昨日は南極の日

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またしても こまったちゃんのブログで知りました。

 

こまったちゃん母ちゃんが問いました:南極と北極の違い、わかる?

 

簡単にお答えします。

北極は大陸に囲まれた海洋で、中心の北極点は厚さ1 m の海氷、年平均気温は-18°C

南極は海に囲まれた大陸で、中心の南極点は海抜2,836 m、年平均気温は-50°C

そうです、南極の方が寒いです。

なぜでしょうね?
この地図の縮尺は同じです。北極海と南極大陸、ほとんど同じ面積なんですよ。
 
今日は先ず、北極圏のスバルバールの写真をお見せします。
スバルバールは上の北極地図の黄色矢印の先にあるノルウェー領の島々です。
スバルバールの山々と氷河(1990年)。
夏8月で、雪は溶けてほとんどの地面が露出しています。
調査中に現れたトナカイの群れ。移動しながら草を食んでいます。
かなり近くまで近づけます。大きいです。角が立派ですね。
この角は毎年生え変わるので、あちこちに抜け落ちた角が転がっています。
 
次いで南極。
ノルウェー人が発見し、ノルウェーの山地に因んでセール(南)ロンダーネと名付けた山地で調査しました。
雪上車とスノーモービルで移動し、調査地でキャンプします(1986年2月)。
ここはセール・ロンダーネ東南部、この隊の調査の最終地点でした。
南極の盛夏は12月〜1月で、2月になるとかなり冷え込んで夏の終わりを感じます。
 
キャンプからの日帰り調査はスノーモービルで移動します。
風が吹き抜けるところには、雪が吹き払われた裸氷域が広がっています。
この写真は1989年1月で、強い日射で融けた水が再凍結してツルツルのスケートリンクのような氷面になっています。
 
ちょっと長くなりました。
締めは、大好きなマロンとK&R の写真です。
昭和記念公園で持参の弁当でお昼です。2010年11月21日、良い天気でした。
 
 
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さみしい年末

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12月になってカレンダーをめくると、カミさんの書き込みがありました。

昨年末に記したメモです。

 

今はもう年賀状に版画はやめていますが、以前は冬や早春の花や木の実を彫っていました。

それが、マロンと暮らすようになったのがうれしくて、その年末にこんな版画を彫って年賀状にしました。

その翌年も、

そのまた翌年も、

さすがにネタが尽きて、というより版画が面倒になって、2006年からはデジカメ写真になりました。

来年の年賀状は、、、どうなるのかなぁ? なんの案も浮かばない。

 

マロンがいなくなって、散歩しなくなり、朝も早起きしなくなりました。

テニスとおもちゃ病院で、平均すると週に3日は外出しますが、あとは家に引きこもりっきり。

この数年のマロンの散歩は超ゆっくりの散歩だったので運動量は知れていたと思うのに、父の体重が1キロも増えてしまって減りません。毎朝毎夕、外の空気を吸うことが健康にも良いのでしょうね。

 

少し、おもちゃ病院の話をしますね。

この前の土曜日、5歳くらいの男の子と3歳くらいの女の子の兄妹が、「治して」と持ってきたワンコとニャンコの縫ぐるみ。どちらも足が折れていました。この日は修理品が多く時間内には修理できず、持ち帰っての修理になりました。

開けてみると、ワンコは一本の足と尻尾の骨折だけでしたが、

ニャンコの足は3本がそれもあちこち折れていて修理に結構時間がかかりました。

さらに驚いたことに、首まで折れていたのです。

これはなかなか手強かったですよ。

でも、

なんとか修理できました。あ、背景のPC画面にマロンが写っていますね。

スクリーンセイバーをマロンの写真のスライドショウーに設定しているのです。

 

修理品は隣市のおもちゃ病院の受付に届けることになっているのですが、カルテを見ると持ち主のお宅が我家と同じ市で割と近い。で、電話して直接お届けしても良いか尋ねると、「お願いします、助かります」。

お宅は大きなマンションで、玄関のインターフォンで通話する形式。小生はそんなのに疎く、戸惑いながらの試行でなんとか通話できました。

玄関で待っていると、お父さんと一緒に幼い兄妹が出てきました。

「はい、治ったよ」と動かして見せると、大喜びして「ありがとう!」。

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マロン母が今日、母親の見舞いと妹に会うために、広島ー高松の旅に出た。

それで思い出した。マロンが父と寝るようになった次第を。

 

マロンは生後4ヶ月に近い売れ残りちゃんで、2002年3月末にうちの子になってすぐにトイレを覚えたし、すでに運動能力もかなりあった。

ペットショップで勧められるままに、トイレ置場と常駐場所用にケージも買っていたが、すぐに居間の長椅子に跳び上がることを覚え、そこを常駐場所にして夜もそこで寝るようになった。

2002年5月29日、遊び疲れて長椅子で寝るマロン(ほぼ6ヶ月)。

 

以下は、犬好きの友人に自慢したくて宛てた当時のメールです(2002年10月):

 

カミサン広島に里帰りで、父と二人きりになった。

里帰り前日の晩、マロン、旅行の荷造りに興味津々。カミサンにまつわりついていたらしい。

「マロン、うるさい! 二階に行って、父さんと寝なさい」と叱られて、

もう寝ていた父のところに連れて来られた。 

叱られたはずがマロン、大喜び。だって、寝室に入ることが公認されたんだからね。

すぐに父の布団に潜り込んで寝始めた。ホントは眠かったんだよね。

以来、寝る時間になると勝手に二階に上がってきて、父のふとんにもぐり込む。

 

でもえらいんだ。この頃には1人で階段を降りれるようになっていたけど、

朝、ちゃんと1人でトイレに降りて、また上がってきて布団にもぐり込む。

 

カミサンが居なかった土日月の連休中、父にべったりだったので、

火曜日の朝、出勤するとき、騒がないかな?と、ちょっと心配した。

いつものように長椅子に座らせて、ラジオをつけて「留守番だよ」というと、

追いかけもせず、おとなしく見送ってくれたのが、かえっていじらしくて、

勤めを休んじゃおうか、と思ったくらいでした。

夜、帰宅したら、ホントに飛びついてきて喜んだ!

ウンチも我慢していて、「早く散歩に行こう!」と玄関口で催促。

いい子だなぁ!

 

2002年5月29日、父の部屋で一人遊びするマロン(ほぼ6ヶ月)。

 

昨晩(2002年10月17日)、帰宅して二階で音楽を聴いていたところにマロン上がってきて、

「あそぼ」。

いいかげんにあしらったら、階段の降り口まで行って待っている。

これまでは、

(気づかないと部屋に戻ってきて、じっと父を見つめて、また出て行く。

ほとんど鳴いたり、吠えたりしないので、黙って動作をくりかえして訴える)

だったのです。

いじらしいでしょ。 

それがその夜は、かまわずにいたら、階段の降り口で

「わん! わわわん!(一緒に降りようよ)」。

鳴いたり吠えたりしないはずだったのにネ。思わず笑ってしまいました。

 

それで「わかったよ」と、一緒に降りて、少時あそんで、また二階に戻った。

そうしたらマロン、いつもなら二階に追いかけてくるのに、階段の下から

「ワワン! ワワワン! ワワワワン!(降りておいでよ、下で遊ぼう)」

あきれたし、感心したし、云うことを聞いてやりたかったけど、

ここはグッとこらえて、無視。

2、3回「ワワン! ワワワン! ワワワワン!」を繰り返したが、

それほどしつこくもなく、あきらめた。

いい子だなあ!

それにしても、2階に上がっても、父さんは音楽で、真剣に遊んではくれないと思ったのか。

するどいなあ。

これって、父と会話してたんだよね。すごいなぁ。

 

ここまで親ばかになるとは、思ってもみなかったが...わるくないです。

 

 

ああ、そのマロンがもういない、、、。

 


2002年10月、ボール遊びのマロン(上)と、獲物を探すマロン(下)。

 

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マロン

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穏やかにくつろぐマロン。

前々回の記事で書いた散歩から帰って、、、。

あの日は歩きたくなかったけれど、

数日後の雨上がりの夕散歩で、この緩い坂を下り、上がって、「まだまだ元気だよ」を見せてくれました。

 

父はしばらく前から坐骨神経痛の症状があって、わんぴいさんに教えてもらって整形外科に行きました。診察結果は、腰部脊柱管狭窄症。

「椎間板が摩耗した結果で、あなたくらいの歳になるとよくあることです。」

と、レントゲン画像を見ながら説明されました。 "論より証拠" でしたね。

「あは、治りませんね。」

「治りませんね。でも症状を軽くすることはできますよ。」

2週間分の薬を処方されました。血栓ができるのを抑える薬だそうです。

このとき、テニスをしていることも言ったのに、それについては何の言及もなかった。なので、テニスは痛い足(腰)を騙しながら続けた。

 

薬がなくなり、2週間後に行くと、

「しばらくテニスはやめてください。」

休みましたよ、2週間。

運がいいのか悪いのか、その間ずっと雨でした。

 

さらに2週間後(マロンが逝って数日後)の診察で

「随分よくなりましたね。もうテニスしてもいいですよ。」

帰り道、ふと「マロンが(痛みを)持って逝ってくれたのかなぁ」と思いました。

そんなことあり得ないし、普段の自分なら思いもしなかったはずなのにね。

 

マロンが逝った朝、お世話になった病院にその旨連絡しました。

驚いたことに、病院から献花が届きました。

小学生の、はとこちゃんからも慰められました:

マロン父の名はピーチではありません。きいち です。でも改めてくれません。

まぁ、いいか。

明日、K & R一家が来るそうです。

泣くかなぁ?

 

マロンがいないのにアボちゃんはぐんぐん伸びています。

この写真を撮った後、小さい植木鉢に移しました。大丈夫かしら?

 

マロンが逝って、今日で10日です。

おもちゃ病院やテニスからの帰り道、自転車をこぎながら、フッとマロンのことが頭をよぎります。そうするともうダメですね。そう、目が汗をかいてしまいます。

辛いのは、食事どき。お相伴相手がいないんだもの。それから寝る時。

・・・・・

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いきなりですが、マロンはもうこの世にいません。

咋19日の午前2時半頃、添い寝していた父の傍らで永眠しました。

 

11日の日中は元気だったのに、夕方急にお腹の具合が悪くなって、夜はほぼ1時間ごとに目を覚ましてマロンの様子を見るという一週間でした。

 

この夜も1時半に目が覚めた時は、マロンはやや荒い息をしながら眠れない様子でした。

マロンを撫でながらうつらうつらして次に目がさめると、

荒い呼吸が止んでいたので、「ああ、ようやく眠れたな」と思いました。

が、ハッとして心臓に手を当てると、、、、、鼓動がなかった。

 

身体はまだ温かく柔らかで、直前まで生きていたと思われますが、

悔しいことに息をひきとる瞬間を看取ることはできませんでした。

目を見開いていたので、マロンは何かを言いたかっただろうと思います。

 

母さんに伝えに行きましたが、連日の看病疲れもあってよく寝ていたので起こしませんでした。

 

マロンの身体を洗ってきれいにし、蒲団にタオルケットを敷き直してマロンを横たえ、瞼を閉じさせて朝までまた添い寝しました。手を握り、足を握り、、、。

手は太かったけれど、足はやはり筋肉が衰えていたからか、驚くほど細くなっていました。

 

翌朝、母さんが起きてきて、

「マロンちゃん、どう?」

「死んだ、、、」

急に涙声になって、

「ありがとう、マロンちゃんありがとう。いい子だったねマロンちゃん、本当にいい子だったね。」

 

ネットで火葬してくれる会社を探し、お寺系の犬猫霊園を選びました。昼過ぎに引き取りに来てくれました。この夜は安置してお経をあげてくれるとのことでした。

棺桶がわりの段ボール箱にマロンを寝かせると、母さんが

マロンが擬似出産したときにいつも子供がわりにしていたボール「パンちゃん」を一緒に収めました。

 

マロンは今朝8時過ぎに火葬されました。

今夜はお寺でまたお経をあげてくれるそうで、明日の昼前に骨壺に入って我が家に戻って来ます。

 

頭は空っぽ、心は虚ろです。

しばらくブログを休み、黙っていようと思いましたが、

ともちさんが今日のブログで「マロンちゃん、頑張れ」と応援してくれたので申し訳なくなり、やはりお知らせしようとここまでなんとか綴りました。

マロンのことを気にかけてくださり、励ましてくださった皆さん、ありがとうございました。

15歳と10ヶ月の生涯でした。

 

マロン「ラスク先輩、一足先に行くよ。待ってないからね。」

父が一番凛々しいと思っているマロンの立ち姿(2005年1月葛西臨海公園、3歳)。

 

愛しい愛しいパンちゃん(2009年3月、7歳)

 

「もう疲れたよ」。

雨が続いたせいもあって、散歩もできませんでした。