日々のさまよい

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五穀と水を守る朝熊神社と朝熊御前神社〜2016冬至伊勢行(8)←(承前)

 

 

 

 

朝熊川の上を渡っていきます。

 

時刻は08:45ごろ。

まだまだ朝陽が降り注いでいました。

 

 

ちなみにこの橋、何という名前なのか調べてみましたら、「朝熊橋(歩道橋)」とのこと。

川を渡らないと朝熊神社、朝熊御前神社へは行けない。現在は神宮司廳が発注して建設した朝熊橋(歩道橋)があるから歩いて行けるが橋が架かる前は舟で渡っていたのだろう。神職が祭典で行き来するにも大変だったろう!

 神宮巡々/鏡宮神社、朝熊神社ほか

 

 

 

 

朝熊橋の上から、五十鈴川の方を望みます。

 

右が先にお参りした朝熊神社の杜、左が今からお参りする鏡宮神社の杜。

足元を向こうへ流れる朝熊川は、この先に見えている五十鈴川へと合流しています。

 

 

 

 

同じ場所から、今度は反対向きに朝熊川の上流方面。

太陽の下に、霞んで聳えている遠くの大きな山が朝熊山です。

 

 

 

 

橋を渡ると、川に沿って農耕地をグルリと巡る幅広い地道に出ます。

おそらくこの道は、その農耕地を川の氾濫から守る堤防の役割もあるのかと思われます。

 

 

航空写真で見ると、一帯はこんな↓感じの地形。

 

 

 

 

その道を右手にほんの少し進むと、鏡宮神社への入口があります。

堤防から降りる感じで石段を下ると、参道は社殿へ向け真っ直ぐに続いています

 

 

 

 

鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ) 皇大神宮末社 

祭神:岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)

 

祭神は朝熊神社の御前神、岩上二面神鏡霊で御鏡を鎮祭する。域内の右手奥(東北)に大きな岩があり、この岩の上に二面の神鏡がまつられていたと伝えられる。木柵を設け神聖視されている。五十鈴川と朝熊川の合流点の三角州にあり、三方を川に囲まれた風光明媚な神社である。 

 お伊勢さん125社まいり/五十鈴川めぐり/鏡宮神社

 

社名「鏡宮」は元来、朝熊神社の異称の1つであった。朝熊神社で白と銅の2面の鏡を奉安していたことに由来する名で、寛文3年(1663年)に朝熊神社の御前社として鏡宮神社が再興された。

 Wikipedia/鏡宮神社_(伊勢市)

 

 

この「朝熊神社で白と銅の2面の鏡を奉安していた」とある朝熊神社の2面の鏡とは、上で「岩の上に二面の神鏡がまつられていた」と説明される鏡宮神社の二面の神鏡と、同じ鏡なんでしょうね。

だとすれば、鏡宮神社の岩上で祀られた二面の鏡に神が憑依し、それをそのままご神体として朝熊神社に奉安した、と考えられます。

 

そして、鏡がなぜ2面なのかということへ思いを馳せれば、ひとつに、五十鈴川と朝熊川という2つの聖なる川、ということがあるかも知れません。

 

また、鏡が2面ということは、これはそのまま合わせ鏡として存在しますから、互いに互いを写し合うことで、そこへ無限の豊穣を生み出すこととなります。

 

さらに、「五十鈴」という語感からイメージされるのは女性、「朝熊」からイメージされるのは男性、かと思われます。

そうすると、「朝熊は浅隅であり、隅は水の曲がり入った所という意」ということもあり、この地は本流である五十鈴川へと朝熊川が曲がり入っていますので、それはまさに男女交合をも象徴していることになります。

 

つまり、2つの聖なる川の合流=交合とは大地豊穣の産出を現しており、のみならずこれらの川はひとつとなって伊勢湾へと至り、海産をも育むことになるわけですから、この地における2という数字には、大きな意味が込められていると思われます。

 

ということで、朝熊神社と朝熊御前神社とが瓜二つで二社並んでいることの意味も、もしかしたら「2面の鏡」ということを、その姿で表しているのかも知れませんね。

 

 

 

 

社殿の背後には、河口の近くとなりその流量を増している五十鈴川が流れています。

 

 

 

 

社殿への参拝が完了すると、今度は「域内の右手奥(東北)に」鎮座する「大きな岩」こと「虎石」へと向かいます。

 

 

 

 

正面から右手の奥に進みます。

この突き当たりに見えている境内の端から、川辺へと降りる石段が組まれています。

 

 

 

 

ここが降り口。

 

初めてここへ来た時、まったく予習をしていませんでしたので、境内をウロウロしていたらこの降り口を発見してしまい、恐る恐る降りてみたことが思い出されます(苦笑)

 

 

 

 

ギリギリ端に立って、石段を上から見ています。

下まで降りた砂地の左側に、「虎石」を囲む柵が見えています。

 

 

 

 

水辺の「虎石」。

ただ、どうしてこの岩が「虎石」と呼ばれるのか、今のところ私は知らないままですが…orz

 

ともあれ、おそらくここは、かつて自然にできた三角州の先端で、いま社殿の建つ境内地は、社殿を作る際にその三角州上へ盛り土して造成されたのではないかと思われます。

 

もしそうならば、太古の時代、この三角州に元から存在したのか、他から持って来られたのかは分かりませんけれど、この「虎石」が、五十鈴川と朝熊川によって成された三角州の先端に屹立し、鏡とともに神の依り代として祀られたのではないでしょうか。

 

そうすると、鏡宮神社の元々は、今は境内地の土台となっている三角州そのものであり、2つの聖なる川によって自然に形成されたその三角州そのままを祭祀場としていたのではないか、と思われます。

 

しかしそうなりますと、気候の変動や天候の具合によって祭祀は思うように催行されづらくなり、三角州も川の流れや潮の加減で時に水没したり消滅したりもしたでしょうから、次第に神社として廃れてしまい、1663年の再興時にようやく盛り土を行って、今に至ることになったのかも知れません。

 

 

 

 

「虎石」の前から、朝熊川を挟んた対岸の朝熊神社と朝熊御前神社が鎮座する小山を望みます。

その頂上に建つ送電鉄塔を見る度に、少し痛々しく思ってしまいますけれど…

 

 

 

 

これは「虎石」の前から見た朝熊川の上流方向。

水がほとんど流れていませんから、ちょうど海が満潮の頃だったようです。

 

 

 

 

石段に立つサチエを、朝熊川とともに記念撮影。

向こうに見えている橋が、先ほど歩いて渡ってきた朝熊橋です。

 

 

 

 

境内へと戻り、再訪を期して別れのご挨拶を。

 

 

 

 

立ち止まるサチエ。

何となく、離れがたい気持ちのようでした。

 

 

 

 

サチエがなかなか前に進みません。

ボンヤリと空を仰ぎ見ている模様。

 

 

 

 

ようやく参道の石段を上がって境内を出ました。

振り返って一揖します。

 

 

 

 

朝陽と朝熊山。

目の前には、朝熊平野が広がっています。

 

この右手向こうには、広さ約99,000平方メートルの神宮神田もあります。

 

 

 

 

朝熊橋へ向かう途中、サチエが立ち止まり、何かを撮ろうとしています。

 

 

 

 

ググッとかがみ込んで、これはセイタカアワダチソウ、かな?

 

 

 

 

多分、そのようですが…

 

 

 

 

まだ撮ってます(苦笑)

 

 

 

 

これは、ススキですね。

 

 

 

 

朝陽と朝熊山、そして朝熊川。

 

朝熊山へは未だ登ったことがありませんので、いずれこの朝熊川を遡行して、登拝してみたいと思います。

 

 

 

 

朝熊橋を渡っていると、サチエがいないのに気付いて振り返ると、向こう岸に留まったまま、こちらを撮っていました。

 

 

 

 

スマホを構えたサチエをトリミングでアップ。

 

 

 

 

サチエの撮った写真は、こんな感じ。

 

 

 

 

そして、この地を去る際にもう一枚、五十鈴川と朝熊川の交合写真を…(笑)

 

 

 

(つづく)→ 参宮街道に馬を返して食す名物へんば餅〜2016冬至伊勢行(10)



 

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