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はじめに/歴史的混沌-続・神話の多義性~初夏出雲行(4)←(承前)


B-3)謎と闇が多すぎ


B-1)祭神の多重性とB-2)神話の多義性で見てきたように、出雲には謎と闇が満ち溢れています。

もちろん、どこの歴史ある神社仏閣にも、同様の謎と闇はこれでもかというくらい存在しているんでしょうけれど、出雲はA-地理的現実で見た1)遠い2)広い3)多すぎ、という要因も大きく、謎と闇が多層構造になっているように感じます。

出雲大社と熊野大社、アメノホヒとクシミケヌ、オオクニヌシとスサノオ、意字と杵築、
日本書紀と出雲国風土記、農林水産と金属、斐伊川と宍道湖と中海と日本海、東の美保関と西の日御碕、大陸や朝鮮半島と九州から越国に至る交流、海と湖と平野と山…

お互い相違する要素が和してなお濁らず渦を巻き続ける、そのような混沌の地が出雲であるように感じました。




例えば伊勢なら、こちらは最高神の聖地として長らく国家により直轄管理されて来ましたから、色々と謎や闇はありますけれど、否応なく構成が整理されて理解しやすいと思います。
それは、内宮と外宮、正宮と別宮、摂社末社所管社、その他関連社というカテゴリーと祭神がはっきりしているからです。

また三輪なら、こちらも謎と闇は満載ですが、何はともあれ神さまが山ということなので、三輪山という具体的な不動の対象が眼前にありますから、登ったり眺めたりするだけで分かりやすい。
大物主がどうだとか、ヤマト王権がどうしたかなど、太古より動かない山と杜と磐座の前ではオマケみたいなものです。

つまり、一般的な聖地には何がしかの価値基準みたいなものがあると思うのですが、出雲ではそれが何なのかが中々つかめません。




その基準のひとつが出雲国造という現人神、“生き神様”なんでしょうけれど、こちらも熊野大社を一貫して奉斎しながら、出雲大社では創建から現在に至る半分くらいの期間、主祭神を日本書紀に違えて奉斎して来たという経歴をお持ちですから、天皇家を凌ぐ万世一系の名家としては、あるいはそれほどの名家だからなのか、スゴ過ぎです。
これは、祖神のダブルスタンダード、祭神のトリプルスタンダードもアリということですから、“生き神様”は何でもアリというような…orz


けれども私たち現代の余所者には、そもそもこの“生き神様”という感覚が、残念ながらよく分かりません。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、1890年(明治23年)の「杵築─日本最古の神社」で、このように述べています。
かつてどれほど深く国造が崇拝されていたかについては、出雲の地に長年住んだことがなければ、とうてい想像できないだろう。日本以外であれば、チベットのダライラマを除いて、これほど崇拝され、民衆の信望を一身に集めてきた人は、ほかに見当たらない

これは、ここ↓からの孫引ですが、この論文はまとまって分かりやすいので、お奨めです。
大阪経済法科大学/アジア太平洋研究センター/二人の現津神─出雲からみた天皇制

このように、出雲国造そのものが謎と闇の塊でもありますし、生き神信仰となればチョットどうしても理解しにくいのですけれど、これをヒントに、出雲の聖地を「人」という基準から捉え直してみると、分かりやすいかもと思われました。


これは実際に出雲へ行ってみて知ったことですが、巡った神社はほぼ例外なく何処もキレイにお手入れをされており、良い意味で、人の手の跡の残る気持ち良い場所が多かったと思います。
もちろん今回、各神社の摂末社など、出雲大社のものを除いてくまなく巡るということができていないため、全てと言うことは出来ませんけれど、見た限りにおいてそのようなことでした。

神社を摂末社までお参りされる方なら分かって頂けると思いますが、有名どころでも、あまり人気のない末社など、蜘蛛の巣が張って枯れ葉やゴミが散らかっていたり、祠が朽ちかけていたり、得体の知れないお供えが無残に残されていたり、ちょっと残念なことが多いものです。

けれど出雲では、そのような事態の社祠に遭遇した記憶がありません。
これは今までの経験から推し量ると、かなりスゴイことだと思います。




例えば、出雲市朝山町の宇比多伎山(188m)山上にある朝山神社は、麓から車で20分くらい、徒歩だと近道になるのでこれも20分くらいかかります。
ここは完全に無人なんですが、周囲が朝山森林公園として整備されていることもあるのでしょうけれど、どう見ても無人には思えないほど社殿は手入れされ掃除が行き届いており、拝殿には資料がトレーに置かれ整然としていました。

出雲ではどこの神社も、どのような摂末社でも、地元氏子の方々が毎日お世話をされていることが、その佇まいから伝わって来ます。
これは、いかに出雲の人々が暮らしの中で自然に神々と寄り添っておられるかという証左だと思います。


そこで、島根の県民性、特に出雲について見てみました。


PRESIDENT Onlin/島根県民―「神様」の東と「銀山」の西で真逆の性格が並存


歴史、方言、性格まで3つの地域で異なる
東西に長く、昔の出雲(県東部)、石見(県西部)、隠岐の3つの地方で性格がまったく異なる島根県。出雲は真面目で勤勉。我慢強いが引っ込み思案で消極的な性格。神様の国らしく「優雅さ」があるのが特徴。保守的なのでよそ者に対しては排他的な部分もあり、親しくなるまでに時間が必要なので覚悟を。

上司―保守的で、義理人情型の男上司。慎重で軽快な女上司
●男上司
出雲の上司は何を考えているかわかりづらいのでやりにくさも。過去のやり方にこだわるが、頼りにすれば力になってくれるので安心。
●女上司
出雲の上司は粘り強いが何事にも慎重なタイプ。部下でも意見を求められることが多いので、自信を持って自己主張を。案外頼もしく思ってくれる。

部下―頼られると実力発揮の男部下。倫理観ある大和撫子の女部下
●男部下
出雲の部下は真面目でよく働く人が多い。思い詰めるタイプなので、たまには一緒に飲んで悩みを聞いてやること。重要な仕事を任せると、意外な実力を発揮する実力派。
●女部下
出雲は真面目で控えめで辛抱強いタイプ。数少ない現代の大和撫子的存在だ。素直で、道徳観、倫理観も強い。そのためウソやギャンブルには厳しいので、遊び好きな面を見せないこと。

取引先―信用第一で攻める島根の顧客
出雲の顧客は、初対面の相手には閉鎖的で警戒心が強いが、一度信用されると長い付き合いになることが多い。時間をかけて信用を得るのが第一。信用されると親身になってくれる。盆暮れの挨拶も欠かさないようにすれば○。

恋愛―浮気も離婚もない、真面目な島根の男女
出雲の男性は、控えめな女性が好み。真面目なので、恋愛にも一途で誠実に考える。おもしろみに欠けるが、結婚後は円満な家庭が望める。
女性も結婚後は良妻賢母型で、簡単に離婚もしないタイプで安心。





以上、一言にすると「生真面目」ということでしょうか。

大阪生まれの大阪育ちである私からすると、確かに「生真面目」こそが謎と闇ですね~。
「おもろい」ことを命とする大阪人とは、まさに真逆の価値観です。

そこで、出雲国造や二つの大社についても、この「生真面目」という気質をもとに考えてみれば、私にとって謎と闇に思われた事々が、少しずつ解きほぐされて行くかも知れません。
私はどうしても大阪のオッサン的な勘繰りによって、物事を斜めに見ようとしてしまいますので、何につけ穿ちすぎの見当違いになりやすい傾向がありますから(苦笑)

そこで仮に、出雲国造とは出雲を代表するような筋金入りの「生真面目」だった、と考えてみます。




…太古より意字の熊野大神である祖神クシミケヌを「生真面目」に祀り続けて来た出雲国造は、中央政権から、その祖神をアメノホヒと変えて敗残の巨魁オオクニヌシを杵築にて奉斎するよう命じられる。
その引き替えに国造の地位と出雲国の安泰を約束するという。

そこで出雲国造はその命令を「生真面目」に受け止め、出雲氏族と出雲国のために受諾する。
その際「生真面目」でなければ、クシミケヌへの奉斎を放棄してオオクニヌシに専念する選択肢があったにもかかわらず、「生真面目」であるが故に、
 裏[祖神&祭神クシミケヌ=熊野大社]
 表[祖神アメノホヒ&祭神オオクニヌシ=出雲大社]
という祖神・祭神・大社の裏表ダブルスタンダードを決意する。

これは明らかに、倍以上の労力と費用を要する方途であったが、出雲国造は「生真面目」に黙々と取り組んだ。

もちろん、心中ではこのダブルスタンダードを素直に納得できたわけではない。
しかし、クシミケヌは自分たちにとって最も大事な神さまであり、オオクニヌシも自身の出雲国を始め近隣諸国から越国に至るまで、交流ある国々の大事な神さまであり、何よりも出雲国を守るために、その「生真面目」な使命感によって、自らの忸怩たる思いへ強く封印をして務めた。

しかし、意字郡の郡司を解任されて、出雲大社での奉斎に専念するようさらに強要されると、「生真面目」な出雲国造は熊野大社での奉斎が万全とならない事から、朝廷への反感を「生真面目」に高めていく。
それはさらに、もう一柱の大事な神さまであるオオクニヌシを祟り神として朝廷に決めつけられ祀ることへの反感をも高めていき、対抗する手段を「生真面目」に模索することになる。




それから時が経ち、出雲国造の「生真面目」な反感も積もり積もった頃、武士社会となって勢力を伸ばしてきた鰐淵寺が出雲大社の別当寺となって、主祭神をスサノオにするよう出雲国造へ提案した。
鰐淵寺には鰐淵寺の思惑もあったが、出雲国造はこの時に一計を案じる。

オオクニヌシを怨念の塊である祟り神として奉斎することは「生真面目」に捉えて、よろしいことであるとは思えない。
オオクニヌシが怨霊と考えるのは朝廷だけのことであって、オオクニヌシを信奉する多くの民衆たちは皆オオクニヌシのことを親しく想っている。

ここは朝廷の権勢が衰えてきたこともあり、いよいよその横暴を正すためにも、思い切って主祭神を、出雲国の盟主神であり、オオクニヌシの父神でもあるスサノオにすることで、一旦は出雲大社の祭祀を祖神の原点に戻し、正しい奉斎を取り戻すべきである。

このように出雲国造はひたすら「生真面目」に考えて、主祭神をスサノオとした。

それからさらに時が経ち、豊臣秀吉から朝鮮への出兵を要請された出雲国造は、「生真面目」にそれを拒否したため社領没収の憂き目に遭うが、それを機に鰐淵寺との関係も次第に解消される。

そのため出雲大社はしばらく衰退してしまうものの、ようやく出雲国造があらゆるしがらみから一旦解放されて、出雲大社でオオクニヌシを正しく主祭神として奉斎するための再出発を「生真面目」に開始することとなる。


…どうでしょうか???




あと、これも実際に出雲へ行き実感したことですが、今回の出雲行の最終日、それも最後の訪問先であった荒神谷遺跡を見て思ったことがあります。

ご存知のように荒神谷遺跡とは、出雲市斐川町神庭西谷における1984年・1985年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土して国宝に指定された史跡です。
一箇所から出土した銅剣の数では桁違いに最多であり、大きな衝撃を日本古代史学・考古学界に与えました。
これと、後に発掘された加茂岩倉遺跡によって、実体のない神話だけの国という古代出雲のイメージは完全に払拭されます。

もちろん私たちは、荒神谷遺跡に訪れるのは初めてで、詳しいことはほぼ何も知らないままでしたけれど、初日に訪れた古代出雲歴史博物館で陳列されている荒神谷の銅剣と銅鐸など現物を驚嘆しながらじっくりと拝見し、ボランティアの方にも説明を頂いておりましたので、少しは概略を知ることができていました。




現地では、先に荒神谷博物館を観覧し、大画面のモニターで発掘ドキュメントなどを拝見してから遺跡へと向かいました。
広い古代ハス池の道を歩きながら案内板に従って遺跡の方へ向かうと、小さな荒神谷へと入ります。
自分の勝手なイメージでは、もう少し山奥にあるかと思っていましたので、意外と平地から近いのに戸惑います。

谷へ入ると結構すぐの左手に、写真で見覚えのあった遺跡の光景が広がりました。
低い山の斜面、薄く皮を剥いだような四角い発掘跡に、レプリカの銅剣がびっしりと配置されています。

ここで、私的には衝撃だった感想を、3点あげてみますと、

1)人里から思っていたよりずっと近い
2)銅剣を埋めて隠すというには、あまりにも浅い

ということが先ず見た時にありまして、それを実感すると、次にこう思わざるを得ませんでした。

3)何でこれが2,000年もの間、見つからなかったの?

隠すというには、いくら何でも人里から近く、あまりにも浅く掘った山の斜面です。
銅剣へかぶせた土にしても、いつ崩れ落ちるか分かりませんし、いつか誰かが偶然に見つけてしまってもおかしくない状態です。

このまま、誰にも知られずに2,000年、ということは本来あり得ないとしか思えません。




だとすれば、必ず誰かが口伝で申し送りを続けたことでしか、今に至らなかっただろうと考えられます。
しかし、その口伝が近年になり途絶えたことから、この発見になったのではないかと思われました。

もしそうなら、2,000年もの間、誰がどのようにして何のために守り続けたのでしょう?
埋納の理由より、それがずっと気になってしまいました。

これはたまたま、この度の出雲行最後の訪問となりましたが、この荒神谷遺跡でリアルに出会った古代出雲から続く人々の息吹というものに、出雲全体が象徴されているように感じました。



やはり「人」ということが、出雲を理解するためのキーワードではないでしょうか。
何かひとつのヒエラルキーだけに縛られることなく、多くある神社仏閣のひとつひとつに、そこへ関わる人々の様々な思いが込められていることを実感していくことが、出雲を知ることなのかも知れません。

まあ、これから少しずつ、マメに通うしかないですね(笑)



以上、長すぎた前置きにお付き合いを頂きましてありがとうございました。
次回からいつも通り、順番に訪問先の写真など、ご紹介していきたいと思います。



(つづく)→ スサノオの魂が鎮まる須佐神社~初夏出雲行(6)




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