October 21, 2005

(続)ピアノの詩人- ショパン -

テーマ:ピアノ

ワルシャワ


 パリに着いたショパンは、徐々に才能を認められ、やがてピアニスト・作曲家として社交界の花形となりました。作曲や演奏活動のかたわら貴族や上流階級の子女にピアノを教えて、贅沢な暮らしができるようになります。作曲家のリストや画家のドラクロワなどは、ショパンのよき理解者でした。作曲家のシューマンが「諸君、脱帽したまえ。天才だ!」とショパンを絶賛したエピソードは有名です。


 26歳のとき、ショパンは女流作家のジョルジュ・サンドに出会います。サンドは男装して葉巻を吸い、社会主義的な思想を持つ、型破りな女性でした。やがてふたりは急速に関係を深め、スペイン・マジョルカ島へと向かいます。ところがここでショパンは体調を悪化させてしまい、ふたりはその後中部フランスにあるノアンに建つサンドの邸宅へと移るのでした。サンドは母にも似た献身的な愛情をショパンに注ぎ、作曲の環境を整えるよう心を配りました。その後も毎年のようにノアンとパリを往復しながら、ショパンは数々の傑作を生み出します。


 しかしショパンのわずらっていた結核は彼の体をむしばんでいきました。1847年には、サンドの娘の結婚問題でトラブルとなり、ふたりは決別してしまいます。このときショパンは37歳でした。失意のショパンは、イギリスに招かれて絶賛されますが、ますます健康は悪化。パリに戻ったものの回復できず、1849年10月17日、ヴァンドーム広場に面した家で39歳の生涯を終えました。彼はパリのペール・ラシェーズ墓地に葬られましたが、自身の遺言により、ショパンの心臓は姉ルドヴィカによってポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字教会に納められました。ショパンの心は、最後までポーランドに向いていたのでした。




コメント

[コメントをする]

1 ■ありがとうございます

読者登録していただいて、誠にありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。m(_ _)m

2 ■ありがとうございます

がんばって
画像あげていきます。

品のあるサイトですね。
ぼくんとこが子供っぽく見えるな...

写真はどんな機種で撮られてるんですか?
コスモス、空と合ってすごく良いです。

3 ■コメントコミュニティーを更新しました

この度はコメントコミュニティーにご賛同いただきありがとうございました。
本日「コメントコミュニティーその2」を掲載しましたので、お手数ですがそちらにトラックバックしていただきますようお願いいたします。
トラックバックいただいた方のアクセスアップにつながるよう努力いたします。

コメント投稿

一緒にプレゼントも贈ろう!

Amebaおすすめキーワード