マサーヤンのブログ

農ライフミュージシャン・マサーヤンのブログです。リヤカーで日本一周の旅をやっています。夢は1万人の人と一緒に『希望の唄』を大合唱することと、農ある暮らしが広がり、この地球が優良星になることを夢見ています。

<リヤカー日本一周の旅>
◇第一弾終了 
2009年7月7日東京新宿都庁前→2009年12月31日沖縄那覇
◇第二弾終了!
2013年4月15日千葉県鴨川市→2014年4月3日和歌山県潮岬

※僕にはこんな夢があります⇒夢について

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ブログ更新がまたまた滞ってしまいました。。気がつけば今年2015年も残りあとわずか。7月に生まれたわが子ももうすぐで五ヶ月。生まれた当初よりは楽になりましたが、相変わらず子育ての毎日でバタバタとあっという間に月日が過ぎ去っております。
さて、重い筆ならぬ重いキーボード(?)を叩いて、久々にブログ更新をしたのは、お知らせしたいイベントがありまして、、
東京の日本橋にある三重テラスという、三重県運営のアンテナショップで、今月11日から14日までの4日間、「三重東紀州  逸品展」というイベントがあります。



こちらの逸品展に出展される、以前このブログでもご紹介させて頂いた藍染め作家の「そめやなないろ」さん。藍染めと一口に言っても、現在ではそのほとんどが薬品を使用し染めたものがほとんど。「そめやなないろ」さんは全国的に見ても希少となりつつある昔ながらの「天然灰汁発酵建て」という手法で染められた藍染めです。この方法で染められた藍染めには、藍の中の菌が生きているので、本来の藍染めの効能があるのです。
今の社会は、異常なぐらい(?)清潔にキレイに!となんでも殺菌、抗菌と言って薬品を使って菌を殺してしまいますが、菌にはもちろん病原菌や腐敗菌といった人間に悪影響を与える菌から、発酵菌といって、味噌醤油漬物などの食べ物や日本人の昔からの生活に欠かせない有用な菌が存在します。
(清潔にキレイにといって、石鹸やシャンプー、歯磨き粉を使いますが、それらは体にもともといる有用な常在菌をも殺してしまっています…)

人間の健康、これからの循環型、持続可能な幸せな社会をつくっていくためには、この有用な菌の活用が欠かせないと思っています。
例えば同じものでも菌の影響によって、腐敗していくものと発酵していくものとがあります。(漬物に使う野菜はそのまま放っておけば腐りますが、ぬか漬けにすると発酵して体によいものになります)

これは、菌の世界ではその7割ほどは、日和見菌といって、腐敗にも発酵にもそのどちらにもなれる菌で、ごく一部の腐敗菌の勢力が強くなればものは腐敗し、ごく一部の発酵菌の勢力が強くなればものは発酵するというメカニズムだそうです。
百匹目の猿現象ではないですが、これは人間社会にも当てはまるというか、よく言われたりしますが、世界が変わるためには一部の人の意識が変わればいいということに通じるのかもしれません。

封印されていた縄文エネルギー(自然を征服するのでなく、自然を畏れ敬い共生していく意識)が日本各地で広がり始めているこの2015年。僕が住んでいる熊野でもそういうエネルギーをいつも感じています。そんな熊野に住み、藍染めや陶器や器に熊野のエネルギーを吹き込む素晴らしい作家さんの作品をぜひ東京の方々にも感じて頂ければと思います。
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ブログ更新、また間が空いてしまいました…。
前回の記事でも書いたように、7月にわが家に赤ちゃんが誕生しましたが、もう少しで2ヶ月になろうとしています。現在はほんとに赤ちゃん中心の生活で、奥さんが授乳とおむつ替え、自分は主夫として炊事洗濯風呂焚きなど家事全般をカバーし、毎日バタバタと忙しくも楽しい日々が過ぎ去っています。新生児の赤ちゃんは夜中でも2~3時間おきに授乳やおむつ替えが必要なので、睡眠時間も赤ちゃんのリズムに合わせて取ることになり、産まれてすぐの頃は夫婦ともども睡眠不足が続き大変でしたが、最近では少しずつリズムにも慣れてきて少し楽になってきました。
ビートルズのジョンレノンが、息子のショーンが誕生した時に今までの音楽活動をいっさい止めて、子育てに専念したという話は結構有名で、なぜ音楽活動を止めたのかと聞かれ「子育てほど、こんなにクリエイティブなことはないよ」と言っていたとか。いやほんとに、毎日少しずつ成長し変化してしていくわが子を見ているだけで楽しくて、日々の疲れが吹き飛びます。

子育てというと、どうしても上から目線というか、親が子供を育ててあげているというニュアンスがありますが、そうではなく、親が子供から教えてもらっていることがほんとにたくさんあるんだなと感じます。人間修行の段階として、今は、無償の愛を与えて与えて与え尽くす勉強をさせてもらってる感じがします。誰もがそうやって産まれたばかりの頃、受けて育ててもらった愛を今お返ししているというか、わが子がやがて大きくなり子供を産み育てる時にはまた次の世代へとお返ししていく…、なんだか親やご先祖様から受けてきた愛のバトンをまた未来へと繋いでいく、そんな感覚があります。
それと子育てをして感じることは、僕らが学校や社会で身につけてきた合理性とか打算的な考え、例えばこれだけの量のミルクをあげると何時間寝てとか、、そんなマニュアルどおりにはいかない合理性とか打算的なものの対極にあるもの、それが子育てではないかと(笑)。

今のアングロサクソン的な?社会では、人間対自然、というような分離意識とでも言うのか、自然をコントロールしようなどという考えがありますが、そうではなく、そもそも人間も自然の中の一部であり、人も自然も、自分も他人も、もともとはすべて一緒だという統合意識とでも言うのか、もうそろそろそういう価値観に一人一人が変わっていかなければいけない段階だと思いますが、世の中の多くの問題事の原因は一人一人の中にあるそんな分離意識ではないかと思っていまして、というのは現在子育てを通じて、自分の中にあるそんな分離意識に気づきまして、、「こうして欲しいな、これだけしたのだからこうなるだろう…」という上から目線の意識で赤ちゃんと接していると、いつまでも泣き止まないのですが(笑)、ある時から、赤ちゃんの中にある”自然”と、寄り添うような意識に変えていくと、それから子育てがスムーズにいくようになった気がしました。

前ふりが長くなりましたが…(汗)、現在自分も子育てを通じて感じることができている「人間が主体ではなく自然が主体である」という意識が、ワークショップを通じて気づき感じることができる、あの「木削り」マスター、滝本ヨウさんの「木削り教室」が、今月18日(金)に須野町で開催されます。今年の3月に第1回「須野マルシェ」の日にもやって頂き大好評だった「木削り教室」、また須野町でやって頂けることになりました。以下その告知を!



●木の声を聞きながら削ろう「滝本ヨウさんの木削り教室 2015 秋」●
日時:9月18日(金)時間:13:30~16:30
料金:2,000円(中学生以下は1,000円)
場所:須野町の野外(元小学校跡の校庭)
定員:10名くらい
申込:木花堂まで(TEL 0597-70-4068またはメール konohanado@gmail.com ←アットマークを半角にして送信してください。)
★教室終了後は、木花堂に場所をうつして、お茶しながら滝本ヨウさんを囲んで座談会します。お時間がある方はぜひご参加ください。




3月29日須野マルシェでの木削り教室は、雨のため、旧小学校屋内で。



<ヨウさんからのメッセージ>
木花堂さんの居る須野で、今年2回目の木削り教室です。黒潮の海を眺めながら木にふれて、のんびり∞ほっこりした手仕事時間をお楽しみください。



《 プロフィール 》
滝本 ヨウ
1949 年和歌山県生まれ。横浜及びロスアンゼルス在住。18歳でカリフォルニアに移 住。南カリフォルニア大(USC)卒業後、東京で22年間都市計画業務に関わる。1998年<ふるさと工房HOME>を設立。木削り教室を、日本及びアメ リカで開催しながら、広い視野で地域生活圏をベースにしたふるさとづくりを推進中。
ヨウさんのホームページ http://www.h6.dion.ne.jp/~kikezuri/



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くまの川王国・いいはからいごとプロジェクト
   
 くまの地域は、現在3つの県(和歌山県東部・三重県南部・奈良県南端部)に分断されています。
今回のプロジェクトは、行政界を超えた本来のくまの地域(くまの川を中心軸とした生活圏全体)で、個人参加型のふるさとづくりをめざします。
 水の国日本の美しい自然環境を取り戻し、子どもたちから老人まで、みんなが活き活きと笑顔で暮らせる生活文化圏をつくりませんか。黒潮の流れる<海>と照葉樹林の育つ<山・森>、そしてそれらを繋ぐふるさとの<川>による水の循環システムを復元し、人間だけの為のはかりごとではなく、全ての生きものや自然の為に「いいはからいごと」をしたいです。
  くまのには、日本人の先祖である縄文人(びと)が大切にしてきた自然崇拝の場が沢山あります。経済優先型の都市生活の行きづまりが目立ち、自然と賢明につ きあう山村(田舎)復活の契機が来ているようにも感じます。あなた個人の得意技を活かし、くまのの自然や子どもたちに、あなたの素敵な思いを繋げません か。
 「はからいごと」は、いい「気」を発信します。くまのの地から、ふるさとづくりのいいはからいごとを伝染させたいです。
 今(2015年春)このプロジェクトの参加者は、くまの内外で110名を超えました。高校生から80才のお年寄りまで、いろんな方たちが個人的に参加してくれています。このプロジェクトには、組織的な規制はありません。自分のためのはかりごとではなく、ふるさとくまのが元気になるようなはからいごとをしたいです。

くまの川王国・いいはからいごとプロジェクト担当 滝本ヨウ


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ご報告します、先日の7月20日海の日に、わが家に赤ちゃんが誕生しました。3250gの元気な女の子です。隣町の尾鷲市の病院で生んだのですが、ここ須野町からは車で片道30分の距離で、7月に入ってからは晩酌のビールをノンアルに替え、いつ陣痛が来ても車を走らせることができるよう、ずっとスタンバイしていました。
19日の夜23時頃、奥さんが陣痛が来たかも…ということで、病院まで車を走らせ先生に診てもらうと、まだ本陣痛は来てなかったので一度家まで帰り、でもすぐさま本格的な痛みが来たということで夜中3時半にまた再び病院へ。そこから入院となり、その日の夕方17時08分に生まれて来てくれました。



個人的に常々、命が生まれる瞬間と現場にぜひ立ち会ってみたいと思っていたので、分娩室に僕も入らせてもらい、出産に立ち会いました。命が生まれる現場とは、けっして綺麗事や上っ面で済まされるようなものでなく、とても生々しく、神聖で、そして感動的な現場でした。わが子が生まれた瞬間、やはり自然と涙が流れ落ちました。横に立っているだけの自分には、無事に生まれてくるように祈り、手を握りただ励ますしかできなかったのですが…、奥さん、赤ちゃん、ほんとうによく頑張ったと思います。
この瞬間に立ち会っているかいないかで今後の子育ても全然変わってくるんじゃないかと思えるくらい個人的には素晴らしい体験をさせてもらったと思うので、もし可能であるならば、世の中のすべての旦那さんに立ち会い出産をして欲しいと思いました。

昨年の11月に奥さんの妊娠が発覚し、そこから出産に至るまでの親子3人での約10ヶ月の長い旅。なにぶん僕も奥さんもすべてが初めてのことだったので、いろいろとまどいや不安や、大変なことも少しはありましたが、母子ともに元気に無事に生まれてくれて、まずは一安心しています。感謝です、本当にありがとうございます。
この10ヶ月間を振り返ると、いろいろな気づきや感じたこと、教えてもらったこと、たくさんありました。自分が人の親になると分かった時にまず感じたことは、自分と奥さんを生んで育ててくれたそれぞれの両親への心からの感謝の思い。
人はけっして1人で生きているのではない、たくさんの人に祝福されたくさんの人の愛を受け生きているのだということ。人は誰しも、特に思春期の多感な時期などに、自分は何の価値があるのか、誰からも愛されていないんじゃないか、生きている価値なんてあるのか、、、そんなことを思ってしまう時があるかもしれません(自分も昔、そういう時期はありました)。
けれど!今はっきり言えることは、人は誰でもたくさんの人に祝福をされ生まれてきて、たくさんの人に愛されて生きているのだということ。今、そのことは100%間違いないと断言します。




それから、話は少し変わります。

以前より、一部の人達の間で話題になっている『逝きし世の面影』という本がありまして、これは、江戸時代末期から明治時代初期にかけて日本を訪れ、世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡が掲載されている本なのですが、これを読むと、僕たちが学校の教科書で教わってきたこととはまるっきり違う、当時の日本人の暮らしの豊かさ、精神性の高さ、世界でも類を見ない豊かで幸せな国の姿(まあ言ってみればこの地球上のユートピア)を伺い知ることができます。

以前より、個人的によく読ませてもらっている「In Deep」というブログ内の最近の記事では、この『逝きし世の面影』内の内容を抜粋し、江戸の庶民が、子どもたちへの愛情がすべてである生活をしていたことが、「子どもの楽園」という章には、非常に長く書かれています、と紹介されています。

こちら↓
「革命」(3) - 革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと


私たち日本人が、近代化や合理化と引き換えにして失った最大のものは「子どもたちへの絶対的な愛情」だった。として、子どもへの愛をすべてとする社会、これこそが社会が最も健全な状態ではないか?という投げかけをされています。

確かに、今では多くの人が気づいてると思いますが、この国が少しずつおかしくなってきたのは、明治以降、近代西欧文明が入ってきてからですね。あれ?なんだかおかしいぞ…と少なからずの人が気づき始めた3.11の原発事故のその後の国全体の対応を見ても、最近の安保法案を見ても、残念ながら今の社会は、子供達の命や未来をなにより真っ先に考えている社会とは言い切れません。。

明治以前、おそらく縄文まで遡る数万年もの間、日本人はきっと同じような価値観で生きて来たのではないか。縄文~ヤマトと続いてそれが江戸で華開いた文化。それは当時の海外の人たちから見たら、この国はまるでユートピアであった。
自然と調和した豊かな高い精神性、なによりも子供たちへの無条件の愛を優先する社会。(7世代先のことを常に考えるというネイティブアメリカンの考えにも通じます)

「In Deep」ブログさんでは、、
そういう明治までの価値観こそが、日本で何万年も続いた価値観なら、そちらの方が日本人には合っているという気もしますし、戻るのは意外と簡単だったりして。
「社会を子どもたちに返還する」ということがなされる日が日本の転換点となりそうです。

と結論づけされています。

自分に子供が生まれたからというわけではないのですが、、この考えにう~んとても共感、賛同します!


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ブログ更新、2ヶ月ぶりとなってしまいました…。(汗)
さて前回の記事で書いた田んぼの様子ですが、その後どうなったかをダイジェストでご報告させてもらおうと思います。

前回の記事で書いたように、まずはスコップでひたすら土を掘り起こしていく作業です。天気のいい日に、一日1、2時間の作業で、腰に負担をかけないよう、ぼちぼちと進めていました。
掘り起こしている途中、巨大な石が埋まってることに気づいたり…、耕耘機を使わない100%の人力作業は、なかなか大変でした(笑)






こつこつと開墾作業を進めていると、ご近所の佐川さんから「むかし、わしが20歳ぐらいの頃、うちの親父が田んぼやっとって、その作業を手伝わされたもんじゃ。一度災害が来て、隣町の田んぼが使えんようになった時、1から田んぼの床作りをやったよ」という、ありがたいお話を聞くことができて、田んぼの床作りのやり方を教わることができました。
粘土質の赤土を小石と一緒に敷き詰めて、まず水がもれないように叩き固めるのだそうです。昔、千葉県で田んぼをやった時はそんなことまでやらなかったので、びっくりでしたが、まずは教わったとおりにやってみようと、建物の基礎を作る時に土を叩き固めるための、大きな丸太の両サイドに握り棒をつけたものを自作して、やってみました。
これがまた腰に負担の来る作業なので(笑)、あせらずゆっくり作業を進めていきます。






そしてある程度叩き固め終わると、田んぼに水を引くことを考えます。近くに、沢があるのでそこからパイプで水を引っ張ってきたいところですが、ホームセンターでパイプやホースを買うとなると、そこそこいい値段がするので、、どうしたもんかなと、考えていたところ、海岸に良さそうなパイプがゴミとして落ちていました(笑)





沢から田んぼまでの距離が15mぐらいなんですが、長さもぴったりでびっくりしましたが、ところどころが折れ曲がり、穴が空いています。




穴が空いてる箇所を切り、ホームセンターで見つけた配水管を繋ぐものを取り付け修繕。





沢から水を引きます。流れ込んだ砂などを一度沈殿させるための水タンクを設置。





そして何度か試行錯誤したあと、ついに水が流れてきました。おそらく数十年ぶりに、田んぼとしてこの場所に水が引かれ、もともと田んぼだったここの土が喜んでいるような気がしました。感無量です(涙)





初めて水を引いた日の翌日、24時間経って、田んぼが水が一杯になっているのかな~と喜び勇んで向かうと、流れ出たパイプの辺りが湿っている程度。
水が溜まらず、地下に漏れまくっていました(笑)





ここから赤土に水を含ませて、また一から床を固めていく作業です…。





そしてコツコツと作業を進めて、山ダニに股間を噛まれたり、いろいろなハプニングもありながら、田植えができそうな状態にまでなりました。





現在の苗の様子を見ると、今月末頃には田植えができそうです。床を固めて水を入れたあと、黒土を入れて、人力で代掻き作業を何度もやりましたが、普通の田んぼのようなトロトロ状態にするには限界があり、なにせ今年から初めたばかりですし、まだまだ土が固いんですが、長いスパンでの土づくりを考えているので、今年はこの状態で田植えをしたいと思います。
きっとこれからもハプニングや失敗はたくさんあるかもしれません(笑)。収穫まで辿り着けるかどうかもわかりませんが。でもひとまず田植えまでこぎ着けることができほっと一安心しています。

いや~、田んぼはやっぱり楽しいし面白いです。田の力と書いて「男」という漢字になりますが、昔もきっと田んぼは男の仕事だったのかもしれません。主食であるお米を収穫し一年間は家族を食べさせて養っていくことが男の仕事だったのかもしれません。
なによりも自分でお米作りをしてみると、秋にお米が収穫できて、これで一年間はなにがあっても生きていくことができるという、何事にも代え難い安心感、、プライスレスだと思っています。
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前回のブログ記事でお知らせしていた、第1回須野マルシェ with おはらからいまつりはどうなったのかと言いますと、このブログ上ではすっかりご報告が遅くなってしまいましたが…(汗)、当日は雨にもかかわらず、人口5人の須野町になんと100人以上のお客様が来て下さいました。

出店者のみなさん達と限りなく身内内でまずは須野での初マルシェ、楽しんでやってみましょうなんて話していたところ、蓋をあけてみると、予想外のお客様の数にびっくり&感謝感動の一日でした。滝本ヨウさん、東野ケンイチさん、出店者のみなさん、来て下さったお客様、すべての皆様、本当にありがとうございましたm(_ _)m
その日の模様ですが、詳しくはこちら木花堂ブログのほうに書いてありますので。→こちら



そして4月に入り、これは全国的にもそうだと思いますが、ここ三重県熊野市でも天気が安定せず毎日雨が降り続き、なかなか畑仕事や外仕事ができない日々が続きました。。
たぶん4月に入ってから今日までの時点で、太陽が顔を出して気持ちよく晴れたという日は、合計5日ぐらいではないかと…(笑)。

そんな中でも、今年からここ須野町で田んぼを始めるため、天気の良い日に、田んぼの開墾作業をやっています。


2011年に千葉県の南房総市千倉で、休耕田をお借りして、田んぼをやったのが僕の中で人生で初めての田んぼでした。
農家ではないのですが20年以上前から、自分の家族分のお米は自分で作っているという(すごい!)、田んぼの師匠と呼んでいる方にいろいろ教えてもらったりお世話になって、初めてやった稲作。
初年度はやっぱり全てが初めての経験だったのでなかなか思うようにいかず、その年の秋に収穫後できたお米の総量はわずか5kgという惨敗でしたが、、それでも自分で一から作って収穫して、薪の火で炊いたご飯を、一口、口に入れた瞬間、そこまでの苦労がフラッシュバックして、ほんとに美味しくて嬉しくて涙が流れました(笑)

その翌年は、もう少し広い田んぼをお借りして、前年の失敗を踏まえて、いろいろとやってみると、ひと家族が一年間暮らしていけるぐらいの十分なお米を収穫することができました。そしてその次の年には、リヤカーで旅に出たので、田んぼはやっていないのですが。

ということで、昨年の7月に移り住んだ、人口五人の限界集落、ここ須野町で、おそらく何十年ぶりだと思いますが、海沿いに広がる棚田跡の一部をお借りして、今年から田んぼをやってみたいと思います。



↓こちら、貸していただけることになった、元田んぼ跡


↓耕うん機がない(機械が入れない)ので、手作業での開墾です。


↓長い間、休耕田だった土地。初年度の今年は思ったような収穫を得られないかもしれません。失敗することもあるかもしれませんが、、まずはやってみるということが大事かと。長いスパンでの田んぼとしての土づくりをやっていきたいと思います。



木花堂で発行しているフリーペーパー、クマノジャーナル内で、「すの便り」という須野町での僕達の暮らしぶりを綴っていくコーナーがあって、前号の「すの便り」は僕が執筆したのですが、ちょうど、須野町の田んぼのことについて書いた内容だったので、最後に、その内容を転載させていただきますm(_ _)m




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「すの便り」
熊野ジャーナル読者の皆様、はじめまして。編集部の志水昌幸ことマサーヤンと申します。昨年の夏から熊野ジャーナルの制作に携わらせてもらってから今号で三回目となりました。もともとはギターを弾いて歌いながらリヤカーで日本一周の旅をやっていた旅人だったのですが、ここ熊野の地で木花堂の店主ならびに熊野ジャーナル編集長の咲恵ちゃんと出逢い結婚。そして今は夫婦二人で熊野市の北のはずれにある人口五人の限界集落、須野町で暮らしています。
 前号よりスタートした僕たち二人の須野町での暮らしぶりを綴っていくこの「すの便り」、今回で二回目となりますが今回の執筆担当はわたくしマサーヤンが書かせていただきます。
 前回の「すの便り」でも書いてましたが、限界集落で暮らしてるというと、少なからずの人に「思いきりましたね」とか「不便じゃないですか」と聞かれることがあります。が、もともと昔から自給自足的な暮らしに憧れていて、実際に2011年から2年間ほど、千葉県鴨川市で古民家を借りて田んぼでお米をつくり、畑で野菜を作り、森の間伐材の薪を暖房や調理に使ったり、ソーラーパネルで電気を自給したり…、そういう暮らしをやっていたので、今回、限界集落に住むことにも特に思い切ったことをしている感覚はありませんでした。
 ご存知の方も多いかもしれませんが、2013年7月に出版されベストセラーになり、たびたびNHKでもシリーズで取り上げられて話題となった「里山資本主義」という本があります。一年ほど前たまたま手にとって読んでから、大変感銘を受けて、それからしつこいぐらいに(笑)いろんな人にオススメしているのですが、ご存知ない方のためにこの本の内容を簡単にご説明しますと、「里山資本主義」とは…、お金というものにすべてを依存したマネー資本主義社会に対する概念で、日本中の里山にはお金に換えられない資源、例えば田畑で耕したお米や野菜、エネルギー資源、人とのつながり…などなどほんとに大切なたくさんの資源が眠っていて、お金というものにすべてを依存するばかりでなく、そうした里山に眠っている資源をもう一度見直しましょう、簡単に言うとそういう内容の本なのですが、確かにもともと昭和30年代よりはるか大昔まで、日本中の各集落では、そこで田んぼや畑を耕し、食やエネルギーのほとんどをその地域内で自給していました。
 今住んでいる須野町にも、今は杉や雑木で覆われていますが、かつての棚田跡が海沿いに広がっています。今年の僕たちの目標の一つとして、この棚田跡の田んぼの一つをお借りして再び開墾し、須野町でお米をつくること。そして夢は、いつかこの須野の海沿いに広がる美しい棚田がかつてのように復活し、ひいては日本中の里山に人々が帰り、昔ながらの美しい里山の風景が再び日本中に広がっていくこと…
須野の碧い海と空を見つめ、そんなことを夢想しています。
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先月の終わりのことですが、「木削り」マスターの滝本ヨウさんが、わが家に遊びに来て下さいました。
「木削り」?とは、最初にこういう形を作ろうとイメージして木を彫っていくいわゆる木彫りとは違い、最初に何かを作ろうということは全く考えず、人間が主体ではなくあくまでも木が主体であり、木がこういう形になりたいという形に、人間が木を削っていくというものです。

この「木削り」というものを世界でたった一人だけ、20年ぐらい前から日本各地や海外でワークショップを通じて提唱されているのが、木削りマスターの滝本ヨウさんです。
先日書いたブログ記事の自然農の「人間が主体ではなく、あくまでも自然が主体である」というスピリッツにも通じる気がします。

〈滝本ヨウさんプロフィール〉
1949年和歌山県生まれ。横浜及びロスアンゼルス在住。18歳でカリフォルニアに移住。南カリフォルニア大(USC)卒業後、東京で22年間都市計画業務に関わる。
1998年<ふるさと工房HOME>を設立。
木削り教室を、日本及びアメリカで開催しながら、広い視野で地域生活圏をベースにしたふるさとづくりを推進中。


滝本ヨウさん、あの人気ブログ「天下泰平」の滝沢さんとも親交があり、滝沢さんのブログにもヨウさんの木削り教室を体験された時の記事があります。→こちら
ちなみに自分、一昨年の年末、リヤカーで旅をしていた時、京都市内の路上で、滝沢さんと、そして、うさと服のさとううさぶろうさんと、ばったりとお逢いさせていただき、少しお話しさせてもらったことがあります。→こちら

滝本ヨウさんは、うさぶろうさんとも以前から親交があるようで、木削りで作った木を、うさと服に使うボタンとして提供されているということもお伺いしました。

それから、これもリヤカー旅の時に北海道の帯広でライブをやらせてもらったり、大変お世話になった「とかるね」さんでも、昨年の秋に、木削り教室を開催されたそうです。
リヤカー旅のその時の記事は→こちら

いや~、ほんとに、ありがたいことに、人のご縁というか、人と人はほんとに繋がっているのだなあ…とあらためて、感謝感謝であります。m(_ _)m



そして先日、ヨウさんと一緒に人生で初めて「木削り」というものを体験させていただきました。
実際にやってみると最初に想像していたものの数十倍も面白くて、思わず夢中になってしまい、そして気づきというか、単なる木を削っただけでは終わらない、セラピー?を受けた後のような内面的な気づきや変化のようなものが得られました。
木の気持ちになって木がなりたい形に削っていくのですが、最初はこれがなかなか難しくて、どうしてもこういう形にしてやろうという人間のエゴみたいなものが外せなくて(笑)、でもやっていくうちに、だんだんと木がこういう形にして欲しいという気持ちがなんとなく分かってきて、そして出来上ったものは、全く最初に想像してなかった、その木の持っている一番のチャームポイント(木目とか曲線美とか)が全面に出る形の木に仕上りました。
その削り終わった木が、まるで自分自身のように思えて、愛おしくてしかたなくなりました(笑)

そして最後に参加者全員で、出来上ったお互いの木を見て褒め合うのですが、回りの人から、いいねーそれ最高やね、と褒められるとまるで、自分自身が褒められているかのように、とても嬉しくなるのです。
そもそも木削りには、これが正解という形が最初からないので、どんなものに仕上がろうとも、それはすべてが正解です。
現代教育を受け育ってきた僕らの固定観念(一つの正解を目指してみながその正解のために努力する)をよい意味で壊してくれます。

そもそも自然界というものは、金子みすずの詩ではないですが「みんな違ってみんないい」のはずなのですが、学校に行っても社会に出ても、一つの正解をみなが目指しそこから外れると落第生、落ちこぼれという烙印をおされ、俺は駄目なんだ私は駄目なんだ…と、自信をなくしてしまいがちの世界で僕達は生きていますが、そんなことはないんだよ、もともとすべてはそのままで正解、あなたのままで素晴らしい、そんなことをこの木削りを通じて、あらためて教えてもらった気がしました。

そして、個人的に感じたことですが、この削っている目の前の木は、自然そのもののであり、人間の思惑によりこの自然を思うがままにしてやろうという人間自身のエゴに気づいたというか、これは今の社会全体、地球全体でも言えることかもしれませんが、そうではなく、自然の中で人間は生かさせてもらっているという、自然にたいする畏敬の念、感謝の念を忘れてはいけない…、そんなこともこの木削りを通じて、あらためて思い出させてもらったように感じました。

ヨウさんがおっしゃっていましたが、人間が中心でなくあくまでも自然が主体である、そんな縄文人のスピリットを、この木削り教室を通じて、現代人にも感じて欲しい思い出して欲しい、そんな思いもあり、長年この木削り教室をやっておられるのかな、とも思いました。
それから、人間の思惑でやることを「はかりごと」、自然(おおいなる宇宙の意思)がやることを「はからいごと」ですとおっしゃっていました。

今の社会はどこもかしこも人間の「はかりごと」によって動いていますが、そろそろ縄文人の持っていた、見えないもの、自然の声を聞く「はからいごと」を少しずつやっていきましょう…、そんなメッセージも、ヨウさんとこの木削り教室を通じて感じました。

とにかく、この木削り、、話に聞くだけでなく、機会があれば実際にやってみるということを、ぜひぜひオススメします!

ということで、その滝本ヨウさんが主体となり、この3月の末から、生まれ故郷のここ熊野で、現在、三重、和歌山、奈良と三県で分断されてしまった熊野を、行政の境で分かれるのでなく、本来の熊野地域として繋がり、個人参加型のふるさとづくりの一環として、くまの川王国いいはからいことプロジェクトを始められます。

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くまの川王国・いいはからいごとプロジェクト
くまの地域は、現在3つの県(和歌山県東部・三重県南部・奈良県南端部)に分断されています。
今回のプロジェクトは、行政界を超えた本来のくまの地域(くまの川を中心軸とした生活圏全体)で、個人参加型のふるさとづくりをめざします。
 水の国日本の美しい自然環境を取り戻し、子どもたちから老人まで、みんなが活き活きと笑顔で暮らせる生活文化圏をつくりませんか。
黒潮の流れる<海>と照葉樹林の育つ<山・森>、そしてそれらを繋ぐふるさとの<川>による水の循環システムを復元し、人間だけの為のはかりごとではなく、全ての生きものや自然の為に「いいはからいごと」をしたいです。

 くまのには、日本人の先祖である縄文人(びと)が大切にしてきた自然崇拝の場が沢山あります。経済優先型の都市生活の行きづまりが目立ち、自然と賢明につきあう山村(田舎)復活の契機が来ているようにも感じます。あなた個人の得意技を活かし、くまのの自然や子どもたちに、あなたの素敵な思いを繋げませんか。
 「はからいごと」は、いい「気」を発信します。
くまのの地から、ふるさとづくりのいいはからいごとを伝染させたいです。
 今(2015年春)このプロジェクトの参加者は、くまの内外で110名を超えました。高校生から80才のお年寄りまで、いろんな方たちが個人的に参加してくれています。
 このプロジェクトには、組織的な規制はありません。自分のためのはかりごとではなく、ふるさとくまのが元気になるようなはからいごとをしたいです。

くまの川王国・いいはからいごとプロジェクト担当 滝本ヨウ

<facebookイベントページ>
https://www.facebook.com/events/1006861852665723/
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そして、このプロジェクトに賛同させてもらった木花堂でも、木削り教室を開催していただくことになり、それに合わせて、以前からやりたいといっていた、手作りマーケット、マルシェを、須野マルシェと銘打って思い切ってこの人口五人の限界集落の須野町でも開催することにしました!以下、その告知をさせて下さい↓





【第1回須野マルシェ with おはらからいまつり in くまの川王国】

2015年3月29日(日)11:00~17:00
場所:三重県熊野市須野町旧小学校校庭にて
※須野区営駐車場がありますが、あまり広くないのでお誘いあわせの上相乗りなどで来ていただけると助かります。
※雨天の場合、須野集会所で開催。荒天中止の場合は、当日に木花堂ブログに掲載します。
内容:木けずり教室/インド絵巻物紙芝居/フード&ドリンク/フリーマーケット/弾き語り音楽ライブ

●木けずり教室 by 滝本ヨウさん●
 
時間:13:30~16:30
料金:2,000円(中学生以下は1,000円)
定員:10名まで
申込:木花堂まで(TEL 0597-70-4068またはメール konohanado@gmail.com ←アットマークを半角にして送信んしてください。)
※当日空席があれば、当日参加もOKです。
「木削り」は「木彫り」とはまったくちがいます。何をつくるか、どんなカタチにするかは、一切決めません。木削りは、まわりに合わせるのではなく、自然を意識しながら、本当の自分に還る時間。何も考えないで、ただ無心に木と触れ合う心地よさを体感して下さい。子供たちの参加も大歓迎です!

木花堂が体験した「木削り」の様子、感想は木花堂のブログをどうぞ!
●インド絵巻物の紙芝居 by 東野ケンイチさん●
←写真(現代人形劇センターHPより
時間:一回目12:30~ 二回目15:00~
料金:投げ銭
申込:不要
なんでもありの参加型紙芝居で日本及び世界を旅する、画家の東野さん。インドでポトゥア(絵巻物師)を学び、オリジナルの絵で全身全霊を込めた語りかけに、大人も子どもも夢中になります!


●フード&ドリンク/フリーマーケット/弾き語り音楽ライブ●
現時点で決まっている出店者リストです。(予定)
もし増えたら更新いたします。
◎創作レストラン「日和」さん(from 御浜町) …フード・ドリンク・スィーツ
◎クレイと香りのお店「佑天(うゆんて)」(from 御浜町尾呂志)…お香作りワークショップ
◎手紬ぎ帽子屋「NATS.h.w」(from 本宮)…手紬や草木染の毛糸・麻やシルクで手編みした帽子や小物
◎イラストアーティスト「杉本麻絵」さん…似顔絵コーナー
◎「Ponのタイ古式マッサージ」さん…タイ古式マッサージ/トークセン(プチ体験)、ヘナタトゥー(ワンポイント)

◎ココロとカラダにやさしいおやつ(from 御浜町)

◎「アンティヤスコ」さん(from 新宮) …新宮で人気のスィーツ・雑貨屋さん。

◎じゅんかんマーケット(usedの衣服や生活雑貨)
◎木花堂(from 須野) …コーヒー・お茶販売・メイドイン熊野の雑貨


弾き語り音楽ライブ
◎永井宏典(ギター弾き語り)

飛び入りOK、マイクなど機器は一切ありませんが…鳴り物が多少あるかも?




 須野には、昔の小学校分校跡があり、校舎も雨漏りもせず残っています。でも天井が落ちたり、壁がはがれたり、中は未整理で数十年が経過しているので、須野区長さん夫妻はこれをいつか修復して、さまざまなイベントや人が集まれる場所として活用したいとおっしゃっていて、私たちも同じ想いです。校舎を修復するのはまだですが、それが実現するまではその校庭を会場に、開催することにしました~ といっても駐車場もあまり広くないですし、小さな校庭だけが会場なので、出店・来場客ともにキャパシティーには限りがあり、小さな小さなマルシェになると思いますが、【箱庭の町 須野】らしく、ご縁のある方とユルく長くつながっていけるようなプチマルシェになったらいいなぁと考えています。


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ブログ更新、また久しぶりになってしまいました…。前回のブログ更新が年明けの10日で、あれから約二ヶ月が経過。その間にも、須野町のお祭りがあったり、週末のお店の営業、薪ストーブとお風呂の薪の調達、そして次の冬用の薪の確保…などなど、毎日元気に暮らしております。

まだ寒い日も続いてますが、3月に入り、だいぶ春の気配が漂ってきました。
ということで、今年の畑の準備をやり始めます。家の裏に大家さんの甘夏畑があり、その一角を少しお借りして、畑をやっています。昨年は7月にここに移ってきて、そのあと、お店の開店とか、家の改装とか、ほんとにいろいろとやることがあり、本格的に畑をやるとこまで、なかなか手が回らなかったんですが、今年は本格的に畑も、そして田んぼもやっていく予定です。

今までやってきた自分の畑のやり方(農法)は、最初にスコップと鍬で耕し畝を作り、腐葉土と草木灰を入れ、種を蒔いたら、あとはほったらかしというやり方です(笑)。

今現在、カブ、ワケギ、コマツナなどを作っている畑↓


もしかして限りなく、自然農に近いやり方かもしれませんが、一度ちゃんと自然農というものを勉強して実践してみたいと思い、先日amazonで以下の本を買ってみました。



本のレビューがすごい良くて、
『これだけの網羅的で具体的な情報が一冊の本で手に入ってしまうというのは、正直すごいと思う。全体を読んで感じたのは、「なんとか農法」ということに依存・安住せず、野菜の状態、土の状態の実際を丁寧に見続けてきて、大いに試行錯誤をされてきたから、このような充実した情報があるのだろうな、ということだ。』
『10年くらい自然農の畑をやっていて、自然農では野菜取れないな、もうやめよう、と諦めていた矢先にこの本に出会いました。とても実践的であり、しかも何故そうするのか? という部分がかなり満足いく形で説明されていて、読んでいるだけで希望が湧いてきます。うーん、もう一度自然農でやってみるか、と思わせてくれる本です。』
などと書いてあったんでおもわず買ってみたんですが、これがとても実用的で勉強になる、レビューどおり素晴らしい本でした。



奇跡のりんごの木村さんの本にも書いてありましたが、農薬や肥料をやったり耕してもいないのに、なぜ山に生えてる木や草は毎年、花を咲かせ実をつけるのだろう?という疑問から始まり、その答えは自然そのものの中にあるとして、無農薬でのりんご栽培を成功されました。

そして上記で紹介した本の中にも書いてありましたが、自然農とは…ざっくり簡単に言うと、「自然のリズムにあわせた適期に、その土地にあった野菜を作ること。雑草や虫を敵とせず、野菜が草や微生物など菜園の生きものと共存できる環境を人間が作ってあげること。単一の野菜だけでなく、お互いに相性の良い助けあって育つ環境を作ってあげること。」などなど、、
他にもいろいろと大切なことが書いてありましたが、できるだけ人間が手出しするのでなく、自然そのものに近い環境を作り、あとは自然の力にお任せし、できた作物を自然界からお裾分けしてもらうという感じでしょうか。

考えてみれば自然界では、いわゆる一般的な畑のような地表がむき出しで耕され、単一の野菜(草)がたくさん生えてる状態というのは、とても不自然かもしれません…。
ましてや農薬や化学肥料というものも自然界にはありません。
人間が、こういう野菜がたくさん食べたい、綺麗な虫のついてない野菜が食べたい、冬でも夏野菜が食べたい…などなど、人間の都合に合わせ栽培されてることが現在では当たり前かもしれませんが、、

今ある常識が非常識に、非常識が常識にと、時代の流れや価値観が変わっていく中で、野菜の栽培方法も世の中全体で少しずつ少しずつ変わっていくのかもしれません。そんなことをこの本を読みながら考えていました。
というか、まずは自分自身が実践してみないと…!(汗)。


これならできる!自然菜園―耕さず草を生やして共育ち/農山漁村文化協会

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2015年、新年が明けました。ご挨拶がすっかり遅くなってしまいました…(汗)、あけましておめでとうございます。

さて年末は、須野町の区長さんであり、今住んでいる家の大家さんでもある濱田さんの家(隣町の新鹿という町にあります)で、餅つきをさせてもらいました。息子さん、娘さん達が帰省中で、みんなで楽しくお餅をつきました。昔ながらのやり方の杵と臼でついた餅はほんとに美味しかったです。

そして元旦と二日は、おせち料理を食べながらコタツに入り、ずっとDVDを観るという、正月ならではのゆったりとした時間を過ごさせてもらいました。
むかしから大ファンであるドラマ「北の国から」が、なぜか年始のこの時期にどうしても観たくなり、ツタヤに借りに行ったのでした。
一昨年の夏に、リヤカーで北海道を回った時に、「北の国から」の舞台である富良野も歩き、ドラマの中に出てくるロケ地なども実際に自分の足で歩き見てきたので、その後DVDであらためて観る「北の国から」は感無量でした(笑)

リヤカー旅の時、富良野にある「北の国から資料館」にも入り、実際にドラマの中で五郎さんや蛍などが着ていた衣装なども展示してあり、とても感動した覚えがありますが(笑)、今回DVDを観終わった後、その時の資料館の入り口のパネルに書かれてあった言葉をあらためて思い出しました。

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『気がつけば今、五郎の生き方』
「北の国から」の放送が始まった1981年は日本がバブルを迎えるもっと前。
文明に向かい、どんどん変わってゆく日本に対しみんなが舞い上がって受け入れてきたことは確かです。あれから30年。ようやく今、日本が「おかしい」ことに世の中が気付き始めています。
そんな中にあって、便利さに流されない五郎の生き方は文明に対抗する日本人の座標軸だったのではないでしょうか。

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そしてタイミング良く、家に置いてあったスーパーのイオンから送られてくるMOMという冊子があるんですが、その中に北の国からの脚本家の倉本聰さんのインタビュー記者が載っていました。
これが本当に素晴らしい記事内容だったので、以下に転載させてもらおうと思います。(これは素晴らしい…という箇所を勝手に僕の判断で太字にしています)
↓↓↓







「震災後”絆”と騒いだくせに、人々は記憶を風化させてしまっている」


富良野への移住で仕事への姿勢が激変。

1981年の放送開始以来、日本中を感動させてきた不朽の名作『北の国から』。バブル景気に向かっていた時代と逆光する、農村を舞台にした素朴な人間ドラマだったにもかかわらず、視聴率はぐんぐん伸び、多くの人の心をわしづかみにする国民的ドラマへと成長した。
生まれも育ちも東京の脚本家、倉本聰さんは、それまでもシナリオライターとして数々の作品を送り出してきたヒットメーカーだった。ところが42歳で北海道・富良野に移住したことが、脚本家としての姿勢を激変させる転換点となったと語る。
「戦争を経験した僕からすると、戦後、あまりにも日本が豊かになってしまったことに不安を感じていたんです。もう少し身の丈に合った暮らしをしたいと思い、39歳で札幌に移住することに。
ただ札幌という街はプチ東京みたいなもので、飲ん兵衛の僕にとっては肝臓に悪いんです(笑)。
どこかいい所はないかと探し回っている時に、飲み屋で隣に座った人から勧められたのが、富良野。
早速翌日に案内してもらうことになりました。朝7時に札幌を出て富良野に到着したのが10時ごろ。11時には永住を決めていましたね」




生きていくために必要なのはお金ではなく、絞り出す知恵や想像力。

ちょうどそのころ、倉本さんは歌手の北島三郎さんに志願して、1週間付き人をさせてもらうことに。
「なぜサブちゃんは人気があるのか、その謎を解くために真冬の函館から青森まで付いて回りました。舞台と客席とのやりとりを見ていると、サブちゃんはお客さんの学歴、貧富といったことにはまるで興味がないんです。観客をただ楽しませるために、裸でぶつかっていく。その時、『ああ、俺は間違っていた』と思いましたね。それまで僕が台本を書いていたのは、プロデューサーや俳優といった、テレビ業界の人に向けて。テレビの前にいる視聴者のことなんて考えていなかったんです。いかに上から目線でいたかを気付かされましたね」
 名作『北の国から』の誕生の裏側には、倉本さん自身の物を書く姿勢や目線の変化があった。一方で、慣れない富良野での暮らしは、「自分にできることの少なさ」を痛感する連続でもあったそうだ。
「うんとデカい岩が林道にあったので、近所の農家の青年に『あんただったらどうする?』と聞いたんです。するとスコップを持ってきて周りを少しずつ丹念に露出させながら、『1日3センチくらいは動くんじゃない?10日もあれば30センチくらい動くべさ』って言うわけです。この言葉には、ショックを通り過ぎて感動しちゃいましたね。都会の感覚だといつかじゃなく、すぐ動いてくれないと気に入らないでしょう。自分で動かすのが無理なら誰に頼んだらいいか、いくら払えばいいかという思考になってしまう。その考え方が、一種の敗北なのだと気付かされました。都会の暮らしはできないことだけでなく、できることすらも面倒くさがるから筋肉が衰えていく。そうすると高い金を払ってジムへ行き、何の生産性もないのに重い物を上げたり、どこにも行き着かない自転車をこいだり、非常に不可思議な行動にでるわけです。この矛盾に人間の愚かさを痛感しましたね」




自給自足の生活で人間教育をたたき込む。


1984年から脚本家や俳優を養成する私塾「富良野塾」を主宰し、2010年に閉塾するまで約350人の若者たちを指導してきた倉本さん。
塾生たちは2年間自給自足の共同生活を送りながら、俳優、脚本家になる以前に「人間教育」をたたき込まれる。
「私が何を教えたというよりも、自給自足の生活をしていれば否応なく『生きる』ことの本質がわかってくるんです。塾生たちに生活必需品を10個挙げさせて集計したところ、1位が水、2位がナイフ、3位が火で4位が食べ物でした。それをテレビのプロデューサーに話したら非常に面白がってくれたんで、今度は渋谷の若者たちに同じ質問をしたんです。すると1位がお金、2位が携帯電話、3位がテレビで4位が車でした。物の考え方が、全然違うんですよね。野外で必死にサバイバル的な生活をしていると、お札というのは火をつけるかお尻を拭くかしか用途がない(笑)。実際に僕は、火がつかないときに千円札を燃やしたことがあります。生活に重要なのは偏差値教育で詰め込まれた知識じゃなく、生きるために絞る知恵。スーパーに並んでいる物をただ食べるのではなく、実際に泥だらけになって作ることから食べ物を想像するべきなんです。今は高校や大学に行くことが当たり前になっているけれど、頭でっかちな学生ばかり育つなら、2~3年農村に放り込む『懲農制』を作るべきだと思っています」
 他にも富良野塾では24時間電気もガソリンも使用しない『原始の日』をもうけ、生きている鶏を塾生たちに絞めて調理させるなど、数々の「荒治療」を経験させたそうだ。
「おかげで夫婦だけでお産に挑んだ、たくましい女の子もいました」と、倉本さんは目を細めて笑った。




風化が進む今こそ福島に寄り添いたい。


そんな倉本さんの薫陶を受けた富良野塾OBたちは、現在、プロの演劇集団「富良野GROUP」として活動している。来年1月から、舞台劇『夜想曲ーノクターン』を、全国各地で公演する予定だ。劇は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故で甚大な被害を受けた福島が舞台。倉本さんは「微力ながら少しでも福島に寄り添い、風化に対抗する一石を投じたい」と脚本を書き下ろし、演出も行った。
「原発問題に対する僕の意見は、もちろん、反対です。でもそれ以前に、あれだけ、絆と騒いだくせに、都会の人たちが記憶を風化させてしまっていることが問題だと思うんです。ある映像で、海岸林が全部なぎ倒されて流されたのに、4本のタブノキだけが根っこがむき出しのまま残っているのを見たんです。網みたいに根っこで支え合っているのを見て、絆という言葉はここから来たんじゃないかと思いましたね。でも今では根っこがブチブチと分断されて弱くなり、一人一人、孤独になっているような気がしています」
 昨年8月に富良野で行われた初演後も、何度も福島に足を運んで取材を重ね、台本を改稿してきたという倉本さん。
「家族を守るために勤務する病院を離れざるを得なかった看護師さんや、津波の写真をカメラに収めるという使命よりも、多くの人の命を助けることを選択し亡くなった新聞記者など、いろんな人がさまざまな苦しみを味わっている。そういう人たちの苦悩や悲劇な、震災後3年以上たって風化が進んでいる今だからこそ、目を向ける必要があると思っています。当事者の人たちの現状は僕らの想像以上のものですが、少なくともそこに寄り添うことはできるはずですから
 富良野や福島で見て、聞いて、知り得た知恵を「生きる知恵」「風化させない知恵」として表現し続ける倉本さん。私たちも経験や情報から得たその知恵を、生きるための知恵に変え、しっかりとアウトプットしていく必要があるのかもしれない。



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このブログに何度も書いてますが…、今年の7月に人口5人の限界集落、熊野市須野町でお店をオープンしましたが、近隣の集落の方々やいろんな方々に「え?あの須野町でお店をオープンしたん?!」と、かなりの衝撃を提供してしまった感がありましたが(笑)、本人達は特に別に思い切ったことをやった気はなかったのですが、やはり話題性があったのか、オープン後にはいくつかの新聞社さんやネットメディアさんに取材を受けて、記事にして頂きました。ありがとうございます!

(新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASGB95VSVGB9ONFB01P.html

http://www.sankei.com/region/news/140911/rgn1409110014-n1.html

(ネットメディア)
サルシカ|新しいスタイルの田舎暮らし
http://www.salsica.com/?p=18992





「不便じゃないですか?」とか「大変じゃないですか?」などとたまに聞かれることがありますが、リヤカーで日本一周の旅をしている時から、旅を一区切りして定住することになったら、田舎の自然豊かな場所に住もうと決めていたので、限界集落に住むことになったことも、特に思い切ったことをしたわけでなく、ごくごく自然な流れでした。
というか、リヤカーに水と食料を積んで、リヤカーの屋根にソーラーパネルを搭載し電気を自給しながら、ガソリンなど使わず歩いて旅をしていたのも、もしもの何かの有事(自然災害?金融システム崩壊?)があった際に、どんな環境にでも対応して生きていけるように、との思いも心のどこかにあったんです、実は。


今現在、夫婦二人で毎月の生活費(家賃、電気代、食費、通信費、ガソリン、車の維持費、健康保険、税金)を、月10万円で暮らしていくという計算でやっています。
何回か前のブログ記事にも書きましたが、支出を抑えお金のために働く時間を減らせば、薪を使ったり田んぼや畑をやったり、生活(生きていくため)に使える時間が増えます。やはり、都会に比べて、地方や田舎のほうがこういう暮しがやりやすいと思います。


「田舎暮らしに憧れるんだけど、田舎は仕事がないもんね…」とたまに言われることがありますが、確かに田舎には都会に比べて勤め先としての仕事の数は少ないと思いますが、自ら仕事を創り出すチャンスはたくさんあると感じています。
税金やガソリン代や…、まだお金というものがある程度は必要な資本主義システムの中で僕達は暮らしているので、お金をまったく使わず100%自給自足をしていくことはまだまだ大変ですが、支出を抑えて、お金のためだけに働く時間を減らすことができれば、個人的には確実にストレスは減るし、将来の漠然とした不安のようなものは消えていくと思います。
前回のブログでご紹介した、ぐるり農園の村瀬さんをはじめ、実際、都会からIターンで熊野にやってきて、自ら「なりわい」を創り出し、豊かに暮らしている人は熊野にもたくさんいます。


「今だけ、自分だけ、お金だけ」
という、旧来の価値観や考え方を手放し、お金というものだけに頼らず、仲間や地域の人と助けあい、自然からたくさんの豊かさや恵みを頂き分かち合い、未来の子供たちへと美しい自然、地球を残していく、こういう考え方や実践者が一人でも増えていけば、最高ですよね(^O^)
(自分もまだまだ未熟というか、その道の途中ではありますが)

政治、経済、世界情勢など激変中の世の中ですが、こういう時にこそ、自らの足元や生活をしっかりと見つめ、楽しむこと、感謝することを忘れず、日々を暮らしていきたいです。



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前回のブログ更新から二ヶ月が過ぎてしまいました。。ご無沙汰しています、マサーヤンです。
さて、この二ヶ月間もいろいろとブログに書きたいような出来事がたくさんありましたが、なかなかブログを書くというアクションにまで至らず、、でした。

今年7月から住み始めた熊野市須野町の古民家ですが、奥さんがもともと熊野市街地の国道沿いでやっていたメイドイン熊野の衣食住&量り売りのお店「木花堂」を、人口5人の限界集落須野町で自宅兼店舗として9月23日にリニューアルオープンし、お店部分だけでなく住居部分の改装ももちろんDIYでやっていて、11月に入って急に寒くなり、台所の床板を張ったり、薪ストーブ(ダルマストーブ)を導入したりと、冬支度を急いでおりました。
ダルマストーブを導入してから、お風呂、調理、暖房と生活のすべてにさらに薪を使うようになったので、時間を見つけては近くの山に入っては薪の確保。薪を使った生活を送るには普通、一年前から次の年の一年分の薪を伐ってストックをしておくものですが、なにせ今年7月から住み始めたので、薪のストックがなく、自転車操業的に(笑)日々なんとかやりくりしている状態です。


さて、そんな中、11月にフリーペーパークマノジャーナル2014年秋号を発行しました。結婚前から奥さんがもともとやっていたこのフリーペーパーの発行、結婚後に自分も携わらせてもらってから今回で二回目となるフリーペーパー制作。


今回の記事のメインとして取材をさせてもらった先は、熊野市の山沿い、和歌山県境近くの和気(わけ)という、自分が住んでいる須野町と同じくこれまた限界集落となっている集落で、大阪からIターンでこの地にやってきて農業をやっておられる村瀬さんが営む、ぐるり農園さんでした。

農薬や化学肥料などを一切使わず、肥料も近くの平飼いの鶏の鶏糞と米ぬかと籾殻を発酵させた最低限の自家製肥料だけを使った、地球環境にも身体にもやさしい、生命に満ち溢れた美味しい野菜を作っておられます。その美味しい野菜を、JAなどに卸すという従来の販売方法ではなく、この野菜を気に入って頂いた熊野市近隣のお客さんのお家へと直接配送されています。
奥さんがもともと、このぐるり農園さんの野菜を時々購入していて、それで自分もこの野菜を何度も食べさせてもらいましたが、自然栽培で作った野菜独特の、野菜本来が持っている濃い味をしていて、エネルギーみなぎるほんと美味しい野菜です。

このぐるり農園さんのコンセプトがまた素晴らしいんです。

「すべては土に還り、そこからまた新しいいのちが生まれます。雨は川にあつまり海となり、また雨になって大地をうるおしてくれます。循環するいのちの輪を想いながら農業をしています。ひとつひとつのいのちの光が未来へとつながっていくことを願って。」


もともと地域おこし協力隊として旦那さんが4年前にこの熊野の地にやってきて、地域おこし協力隊の任期の3年が終わり、茨城県出身の奥さんと結婚し、昨年の夏から本格的にぐるり農園を始められました。今年第一子となるお子さんも誕生しました。(おめでとうございます!)

そんなご夫婦お二人の夢は、、(以下、クマノジャーナル本文から転載します)

畑を耕すことで、土地と人を繋いでいくこと。限界集落となっているこの和気にも、山の斜面に昔の人が積み上げた石垣で守られた田んぼの跡地が、まだまだたくさん残っている。しかし獣害と高齢化で耕作放棄地は増えるばかり。そんな状況を少しでも変えたいという二人の方法は、とてもシンプルだ。
耕すこと─。
大地にいのちが灯り、集落の人、野菜を食べる街の人、熊野に縁がある人と、つながる。川から大地を経て海へ、海から雨へ、そしてまた川から大地へ…。循環するいのちの輪を体と心で感じながら、熊野の地を耕す日々が、未来へとつながっていく。
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