私が大学卒業後、新卒採用として就職した会社を退職したのは、ちょうど30歳のときでした。
もちろん最初から退職を考えていた訳ではありません。
その企業が本当にいいと思ったから就職を希望したのだし、実際にその会社の経営理念などには共感する部分も多く、また業種もいいし、まだ出来上がっていない分だけ、面白いし、やりがいもあるだろうと思っていました。
実際に、会社の管理職の方からみれば、稚拙なものだったのかもしれませんが、私なりにどうしたら自分が働いているこの会社をよりよくすることができるか、会社を通じて社会貢献できるかということを考えて、いろいろと提案書や企画書を作成して、上司に提出していました。
新人の頃はもちろんのこと、ある程度、仕事を覚えてきても、当時の管理職の方からは、「こんなの部長が考えることだ」「まだ今、与えられた仕事が充分にできてもいないのに、改善点についての提案書を書くなんて10年早い」「お前、今俺に向かってやっているように、そうやって社長と対等に話すことできるか?社長にはできないのに、俺達にだけいいということはないだろう」などと言われたこともあります。
私自身の反省点としては、管理職から当時の私に求められていることと、私が会社でチャレンジしようとしていることが大きく食い違っていたということに、あまり気づいていなかったということです。
私は、夢と希望に燃えて、この会社の一社員として、少しでも素晴しくなるように貢献したいんだ、オンリーワンの企業と言われるようになるために、頑張りたいんだと思っていました。
しかし、おそらく管理職の皆様は、当時の私の実力と私自身が抱いている夢や目標とを比較して、「今の君の能力じゃ、このような仕事は無理だ。それにも関わらず、身の丈を考えずに理想が高すぎるし、コピー取りやエクセルやワードでのルーティンの資料作成といった細かい日常業務や部会などで使用する資料の準備、お茶などのセッティング、会場設営、忘年会や新年会の会場押さえや会計幹事業務が充分にできていないし、イベントなどでの弁当の手配、スタッフや取引先への差し入れなどの気配りが足りない」と考えていたのではないのかと今、改めて推測します。
だから、私は、相手が私に対して期待していること、私に対して求めているものを充分に提供できていなかったんだとわかりました。
このような状況では、いくら私が、一心不乱になって残業して提案書を作ろうが、企画書を書こうが、受け入れられない訳だし、無駄な残業をしていると言われてしまったのだろうし、やる気がかえって仇となり、空回りしてしまったのだとわかりました。
受験勉強もそうですが、当時の私には、あまりにも夢が大きすぎて、成長の途中に必要である段階を一気に飛び越してしまおうとしていたのかもしれません。
「学問に王道なし」と言われますが、人格の成長も同じなんだろうなぁと、今、反省を踏まえて思います。
会社を退職する少し前の総務部に所属していたときだったと思いますが、書店で何だかとても面白いタイトルの本を見つけ、思わず買ってしまいました。
「役人道入門」久保田勇夫著(中央公論新社)
この本は、東京大学の法学部を卒業した後に大蔵省(現、財務省)に入省され、その後、オックスフォード大学などにも留学され、順調に官僚としてのキャリアを重ね、国際舞台でも活躍し、国土庁事務次官を最後に退官されたという、いわゆる日本で一般的に考えられているエリート中のエリートが書いた本です。
書店で見つけたときに、純粋に日本の最高学府を卒業し、さらにエリートと言われている人がどんな価値観を持って仕事をしているのだろうと大変に興味をもったし、知りたいと思いました。
この本の中の「第三章 組織編」にある「各ポストで学ぶ」という部分が印象に残りました。
係員、係長、課長補佐、課長、審議官、局長、次官というのが役人のヒエラルヒーである。役人が将来それなりの人物になるためには、それぞれのポストでマスターすべきことを順次マスターしなければならない。係員の時代には係員でなければ身につけられないことを身につけ、係長の時代には係長の時代にしか経験できないことを経験すべきである。上司たるものは、その部下が係長である場合には、係長の時代にしか身につけられないことを身につけようとしているかどうか、また身につけられる環境におかれているかに留意しなければならない。
筆者は、大蔵省の新入生の研修会などで「役に立つ話」をするよう求められたことがあり、その際に次のような趣旨の話をした。
人は昔学び損なったことも後で努力すれば身につけることができると考えがちであるが、そうではない。若い頃にしか学べないことがあり、ポストの低いうちにしか身につけられないものがある。
係員の時代は省内を歩いて資料を配ったり、上司の手足としてあちこちの局や課に文書を届けたりすることが一つの仕事である。どういう由来か、また誰が名づけたかわからないが、このように廊下を飛びまわることを「廊下トンビ」という。この「廊下トンビ」は実に下らない仕事のように思われるがそうではない。この時期は、省内のどの局のどの課にどういう資料があるかを覚える絶好の機会である。
役所の仕事はすべてを自分で行うわけではなく、他人の仕事の成果を上手に活用しなければならないことが多い。上司の命令で省内を飛びまわっているうちに大臣官房の調査企画課(現在の総合政策課)では景気の分析についてどういう資料を作成しているのか、主計局の調査課ではどういう資料があるのか、国際金融局(現在の国際局)の国際収支課はどういう形の国際収支表をつくっているのか、それらについて解説書があるのか、などを知るのである。同様にそれらがいかなる時期に公表されるかも覚えるのである。こういうことは、係長となって多少は物事をまとめたり、課や局のなかの調整をするようになる頃、身につけようとすれば格段の努力をしなければならなくなる。(以上、本文より引用)
今、改めて読んでみましたが、私は、それは違うなと思うこともあるし、また、官僚主導で政治が行われてきたと言われる日本社会が、これから大きくより良い方向に変革していく上で、改善するべき点をこのような事務次官経験者がオープンにした価値観にこそ、見いだすことができると考えます。
まず、一点目ですが、人は昔学び損なったことを後で努力しても身につけることができず、若い頃にしか学べないことがあるとありますが、そんなことはないだろうと思います。
実際に、だいぶ前にブログで書きましたが、例えば宮本延春さん(「オール1の落ちこぼれ、教師になる」の著者)のような方もいます。
彼は、15歳、中卒で見習い大工に就職。17歳フリーターでミュージシャンを夢見る。18歳両親と死別、天涯孤独の身になる。23歳アインシュタイン博士のビデオを見て感動。『小学3年生のドリル』を買って猛勉強。24歳定時制高校入学(私立豊川高校)、全国模試で上位に、数学は県内トップになる。27歳難関国立大学に合格(名古屋大学)、大学院まで9年間研究に没頭する。37歳現在、私立豊川高校教諭。落ちこぼれの気持ちがわかる「オール1先生」として活躍中だそうです。
制作部で「青春の忘れ物」という企画書を書いて、企画会議で提出したことがあります。
ある程度、予想はしていたものの、私の企画書の企画意図を読んだ当時の上司が怒鳴り声を上げるほど激怒してしまいました。
今思うと、シナリオ学校の映画監督が私の脚本を読んで激怒した理由と似ているのかもしれないなぁと感じます。
「団塊の世代の方などをはじめ、若い頃、やりたかったけれど様々な事情でできなかったこと、青春の忘れ物に再チャレンジして、夢と青春を取り戻そう」というものでしたが、日本人の穢れの哲学?ではありませんが、失ったものは取り戻せないし、人生をやり直すことなどできはしないと思っていたのかもしれません。
先の「役人道入門」の著者である久保田勇夫さんは、「はじめに」で次のようにも述べています。
ところで、私は課長補佐として最も働き盛りの頃、李宗吾という人物による『厚黒学(ずぶとくはらぐろいがく)』という本に遭遇した。これは中国の清朝末期に、自らの英雄豪傑を夢見た李宗吾氏が、どうすればそうなれるかその秘策を求めて、四書五経、諸子百家、二十四史などの文献を懸命に読み、自ら思索した結果たどりついた結論を書きとどめたものであった。尭舜以来、中国四千年の歴史に登場する重要人物(これは劉備、曹操といった『三国志』の英雄が含まれる)の事績を慎重に検討した結果、氏は次のようにさとったという。
「そうだ英雄豪傑となるには、秘伝も何もなかったんだ。ただ必要なのは、鉄のような厚い面の皮と、ずぶとさに徹した腹の黒さだけだったのだ。それをうまく活用できさえすれば、英雄豪傑となることなど、まさに掌を返すよりやさしいものだ」(『厚黒学』<日本語でわかりやすく言うと腹黒学>李宗吾著、葉室早生訳、五月書房)
民国元年(一九一一年)に発行されたこの書は、そのための修業方法や役人になりたい人への助言、役人として成功するための心得などを皮肉を混じえて逆説的に述べている。
とくに厚黒学の修業はこれを三つの段階にわけて進めることが妥当であるとしている。第一段階は「(面の皮は)厚きこと城壁のごとく、(腹は)黒きこと墨のごとし」にとどまると言い、これを越えて、面の皮を厚くし、腹を黒くするための努力をすれば、第二段階である「厚くして硬く、黒くて光る」状態になるという。そしてさらに修業を進めると、ようやく「厚くて形なく、黒くして色なし」という第三段階にいたり、ここで初めて達人の域に達し真の英雄豪傑になりうるというのである。
この書は、訳者である葉室氏が解説されているように、中国人である著者が、その多年の社会的経験と深い儒学の薀蓄を傾けて、中国古来の英雄偉人達を俎上にのせて、その成功と失敗のあとを、「厚黒学」的見地から徹底的に批判し、痛烈に諷刺したものである。そのあとで、それでは、その場合どうすればよかったかの解答をあたえ、それによって、われわれが、この社会において、どうしてやってゆけばよいかについての心がまえを暗示しているのである。
私は、その観点は異なるものの、李宗吾氏が公の仕事にたずさわる者には特別の心がまえや技術が必要だとされている点において意を強くし、それが何かを求められた努力に強く印象づけられたのである。(以上、本文より引用)
人には本当にいろいろな考え方があるものだなぁと感じました。