あれから10年。

テーマ:
これを書くべきかどうか迷っていました。
書かなければいけない、というわけではないでしょうが…やはり何か書かなくてはいけないような思いにかられたので書き始めています。
10年前の今日、私はまだ実家に住んでいました。
大阪市内なので神戸や淡路島と比べれば僅かな揺れであったと思います。
それでも私にとっては人生最大の地震でした。
恐くなかったはずはありません。
でも、私はその恐怖体験を語ってはいけないような気がしてしまうのです。
私には何も分からない、被災地の方達の話を聞く度そう思うのです。
「分からない」で済ませてはいけないのかもしれません。
それでも、体験しなければ分からないことを分からないままに語ることはできないから…。
分かろうと努力をしました。
その恐怖体験を映像で文字で目にしました。
それでも本当の恐怖は当人達にしか分からない…私はかける言葉が見つかりませんでした。
だから私には語る資格がないかもしれないと思うんです。
私にできることは、せめてこの日には被害に合われた方、犠牲になられた方に思いを馳せることでしょうか。
そして自分の人生を粗末にしないよう、毎日を感謝して生きていくことでしょうか。
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無謀な人

テーマ:
昨日、私がインストラクターをさせていただいてるスタジオのオーナーと打ち合わせをしました。
とりあえず目先の目標や計画と、将来的な計画を聞いたんですが、ものすごく壮大なお話でした。彼は「あほみたいな話なんですけど…」と前置きしながら熱く語ってくれました。誰かに話すと必ずバカにされるそうで…。
もちろん私はあほみたいな話とは思わなかったし、彼もそう思って話してはないだろうと思います。それはすばらしい発想だと思ったし、理想ばっかりではなく筋道の通った考えだと思いました。
昔から偉業を成し得た人は必ずと言っていいほどバカにされています。それは彼らのしていることが無謀に見えるから。でも、誰一人として無謀なほどの夢を抱かなかったら現在の便利な暮らしは有り得なかったわけだし、無謀だと思える人達をもっと尊重してもいいんじゃないだろうかと思ったりしました。
幸い私の周りには私の考えを「あほみたい」と言う人はいませんが、それは私がまだまだ無謀ではないからなのかもしれないなぁ、と思ったり…もっと無謀になった方がいいのかもしれない、と思ったり…。
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大切なモノ

テーマ:
大切なモノを今探しています。もう少しで全部明らかになるような気がしています。
大切なモノは近くにある…いや、近くになくてはならないんだと最近思います。近くにないと守れないから。
遠くにあるモノは大切なモノではなく、憧れているモノ、焦がれているモノ。それが大切なモノに変わるためには近づく努力からしなければならないけど、本当にそのモノを強く想うなら近づく努力は案外容易いのかもしれないな…
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書かずにはいられなかった…

テーマ:
この人のことを。

たった今たまたま見たブログの作者。
会ったこともないし、もちろん話をしたこともない。
でも、きっと私の生涯に大きな意味を持つ人になるでしょう。

リンクを貼った記事は思わず私が泣いてしまったものです。
できればすべてを読んでほしい。

私の伝えられることは、なんてちっぽけなんだろうと思った。
私が悩んでいることは、なんてちっぽけなんだろうと思った。
でも、私は伝えることも悩むこともきっと続けていくでしょう。
変われないからではなく、変わっていくために…


リンク記事:ごめんなさい。「晴海22歳の闘病日記」より

無題

テーマ:
私は逃げているのかな…

ひとつのモノに向かって走ることは
他のモノから逃げることになるのかな…

それとも他のモノに目を向けることが
最初のモノから逃げることになるのかな…

私はずっと走ってるけど

逃げているのか向かっているのか
ときどき分からなくなる

味方

テーマ:
誰かの味方でいるということは
辞書によると
その人に属することらしい

きっと、
そこに見返りは存在しないのでしょう

だったら、
誰かの味方でいることは
その人を愛することになりますか?
おそらく日本中で数多くの人が誤解しているでしょう、浜崎あゆみという人を。私もその一人でした。
なぜ彼女は誤解されるのか…それは饒舌ではないからだろうと思います。彼女は多くを語らない。特にマスコミに対して「私はこんなすごいことをやっています」と主張しない。それは彼女にとって当然のことで、そうしなければならないと考えているから。
今回の浜崎あゆみさんの賞レース辞退に関する報道の一部に、彼女がノミネートを逃したことに対して言い訳をしているかのようなニュアンスが含まれており、私は非常に残念に思います。
楽曲が純粋に認められてこそ賞を受ける価値がある、彼女はそのように考えているのではないでしょうか?今年のエイベックスのお家騒動で皮肉にも知名度が上がってしまった楽曲を純粋に「売れた」と言っていいものかと…。
これは後付の言い訳ではないと思います。それ以前にノミネートされなかったからといって言い訳をする理由が彼女にはありません。1日1度はテレビや雑誌で彼女を目にし、ラジオや有線で彼女の歌を耳にします。その彼女にそのような言い訳は必要でしょうか?
昨年SMAPがレコード大賞を辞退しました。「No.1よりOnly1」という考えを貫きたいと…。私も日記にこのことを書いた記憶がありますが、彼らはノミネートされてから辞退した、彼女はノミネートされる前に辞退した…ただ、それだけのことだと私は思うんです。どちらが良いとか悪いとかではなく、外野フライをギリギリで走りこんで取るか最初からボールが落ちる位置を予測して余裕で受けるか、ぐらいの違いではないかと。どちらがよりファインプレーか、などと論じる人がいますが、私はどちらもファインプレーだと思います。
言葉を伝える人間として、マスコミはもっと言葉の選び方を考える必要があると思います。今回のことだけではありません。あらゆる報道において、マスコミ内の特定人物の思惑が垂れ流しになっている印象を受けます。
浜崎あゆみという人の真実は彼女の中にだけあります。それは他の人でも同じこと。マスコミには真実だけを伝えていただきたいと願います。
情報過多の時代、誰でも自分の意見を簡単に発信できる時代、だからこそマスコミにはその中の手本となってほしいと思いますし、情報を発信しようとする人のひとりひとりがもっともっと自分の言葉に責任を持っていかなければ、と思います。

受容

テーマ:
近くにあるものほど、あるいは大切なものほど、「よく分からない」とワタシは思っているらしい。【灯台もと暗し】とはちょっと違う…視界には入ってるのにピントがずれた写真のようにぼやけて見えない。
きっと、ホントはよーく見えてるのに、見えないフリをしたいのでしょう。
人は都合よく忘れることができる生き物。都合よくすり替えることができる生き物。都合よく言い訳できる生き物。だけど、自分の心にまでそんなことするのは、すごく悲しいね。
どんなに辛い現実だとしても受け止めないと先には進めないけど、本当に全てありのままに受け止めたら気を失うんじゃないか、と恐かったりもする…

聞かない勇気

テーマ:
人を好きになると相手のいろんなことが気になりますよね。それを聞くのって結構勇気がいったりすると思うんですけど、本当は聞かないでいることの方が数倍勇気がいるような気がします。気になってることが解決しないままってのは、かなり不安な状態の連続ですから…。でも気になることって大概「聞かない方がいいこと」もしくは「聞いても仕方のないこと」のような気がします。
たとえば「浮気をしてるんじゃないか?」っていう不安は結構的中率が高いけど、聞いてしまったらそれは事実になってしまって、そのあと喧嘩するか別れるかしかないわけで…。もし好きでい続けたいなら知らないフリするのがいいんじゃないかと…。
よく「ウソをつくなら最後までつき通してほしい」とか言いますけど、それなら追求もしちゃいけないよね、みたいな。ウソをつき通させてあげられる心の余裕がこちらにも必要になってくるんだと思います。「私気にしてないよ」って顔してても、不安な様子はきっと相手に伝わってしまうのだろうし、それを伝わらないようにするためにはかなりの余裕がなければできないし、「何があっても動じない根性」が必要なんだと思います。
それってホントにしんどいけど、結果的には余裕のある方が勝利するんだと思います。

筋力

テーマ:
私が日々筋トレに励んでいるのは痩せるためでもあるんですけど、何よりもダンスのためなんです。だから鍛えるだけじゃなくて、その筋肉達に動かし方を教えることも非常に重要なわけです。鍛えた筋肉をレッスン中にどう動かすか…それを考えないとせっかく鍛えた筋肉は何の役にも立たないし、ダンスだって上達しない。ちょっとした考え方、意識の仕方で、プラスはいくらでも増やしていけるから、それはもう増やす方が断然お得なわけで。さらに、動ける筋肉にすることでしなやかな筋肉に変わっていくのでスタイルもよくなる!はずなんです。
っていうような話を今日ある人にしていて思ったんですけど。
心の筋力も鍛えられてるはずですよね?辛いことや悲しいこと、乗り越えなければならない問題にぶつかる度、私達の心は強くなってるはずなんです。それを私は動ける筋肉に変えていけてるのかなぁってふと考えました。ガチガチの使い道がない筋肉になってないかなぁって…。しなやかに動いてくれる心の筋肉があれば、もっともっとしなやかな強さを発揮できて優しくなれるんじゃないかなぁと思います。
宝の持ち腐れにならないようにしないとね。