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幻の宮への扉をひらく斎宮歴史博物館1〜2016冬至伊勢行(11)←(承前)

 

 

 

 

「斎王の卜定」

 

卜定(ぼくじょう)

斎王を占いにより選ぶこと。斎王は、天皇の即位後、未婚の内親王(いなければ女王)から選ばれ、神祇官によって、その合否を卜い定められた。その卜いは亀卜と呼ばれ、亀の甲羅を焼き、その割れ具合によって判断したとされる。斎王卜定の初見は、天武2年(673)年4月己巳、大来皇女の卜定。なお、その儀式次第は『北山抄』『西宮記』に詳しいが、これらの儀式書では斎王決定後に斎王家で執り行われる神事なども卜定として扱っている。

斎宮歴史博物館/斎宮関連用語集

 

 

 

 

卜甲(ぼっこう)、卜骨(ぼっこつ)

 

 

 

 

「斎王卜定から野宮まで」

 

野宮(ののみや)

9世紀、斎王が伊勢に下る前に一年ほど暮らす仮の宮をいう。8世紀以来、伊勢に下る前に斎王は隔離されていましたが、その宮が「野宮」と呼ばれるようになったのは、場所が嵯峨野に定着してきた9世紀後半のことのようである。黒木の謡曲現在、その遺跡は確認されていないが、野宮神社、斎宮神社など数カ所の神社が伝承地として知られていて、野宮神社周辺では10月に斎王行列も出る。

斎宮歴史博物館/斎宮関連用語集

 

 

 

 

「発遣の儀」「江家次第」

 

発遣の儀(はっけんのぎ)

斎王が野宮での潔斎生活を終え、都を出発する時に宮中で行われた儀式。天皇は、この儀式の中で斎王に別れの御櫛を授けた。

斎宮歴史博物館/斎宮関連用語集

 

江家次第(ごうけしだい)は、平安時代後期の有職故実書。著者は大江匡房。全21巻(現存は19巻)。この時代の朝儀の集大成として評価が高い。

Wikipedia/江家次第

 

 

 

 

「別れのお櫛」

 

別れの御櫛(わかれのおぐし)

斎王は都から伊勢に赴任するにあたり、大極殿にて出立の儀式「発遣の儀」に臨んだ。

天皇は大極殿中央の御座所から平座に降り、参入してきた斎王を御前に呼び寄せて、手ずから斎王の額髪に黄楊の櫛を挿す。これが「別れのお櫛」と呼ばれるもので、この時「都のかたにおもむきたもうな」と別れのことばを告げる。この時斎王は振り返ってはならない決まりだったようである。

斎宮歴史博物館/斎宮関連用語集

 

 

 

 

(くし)と櫛箱(くしばこ)

 

 

 

 

群行 都を出る斎王

 

行列の前方から。

先に見た葱華輦に乗って、斎王は伊勢へと出立します。

 

 

 

 

群行の行列、横から。

 

 

 

 

「都を出る斎王」

 

青い地色の部分が、上の模型で再現されているようです。

 

 

 

 

餌袋(えぶくろ)(「斎王群行」小道具)

 

「斎王群行」の映像で出てくる金の菓子が入った銀の餌袋について詳しく教えて。お菓子の中身は?

これは原資料『春記』に、「銀の餌袋(えぶくろ)に金の菓子を入れた物」として出てくる物を再現したものです。餌袋とは本来、鷹狩に使う鷹の餌を入れるために鷹飼が腰につけた袋です。斎王は鷹狩はしないでしょうから、形を真似た銀の細工物と考えられます。とすれば金菓子も細工ものと思われます。この時代に菓子、というと普通は果物なので、金の果物の、ということで、熟した橘(ミカン)をイメージしました。

斎宮歴史博物館/斎宮Q&A

 

 

 

 

都から斎宮への群行路と、斎宮から都への帰京路を示すジオラマ。

上が群行路で下が帰京路です。

 

群行・帰京の路

 発遣の儀式を終えると斎王は葱華輦(そうかれん)という輿に乗り、伊勢へと旅立ちます。群行(ぐんこう)と呼ばれるこの旅は、斎王に仕える官人・官女に加え、京極まで見送る勅使など500人を越える壮麗なものでした。

 一行は、近江国の勢多(せた)・甲賀(こうか)・垂水(たるみ)、伊勢国の鈴鹿(すずか)・一志(いちし)に設けられた仮設の宮、頓宮(とんぐう)に宿泊し、5泊6日の行程で伊勢に赴きました。途中6ヶ所の堺川での禊など、様々なきまりのある旅でした。

 斎王がその任を解かれるのは、天皇の譲位・崩御、斎王の病、肉親の不幸などの場合に限られていました。そのため、天皇一代に斎王一人が原則でした。解任された斎王の帰京時は、天皇譲位の場合は往路と同じ鈴鹿峠・近江路を通りました。しかし不幸な理由(凶事)の場合は、伊賀・大和路を通るきまりでした。いずれの場合も難波津(大阪湾)で禊を行った後、密かに入京しました。

斎宮歴史博物館/斎宮とは?

 

 なぜ、群行と帰京のルートが異なるの?

平安時代の斎王の群行ルートは京のある山城国から、近江国を通って伊勢国に入るというものでしたが、帰京の際には、天皇の交替の時には同じく近江路を通り、天皇が亡くなったり、斎王の身辺に不幸があった際には、伊賀、大和を経るルートを取っていました。このルートだと平城京の跡を通過することになります。凶事の際には、奈良時代以来の伝統ある路を、より格式を保って帰京することが望まれたのではないでしょうか。

斎宮歴史博物館/斎宮Q&A

 

 

 

 

「斎宮寮の組織」

 

斎宮寮(さいくうりょう)

斎王が伊勢在任中おかれた令外の官。『続日本紀』の大宝元年(701年)には「斎宮司」が「寮」に準じると見える。また、大宝2年(702年)には「斎宮頭」補任のことが、養老2年(718年)には斎宮寮の公文書にはじめて公印を使用したことが見え、律令体制が確立された時期には設置されていたと考えられる。本局の下に、司と呼ばれる下部組織が13あり、『延喜式』によれば、職員数は総計510人を数え、独自の財政基盤を持つ、地方に存在する官司としては、大宰府と並ぶ大官司である。

斎宮歴史博物館/斎宮関連用語集

 

 

 

 

(左から) 斎宮寮印 墨書土器「寮□」

 

この斎宮寮印が、上の斎宮関連用語集にある「養老2年(718年)には斎宮寮の公文書にはじめて公印を使用した」という公印、なのでしょうか?

 

 

 

 

「斎宮寮組織図」

 

これでは役職名が読めないと思いますので、下に斎宮歴史博物館ホームページから引用させて頂きます。

 

斎宮寮 さいくうりょう

 斎宮寮は、斎王に仕えるため、斎王が群行するたびに置かれた臨時の役所です。

 事務を総括する斎宮寮を中心に、神事を司る主神司、財政・食事・警備・医療などの特定の役割を担う13の司で構成されます。寮の官人たちは、都から斎王に伴ってきた人々を含め500人余りから成り、地方の国府などよりはるかに大きな組織でした。また、斎王の身の回りの世話をする女官が多いのも特徴で、命婦(みょうぶ)や乳母の他、女孺(にょじゅ)たちがいました。

 文献史料によると、斎宮は、斎王の住む内院、斎宮寮頭(長官)が執務する中院、その他の寮の建物がある外院の3区画に分かれていました。そのうち内院と中院は檜皮葺き、外院は萱葺きや板葺きで、寮のまわりには大垣と溝が巡り、松や柳が列植されていたようです。

 斎宮は、平安時代前期の15年間、度会郡の離宮院(現伊勢市小俣町JR宮川駅付近)に移った時期を除いて、南北朝時代に廃絶するまでこの地に置かれました。

斎宮歴史博物館/斎宮の様子/斎宮寮 さいくうりょう

 

 

 

 

官司名を書いた墨書土器(奈良〜平安時代) 

(左から) 墨書土器「薬」 墨書土器「蔵長」 墨書土器「酒」

 

「薬」は薬部司(くすりのつかさ)、「蔵長」は蔵部司(くらのつかさ)長官、「酒」は酒部司(さけのつかさ)、それぞれの備品ということでしょうか?

 

 

 

 

(左から) 墨書土器「驛」 ヘラ書き土器「殿」 墨書土器「少允殿」 墨書土器「膳」 ヘラ書き土器「水司鴨」

 

「驛」の字は組織図にありませんが、意味は「馬屋」ということですから、馬部司(うまのつかさ)でしょうか?

「殿」は殿部司(とのもりのつかさ)、「少允殿」は少允(しょうじょう)の家?、「膳」は膳部司(かしわでのつかさ)、「水司鴨」は水部司(もひとりのつかさ)の鴨ってことかな?

 

 

 

 

「斎宮寮の財政」

 

 斎宮の財源は?

斎宮の財政は、奈良時代の天平2年(730年)、神宮の財政から自立します。『延喜式』からそのあり方をみると、斎宮寮の財源は、調・庸などの税物で、主に東海道・東山道18か国から貢納されていました。また、伊勢国内にあった供田・外供田や墾田からの稲・地子稲も寮に納められました。蔵部の管理のもとで、祭祀の経費、人件費、物品費などに使用されました。この仕組みは、中央財政を圧縮した「ミニチュア版」ともいうべきものでした。

斎宮歴史博物館/斎宮Q&A

 

 

 

 

「美濃」施印須恵器(「みの」せいんすえき)平安時代 「美濃」印(「みの」いん)奈良時代.

 

斎宮で使用された品々

 祭祀に必要な品々、斎王の身の回りに必要な品々、斎宮寮の維持に必要な品々は諸国や伊勢国内から税として集められました。これらの中には、発掘調査により出土したものもあります。

 美濃国で焼かれ、斎宮寮に納められた「美濃」施印土器などはその例です。その他にも、土師器・緑釉陶器・灰釉陶器をはじめとする種々の土器、役所の事務運営に欠かせない硯、官人が正装の際に帯びた石帯(ベルト)に付けられていた飾り石、役所名の記された墨書土器など、さまざまな資料が出土しています。

斎宮歴史博物館/斎宮の様子

 

 

 

 

「王朝の暮らし」

(左から) 唐櫃(からびつ) 唐櫛笥(からくしげ) 角盥(つのだらい)

 

 

 

 

原寸大の斎王居室復元模型(十二単姿の斎王と命婦の人形や調度)

 

左が命婦(みょうぶ)で、右奥が斎王。

 

命婦(みょうぶ)

一般には従五位下以上の位階の後宮女官のこと。斎宮においては、斎王の秘書的な役割を果たし、他の女官たちの管理を担っていたと考えられている。

斎宮歴史博物館/斎宮関連用語集

 

そして命婦の向こう、斎王の横にある四角いテントみたいなのは御帳台(みちょうだい)。

ここが斎王の寝所、ということです。

帳台(ちょうだい)とは、平安時代に貴人の座所や寝所として屋内に置かれた調度のこと。御帳台(みちょうだい)、また御帳(みちょう)ともいう。

Wikipedia/帳台

 

最初、これが斎王の寝所とは知らないまま、誰か他の貴人のための座所かなと考え、けれど斎王より格上といえば天皇しかいませんし、天皇は明治まで伊勢へ参詣していませんから、この御帳台は誰のためのものなのか? などと思っていました(苦笑)

 

 

 

 

斎王人形

 

ほとんど白い着物なので分かり辛いですけれど、これも十二単。

 

 

 

 

命婦(内侍)人形

 

こちらは色違いの着物を重ねた、まさに十二単姿です。

裾が後ろに広げられていますけど、長いですね。

 

 

 

 

斎王御殿復元模型

 

中央の居室で、畳の上に立てられた几帳の後ろにある座布団が、上の原寸大斎王居室復元模型で斎王が座っている所になると思います。

 

 

 

 

斎王御殿復元模型の説明書

 

 

 

 

正月の食事(歯固)

 

歯固め

一般には元日に歯の根を固めて一年中健康であることを祈念して固い食物を食べる行事。くり,かや,大根,串柿,かぶ,するめ,昆布など,地方によってさまざまであるが,平安時代から「歯固めの具」として,長寿を祝って大根,獣肉などを口にしてきた。

コトバンク/歯固め(はがため)

 

 

 

歯固式の料理

ピントが甘く読みにくくてスミマセン。

 

 斎宮の人たちはどんなものを食べていたの?

『延喜式』には諸国から斎宮へ次のような食材が運ばれてきたことが記されています。それによると、米・大麦・小麦・粟・大豆・小豆などの穀物、塩、ごま油などの食用油、アワビ・カツオ・サケ・アユ・フナ・タイなどの魚貝類、鳥肉、海藻類、あまずらという甘味料・けしの実・わさびなどの調味料です。ここにあるもののほとんどは干物など保存食ですが、斎王のために贄を買うための稲も計上されており、「はやにえ」という言葉から考えれば、地元産の新鮮な魚貝類や野菜類も調達されたのでしょう。

斎宮歴史博物館/斎宮Q&A

 

 

 

 

干鯛(ひだい)

 

 

 

 

身取鰒(みとりあわび)

 

 

 

 

志摩式製塩土器(しましき せいえんどき)

 

 

 

 

斎宮で使われていた薬の一例

(左奥から横へ) 芍薬(しゃくやく)、大黄(だいおう)、防風(ぼうふう)、細辛(うすばさいしん)

 

 

 

 

(左奥から横へ) 芎藭(きゅうきゅう)、(この写真からは読めませんでした)、呉茱萸(ほんごしゅゆ)、桔梗(ききょう)、黄連(おうれん)、人参(にんじん)、半夏(はんげ)、蜀椒(しょくしょう)

 

 

 

 

「斎宮の年中行事」

 

 

 

 

資経本斎宮女御集(すけつねぼん さいくうのにょうごしゅう).

 

 斎宮女御集のことを教えて

斎宮女御集とは、斎宮女御と呼ばれた徽子女王の家集です。徽子の歌だけでなく、徽子との贈答歌、夫である村上天皇や娘の規子内親王の歌なども載せています。この家集は、徽子の死去(985年)の後、側近の女房たちによって編まれたと考えられています。配列や歌数が異なる、大きく4系統に分類される写本が伝わっています。当館では2冊の写本を所蔵しています。うち一冊は、資経本『斎宮女御集』と呼ばれる鎌倉後期の貴重な写本です。。

斎宮歴史博物館/斎宮Q&A

 

 

 

これにて展示室Ⅰ「文字からわかる斎宮」の観覧を終了し、次に映像展示室へと移動しました。

 

 

 

(つづく)→ 幻の宮への扉をひらく斎宮歴史博物館3〜2016冬至伊勢行(13)



 

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