昭和新撰江戸三十三観音札所第三番・大観音寺(過去のブログ記事より) | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 二月十八日(土曜日)に江戸三十三観音札所の第三番から第十三番まで行きました。なにしろ「江戸」ですから、坂東や西国とは規模が全然違いますので、午前から参拝を始めれば一日のうちに十一ヶ寺くらいは行けます。

 第三番札所は大観音寺(おおがんのんじ)といいまして、浅草寺を総本山とする聖観音宗のお寺です。所在地は東京都中央区日本橋人形町一丁目の十八の九。最寄駅は地下鉄都営浅草線の人形町駅・東京メトロ日比谷線の人形町駅、もしくは半蔵門線の水天宮駅です。

 水天宮の大通りに沿って商店や飲食店の並ぶ中を歩いて行くと、すぐに見つかります。ちょっと脇に入りビルの外階段を上って行くと地上二階部分にお堂があります。第二番札所の清水寺と同じく、いかにも大都会のお寺という感じですが、清水寺よりは幾分か、古いお堂の雰囲気を残している部分がありました。

 このお寺の本尊の聖観世音菩薩像は、もともとは鎌倉にあったものだそうです。ガイドブック「由緒ある寺院を巡る 昭和新撰江戸三十三観音札所案内」によると、北条政子が京都の清水観音に深く帰依していたことにより鎌倉に「新清水寺」が創建された。その後、新清水寺は火災により焼失。その後、本尊は井戸から出で(火災の時に寺僧が運びだし井戸の中に入れたらしい)、井戸の近くに建てられた観音堂に安置され里人に尊崇された。それが明治の初めに廃仏毀釈により由比ヶ浜に捨てられそうになり、人形町の住人が貰い受け、明治九年に現在地に安置し祀ったというのです。

 北条氏の帰依、火災、井戸からの発見、里人の尊崇、廃仏毀釈、首都東京へ、大都会の中心部で札所となる。と、このように転変が激しすぎることに驚きを禁じえません。

(2012年2月28日の「石川鏡介のブログ」の記事を再編集)

 

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