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昇龍観の傘松で天橋立を股のぞき〜冬至丹後元伊勢行(12)←(承前)

 

 

 

 

傘松駅のバス乗り場から、山肌を縫って急勾配を登ること6分ほどで、成相寺山門前の停留所に着きました。

 

西国三十三所の最北端に位置する第二十八番成相山成相寺の山門です。
阿吽の仁王像一対が、守護法神として境内を守ります。

 

なお、バスを終点の成相寺まで乗ってしまうと、この山門脇を迂回してしまいますので、その差わずか徒歩6分ほどですから、是非こちらで下車されることをお奨めします。

 

 

 


阿像。
左手で握った金剛杵をグイっと引き、指を開いた右手を大地に向けて構えています。

 

 

 


吽像。
右の手の平を外に向けて開き、金剛杵を握った左手は下へと伸ばして低く構えています。

 

 

 

 

山門内の参道に掲げられた仁王像の解説。

 

・・・・・・・・

 

成相寺山門に守護法神として安置されている仁王像は、法量二米八十センチ(九尺三寸)の隆々たる筋肉、骨格の堂々たる偉丈夫の姿には誰しも感嘆せざるを得ないであろう。正面南向の立姿でありながら顔面を斜めに捻って、山門中央の通路に厳しい視線をなげつけている。参拝者の視線と仁王像の視線が合致する一瞬、何らかの緊張感を与える。誠に守護法神にふさわしい出來である。
昭和五十九年七月解体修理に依って体内より発見された修理銘文を紹介する。

 


(仁王像の木組)

四本の角材を組合わせカスガイをホゾで接合している。両足の一部は別木ではぎ合わせている。内彫は大胆に肉薄く削られて中心には三寸角の柱を立て頭部を支えている。頭部は差込みである。両腕迄内彫りされている手法は巨大像に使われる手法で、奈良東大寺の仁王像と同じ手法で寄木造りである。

 

(容姿)

阿型

左足を軸に爪先を正面よりやヽ東に向けて軽く腰を捻り右足を半歩斜めに踏み出して力強く立ちはだかる筋骨隆々たる上半身裸体像である。顔面は右足につれて斜めに捻っている。大きく開いた目の視線を開口一喝、憤怒の形相で山門中央の参道をにらみつけている。総体に造りが古式(文様に渦紋)であるために動きは少ない。

ウン型

ア型に比べて太目に作られている。ポーズも左肩を自然に落としてア型より堅さがない。ア型より面相の保存も良く造りが丸顔(平安期に多い)のために目鼻立ちが優しく併せて大きな筋肉の隆起によって十分に憤怒の形相を表現している。特に参道より見るとき、口をへの字に結んだ威厳あふれる口元、厳しく光る眼光に畏怖するより凄みすら覚える当初の面影がウン型の左足と裳と共に最も良く残されている。

両像とも鎌倉時代以降の仁王像に見られる様な動きは全くない。風にたなびく裳すその流れもない。藤原期の天部同様裳が優雅に併り力強くまとめられている。後方側面より見る全体の線は半円ように中へ巻き込まれている。その曲線の感じは藤原期独得のもので腹の出と共にこの仁王像を藤原期のものと決め込む最も重要な要素である。腰から膝にかけて裳の紋様も中広く剛快に彫り込まれ側面も数少ないひだで美しくまとめらている。ア型の右ひだ先に渦巻紋のある点も見逃せない。まことに古式像であることを物語っている。

脚足

ウン型の左足は制作当時のものと思われるものが其のまヽ残っている。藤原様式足である。足のホゾまで一本で彫り出している。足のホゾの後補されたものに貞享五年再興の修理銘文がある。

 

Wikipedia/金剛力士
 

 

 


山門内の参道から見上げた阿像。
その厳しく誰何されている迫力は、身震いするくらいです。

 

 

 

 

こちらは、吽像。
じっと見据えられ、何でもお見通しの眼力に圧倒されます。

 

 

 

 

山門を抜けました。


辺りは一面の雪化粧で山の上は海辺よりぐんと冷えていましたが、バスで暖まったばかり、山門回りに積雪がありませんから、サチエもまだ元気です(笑)

 

そのポーズは、山門の彫刻や木組みを紹介しているとのこと。

 

 

 

 

アップ。

 

波間を走るのは、麒麟でしょうか?
両脇に手前へ飛び出しているのは獅子のようですが。

 

 

 


五重塔です。
鎌倉時代の型式をそのままに復元した、1998年建立の木造塔とのこと。

 

 

 

 

登山バスはここが終点、転回すると乗り場があり、下山へと向かいます。
この石段を昇った正面に成相寺の本堂が聳えます。

 

 

 


石段途中の右手に、撞かずの鐘。


この立派な鐘楼には立派な鐘が据えられているとのことですが、撞かれることがありません。

その悲しい由来が、正面に掲げられた看板に説明されています。

 

 

 

 

(つ)かずの鐘(かね)由来

 

慶長十四年(一六〇九)、山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな女房が「子供は沢山おるがお寺へ寄附するお金はない」と険しい目の色で断った。
やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑み児を抱いて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑み児を落としてしまった。
此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って、一切この鐘を撞く事をやめ、

撞かずの鐘となった。

 

けれども2005年6月11日、成相寺の開山1300年記念行事の一環で「撞かずの鐘供養」として約400年ぶりに1日だけ、鐘を撞いて鳴らされたそうです。

 

宮津・成相寺「撞かずの鐘」400年ぶり響く 1日だけの復活

 

日本三景・天橋立近くにある宮津市成相寺の西国第二十八番札所・成相寺で十一日、「撞(つ)かずの鐘供養」が行われた。鋳造時以来約四百年間、突かれることがなかった伝説の鐘が一日だけ復活、境内一帯に時を超えた音を響かせた。

 

寺伝によると、江戸時代の初めに新鐘を鋳造。乳飲み子が銅湯のるつぼに落ちた悲劇があり、完成した鐘を鳴らすと、子どもの泣き声が聞こえたため、その成仏を願って突かれなくなった、とされる。

 

今回、開山千三百年の記念行事の一環として、供養と鐘本来の時を告げる役目を再現しようと鐘突きが実現した。

 

この日午後、石坪昭真住職ら十一人が参道脇の鐘堂前で読経。この後、板張り、密封された堂内の鐘を僧侶らが中に入って交代で打ち鳴らした。午後二時半に三回、三時に三回、四時に四回、五時に五回。「ゴーン」という鐘の音が周囲の山間にこだまし、詰めかけた多くの参拝者や観光客らも静かに手を合わせていた。

 

この鐘は十二日から再び百年間封印され、「撞かずの鐘」に戻る。

京都新聞 2005.06.12 朝刊17版 28頁 対向面

 

 

 


怪しい雲行きの中、その雲の切れ間からひととき太陽の光が降り注ぎました。

 

 

成相寺(なりあいじ)

 

山号:成相山
宗派:橋立真言宗(単立)
本尊:聖観世音菩薩
創建:704年(慶雲元年)伝
開基:真応上人
札所:西国三十三所28番

 

Wikipedia/観音菩薩
Wikipedia/聖観音

 


成相寺ホームページ

由 来
一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中、深雪の為、里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。死を予感した憎は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈りました。すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に傷ついた鹿が倒れているのに気付きました。僧として肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。やがて雪も消え、里人達が登って来て堂内を見ると、本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散っていました。 それを知らされた僧は観音様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けました。

 

西国三十三所巡礼の旅/第二十八番 成相山 成相寺

Wikipedia/成相寺

丹後の地名/屋山成相寺(なりあいじ):西国33箇所28番札所:宮津市成相寺

 

成相寺は、2007年に高野山真言宗から独立し、橋立真言宗の単立寺院となっています。

 

 

 


ピントが外れてて少し分かりにくいのですが、長い胴体をくねらした龍の口から、手水が流れ出ています。
その水を受けているのは大きな鉄甕で、鉄湯船という重要文化財。

 

 

 

 

鉄 湯 船(てつゆぶね)

 

重要文化財(工芸品)
鎌倉時代 正応三年(一二九〇)
鋳物師 山河貞清

 

当山の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接は入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かヽり湯をするために用いられたと思われる。後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています。

成 相 寺

 

 

 

 

本堂内。

 

正面の外陣へは、自由に入らせて頂くことが出来ます。
ただし、そのため本尊前は人の往き来がありじっと居座っていられませんので、ゆっくりと読経できるスペースがありません(泣)

 

賽銭箱の周辺も長く立っていると他の参拝客に邪魔ですし、西国三十三所巡礼の皆さんは、どこで観音経や御詠歌を唱えられるのか謎です。
もしかしたら、堂外でお参りされるのかも知れません。

 

そこで、この写真を撮っているのが堂内最後部の壁際に置かれた長椅子なんですが、ここしかご本尊の方が見えて長居できる場所がありませんでしたので、この椅子に腰掛けながらお参りさせて頂くことにしました。

 

正座というのはもちろんよくある事ですが、椅子に座ってというのが私たちにとっては珍しい状況で、ちょっと不思議な気分でした。

 


賽銭箱の前に、ご本尊のご真言が掲げられています。

本尊 聖観世音菩薩真言
オン、アロリキャ、ソワカ


その左にある蝋燭台の下には、このような説明がありました。

・・三 種 の 供 養

 

一、燈明を供える

「ローソクの光が四方をまんべんなく照らすが如く、私も人間社会の中で公平、平等にすべてを判断することを誓います」と云う意味をこめています。

 

一、花を供える

「花は一年に一度風雪に堪えて美しい花が咲く様に、私も一生の人生、人間社会の中で色々の苦難に堪えて、人間としての自分なりの花を咲かせることを誓います」と云う意味をこめています。

 

一、線香を供える

「線香に点火すれば一瞬、一秒の絶えまなく燃え尽きるまで芳香を出しつづけるが如く、私の一生も燃え尽きるまで不断に精進努力をして人間社会に貢献することを誓います」と云う意味をこめています。

 

以上三つの誓いを先祖に供養する為に、燈明、花、線香を供えるのです。

 

 

 


堂内の向かって右上、数々の額と共に、左甚五郎作「真向の龍」です。
上下左右どこから見ても、龍が真向かいから睨んでいるように見える、ということかと思われます。

 

 

 

 

「真向の龍」アップ。

 

どうでしょう?
もう逃れられない眼力、って感じでしょうか…

 

 

 


本堂の外へ出ると、空を雲が覆って雪が降り始めていました。

 

その様子を見て、他にも熊野権現社、十王堂、一願一言地蔵、観音堂、五重塔、底なし池、展望台など参拝や見所ポイントはあるのですが、今回は残念ながら割愛することにします。

 

この後、天橋立を歩いて渡る予定のため、体力気力と時間には余裕が必要でした。

 

 

 


サチエが凍りかかっています。

 

 

 


撞かずの鐘の鐘楼にも、新しい雪が積もり始めていました。

 

 

 

 

今一度、撞かずの鐘と記念撮影。
寒さで今にもエネルギー切れ寸前のサチエ(苦笑)

 

 

 


あっという間に薄暗くなってしまいました。
再訪を期して一揖し、バス乗り場へと急ぎます。

 

 

 

(つづく)→ 龍となり吹雪に舞い昇った天橋立〜冬至丹後元伊勢行(14)



 

 

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