日々のさまよい

昔や今のさまよいなどなど。


テーマ:

 

常世のまれびとが来り臨む美保の客人社~初夏出雲行(39)←(承前)

 

 

 


美保神社の港へ向けた鳥居をくぐり、参道を進みます。
サチエがお行儀悪くポケットへ手を突っ込んでいるのは、思いのほか寒かったからです。
ごめんなさい(苦笑)

 

そのサチエ後方、燈籠の向こう側にある瓦屋根の小さな建物は、文化庁の登録有形文化財「おかげの井戸」です。

 

ここでお水を頂けるのかなぁと思いペットボトルを携行していたのですが、どう見ても無理そうでしたから、ガッカリな気分でまた写真を撮り忘れてしまいました。orz

 

・・文化遺産オンライン/美保関おかげの井戸

 


けれども、なぜか案内看板だけは撮っていました。

 

 

その昔、長い干ばつが続いたためにどの井戸も干上がってしまい、民衆は暮らしに困窮していました。
そこで、時の宮司が美保大明神に雨乞いをしたところ、お告げがあり、この場所を掘ってみたところ、こんこんと水が湧き出てきて、人々は難を逃れたと言われています。あまりのありがたさに、「おかげの井戸」と名付けられました。
掘削には当地区の廻船問屋はもちろんのこと、廻船の用水として欠かせなかった諸国の北前船の船頭や船主も浄財を寄進しました。そのときの記録が美保神社に残されています。
平成十九年には、美保関灯台とともに文化庁の登録有形文化財になりました。

 

 

 

 

青石畳通りへの入り口となる門。

扁額には、字の上が隠れて見えにくいですけれど、「艮門」とあります。

艮(うしとら)とは北東の方角で、日本の陰陽道では鬼が出入りする鬼門とされていますが…

 

そして提灯には、なぜか中国語で「 萬 来 深 謝 」、この裏には方言で「ありがとう」を意味する「 だ ん だ ん 」が入れられています。

 

両脇の木製看板には、左に「西廻り海道 美保の関 青石畳通り」、右は「ゆっくり、よりみち 懐かし、小路」とあります。

 

細い路地の両側を昔ながらの建物が囲み、下を見ると郷愁を誘う石畳は、当地の海石を切り出して敷設されたもの。雨の日に、うっすらと青色に変化することからその名が付いたと言われています

ここ美保関は、江戸中期以降、雲州(島根県東部)、伯州(鳥取県西部)、隠州(隠岐島)をはじめとする北前船の西廻り航路の寄港地で、松江からの宿場町だった頃に敷かれたというこの道には、海運業が栄えたこの地方の繁栄の影がしっかりと残されています。

・・松江市美保関町観光ガイド/青石畳通り

 

 

 

 

参道を奥へと進めば、石段の上に神門。
両脇には回廊が連なります。

檜材で造られ、屋根は杉板の柿葺きで、昭和3年の造営とのこと。

 


祭神と社殿、由緒など、↓こちらで詳しく解説されていますのでご参照くださいませ。

 

美保神社ホームページ/ご祭神・ご由緒

 

 

 


拝殿。
檜造りで屋根は杉板を敷きつめた柿葺(こけらぶ)き、昭和3年に造営されたとのことです。

 


美保神社について、はじめに/歴史的混沌-祭神の多重性~初夏出雲行(2)から再録します。

───────────────────────────
美保神社
美保神社ホームページ
Wikipedia/美保神社
出雲國神仏霊場公式ホームページ/美保神社

 

主祭神:三穂津姫命(みほつひめのみこと)
・・・・事代主神(ことしろぬしのかみ)

 

三穂津姫命とは、このような神さまです。

『日本書紀』の葦原中国平定の場面の第二の一書にのみ登場する。大己貴神(大国主)が国譲りを決め、幽界に隠れた後、高皇産霊尊が大物主神(大国主の奇魂・和魂)に対し「もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ」と詔した。

・・Wikipedia/三穂津姫

 

けれど、やはり元々の神さまがおられました。

『出雲国風土記』には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述がある。元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により事代主神と三穂津姫命とされたものとみられる。

・・Wikipedia/美保神社

 

美保神社は、国譲り神話をふまえた青柴垣(あおふしがき)神事と諸手船(もろたぶね)神事により有名で、ゑびす様の総本宮ということです。
けれど、ミホツヒメとコトシロヌシを主祭神として、ミホツヒメを上位として扱っているようなのは、ゑびす総本宮とするわりに微妙ですね。
そもそもの主祭神がミホススミということから、その名前に似ているミホツヒメへ主祭神を変更したための名残でしょうか。

 

主祭神をミホツヒメに変更、あるいは習合してしまった理由は、オオクニヌシの子神コトシロヌシを記紀神話にちなみ主祭神として持って来たかった、ということかも知れません。
あるいは逆に、えびす神が漁師の守護神として古くから祀られていたところへ、記紀神話もあって先ずえびす神がコトシロヌシと習合したことから、主祭神のミホススミがミホツヒメへと変えられた、とも考えられます。

 

ちなみに、えびすと言えば兵庫県にもうひとつ、えびす宮総本社の西宮神社があります。
こちらは主祭神がイザナギとイザナミの第一子である蛭児(ひるこ)であり、不具のため葦の舟でオノゴロ島から流され捨てられた神さまです。

───────────────────────────

 

 

 

 

拝殿の内観。
床が石畳となっており、一段高い床に筵が敷かれています。

 

船庫を模した独特な造りで壁がなく、梁がむき出しの上、天井がないのが特徴、とのこと。
この構造に加え、周囲が山に囲まれているため優れた音響効果をもたらしているそうです。

 

確かに壁がありませんけれど、台風とか来た場合、どうするんでしょう?
非常時用の戸板とか、あるのでしょうか。

 

単に素人考えだと、強風で屋根が吹き上げられないか心配してしまいますけれど、実のところ三方が開けっ放しなら大丈夫なものかも知れません。
宮島の千畳閣も、似たような状態ですから。

 

   

・・宮島観光協会/豊国神社(ほうこくじんじゃ)通称:千畳閣(せんじょうかく)

 

 

その千畳閣について、板壁も天井板もない未完成の状態でありながら、400年以上も朽ちることなく今に残っている理由のひとつが、潮風による塩分が木を腐らせないため、という話しをどこかで読んだ記憶があります。

この拝殿にも、もしそのような計算があったとしたら、昭和3年の造営で設計監督した建築学者の伊東忠太って方はスゴイですね。

 

 

 

 

本殿へのお参りを終えて、神門を振り返ります。

 

入って来たときには気付きませんでしたけれど、何だか変わった紙垂(しで)がぶら下がっているのが見えました。

 

 

 


紙垂のアップ。
これは一対ありますから、おそらく主祭神のミホツヒメとコトシロヌシの一対をあらわしているのだろうと思われます。

 

紙垂の根元には、それぞれ御幣と榊が供えられているようです。

 

落雷があると稲が育ち豊作なので、紙垂は、雷光・稲妻をイメージし、邪悪なものを追い払う。
玉串・祓串・御幣につけた場合は祓具としての意味だが、注連縄に垂らして神域・祭場に用いた場合は聖域を表す印となる。

・・Wikipedia/紙垂

 

とのことですから、この特別な紙垂で主祭神の二柱を守っている、ということかも知れません。

 

 

 

 

拝殿と、その奥に本殿。

Mさんはずっと腕組みをしたまま、2人とも寒そうです。

 

向かって右側の「左殿(大御前、おおごぜん)」に三穂津姫命、向かって左側の「右殿(二御前、にのごぜん)」に事代主神をお祀りしています。

大社造の二殿の間を「装束の間」でつないだ特殊な形式で、美保造または比翼大社造とよばれており、建築用材の大半は美保関周辺に自生していた松を使用し、屋根は檜皮(ひわだ)で葺いています。
現在の本殿は文化10年(1813)に再建され、国指定の重要文化財です。
※神社において左右の概念は、神様を基準としています。したがって、向かって右側が「左殿」、左側が「右殿」となります。

・・美保神社ホームページ/ご祭神・ご由緒

 

本殿は「文化10年(1813)に再建」ということですから、それ以前から比翼大社造だったのかどうか、興味の湧くところです。

 

現在は主神とされている事代主神が、江戸末期に登場すること、また比翼大社造りの本殿の建立が1813年(文化10年)であることなどからも、事代主神がえびす神になったのはもしかするとかなり新しいことではないか。

古くから全国の海岸に広がっていた海神信仰としてのえびす神が神道の神としての事代主神になっていったのは、極端にいえば19世紀初頭ということになるのではないだろうか。

今日多くのえびす神を祀る神社がその祭神を事代主神としているのは、江戸期に国学が興り、神道についての知識が庶民のあいだにひろがってゆくなかから、あるいは明治維新の廃仏殿釈のうごきと国家神道の組織化されてゆく過程で、えびす神と事代主神が"習合"していったのではないだろうか。

・・大手前大学・大手前短期大学リポジトリ/「えびす信仰の三源泉」米山俊直


いずれにせよ、ここは古来より海の神さまをお祀りされていると思いますので、そのような気持ちがあるためか、この社殿が北前船のように見えてしまいます(笑)
そもそも拝殿は、船庫を模して設計造営されたということですし。

 

・・帆船模型販売ショップ夢住緑 店長の柵/入港時の北前船

 

 

 

 

拝殿の横から本殿を望む。

 

 

 

 

同じアングルですが、横位置でも撮ってみました。

 

 

 

 

本殿の裏側。

 

手前の左殿(大御前)」にミホツヒメ、向こうの右殿(二御前)」にコトシロヌシ。
それら大社造り二殿の間、「装束の間」の客殿に、下記の三末社が祀られています。

 

大后社(きさいのやしろ)
・神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)事代主神の御母神
・沼河比売命(ぬなかわのみこと)御穂須須美命の御母神

姫子社(ひめこのやしろ)
・媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)事代主神の御子神、初代神武天皇の御后神
・五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)事代主神の御子神、第2代綏靖天皇の御后神

神使社(かみつかひのやしろ)
・稲脊脛(いなせはぎのみこと)国譲りの使い神

 

コトシロヌシの近親神三柱と関係神一柱に対し、元主祭神であるミホススミの母神ヌナカワヒメが一柱だけ、現主祭神ミホツヒメの関係神はなし、という構成が微妙です。

 

 

 

 

本殿の向かって右後ろにも、境内社があります。

 

若宮社(わかみやしゃ)

・天日方奇日方命(あめひがたくしひがたのみこと)事代主神の御子神
今宮社(いまみやしゃ)

・太田政清霊(おおたまさきよのみたま)
秘社(ひしゃ)

・神号不詳

 

太田政清とは、どのような方か調べてみました。

太田政清は、この神社の祭を京都風に創始した公卿であるといわれ、中世後期落ち延びて来た公卿であると信じられている。
(中略)
政清はその尼子と隠岐の判官佐々木京極氏とが伯耆、美保関の間で大兵戦を交えた頃の人ではないかと推測される。ここに落ち留まって憤死した人であろう。

えびす信仰事典』吉井良隆 編(戎光祥出版/1999年)「事代主神と美保神社」和歌森太郎
Google ブックス/えびす信仰事典/390p

 

 

 


美保造、または比翼大社造と呼ばれる本殿の真裏。

 

 

 

 

杜の様子。

 

 

 


拝殿の向かって左に生える御神竹。
美保神社の御種(籾だね)から生じたと伝わる竹、とのことです。

 

岡山県や鳥取県を中心に当社の敬神講社が多数結成されています。
講社の方々は、毎年当社へ参拝し、その土地の安全や五穀豊穣、さらに家内安全などを祈願します。その際、風習として神札である「関札」(紙のお札)とお祓いした籾だね「御種」を受けて持ち帰り、春になると田畑に竹を刺し、その竹に関札と榊の三つ葉を差し込んで、豊作と害虫よけを祈ります。
(中略)
ハーンは、「この社の稲の実(御種)をいただき、念じながら蒔くと、何にでも願いのままのものが生える。竹だろうと、棉だろうと、豆だろうと、ハスだろうと、西瓜だろうと、何でもかまわない。ただこの稲の実を蒔いて、信じてさえいれば、望むがままの作物が生える。」と記しています。
境内には、この御種から生じたといわれる御神竹が現存しています。

・・美保神社ホームページ/ご祭神・ご由緒/ご由緒/関札、御種とハーン

 

 

 

 

拝殿の横側。

 

 

 

 

そしてもう一度、御神竹を振り返ります。

 

 

 


とにかく大きくて質実剛健な拝殿です。

 

 

 

 

鬱蒼とした杜と拝殿。
少しでも手入れを怠れば、アッという間に境内が森に呑み込まれそうな勢いを感じます。

 

 

 


神門をくぐって、境外へと歩を進めます。

 

この6月5日、08:30から端午の節句粽献上が行われるとのことで、いったん港をザックリと巡ってから美保館へ戻り、朝食を頂いて後にもう一度訪れることにします。
そのため、境内社で参拝できていない宮御前社は、後廻しとなりました。

 

 

 

 

再び、紙垂のアップ。
他で見たことのないキレイな形ですから、見惚れてしまいます。

 

 

 

 

石段を少し降りてから振り返ります。

 

 

 


神門前の広場。
写真右下、大樹の下に杭が等間隔で並んだ場所が祓所となります。

 

 

 


左が手水舎。
右手が収蔵庫です。

 

 

 

 

時刻は06:20ごろ。
夜明け前から曇天の下を出歩いていますので、そろそろ身体の芯まで冷えてきました。

 

 

 

 

朝食の07:30までには少し時間がありますので、ここから港の向こうに見えていた朱い太鼓橋の方まで歩いて行ってみることにします。

 

 

 

(つづく)→ 弁天波止場と美保館本館から再び美保神社へ~初夏出雲行(41)

 

 

 

 

 

~いつも応援ありがとうございます~

 

AD
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)

マルデンさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。