が3次元の体積体験

という、我々の究極のミクロという

ことになります。


素粒子を波として観測する時、

そこには内部空間は存在せず、

局所的ではなく、非局所的に

振る舞う「物質」の別の姿を

みるのです。


物質の、《粒子と波》という二重性は、

多次元として存在する我々自身の

二重性の顕れによります。


こうしたことを書き出すときりが

ないのでこのへんにしておきます。

ここに書いたことは、私の思考や

意見ではありません。

幽体離脱とヘミシンクによって

得られた体験なのです。



現実認識に関して、お話会で話せなかった

ことが、もう一つあります。


我々の知覚は常に、どんな場合でも

正面にしか働いていないという

ことについての問題です。


あなたは、自分の背中を自分の目で

直接見たことがありますか。

もちろん直接ですから鏡やカメラ

を使ってみるのは論外です。


我々は生涯、自分自身の背中を

みることもできません。

それどころか、後ろを見ること

さえできないのです。


後ろを見る、振り返るという行為は、

視覚を単に後ろに回しただけであり、

その場合でも見えているのは

視覚のあくまで《正面》です。

(続く)

マサト








にほんブログ村