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女神のお膝元を巡る・厳島神社〜初冬厳島行(3)←(承前)

 

 

 

 

大国神社へと向けて西廻廊を歩きながら、能舞台の方を振り返りました。
大野瀬戸を隔てた対岸の山々はまだ雨雲に煙っています。

 

 

東廻廊から本社を巡った後、次に西廻廊を進んでいますので、参拝順路の図を再び引用させて頂きます。

 

 嚴島神社ホームページ/参拝順路

 

 

 

 

大国神社(だいこくじんじゃ)

御祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)
相殿神:保食神(うけもちのかみ)

例祭日十二月初子日
御由緒御鎮座の年月不祥

「房顕覚書」の天文六年(一五三七)に大黒と記述があるのが初見で、現在の大国神社と考えられる。
かつては、お供えをここに仮に安置し御本社に運んでいた。

 嚴島神社ホームページ/参拝順路


本社本殿の向かって右横、本殿に向かって祀られています。

 

 

 

 

大国神社の正面から。
こちらは、中にお社があるのではなく、祭壇が設けられています。

 

注連縄が太目ながら短くてカワイイですね。

 

 

 


奥から、入って来た方を見ています。
ここは、西廻廊が右へ直角に曲がる突き当たりとなります。

 

その曲がり角で、Mさんはぼんやりと能舞台を眺めているようです。

 

 

 

 

西廻廊からそのまま大国神社の前を抜けて突き当たると、社殿の外へ伸びる長橋(ながばし)へと真っ直ぐに繋がっています。


その手前を右に折れて進むと、次の天神社となります。

 

 

 

 

重要文化財の長橋。

本社裏の御供所(ごくしょ)から神饌が運ばれる時に使われていたそうです。


その神饌をいったん大国神社に置いてから、本社へとお供えしたということですね。
そのため、大国神社には相殿神として保食神が祀られているのかと思います。

 

ちなみに、宗像三女神は一応スサノオの子神ですから、同じスサノオの子神または孫神である大国主命とは、血の繋がった姉妹兄弟もしくは叔母と甥という関係ですから、大事な神饌を預かる、あるいは毒味? 味見? という重要な役割を、大国さんに担って頂いていたということかも知れません。

 

この橋の手前から縁側が右へと続いており、その先に天神社があります。

 

 

 

 

長橋を、大国神社の社殿横から眺めます。
この橋を支えている杭も、赤間石の束石だそうです。

 

向こうに橋と並行して続いているのは、中が後園(うしろその)と呼ばれ禁足地となっている本社本殿の瑞垣。
長橋を渡りきると、道が左へと折れて不明門のさらに外側に建つ二脚の玉垣門前へと繋がっているようです。

 

 

 


大国神社側面の縁側から絵馬の掛けられた屋根付きの廊下を渡ります。

 

 

 

 

重要文化財
天神社(てんじんしゃ)
御祭神/菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
例祭日/二月二十五日
御由緒/弘治二年(一五五六)

毛利隆元によって「天満宮」として建立された
かつては連歌堂とも呼ばれ連歌興行が行われていた

 

 

 


お社というよりは、まさに連歌堂という名の通り、お堂といった造りです。

 

ここは他の社殿のように風が吹き抜ける壁のない状態ではなく、蔀戸(しとみど)が取り付けられています。
そういえば、東廻廊で見た朝座屋には壁と窓がありましたから、社殿の規模や用途、その建立された時代や寄進者によっても、造りが違ってくるようです。

 

右の縁側の向こうに見えている朱い欄干は、反橋(そりばし)。

 

 

 


天神社の、この広間は拝殿ということでよいのでしょうか。
ともあれ立ち入りはできません。

 

何も置いてありませんので、かなり殺風景な様子です。

戦国時代の武将である毛利隆元の建立ということですから、その父である毛利元就の寄進した能舞台と併せ、やはり武士好みの風情なのかと思えます。

 

 

 

 

残念ながら、格子の中の詳しい様子は分かりませんけれど、この写真をアップしてみると、小さな朱色のお社があるように思えました。

 

もしその通りだとすれば、簡素で武骨な社殿の中に、ひっそり朱のお社で鎮まる天神さんというのも、なかなかにお似合いかも知れません。

 

 

 


長橋側の縁側へ出てみると、ここにも池がありました。

 

 

 

 

やはり水がありませんけれど、これも鏡の池のひとつなんでしょうか?

 

そこでようやく調べてみましたら、先に見た卒塔婆石の池とともに、この池も鏡の池なんだそうです。
錦水館 まっちゃんブログ/嚴島神社にある「鏡の池」について

 

つまり、厳島神社には3つの鏡の池がある、ということですね。

よく知らないままでした、ゴメンなさい。

 

 

 

 

次に、反対側の縁側から反橋と西廻廊を望みます。

 

 

 


西廻廊へと戻りました。
この先、突き当たりの左が反橋、右が直角に曲がる廻廊の続きとなります。

 

 

 

 

西廻廊を進む左側に、先ほどの天神社が見えます。

 

こうすると、その神殿は思いのほか大きく後ろに張り出しており、ほぼ独立した本殿としてあるということが分かります。

 

 

 

 

そこから視線を右に移すと、反橋の全容が近くに見えました。
先ほどから見ているこの平地一帯も、満潮になれば向こうの石垣までが海水で満たされます。

 

 

 

 

重要文化財
反橋(そりばし)
天皇がご派遣になる勅使(ちょくし)がご参拝の際にお渡りになったと伝えられることから別名、勅使橋(ちょくしばし)とも言われる。
弘治三年(一五五七)毛利元就、隆元父子によって再建されたものである。

 

 

 


次にそのまま西廻廊の右側を見ると、能舞台の真正面が眼前に望めます。
右に見えている朱色の社殿は、平舞台に建つ左楽房。

能舞台は毛利元就の造営寄進したもので、屋根檜皮葺、笛柱が独立し、同吟座が広いのが特色、橋掛、楽屋(柿葺)と共に重要文化財。
現在の能舞台は延宝八(一六八〇)浅野綱長によって再建されたものである。
毎年四月十六日から十八日迄三日間神能が行われる。

 嚴島神社ホームページ/参拝順路

 

この写真、あともう少し右から撮っていれば、左楽房と能舞台の間に大鳥居を入れることができましたから、迂闊でした(泣)

 

 

 


能楽堂を振り返りながら進みます。

 

 

 


さらに、進みます。

 

 

 


そして、出口。
これにて、厳島神社の境内参拝は完了しました。

 

ところでこの出口ですが、入口はシンプルな切妻屋根でしたけれど、こちらは豪華な唐破風造りとなっており、とてもアンバランスな状態になっています。
それというのも、実のところ、かつてこちらの方が厳島神社の入口だったとのこと。

 

その詳しい理由については次回に譲って、この厳島神社で明治の神仏分離令まで本殿に祀られていた八臂弁才天像を今に伝える大願寺へと進みます。

 

 

 

(つづく)→ 女神と双身一柱の厳島弁財天・大願寺〜初冬厳島行(5)



 

 

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