翌朝
時 
時
分 医療
チームに入らせていただき
出発
支援物資や
の道具持って
入れ歯ケース1個に 入れ歯洗浄剤6個をセットにしておいた
なぜ マッキーが JIM-NETまで つながったか
計画停電等 一応の落ち着きもあり 被災地ボランティアをと思い
新聞で見て 石巻ボランティアセンターに早速問い合わせた
そして、家屋内の 泥出しに 行く予定にしていた ある日 仕事後
ネットの書き込みを見ていると 岐阜の歯科医が 被災地で 入れ歯
の調整して 喜ばれたとの コメントを見た
そこで、翌日 ボランティアセンターにそのことを伝え 泥出しをするつもり
ですが、実は 歯科医なのですが 何か お手伝いできますか?
と 伝えた
すると、避難場所などの 炊き出しや身の回りのお世話をしているという
ピースボートさんに尋ねてみてくださいと言われ 4月21日連絡し 返事
待ちとなった
すぐ 翌日夜 お風呂にはいろうとした 8時43分 諏訪中央病院の
鎌田 実先生が 牽引されているという 医療チーム JIM-NETの
コーディネーターであり 看護士の 川添さんから 一緒に活動しませんか
と 予想だにしない ありがたい お言葉
鎌田先生の書籍を読んだ 私にとっては このつながりってなんなの?
入浴中の妻に すご過ぎることがあったよーって すぐ伝え コブシを握った
それから 忙しい川添さんに 奮い立つ気持ちを抑えられず 必要な物資
などや 状況を メールを頻繁に 送ってしまっていた
あとは 宿泊場所として おさえていた ANAホリディIN仙台さんも 尽力
いただいて ボランティアに行くということで 部屋を用意していただく配慮
に対し お断りの連絡することになったのに ボランティアお願いしますの
言葉 に胸がつまった
そして、
田園風景
豊かなところに一人暮らしの 89歳の 伊藤さん宅に
時から
時半まで 訪れて まず 諏訪中央病院の
貝塚医師が
内科的
診察した後 上顎の 総入れ歯
のすれている所を削除し
調整
させていただいた
そこでは 次々と おいしい
菜の花を はじめとした 漬物など
これは
が 前もって 来るのを待って 準備してくれたんだよね
その中で
これも お飲みよお
と出された あまーい
ラベルを見ると
才までの 幼児用と書いてあったが
頑張って 皆
にした
ご愛嬌
途中、福岡から お孫さん
が帰ってきた
それで
に
お孫さんは 心配して 帰ってこられたんですね 私も 月に一度
一人暮らしの母のところに 帰っているんですよ
って
伝えたら
別れ際に
そんなに おかあさんのこと 心配しなくっていいんだよ![]()
目の前には
がきれいに 広がっていた
その後 道の駅 上品の郷
じょうぼんのさと
で
時過ぎ
いい
だし 混んでいた
続いては がけ崩れで 大きく 迂回していくことになった
三陸自動車道で3つ
で 降りて 北上川沿いから
がやっと通れる
を入っていく 桃生にある一軒家
で
時から
時間余りの間に
貝塚医師、理学療法士 高橋さんが 手際よく
その間に 私は 娘さん
が はしごから落ちて
が数本折れた
ということで 縁側で
を浴びながら
ほととぎすの鳴き声を聞きながら
も
が 合わないようで 調整した
お別れの あいさつ
を 手を握ってすると、
から
が流れていくのが わかった
そして、河北に戻り



の 支援医師 太田先生 をはじめ
神戸から 参加している
医師は
また、日本は 海に囲まれているということで感染の
意識が薄く
ワクチン接種の点で遅れているのではないかと意見
市職員の 千葉さんから ある
では 患者の避難を優先にし
多くの
が
を落としたが 誰ということは 表に出さない
出すと 心傷める方がおられるからということや当日のこと
避難所での
への 配慮不足の話しを伺った
時には
ながらに 語り ひめたる思い
を感じた
石巻市職員 千葉さんと
時半まで 熱く語り合い そこから 30分ばかり
走ったところの
日和山公園に 事務総長の 佐藤さんが 連れて行ってくれた
そこには
に向かったところに たくさんの
花束
ここに 逃げた
多くの方が
襲ってくる
津波を
そこから、一路
宿泊地をめざし
前日の 食堂で 大皿 カツカレー
食べて
時
分 研修センターに戻って
医療
チーム 川添さんを中心に
まわる人の
情報や スケジュールを
ミーティング
なんと
時
分まで
皆
熱い 気持ちの持ち主
その中に いさせてくれる 感謝
また 
マッキー3世
横須賀市久里浜の歯医者は マリン歯科





散歩いたが 立派な施設
飲んで






し封鎖し



校の 
学校に 送る


を受けた 惨状は見てとれた
見つめていたんだろう


