このブログは毎月上旬更新予定です。内容は闘病記(脳梗塞を発症してからの私の手記と妻の手記を掲載)と旅行記(私が病気になってから車いすで旅行したもの)を毎月交互に掲載したものです。また不定期でデイサービス小景(私が通っているデイサービスの面白い出来事やキャラクターを紹介したもの)を掲載しています。このブログをより理解するため、プロフィールのページの自己紹介をご覧下さい(右の「プロフィールの続きを見る」をクリックして下さい)。障害のある方や闘病されている方の参考になれば幸いです。もちろん健常者の方にも楽しんでいただけるよう工夫しました。また、この国が障害者も自由に旅行できる国であってほしいと思い、ブログにしました。
このブログ(闘病記)を読むに当たっての留意点
●このブログ(闘病記)の中で夫婦の手記が混じっているため
私の文章-太文字
妻の文章-普通のサイズ
とし書体を変えて、ひとめでわかるようにした
●文中によく出てくる略語の意味は次のとおりである。
ST{speech therapy(therapist)}:言語療法(言語聴覚士)
PT{physical therapy(therapist)}:理学療法(士)
OT{occupational therapy(therapist)}:作業療法(士)
目次
第1章・・・・・発病してS病院に入院
第2章・・・・・Kリハビリセンターに転院
第3章・・・・・Mリハビリ病院に転院
第4章・・・・・K医療センター
第5章・・・・・再びリハビリセンターへ
第6章・・・・・自宅での療養生活
第7章・・・・・発症後、初めての旅行
第2章・・・・・Kリハビリセンターに転院(2003年10月~2004年2月)
■リハビリに感動
土日の休日は妻と庭を散歩するのが恒例だった。休みの日はゆっくり寝ていたいと思うのだが、外の空気を吸うのが待ち遠しくもあった。それにKリハの庭が私は好きであった。また、できるだけ起きていることを忠実に守る意味もあった。
入院当初、悪いところは、少なく思えた。右手足のマヒと飲み込みの問題。右半身の痺れ、右顔面の痺れ、特に右耳を中心とした痺れと細かいものや文章が見えにくいといったことを除けばいずれ治るのではないかと思った。だからリハビリで作業が上手いと言われても(二重にものが見える割に)当たり前という気がしたが、日を追って目などは悪くなっていった。めまいや身体のふらつきもひどくなっていった(それだけ初めは自分を追い込んでいなかったのかもしれない)。
毎日朝6時に起き、夜9時に寝るが、朝昼晩の栄養注入や消毒、吸引、着替え、歯磨きなどの日課、4時30分頃には床につかなければならないことを考えれば、起きているのは午前中2時間、午後3時間程度である。MRSA(抗生物質の効かない細菌感染症の一つ)の問題は順調に経過した。感染を防ぐため、移動するときにはマスクをするように言われた。MRSAの問題をクリアした後も、涎を受けるためマスクは付けるようにした。
私は前の病院で、Kリハはリハビリを厳しくやるところだと嫌というほど聞かされてきたが、リハビリはそれほど辛くはなかった。むしろ、起きていることや目眩(それは神経に障る)の方がこたえた。排便は毎日の下剤と4日ごとの浣腸。最初はベッドの上だったが、後でトイレでするようになった。風呂は週1回、初めは寝たままだったが、後で湯船に座って入るようになった。
見舞いは学生時代の仲間、先輩、後輩、地域の知人、会社の総務など、多くの人がやってきたが、私はしゃべれないので、妻が代弁した。
私の部屋の前は食堂であった。食事の時間になると、私は栄養剤を注入するため部屋に入り、多くの患者は食堂に集まった。私は初めの頃、嫉妬と羨望の気持ちを持った。歯ぎしりする思いで人が食事をするのを見た。いつか私もあの中に入るのだと思った。また、4人部屋の時、食事をしている患者の家族が、
「家の主人は味音痴だから、何を食べても、味がわからない。」
と言っていた。また、部屋で話している内容は、つまらないことばかり。“味音痴”の人が食べることができて、意味もないことを話す人が、喋ることができるというのは、なんと不合理か。そして、症状の軽い人もいる。なんで自分はこんなに症状が重いのか。しかし、人それぞれに病気も人生も違う。人の詮索をしても始まらない。それより自分の病気を治すことに全力を尽くそうと思うことにした。
さて、とにかく、リハビリはスタートした。PTはマッサージと立つ練習。STは、口の運動を中心にした7つのメニュー。OTは積木を並べる作業(目と手の運動)とパソコン。気切部のカニューレは感染予防のため、交換が週に1回あるのだが、耳鼻科の医者から嚥下機能について、いい話を聞いたことがなく、体力も消耗して、交換の日は何もやる気が起きなかった。
STのメニューは訓練の時間以外に、個人で毎日練習し、チェックした。チェック表を毎日つけるのは意外と大変だったが、11月にもなると、少し口が開くようになった。歯磨きで歯ブラシが入るようになった。それまでガーゼで歯を磨いていた看護師さんも驚いていた。私自身固く閉じていた口が開くなどと、思わなかったので、それはリハビリへの感動であり、驚きでもあった。しかし気管の上がりが悪い。飲み込みの半分は、食道ではなく、気管に入っているということで耳鼻科では、次のステップに移ることを許可しなかった。このため、年明けにVF(レントゲン)の検査をすることになった。
来月(11月)は旅行記「散歩とレジャーシリーズ」の第5弾「イルミネーション」編を掲載する予定です。また今回の続き「闘病記第24回」は12月上旬に掲載する予定です。