『道』とは何か | MIRAIZ株式会社のブログ

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こんにちは、川井です。
『道』と言われて思いつくことは何でしょう?

「この道をいけばどうなるものか」といえばアントニオ猪木引退式での詩『道』ですが、私が直近で思った『道』はちょっと違います。
日本には、剣道や柔道といった、いわゆる「道」という字が付くスポーツがあります。
また、文化的な面でも「華道」「茶道」「書道」のような「道」のつくものが多くあります。
恐らく、外国には無い価値観がここにはあるようですが、なぜ日本では『道』を付けるのでしょうか。
仏道(仏教)では、勝負の世界で相手に勝つ為とか、ただ単に技を向上させる為ではなく、自分を見つめる世界、自分の心としっかり向き合う時間的存在の意義が『道』にはあるようですが、もっと人間として当たり前の道がそこにはあるようです。

それは、
「礼に始まり、礼に終わる」

朝起きたら「おはようございます」と言っていますか。
食事の前には「いただきます」と言っていますか。
家庭で、職場で、きちんと礼をしていますか。
すべての人間関係の基本は「礼」にあると言われています。
「経営の神様」といわれた松下幸之助さん、何よりも礼を重んじたと言われています。
彼は、世界中すべての国民や民族が言葉は違うが皆同じように礼を言い、挨拶をすることを人間としての自然の姿、すなわち「人の道」であると説きました。
スポーツの『道』であろうと、文化的な『道』であろうと、すべての『道』は、その当たり前の「礼」である「人の道」を究めることがとても重要であり、勝ち負けや優劣は二の次なのです。


さて、堅い話はこれくらいして...
最近、書の道に触れる機会がありましたのでご紹介します。
実はつい先日、京都の東山にある浄土宗総本山、知恩院に行ってきました。
(京都滞在時間は1.5h)


 

 

浄土宗第36回全国青少年奉納書道展という大変格式の高~いであろう書道展が京都の知恩院で開催されていました。
素人目でもわかるくらい書道の力強さと美しさに圧倒されるたくさんの作品の中に、目的の画伯の作品を見つけました。



大本山光明寺法主賞
「月」 こうたろう

君津から約500㎞離れた情緒溢れる歴史の街京都、
鎌倉時代初期に法然が開祖した浄土宗の総本山の中で、
立派な掛け軸と台紙に身をまとい、
暖色の間接照明を緩やかに浴びながら静かに佇む画伯の書道、
君に出会えた瞬間、パパの涙腺には一瞬の緩みが...
しかし同時に、こんなに格式高いところで脚光を浴びるだけの人間としての資質が、君に備わっているのだろうか、親として『書道』の本質である「人の道」を教えられているのだろうか・・・。
脳裏には、いたずら好きではしゃぎっ放しの礼儀知らずな息子の姿ばかりが浮かび上がってきてしまい...
帰りの新幹線の中で、自己嫌悪に陥ってしまったのは言うまでもありません。

「礼に始まり、礼に終わる」
すべての『道』の原点は「人の道」即ち「礼」を習得すること。
その大切さを教えていただいた貴重な経験、こんな機縁を作ってくれた息子に、感謝です。