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2012年01月18日(水)

第42回ウィークエンド・コンサートin田園都市

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 1月15日に今年最初のコンサート「第42回ウィークエンド・コンサートin田園都市」をあざみ野のアートフォーラムで行いました。
 今回はバロックダンスの浜中泰子さんと北條耕男さんをお迎えし、マラン・マレの音楽で、ダンスと演奏の両方を楽しんで頂きました。
 昨年の演奏会ではレクチャールームを横に使い、サロン風に椅子を並べて行いましたが、今回はダンスもあり、少しでも多くのお客様に見て頂くために、階段席のある縦向きに椅子を設定しました。響きとの兼ね合いも考え合わせ、最善をつくしたつもりでしたが、やはりダンスが見えなかったというフラット席の後ろのお客様もいらして、ほんとうに申し訳なかったです。でも170あまり用意した椅子がすべてぴったり埋まったのには感謝!
 
 マレのオペラやヴィオルの曲集の中におさめられている曲で、舞踏譜が付けられている曲を披露するほか、トリオのガヴォットやパッサカリアに浜中さんが当時のダンスに則った振り付けをして下さいました。マレは、純粋に演奏のためであっても、ダンスが見えるような、とてもふさわしい音楽を作曲していますので、まったく違和感ない振りが付けられていました。浜中さん曰く、音楽を聴くと、振りが自然と出てくるとのこと。
 いつか、マレのひとつの組曲を舞踏付きで演奏してみたいと思っています。

 この他、久しぶりにラビランテ(迷宮)を弾きましたが、最初にこの標題の物語をお話ししてから聴いていただいたので、主人公の男の迷路を迷いながら行く様子がお客さんにわかっていただけたようで、また私も、しゃべったことでなにかクリアーに想像しながら演奏することができたのは、自分でも面白い現象で収穫でした。
 また本村さんがヴァイオリンのためのソナタ「ラ・マレジェンヌ」をヴォイスフルートでを演奏されました。この曲は、フランスの伝統的な様式で作曲してきたマレが、当時の新しいイタリア様式の流行を受けて、自分にも新しいソナタが書けることを示した作品として注目されますが、とはいっても「マレ風」、小オペラバレーのような素晴らしい曲です。実は私の大好きな曲です。
 最後の締めはフォリア。最初はガンバソロ、途中からトリオにアレンジして全員で演奏しました。いつ聞いても浜中さんのカスタネットはかっこいいです。
 アンコールでは、私も久しぶりに踊りました。北條さんといっしょにマレのトリオのメヌエットで。靴が演奏会用だったのでちょっと歩きにくかったですが、イイ気分でした!

 午後2時開演のコンサートは、朝忙しいけれど、打ち上げがゆっくりできるのが良いところです。近くの権八(居酒屋さん)で、いろんな世間話に花が咲きました。でもバロックダンスと演奏のアウフタクトの話は、おかたい話だけどいちばん盛り上がりました! 簡単に言うと、西洋人はアウフタクトで用意のために沈み、一拍目のトップで上に向かって立ち上がること。重い音で膝を曲げて沈む日本人と逆なのです。(盆踊りを見ればわかりますね。)ここが日本人には難しい演奏法なんです! 
そのために、バロックダンスのステップを体験することはほんとうに意義のあることだと思います。

               1月18日記
平尾雅子のブログ
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2012年01月04日(水)

2012年の幕開け

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2011年は日本人にとって忘れることのできない年になってしまいました。

我が家は喪中のため、新年のご挨拶は控えさせていただきました。

なにが起ころうと次の朝はやってくる・・・、「巡りあう朝 Tous les Matins du Monde」の映画のタイトルをしみじみと感ずる年でした。

この世に生を受け、今までにたくさんの人々と関わり、たくさんのご厚意をいただきました。それに対して自分がしてきたことはなんだったのか。

生かされている感謝を思いつつも、ときに憤り、人を傷つけてしまうことも。
前向きに生きようと思いつつも、ときに後ろばかり見て、悲観することも。

感情の起伏の激しい私ですが、残された人生において、いかに心を安らかに保っていくか。
節目の年である来年に向かって、大きな課題です。

「悲観せず、慢心せず」、真実を見つめ、そして縁あって関わりある人々に対する感謝の気持ちを忘れずに生きていくために。

                     1月4日記


2011年12月11日(日)

モンセラート・フィギュエラスのこと

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 11月23日早朝、私の師、ジョルディ・サバルの奥さん、ソプラノ歌手のモンセラート・フィギュエラスがガンで亡くなりました。ジョルディと娘のアリアンナ、息子のフェランからの悲しみのメールがうちにも届きました。69歳という若さです。今でも彼女がいなくなってしまったなんて信じられません。

 彼女に初めてあったのは、1975年7月バーゼルを訪れ、スコラ・カントールムの入学試験のためにジョルディのレッスンを受けに自宅にうかがったときでした。長い黒髪、スペイン人らしい顔立ち、綿の長いワンピースを着て、タイルの床を裸足でペタペタと歩いている姿、しばしぽーっとみとれてしまったのを覚えています。
 今までに聞いたことのないような、独特の歌いまわしは、いちど聞いたらだれでも忘れることはできないでしょう。独特なだけに人によって評価はさまざまでしたが、だれにも真似できないそのキャラクターは、古いカタロニア、スペイン歌曲にはぴったり。右に出る者はいませんでした。
 すごい天賦の才能の持ち主でしたが、おっちょこちょいのところもあって、本番でポリフォニーの曲を、ひとり違う調で始めてしまって、みんなをどぎまぎさせることがあったり、今日は声の調子は悪いから、全音低くしてちょうだい、といわれることもたびたびありました。肝を冷やしたけど、今となっては懐かしい思い出です。
 しゃべり声は歌っているときと同じで、高いけれどウェット。ほんとうに親切で、日本から来た22歳の私を娘のようにかわいがって下さいました。料理が上手で、たびたびレッスンが長引いたり、エスペリオンの練習のときご馳走になりました。料理を盛りつける食器もおしゃれで、日本の陶器も大好きでした。パエリヤやガスパチョやスペインオムレツの作り方も教えてもらいました。私も天ぷらや餃子やお寿司を作り、楽しくパーティーをしたのを覚えています。彼女はその後も、Masakoにならった天ぷら、よく作るのよ、と言っていました。

 私が日本に帰ってからはたびたび会うことはなくなりましたが、15年くらい前だったか、エスペリオンの日本ツアーで久しぶりに参加させてもらったときは、バーゼル時代にタイムスリップしたみたいな気がしました。エスペリオン(その頃はXXIではなく、XX)はちょうど私がバーゼルの学生になる1年くらい前に旗揚げし、そのころからずっと続いているのが、ジョルディとモンセラートとペドロ・エステヴァン(パーカッション)です。あとのメンバーは38年の間にたくさん入れ替わりました。私がいた頃は、リュートのホピー(ホプキンソン・スミス)、ガンバのアリアンヌ・モレット、それにクリストフ・コワン、コルネットのブルース・ディッキーらもいっしょにやっていました。
 いちばん、思い出に残っているのは、ガンバコンソートで、パーセルからバードまで遡っていくというプログラムです。ガンバ5人とリュートとモンセラートとで、あちこち演奏旅行に行きました。ローマで、角形ではなく円柱形のエスプレッソ・マシンを見つけ、これはナポリ式のもので、これで入れるとおいしいのよとモンセラートが教えてくれました。さっそく買ってかえり、帰国後もしばらく壊れてしまうまで使っていました。


 5年ほど前からやっている「フランシスコ・ザビエル、東方への道」では、年に1~2回本番があり、そのたびに会っていろんな話をしましたが、彼女はすでにそのころにはあまり体調が良くなかったようです。ずっと以前から食べ物には気をつけていて、特に日本食が好きで(ジョルディもそうですが)、家にはひじき、のり、みそ、ごま、小豆などが常備してあり、よく料理していると言っていました。世界中をつねに飛び回っている鉄人ジョルディにはとてもついて行けないわ、と言い、それでもしばらく前までは3分の1くらいはやっていたようです。ヨーロッパだけではないので、時差ぼけもあり、体調管理はさぞ厳しかったと思います。あの忙しさと体調不良のなか、あそこまで頑張れたのも、食事に気をつけていたからだと私は思います。

 12月22日には、ザビエルのバルセロナ公演で、私は今回も少しだけ胡弓を弾く予定でした。昨年初めて胡弓を持っていったとき、ステキな楽器だからぜひ続けてね、来年を楽しみにしているわ、と言われて別れたのが最後でした。
 このコンサートはキャンセルになりました。モンセラートのいないエスペリオンは、あり得ないと思います。そういえば去年もほんの短い時間しか歌わなかったし、しかも服にミニ・マイクをつけていたのを思うと、すでにかなりつらかったのかもしれません。見た目はそんなに具合悪そうではありませんでしたが。
 今年8月まで歌っていたそうです。

 日本が大好きな二人。3月の地震のときは、その日のうちにジョルディとモンセラートから、だいじょうぶかというメールをもらいました。愛妻家ジョルディは今ごろどんな気持ちでいるでしょうか。45年以上共に演奏したいちばん大事なパートナーを亡くしてしまったのです。 つづく

                                  11月26日記            
 


$平尾雅子のブログ-バーゼル、ミュンスターにて(1977年頃)

<左から二人目が私、その右がジョルディ、モンセラート、ホプキンソン・スミス、アリアンヌ・モレット、右端のガンバがクリストフ・コワン>

 一昨日同僚や弟子達に宛てたジョルディからのメッセージが届きました。その一部をご紹介致します。
 「私は45年という年月のあいだ、モンセラートと実り豊かな人生を共にするという特権を得ました。彼女は友人、伴侶、恋人、母、ミューズ、マエストラそしていつなんどきもかけがえのない相談役でした。・・・彼女の深い愛と慈悲の心が、私たちのやりのこしたプロジェクトを続行させる大きな力になりました。・・・もっともすばらしいソロCD、子守歌を集めた "Ninna Nanna" は、赤ん坊に人生のエッセンスを伝える、彼女の愛情表現なのです。音楽は耳で聴くだけではなく、魂(anima)で聴いてこそ満つるものだということを、彼女は教えてくれました。彼女に心からありがとうと言いたい。・・・」

 エスペリオンはモンセラートが顔でしたから、彼女なしでは存続は難しいかと懸念していましたが、ジョルディとモンセラートはそんな柔な人たちではありませんでした。この世での別れは人の性。彼らは魂で繋がっているのです。人としてそして音楽家としての精神力、私は彼らから大きなものを学びました。
 12月のコンサートは来年に延期になりました。新たなエスペリオンが再出発することでしょう。

 モンセラートと出会ったことは、私の人生に大きな影響を与えました。もっと彼女と話したかった。誕生日が2日違いの魚座。見習うところもたくさんあったし、これでいいんだよと安心させてくれるような人でもありました。おっちょこちょいなのは私と似ていて、親近感もありました。
 2年前に、朱塗り漆器の深皿をプレゼントしたとき、体全部を使ってうれしさを表現していた姿が忘れられません。日本食が大好きで、お料理のセンスがあった彼女ですから、いろんなアイデアが浮かんだことでしょう。
 ちなみに、私が携帯で使っている masaketta は、35年前に彼女が私に付けたニックネーム。(etta という語尾がつくと、ino やina と同じで、「チビの」とか「かわいい」とかいう意味が付加されます。)


$平尾雅子のブログ-プサルテリウムを弾くモンセラート

                        12月11日
2011年11月30日(水)

オペラ《ポッペアの戴冠》11月27日

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 昨年12月に須坂で行ったポッペア、今年5月には西国分寺で、そしてついに3度目の公演が国立の一橋大学兼松講堂で行われました。

 今回は3度目ということで、少しは楽に出来るかと思いきや、いままででいちばんたいへんでした。抜粋部分が減り、3時間以上かかる上、歌手も器楽奏者も入れ替わりや増加があり、新しいことも多かった上、新しく演出家が入ったことによって、歌手の動きが細かく決められ、それらをみんながこなせるかという心配がありました。いっしょうけんめいゆえにみんなの意見が食い違うこともしばしばで、1ヶ月前には、これでまとまるのだろうかとそれはそれは案じていました。実のところ、前日のゲネプロでも決して安心できる仕上がりにはいたりませんでした。

 ところが、翌日の本番では一転、みんながほんとうに集中し、よい緊張感の中でリハーサルとは比べものにならない出来になりました。若い優秀な歌手達の踏ん張りは圧巻でした。
 私も通奏低音ばかりでなく、立ち稽古や衣装にも関わり、深くこのプロジェクトに参加していたので、終わったときは感無量でした。
 いつもはモダンの歌を歌っている人でも、吸収力のある歌手はあっという間にいろんな指摘を自分で消化してしまいます。将来がほんとうに楽しみな人たちです。
 もちろん、細かい反省点は歌にも器楽にも多々ありますが、ずっと見てきた状況からすると、フォルトゥーナ(プロローグに登場する幸運の女神)とアモーレ(愛の神)のしわざがあったのかも。

 年老いた母も、礒山先生の解説や見やすい字幕があったおかげで、ストーリーもぜんぶ理解できて、とても楽しめたと言っていました。700人のお客さんは想像以上でしたが、このような企画がたった一日で終わってしまうのは、寂しい限りです。

 それにしても、バッハやモーツァルトとは違って、モンテヴェルディのオペラにはスポンサーなどの助成金が付かないというのは、日本の貧しい文化支援の状況を露呈していると思います。

 兼松講堂は、設定が古代ローマのこのオペラにぴったりでした。近々写真をアップします。

                                11月30日記
2011年11月30日(水)

富山、演奏会

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 11月12日、久しぶりに富山の鹿島教会で演奏会をさせていただきました。今回は山岡のリコーダーと桑形亜樹子さんのチェンバロといっしょでした。さすが古楽協会の受講生のお客さんが多かったこともあって、たいへん熱心なお客さんばかり。段取りも手慣れたもので、お迎えから調律まですべてたいへんスムーズでした。富山では初めてお目見えしたフラウト・イタリアーノ。終演後山岡は質問攻めに合っていました。打ち上げではお魚料理を満喫させていただきました。「富山の魚、うまい!」と山岡も桑形さんも、もちろん私も大満足!
 翌日は、桑形さんの音律に関するレクチャー、山岡のレッスンが特別企画として行われました。山岡曰く、富山の生徒さん達って、めっちゃ熱心なんだね! 私はいつものレッスンでしたが、演奏会の次の日の、朝から晩までのレッスンはさすがに疲れました。でも飛行機の中でいただいたおいしいお寿司でほっこりしてしまいました。
                               11月15日記


                                
2011年11月29日(火)

京都女子大学附属小学校、同窓会 in 東京

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*アメブロのシステムが変わったようで、それを知らないまま、ブログを書く画面が出ないのは故障か何かの不具合かと思って、いろいろ調べていたら、ずいぶん時間が経ってしまいました。今日、友人がシステムが変わったことを突き止めてくれて、11月29日やっと再開となりました。

・京都女子大学附属小学校、同窓会 in 東京

10月29日に、小学校の同窓会がありました。私は京都女子大学附属小学校の出身です。東京での同窓会は初めてということでしたが、退職なさった先生方や現役の先生方も数人おみえでした。私は第3期生で、入学したときは最上級生が3年生。新しくてピカピカの学校でした。6年間1クラスだったので、思い出が濃く詰まっています。出席した第3期生は残念ながら私一人でしたが、それでも懐かしい先生方や子供のころの面影の残る上級生、下級生にも数人お会いし、思わず顔がほころびました。関東に住む同窓生もけっこう多いようで、陶芸、音楽、デザインなど、芸術系の職業の方が案外いらっしゃることもわかりました。

 実はこの附属小学校は、50数年前33歳だった私の父が、学長から新設の指令を受けて、一から作り上げた学校でした。父への想いをたくさんの同窓生の皆さんや先生方がお聞かせ下さり、目頭が熱くなる思いでした。父がその場にいたらどんなに喜んだだろうと思います。父は原爆で父親や親戚を失い、生き残った者として、京都で真宗学を学び得度しました。そして京都女子学園に就職していたのです。物理が専門で、島津製作所からのお声もあったらしいですが、戦争のない世の中を作る未来の大人を教育することを天職と自覚し、大役をお引き受けしたようです。
 我が家は学校作りの現場そのものでした。母も祖母も家族総出で父に協力していたのを思い出します。制服のデザインから学校の部品のひとつひとつまで、いろんなアイデアが我が家から生まれていました。浄土真宗の学校なので、それにちなんだユニークなこともいろいろありました。そのひとつに、努力賞というのがありました。浄土に咲く花、蓮の花びらの形を模した手のひらほどのきれいなカードです。前週に良いことをした児童に、次週の月曜全校朝礼で名前が読み上げられ、ご褒美としてひとりひとり手渡されるのです。私は校長先生の娘というプレッシャーもありましたが、いい友達にも恵まれ、小学校時代がほんとうに懐かしいです。
 歳を取るほどに、京都が懐かしく、誇りを感じます。もう少し時間ができるようになったら、昔通った道をゆっくり歩きたいものです。
                                11月3日記





2011年09月20日(火)

胡弓の発表会で「六段」弾きました。

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 9月18日、ついに発表会(絃詩会)で「六段」を箏と三味線といっしょに演奏しました。昨年の10月にこの曲の演奏を聴いて以来「あの曲がやりたい」と思っていました。でも3月の地震のあとの不調で春はずっとお休みしていたし、なかなか練習時間も取れないし、もう無理だろうと半分あきらめかけていたのですが、先生に励まされてなんとかこぎつけました。最後の数日間猛練習、ガンバの生徒さんたちの気持ちがよ~~くわかる日々でした。(笑)音が飛んだときの音程と合奏の中でいちどつまずくと二度と入って来れない難しさにとても苦労しました。
 前日までまったく自信が持てず、マジどうなることかと思いましたが、本番はもう一人の胡弓の共演者の方がベテランだったせいもあって、いちばん気持ちよく弾くことができ、やっと楽しませてもらうことができました。
 
 絃詩会というのは、胡弓と箏と三味線の原一男先生の門下生の発表会で、3つの楽器のお弟子さんが大勢入れ替わり立ち替わり延々6時間以上なさいます。そして、なんと原先生はほとんど全曲に出演なさいます。フォローしないと危ないから、とおっしゃいますが、とても私にはまねできないなぁ~。ずっと正座しっぱなしで、3つの楽器をとっかえひっかえの演奏でした。
 箏は年配の女性、三味線は若い男性、胡弓はいろんな人、というお弟子さんの傾向が面白いと思いました。3つの楽器全部を弾かれるお弟子さんもいらっしゃいます。若いお弟子さんたちは、先生の手となり足となって、プログラム作りから当日の段取り、セッティング、打ち上げの設定まで、すごいフットワークで動いていらっしゃり、すごい連係プレーでした。

 エスペリオンの「ザビエル、東方への道」で共演する邦楽演奏家たちが、ヨーロッパで日本の伝統音楽の素晴らしさを披露する姿を見て、おくればせながら日本人の血の音楽に開眼し、弓奏弦楽器の胡弓に手を出したわけなのですが、合理的な西洋音楽が染みついている私には、ヘテロフォニーによる合奏はとても難しいです。とても不思議な音程関係があったり、合ってないように聞こえていてもしばらくすると実は合っていることがわかったりするし、フレーズの並び方や拍感がとてもアットランダムで、非常に覚えにくいです。八橋検校を始め、ほとんどの検校たちが盲目で、江戸時代はずっと口伝で何百もの作品が伝わってきたなんで、すごすぎます!
 
 胡弓演奏のあと、和服から洋服に着替えて、今度はゲストとしてガンバを弾かせていただきました。
 その中の1曲は、原先生からのリクエストで、最近皆川達夫先生が発表された、六段がグレゴリオ聖歌のクレドをもとに作曲された変奏曲(ディファレンシャス)だという説の実践トライアル。私がガンバでクレド、原先生が六段で合奏するというものです。
 皆川先生の論文をもとにいろいろ試してみましたが、実のところ、たしかに拍数は合っていても耳に堪えうる合奏にはなかなか至りませんでした。ただ、クレドの第3番と六段の初段だけは、六段の旋法を替え、クレドの中の数個の音を変化させることでなんとか聴ける感じになりました。聴いていたお客さんからそんなに変じゃなかったとのコメントをいただき、ちょっとほっとしましたが、たとえこの「クレドー六段」説が真実だったとしても、実際に当時クレドと六段をいっしょに演奏するようなことはなかっただろうと思います。キリスト教が禁止された当時、六段がクレドだと知れたら困るはずですし、耳で聞いてわからないように隠して作曲したと解釈するほうが妥当だと思うからです。ロマンを感ずるとても興味深い説ですが、さてほんとうのところはどうだったのでしょうね。
  そのあと、リュートの金子さんがバロックギターでドゥ・ヴィゼの組曲を弾かれ、トリはマレのフォリアをアーチリュートの通奏低音で演奏しました。先生を始め邦楽の方々にガンバやリュートという別世界の楽器を聴いてもらえたのはうれしいことでした。
 他に、雅楽の篳篥や笙や琵琶の演奏もあり、平安時代のような装束は昔の絵巻物を見ているようでした。 
 来年のガンバの発表会で胡弓の先生にお願いし、日本の弓奏弦楽器、胡弓を皆さんに知ってもらいたいな、などと思ったりしています。ガンバと胡弓はとても似ているところと異なるところがあってほんとうにおもしろいです! 
                                9月21日記
 平尾雅子のブログ-クレド+六段
平尾雅子のブログ-六段
平尾雅子のブログ-若菜
平尾雅子のブログ
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2011年09月01日(木)

つくばアンサンブル合宿 報告

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 当初は震災で開催を危ぶまれたつくばアンサンブル合宿でしたが、今年も予定通りゆかりの森「あかまつ」で8月26~29日まで行うことができました。講師はいつものようにリコーダーの本村睦幸さんとチェンバロの上尾直毅さんと私です。

 今回はスタッフも入れ替わり、装い新たな再出発となりました。この合宿は口コミによる参加の多い少人数の講習会ですので、リピーターや知り合いが多いのですが、初参加、初めてお会いする方も何人かいらっしゃいました。
 アンサンブルでエントリーする形が基本ですが、個人参加もお受けしており、その方達のレベルのあった組み合わせ、曲決めが、私たち講師のいつも苦労するところです。今年もふたを開けてみるまで心配なグループもありましたが、最終的にはおおむね皆さん楽しんでいただけたようで、内心ほっとしました。

  講習は、3人の講師に別々に同じ曲のレッスンを受けますが、たまに真逆の意見、アイディアもあり、受講生は多少混乱されることもあります。しかし、アンサンブルのメンバーの中でもっともしっくり行くと感じるアイディアを選べばよいので、講師の意見をただ鵜呑みにするのではなく、参考にしながら自分たちで考える体勢ができて、これこそアンサンブルの醍醐味、かえってよい作用が働いていると思います。もちろんベースの考え方は3人とも同じ方向を向いていますから、だいじょうぶなのです。

 今年の講師演奏会はフランス音楽にしぼって、オトテールやL.クープラン、F.クープラン、ボワモルティエなどの作品を演奏しました。

 ダンスは、デュパールのイ長調のガヴォットを使って、みんなでガヴォットのステップを含んだコントラダンス「ミラノの人」を踊りました。皆さん大汗をかきながらもとても楽しそうに体験して下さいました。

 レクチャーは、慶應大学院生の佐藤康太さんにお願いし、テレマンの「音楽の練習帳」出版年最新情報についてお話しいただきました。詳細はこれから発表されるとのことですので、ここではまだ公表することができませんが、とても説得力のある新説だと感じました。

 最後の発表会は、熱の入った力演ばかりでした。今年は今まででいちばん3日間での成果が出ていたように思いました。ヨーロッパの講習会のように最低1週間続くとずいぶんと変わってきますが、なかなか3泊4日では個人練習や自分で考える時間が少なく、変わらずじまいに終わることが多いのです。ほんとうにみなさん真摯な態度で取り組んでいらっしゃいました。

 真剣なレッスンの合間に、毎年行うバーベキュー、今年も大好評でした。アントレの品川さんの息子さんの農園から届いた無農薬野菜を初めとして、豊富な食材に舌鼓を打ちました。昨年までのスタッフさんがいらっしゃらないので、今年はガンバの森田彰子さんが大奮闘。皆さんの笑顔が嬉しかったです。
 
 今年のレッスンおよび練習のためのチェンバロは、湘南コースタルトレーディングの野村さんがチェンバロ2台とローランド電子チェンバロを2台手配して下さり大助かりでした。レッスンの合間に行うグループでの合わせなどでもフル回転でした。

 新しいスタッフは兵藤ひろ美さん、現地スタッフおよび調律係として辺保陽一さんも加わって下さり、講師と受講生がみんなで一丸となって助け合って成し遂げた合宿でした。
 少人数で、大家族のような、アンサンブルだけの合宿は他に例があまりないようですし、事後のつながりもでき、誰からか言い出した「愛と調和のアンサンブル合宿」、これからも続けて行けたらと思います。

 レベルが高い、敷居が高いと敬遠される方がいらっしゃるという話を耳にしますが、じつはそんなことはぜんぜんありません。グループのメンバーのレベルさえ合っていればそれでOKなのです。ただしチェンバロ奏者だけは、いちおう数字が読めないと難しいです。でも初心者のかたは事前に五線譜に書いてくださってもよいので、準備をちゃんとしていただければだいじょうぶです。いつもチェンバロの受講生が他の受講生に比べて少ないのが残念です・・・。
今年は土居瑞穂さんにアシスタントをお願いし、いくつかのグループで通奏低音を弾いていただきました。

 来年はもしかしたら場所が変わる可能性もありますが、ぜひふるってご参加下さい。ルネサンスとバロックのアンサンブルならどのような編成でも受け付けます。

 ご意見ご感想もお待ちしています。

                                 9月1日記 


2011年08月22日(月)

今夏の軽井沢

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 8月19日から3日間軽井沢へ行ってきました。
 前日まで35度の猛暑だったのに、一変して土砂降りの中の出発、軽井沢へ着いたら16度しかありませんでした! 
 音楽を始めきわめて多彩な趣味を持つ自由人、K氏の別荘でのホームコンサートに出演させていただくのは、もう4,5回目になりますが、いつもどおり今年も雨でした。20日の本番の日は朝から湿度98%! 木造のお宅で65人以上のお客さんを目の前にし、古楽器奏者としては過酷な超デッドな環境です。山岡のリコーダーと金子さんのリュートといっしょにデュパールなどを弾きましたが、ヴォイスフルートでのバッハの無伴奏パルティータ、サント・コロンブ氏を偲んでなどはK氏のリクエストでした。さすがにパルティータは残響のあるところで聴いてもらいたかったです。
 でも、ここでのコンサートはいつもそうですが、聴いてくださる方々が音楽の奥深いところに耳を傾けていらっしゃるのがわかります。手の届くようなところでいっしょに息しているのです。超デッドでも湿度98%でも、お客様が素晴らしければ、よい気が流れ始めます。

 K氏は各界で活躍するすてきお知り合いが多く、話題がほんとうに豊富です。演奏会や打ち上げパーティーの準備は、農大など教えていらっしゃった大学の元弟子さんやお友達がいつもなさいますが、皆さんの手際の良さはたいしたものです。采配をふるうK先生のご人徳だと思います。用意された手作りのお料理もそれはそれは素晴らしいものでした。なんだかこの夏は、主催者やスタッフの方々と心の通う暖かい演奏会が多いです!
 規模は小さくてもこのような本番が私は好きです。いつもこの場所でお会いするかた、古楽器にとても詳しいかた、初めてガンバを聴いて下さったかたもいらっしゃいます。演奏後にいろんな方々とおしゃべりできて、たくさんのお話が聞けるのは、大きな演奏会ではありえないことですし、コミニュケーションを通じて、また新たなインスピレーションが湧くことも多いです。

 宿泊したのは、30数年前からの知人、Iさんご夫婦の経営なさるペンション軽井沢ヴァルト。暖炉にはもう火が入っていました。品のあるとてもステキなペンションです。築30年とは思えない管理の良さには驚きました。というより、もっと味が出た感じで、ピラミッドあじさいを始めとするお庭の草花も美しく、雰囲気満点。オーナーのの趣味の良い遊び心がペンション全体を包んでいるようです。
 今回は、母と息子夫婦も同行し、コンサートの次の日はちょっとだけバカンス気分になれました。雲場の池を散策したり、大きなスーパーつるやでルバーブやビーツなどを買いました。お昼にK先生たちと南軽井沢の東間というおそば屋さんへ行きましたが、ここのおそばは絶品です。野菜の天ぷらも揚げ方がとても上手でおいしかったです。ご主人、その道を極める人はいい顔しているなぁ。
 帰宅後さっそくルバーブジャムを作りました。明日から朝ご飯が楽しみ!
                                    8月22日記
 


 
 

 
2011年08月05日(金)

六段の調べ

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 趣味でやっている胡弓ですが、9月に発表会があり、六段の調べを先生のお琴といっしょに演奏することになりました。でも、このところ仕事で旅行が多く、なかなか練習できずにいて、少々焦り気味。いちばんの壁は読譜に時間がかかること。数字と記号による独特の楽譜で、なかなかすらすらとは読めません。次に音程。ヴィブラートでうまくごまかす術?をマスターしなければ。(笑)
 皆川達夫先生の提唱なさっている、六段は八橋検校が西洋のディフェレンシャスをまねて作った、当時としてはまれに見る純粋器楽変奏曲で、しかもグレゴリオ聖歌のクレドの旋律がもとになっているという説、とても興味深いものだと思います。このことがほんとうだとしたら、胡弓で六段を弾くことになったのも縁だな、と思ったりします。「題名のない音楽会」で六段とクレドを同時に演奏なさったとか、聴いてみたかったです。CDもあるそうなので近いうち聴いてみようと思います。
                                  8月5日記
 

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