バンド名からは想像もつかない音楽。

2005年11月に発表されたZokuZokuKazoku2枚目のアルバムが、『Tangerine sun』。修羅場をくぐり抜けた、ひと癖もふた癖もあるツワモノどもによる濃密なロックサウンドが痛快だ。ザ・ゴールデン・カップス、ピンク・クラウドなどで強烈な存在感を示したルイズルイス加部と、もうひとりのフロント、Michiaki(B&Vo)、そしてGrico tomioka(Dr)、Tesshi Teshirogi(G)といった、百戦錬磨のアグレッシブなメンバーが集まる。ダーティ&ワイルド、武骨な攻撃的ロックと思えば、前衛的であったり、柔らかな瞬間も作りだす。シンセサイザーやサックス、パーカッションも効果的。一筋縄ではいかない、予想を超えた大人のプレイが愉しめるのだ。ほぼ全曲がインストゥルメンタル。商業的な戦略や流行に流されることとは無縁の世界。ある意味、普遍性を追求するオルタナティブとも言えるが、音楽を信じ続けるコンサバティブな精神も同居する。だから飽きさせることなく、聴く者を一気に加速させる。懐かしくもあり新鮮。1曲1曲をじっくり味わうというよりも、アルバム1枚を通してその雰囲気にどっぷりと浸る、という聴き方が良い。寝静まった都会の中。気だるさの残る深夜の酒場。薄汚れたビルの屋上。発散しきれない欲望の吹き溜まり。轟音と共に地を這いずり回るような、重く、混迷する世界。それらが彼らの音作りを通じて、どこまでも美しく、渋い光を放つ。

ルイズルイス加部が、現在在籍するもうひとつのバンド「グループアンドアイ」。こちらは本人自信の家族と仲間達による編成だ。このふたつが今の彼を示す音楽の母体。そして共通キーワードはファミリー。実は『ZokuZokuKazoku』というネーミングも、自身のやり遂げたい音楽を実現させるパーマネントなホームグラウンドとして位置づけたものではないかと思う。それほどまでに、切れ味の鋭さや潔さを感じるアルバムなのだ。

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ジギー・マーリー

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ジギーの音楽活動において、最初の大転換期であり、第1次ピーク期だったのではないかと思われるヴァージン時代のベスト盤を久しぶりに聴いた。トーキング・へッズのドラマー、クリス・フランツ等がプロデュースを務めたアルバム『Conscious Party』からのヒットチューンが収められた好盤だ。 声やルックスがあまりにも父親のボブ・マーリーに似ているがゆえの悩み。彼自身、デビュー以降、自分の存在価値について迷い続けたに違いない。しかしこのベスト盤に見られる姿は、そんな状況から吹っ切れた、新たな潔さが聴き取れる。まぎれもなくボブのDNAを受け、ジャマイカの地で生まれ育ち、逃げも隠れもしないありのままの自分を吐き出す生き方。それは本人自身が確かに持ち得た’価値,なのだから、あとは何をしようと自分でしかない、という覚悟とも言える表明。『Conscious Party』でのクリス・フランツとの出会いとセールスにおいての好記録が、グラミー賞受賞に至り、追い風となっていった。

90年代の半ば以降は、ソロでの活動も含め、ファンキーでソウルフルなテイストを盛り込んだナンバーや、ヒップホップとの融合を感じさせる世界など、さまざまな音楽性を模索することになる。ボブが生きていたら、いったいどこに向かったのだろう、という空想を具現化しているようで何とも不思議であり、楽しい。これらの音楽的方向性についてアーティストの意思を全面的に認めたとしても、やはり僕は、88年から93年にかけてのヴァージン時代は、最もバランスのとれた、あるべきジギーの姿を実践している時期と位置付けたいのだ。

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駅裏8号倉庫の続き

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6月に札幌で「駅裏8号倉庫」のシンポジウムが開催された。無くなってから25年経った今、なぜこのイベントが催されたかはとりあえず置いておき、当時の中心人物であった、今は還暦を過ぎたメンバーと、20代の若者がひとつに会し、当時の意義を共有する場は貴重なものだった。

1981年7月にオープンし、4年半にわたって札幌サブカルチャーの拠点として、あらゆるアートの可能性を追求する場となった駅裏8号倉庫。僕が札幌を離れた、大学入学から卒業するまでの4年間と見事にシンクロするため、細かな記憶には欠けるが、大型の音楽イベントが開催された時にはいつも参加していた気がする。札幌駅北側・線路脇にあり、明治時代から農作物や亜麻の収納基地として稼働していた場所。45坪の、薄暗くひんやりとした空間に入るだけで、何かむせかえるような’気,が感じられ、ウツワ自体の重みを実感できた。’陽,や’陰,を越えたところにある、どろどろしたカオス、歴史の重みとはこういうものなのか、と思わずにはいられない重圧感。全てはここを選んだことに集約で来るような出発であった。自由な活動の場は、音楽や映像、演劇に舞踏、写真展、美術展、アートパフォーマンスにトークセッションやフリーマーケットなどに使われる。それは運営主体となる、主催者の意図を根本から認める創造的な行為となった。たとえば「出演者」と「参加者」の捉え方によって「ステージ」と「客席」の位置関係から決めていく、といったような。既存のホールなどでは考えられない、「無」の状況から始められる効果や演出が生まれ’真に自由なスペース,が機能していく。束縛からの解放。既成概念からの脱却。価値観の打破。だからこそ、根底にある【ウツワの力】が浮かび上がってくる。アイディアや感性が、ここにいると活性化され、無限の可能性を持って新しい何かを生み出す。幾多の戦争の時代を越えて存在し続けた札幌軟石造りの歴史が醸し出す’気,と、表現者である人間のパッションがスパークして生まれる情動は、純粋なアートに昇華していったのだろう。歴史は積み重なり、全てを包括してまた次の歴史が生まれる。そこに無駄なものはない。選ばれた多くの強い意志とエネルギーは、重厚なウツワと共に、必ずや次の道を切り開く。その行為はいつの時代も変わらないのだ。


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飯森範親と札幌交響楽団

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指揮者になりたかった。小学生の頃、将来何になりたいかと聞かれると決まって指揮者と答えていた。一番好きだったのがズービン・メータ。インド出身で、ロサンゼルス交響楽団の常任指揮者。スヴェトラーノフにロジェストヴェンスキー。どちらも個性むき出しの、ユニークで大胆なロシアの指揮者。そしてアンドレ・プレヴィン。日本人なら小澤征爾に福村芳一。こう見てみると、暑苦しいのが好きだったのか。熱血ぶりが指揮に現れるって見ていて壮快だ。そんな指揮者に夢を馳せていた頃を思い出させてくれたのが、6月14日、札幌ニトリ文化ホールで行われた指揮、飯森範親による札幌交響楽団のコンサート。飯森氏は「のだめカンタービレ」の玉木宏や竹中直人に指揮指導を行ったり、映画『おくりびと』や、テレビのバラエティ番組出演と、多岐に渡り活躍する人気指揮者だ。国内では東京交響楽団や山形交響楽団などでタクトを振り、ドイツを拠点にヨーロッパ各国においての演奏活動も盛ん。特に山形交響楽団に関しては、地方の一オケを日本を代表するオーケストラにした立役者として、その功績・奮闘・経営手腕は『マエストロ、それは無理ですよ・・・』(出版:ヤマハ)に書かれている。「音楽家をサービス業」と位置づけ、「感動」「顧客満足」をキーワードに、企業経営ノウハウと捉えても読みごたえのある一冊。そんな活動を展開する飯森氏と札響による演奏は、実に美しく、華麗で、時には勇気をもって立ち上がる力強さや、そっと佇む奥ゆかしさも見せる快演だった。音楽という光のシャワーを全身に浴びながら、喜びに満ちた表情で大海を泳いでいるような爽快さ。どこまでものびやかに、気持ち良さそうに。その指揮が団員一人ひとりに伝わり、ホールの観衆のすみずみにまで沁み渡っていく・・・。

ところで指揮者ほどストレスが少ない職業は無いのではないか。もちろん好きなものを全うする努力や精神力は、並々ならぬものが要求されると思うが。指揮者に長生きが多いというのも関係があるかもしれない。

もう僕は「将来、指揮者になりたい」とは言えないが、できることなら一度でいいからオーケストラを指揮してみたい。そのときはもちろん、大好きなチャイコフスキー交響曲第4番、第4楽章がいいなあ。

天辰保文の音楽夜話

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先週の日曜日に、札幌のBAR GERSHWINに行ってきた。音楽評論家、天辰保文氏による音楽ライブトーク。北海道新聞で毎週月曜日に掲載している、彼の音楽コラムが500回を達成した記念に開催されたイベントだ。会場は立ち見の出る超満員、といっても30~40人ほどか。僕が中学生時代に在籍していたレコード鑑賞部のことをを思い出した。自分の好きな曲、紹介したい曲を勝手に持ち寄り、ただひたすらレコードを聴く、のみ。このルーズさ加減が好きだった。今回のライブトーク(僕は第2部だけの参加)は、天辰氏の最近気に行っているアーティストを紹介しながら、その音源を流し、参加者といっしょに楽しむ、といった実にシンプルな構成。彼の書籍物を読み、道新連載コラムもいつもチェックしていた僕は、思い描いていた彼の人間像があまりにも予想通りだったのでちょっと微笑んでしまった。文体からにじみ出る温かさや優しさ、包み込むような音楽に対する一途な思い。そして本人は、なんとそのままなことか。作家や広告文案家とちがい(失礼!)職業としての役割を演じる側面はみじんもなく’好きだからこの仕事を続けている,ことが全ての価値観となっている。本当に素直に実践しているのだ。「僕はこわれそうなほどの緊張感を持っている人が好きなんです」と語り、カナダやアイルランドのアーティストを取り上げた。世界の中心地アメリカの国境を越えたカナダ人気質、誇り高き伝統を持つイギリスに隣接するアイルランド人気質。この両国が持つ、微妙なスタンス、のびのびしているけど陰りがある存在感、プライド。そんな風土で育ったアーティストが持つ音楽は、独自の世界観を醸し出し輝いている。彼らの信念は自身を奮い立たせ、いつの時代に向けても世に問い続ける姿勢を崩さない。人は音楽だけで生きてはいけないが、音楽無しで生きてはいけない。究極に追い込まれた時に発する最後のエネルギーは、音楽によって再生し、生き延びていけるのだ。自分の大切な音楽をじっくりと噛み締めながら、その中で見えなかった闇の映像を発見し、遠く離れた地球の裏側の風景を描き出す。ちっぽけなひとりの人間も、捨てたもんじゃない。生まれて死ぬまでの、本当に短い一生の時間も捨てたもんじゃない。音楽を通じて人の思いを限りなく膨らませ、毎日の時間を美しく、そして愛おしく描き出す。飽くことのない音楽の日々。「僕は本当にいい音楽とは何なのか、どこにあるのか、本当に存在しているのか、わからない。いまだにわからない。だから聞き続けているのかもしれない」と最後に語った。

ミック・テイラーがいる

テーマ:

1987年、4月2日。札幌ベッシーホール。ここはアマチュアミュージシャンから、プロのアーティストまで、有名・無名、国籍・年齢・ジャンルを問わず、音楽を愛する者達が集う老舗ライブホール。自分もここのステージに立った経験はあるが、プレイヤーやオーディエンスといった垣根すら越えて、札幌音楽人なら深く馴染んでいる拠点だ。ステージに向かって、右手前方2階席に座り、出番を待つ。今までこんな席に座ったことがなかった。立ち上がると頭がぶつかってしまいそうな狭さで、自分のお尻の幅だけの席が確保され、身動きが取れない状態。目線をちょっとずらすと、ステージ左横には楽屋があり、ここに彼らのバンドは待機しているのだ。愛用のレスポールを抱え、サラサラと指慣らしをしているに違いない。歴史上、最重要ギタリストの一人である彼は、初来日を果たし、そしてその最初のライブを札幌の地で実現した。今日の日の演奏の良し悪しはもうどうでも良かった。たぶん自分にとっては彼の存在を目撃すること。彼が発する音を間近で耳にし、その時間を共有できることだけが最大のミッションだった。というのも一ギタリストとしてはもちろん、その生き方やビジュアルや全てが輝いている、彼の生の姿を目に焼き付けておきたいと唯シンプルに願っていただけだったから。変わることのない確固たるイメージ。そしていよいよ登場した。真実のみがそこに脈打っていた・・。

1972年に発表された『メイン・ストリートのならず者』の再発が話題となっている昨今、あらためてミッ・クテイラーのギタープレイに浸ってみたくなった。そして彼は変わらずに現役のギタリストだ。

デヴィッド・リンドレー

テーマ:
たしか90年代前半あたりだったと思う。東京へ遊びに行った時に見たのが、デヴィッド・リンドレー。200人も入れば超満員になりそうなオールスタンディングの六本木にあるライブハウスだ。当然暑苦しいほどの人の数だったが、ちょうど会場の真ん中あたりにポツンと一人の女性が立っているのが気にかかった。それは女優の安田成美だった。まだ木梨憲武と結婚するずっと前の頃だ。そこの空間だけが不思議とポッカリ空いたような、ほのかに光がさしているように感じた。音楽に合わせて、小気味良く踊っている。彼女といっしょの空気の中で、僕も同じ音楽を楽しんでいるんだという気持ちが沸き上がって来た。肝心のライブの中身は、実は記憶にない。ただ狭いステージで髪を振り乱しながら、分厚い音の塊が、これでもかと耳に襲ってきたことだけが残っているのだ。ラストの『TWIST AND SHOUT』はかなりのハイテンションだった。デヴィッド・リンドレーと安田成美、ツイスト&シャウトと彼女の優雅な舞。このワンシーンだけが、ライブの記憶の全てになった。翌日行ったのは原宿、クロコダイル。特に目的もなく立ち寄る。その日はドラマーのそうる透氏のバースデーライブだった。アニバーサリーに仲間と音楽を楽しみ、酒を酌み交わし、そしてファンといっしょに盛り上がる。これはいつの時代も変わらない最高の一瞬だ。当然彼のドラムソロも堪能しながら、僕もビールを飲み心地良い一体感を味わった。短い東京ツアーは、二つの印象的な瞬間だけを焼き付けて、煙のように消えていった。

楽しいから、いいんじゃない。好きなんだからしかたがない。みたいな空気に包まれたライブだった。 ユニット名通り、リコーダーはもちろん、ウクレレ、ギター、チューバに、三羽(サンバ)、口琴に至るまで、2~30種類ほどの楽器を操るユニークな4人組楽団。終始リラックスした中、息のあったメンバーたちは、次々とおなじみの曲を披露。特に響いたのは、あの「ピタゴラスイッチ」のテーマ曲と挿入曲メドレー。あっという間に終わってしまう、短くてキャッチーな曲達を、それでも密度の濃い3分くらいの内容でじっくり聞かせてくれた。どこまでも独創的で、でもとんがっていない。彼らのモチベーションは、きっと「演ってて楽しいから」に尽きるのだと思う。楽しむには当然、アレンジ力や演奏テク二ックが伴う。そこをサラリとやってのけるのは、実はかなりのテク二シャン。あくまでも’楽しむ音づくり,で勝負する。そんな価値観を共有した仲間達にライバルはいない。というか最初から勝負にならないのだ。こんな土俵はどこにもないのだから。小樽文学館のフロアに展示されている文豪たちの肖像画の前で、途中休憩を挟み、2部構成の約2時間。ライブ終了の後味も爽やかに、家に帰って、さぁゆっくり寝よう、ではなく、さあこれからリコーダーでも出してちょっと今日の演奏演ってみようかな、と思わせてしまうお気軽さ、飽きの無さ、が栗コーダーカルテットの魅力。彼らはきっと、ライブ後の打ち上げでも、ビールを飲みながら延々と懲りもせずに、音楽談義に花を咲かせるに違いないのだ。

ところで関島さん、日本口琴協会って本当にあるんですね。日曜日のNHK-BS2でオンエアされた『映画音楽に乾杯!』録画しておきましたから。

Misty Morning

テーマ:

流れるままに生きるのが、悪いことだとは思わない

どれほどのこだわりが、どれほどの思い込みだろうが

僕は負けない

行き続けることがどんなに大切なのか

いちばん分かっているのは自分自身


理由などないけど、泣きたい夜が訪れます

今日までの日々が、幸せだったか、不幸せだったのか

どこまで行けば見えるのか それは心の中にあるだけで


振り返るのもステキだなと、時にはしんみり思えてきます

美しい歌や、美しい声に

美しい詩や、美しい顔に

切なくされたり、締めつけられたり


涙もろくなったのは、年のせいだけではないでしょう

どうしようもないほど、どうにもできない

逃れることができないほどに、追い詰められてくる今が

どうか今だけのことでありますように

これで終わるはずがない

最後になってプラスマイナスゼロになるなら

きっと違う明日があるから

必ず新しい明日が来るから


1978年、タフゴング/アイランドから発表された

ボブ・マーリーのスタジオレコーディング6作目『Kaya』。

全ての真実を受け止め、革命家の魂と人間としての道を

しっかりと噛み締めるように、自身と同士にメッセージし続ける。

ルーズでメロウ、ソフトなサウンドの奥に隠されているのは

変わらないボブの研ぎ澄まされた存在感。

「Misty Morning」が、4月の風に心地良い。



1977年8月5・6・7日

テーマ:

自らを窮地に追い込む。ギリギリのスタンスで勝負する。勝つか負けるか、どちらかしかない状況の中では、弥が上にも緊張が高まり、邪念は瞬時に消え去る。だからこそ今何が必要か、徹底的に絞り込み、どう立ち向かっていくかを命懸けで考える。そんな環境をあえて作り出したのは、1977年8月に開催された「第1回札幌ロック祭・ツーアウト・フルベース」だ。当時の商業主義的な音楽=メジャーレーベルによる、売るための手段としての音楽マーケットを否定し、自らの手で、自分たちの音楽を取り戻し、育てていこうとする、切羽詰った熱い思いが確かに伝わってきた。札幌のバンドが、第一線で活躍中の東京ミュージシャン達と一体となり、とてつもない大きなエネルギーの塊となった一大ムーブメント。札幌からはマーシャン・ロード、スカイドッグ・ブルースバンド、和田セッションバンド、ベイカーショップ・ブギーなど、東京からは、ムーンライダース、オレンジ・カウンティ・ブラザーズ、久保田麻琴と夕焼け楽団、そして細野晴臣氏が参加。しかも3日間にわたり、プロ・アマ、東京・札幌の垣根を超えたステージ構成なのだ。そこには、いい音楽を共に認め合い、感じ、シンパを増やしながら、正しい音楽フィールドを培っていこうという共通の思いが息づいているからに他ならない。ツーアウト・フルベースという、勝負の打者との真剣対決の中では、青臭い行動を冷やかす愚か者は出るはずもなく、常に本気なのだ。B6サイズ18ページのモノクロ手書きプログラムにも、そんな思いがぎっしりと詰まっている。各バンドのプロフィールや演奏曲目など語るスペースもなく、音楽に向き合う真面目なメッセージがただひたすら書き連ねてある。イベントに参加するプレイヤーと主催スタッフチームのだれもが主役。一体となっているからこそここまで実現できた。「音楽」をキーワードに同じ目線で向かっていく純粋な強さは何物にも代え難い。今から33年前の真実。そして当時の主役たちは、今50代半ばになっている。