私とヴィオラ・ダ・ガンバ その6
テーマ:私とヴィオラ・ダ・ガンバホームページを開設して、今年で5年目になります。初めはもっとひんぱんに書いていたのに、5を書いてからずいぶん時間が経ってしまいました。一昨年と昨年は、オルティスの仕上げにガチガチで、HPのことに頭が回らない状態でした!(汗)
ここ数年間、オルティスやその周辺のことを勉強していて、どれだけ知らないことが多いかを思い知らされました。もっとイタリア語とスペイン語がすらすら読めたらどんなにいいだろうと、つくづくもどかしさを感じます。
16世紀後半、17世紀前半には、ディミニューションに関する教本が山のように出版されています。もちろん、人生これだけやっているわけじゃないので、読破にはほど遠いこと、最初から分かっていますが、限られた時間の中でできることのなんと少ないことか。
でも、人生の後半にさしかかっても、少しずつであれ、新しいことが発見できると、胸がときめきます。そして、それが自分の演奏の中で反映し、自分の感性と融合して、音として結実したときの醍醐味は最高です。自己満と紙一重ですけどね!(笑)自分で思っていたことと同じことを昔の人が書いているのを見つけると、一人でニヤニヤしてしまいますし、ぜんぜん思いもつかなかったことを見つけると、ほうほうなるほどそうゆうことか、と腑に落ちることもあります。
西洋音楽に携わる以上、語学は必須です。心からもっと早くからちゃんとやっておくべきだったと後悔しています。若い人には、このことを口を酸っぱくしても言わずにはいられません。
まず、英語をきちんと勉強すると、独、仏、伊、西語はずいぶん楽に入れます。英語から推測できる語彙がこれらの言語にはかなり多いのです。私は遠回りをしてしまいました。今頃になって、もういちど英語をやり直しているのです。50も半ば過ぎてからでは先は見えているし、ほんとうに大したことはないのですが、さいわいにも、これらの言語の中で、大切な文献とは知りつつ、ハナからふたをしてしまうような言語はなくなりました。
何事も生涯学習だと思います。他人と自分を比較してもなにもいいことはありません。きのうの自分より今日の自分が良くなることが肝心です。
オルティスが一段落つき、最近、17世紀後半から18世紀前半にかけてのフランス・バロックのイネガリテと装飾音の弾き方についてもっと知りたくなりました。これらについては、なんとなく自分なりの法則みたいなものがありましたが、「昔学校でならったこと」や「ひとりよがり」ではなく、もっと当時の裏付けのもとに確信を持って行いたいものだと思っていました。
今までに見たのは、J.ルソーRousseau の Traite' de la Viole1687,ルリエLoulie'の Elements ou Principes de Musique1696, ラフィラールl'Affillard の Principes tres-fasiles pour bien apprendre lamusique1705,オトテールHotteterreのL'art de Preluder1719, F.クープランCouperin の L'Art de toucher le Clavecin1717, モンテクレール Monteclair のPrincipes de Musique1736ですが、それらを合わせると、どんなときにイネガルするのか、前打音、ポール・ド・ヴォアはかならずon the beatなのか、などなど、あくまで傾向としてではありますが、フランス音楽の演奏法について面白いことが少しずつ見えてきました。
イネガリテinegalite' は、言葉の意味からすると、「不均等」ですが、フランスものでイネガリテというと、音の長さに長短の差をつけて演奏することです。とくに指定がないとき、2分の2拍子では8分音符で、4分の4拍子で
は16分音符で行うのが基本ですが、ただし順次進行でない跳躍進行や同音連打のときは長短はあまりつけないのが原則のようです。
また、フランスものでも、イタリアン・クーラントと呼ばれる軽快なクーラントにおける連続八分音符では、イネガルしないでエガルegalで弾く(順次進行でも)と、モンテクレール1637などには明示されています。今も昔も「好み ・趣味」というものがあるので、機械的に律することはできませんが、イタリア趣味の曲では、いわゆる長短によるイネガルは要注意です。
ただ、バロック以前からある考え方として、音符には表の音と裏の音(buona nota,cattiva nota 伊)があって、それは、長さ(長短)で付けられたり、音量(強弱)で付けられたり、また重い軽い、深い浅いといったニュアンスだったりします。つまり、機関銃のようなまったく均等な音の連続は、よほど特別な表現でないかぎり、あり得ないということです。
1565年のサンタ・マリーアの Arte de taner fantasiaの中に、不均等に演奏することについて、注目に値する文章があります。「2分音符単位で和音が進行するとき、4つの八分音符の連続は均等に演奏するべきではなく、つねに 不均等でなければならない。それには3つの方法がある。」というものです。 ますひとつめは付点で、つぎに逆付点(ロンバルディアリズム)、そして3つめは最もエレガントな方法で、4番目の八分音符で切って、そこから次に移るときほんの少しスペースをとる、というものです。
この本は、鍵盤用に書かれたものであり、そうすることによって、アーティキュレーションもはっきりするということなのでしょう。多少やり方は違っても、似たようなことが弦でも管でもいえると思います。どの程度やるかは、趣 味の問題になってきますが。
フランスにおける音の長短によるイネガリテは、このような背景をもつ「表裏をつける演奏習慣」の中のひとつの特徴的な現象だと思います。Pique'のように、するどい付点にすることもあれば、ゆるやかなイネガリテもあります。
また、音の長さはエガルであっても、ほんとうに均等な特別な表現(しばしば音符の上に、こんにちのスタッカートのような点がついている)以外は、強弱、重い軽い、深い浅いといった微妙な表裏の違いをつけて演奏すると良い結果が生まれることが多いと思います。弦楽器は弓の上げ下げ(p、t)で、管楽器はタンギングで、鍵盤楽器は指使いで。
同時代のフランス以外の音楽でも、長短によるイネガリテはしなくとも(フランス趣味の曲では、おおいにありうると思っていますが)、上記のような方法による不均等(表裏)はつねに行われていたと思います。
ポール・ド・ヴォアの前打音に関しては、17世紀後半から18世紀前半に移るに従って、次第に変わっていったことがうかがえます。
こんにちの古楽教育では、「前打音は、トリル付きにしてもそうでないときも、on the beatで演奏する」と言われてきましたが、これは、F.クープランの明確な記述が、それしか選択肢がないようにさせているのではないかと思うのです。というのは、彼がこのことを書いたのは、1717年のクラヴサン奏法L'Art de toucher le Clavecinですが、それより以前に書かれた書物では、まったくそうとは限りません。
傾向として、古いものほど、前打音は前に出す。サント・コロンブ(コンセール集Les Concerts1690)は、ポール・ド・ヴォアを装飾音ではなく、音符に開いて書いていますが、ひとつ前の音を半分の長さにして、前打音を完全にビートの前に出して書いていますし、ルソー1687の説明でも、それが読み取れます。
ルリエ1696では、どちらでもよいとされ、その後、クープランのいうように、on the beat とするようになっていったようです。
ポール・ド・ヴォア以外でも、柔らかく旋律的な動きをするとき、ビートを通奏低音とずらすことは、たいへん効果的だし、エレガントだと、個人的には思います。理論書は原則が書かれるものですが、実践ではクープランも楽譜に書けないような微妙な揺らぎ(前だけではなくうしろにも)はやっていたはずです。通奏低音のビートにまとわりつくような旋律の絡み、上手い歌手は必ずやっていますね。節度のある良い趣味であることが肝心ですが!
どうしたら良い趣味が養われるのでしょう。
美しいものに感動して、美に敏感に反応する身体を育てること? おいしいものも?(笑)
フランスのイネガリテと装飾音については、他にも良い文献があるでしょう し、いろいろなご意見も聞きたいので、何か思うところがおありの方は、ぜひinfo@masakohirao.net へメールを下さいませ。









