一児の子持ち、旦那義父母同居になやみつきない主婦

義父母は今どきの『かたずけられなくて不潔な人たち』

それがイチバンの悩み。あまりにも臭う家で悶え中。



【PR】

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

夢の中

2007-07-28 18:27:36 テーマ:ブログ

うちは現在クーラー厳禁。


あまりにもうだるような暑さの中、疲れきって息子とお昼寝をしてました。


夢の中のストーリーは


母が一時退院をして、みんなで旅行をして、明日からまた入院する、というようなものでした。

私は、母にしがみついて、入院しないで と駄々をこね、号泣、というわけではなく、搾り出すように嗚咽をこらえるのが精一杯の泣き方をしていました。

そんな私を困ったように見下ろす母と、しかりつける叔父がいました。

たぶん、今の私より子供の夢の中の私。


実際の体がべたべたと暑く、とても重い。

鼻が詰まって苦しくて、顔が汗と涙で気持ち悪い。

でも起きたら泣けない、泣けないから起きない、と夢の中の私も現実の私も、そう思ったのかもしれません。

目を覚ますことを拒否をして、ゆるゆるとする現が幻のような隙間の時間、実際の私は自分のことで涙を出してもいい年齢まで後退したかったのかもしれません。


ぱっと目が覚めたのは、たぶん、本能だったと思います。


すぐに旦那が日払いバイトから帰ってきたから。

私は旦那の前では安心して泣けないから。

泣きたくもない。し、私の泣く場所はそこじゃないから。

泣く、という行動をするときに、絶対にそばにいてもらいたい人ではないから。


自分勝手に疲れたから、と振舞えば、あまりの騒音に自然に息子は目を覚まし、私はいつもの母の顔に戻り、また今ここにいる私、という仮面をかぶれば、不思議なことに泣いている形跡も泣いていた形跡もなし。


普段も旦那や息子と同じ部屋で寝なくちゃいけないから、覚えている夢をまったく見る事がなくなったけど。


ああ、私は泣きたかったのかなあと旦那が帰ってくるほんの数分の間だけ、ちょっとの間だけすっきりした。






同じテーマの最新記事

バレンタインキッス♪

2007-02-13 23:22:05 テーマ:ブログ

この歌をリアルで知ってる、というと年がばれるまりもんです。


この前日記書いてから、なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんて時間が流れているんでしょう。

いやいやびっくり(笑)


初めて韓国ドラマにずっぽり嵌りました。

あんなに爽やかにしかもいきなりの底なし沼のように、ずっぽりとがっつりと嵌ったのは、ほんとに久々です。

はい。

「宮」というドラマですが。


冬ソナ、ヨン様にはちいっとも嵌りませんでしたが。

人生、なにがあるかわかんないもんですね。


で、そうです。バレンタインです!!!

チョコは用意しましたか?!


なにを隠そう、まりもはまったく本命チョコ、というものを渡した事がありません。

クリスマスもそうだけど、あまーいあまーいクリスマスラブラブ♪ってのも経験なしです。

でも大丈夫。結婚はできるもんです。

そして後悔。

ああ、もっときちんと恋愛をこなしていればよかった。

もしかしたら、そうしていれば、もっともっと勇気を持って、今新しい人生を踏み出していたかもしれないのに。。


いや、そんな話ではなく。


バレンタインに!とは言わず、きちんと思う心は自分でね。伝えましょう。

どういう手段でも、どういう状況でも。

がんばってる女の子はかわいいです。

だからキラキラしているんだろうなー。


ああ、もういっかい戻りたいな。


それって大人のいじめだよ

2006-12-09 13:45:48 テーマ:子供の発達

過去、息子をいじめていた小学校4年生の男の子。


そのことがきっかけで、かなり私からも叱り飛ばされた。

だけど、彼は彼なりに、認められるところもあったので、それをきちんと認め、そうして、約束(年下の子をいじめない)を破らない、ということもできる子だと信用したからか、それなりにまりもんやまりもん息子とは、よい関係を続けている。


それが・・・・・


息子と、ではなく、かのスネオくん、そして、同じクラスで、スネオくんと仲がよいのだけれど、現在不登校真っ最中の某少年。

今、息子と仲がいい某少年剣士。


その3人(スネオくん 某少年 某少年剣士)はどうやら親同士で遊ばない同盟を作っていたらしかった。


○某少年


彼は、すでに判定がでているのだろうと思うのだけれどあまり噂もまわらなければ、なにもない。だけど、見た目ですぐにわかる。

特徴的なしゃべり方と、声の出し方。それと物事を見る視点。

学校にこれなくなったのは、小学校1年生の2学期から。

2年生の1学期はたしかに通ってきていたけれど、廊下に教室に、彼の目に入る範囲でお母さんが朝からずっと傍らにいた。

今年長の妹がいる。


○某少年剣士


さすがに剣道をしているだけあり、心優しき少年。ただ、たまにお兄ちゃん感覚な、ちょっと人を押さえつけるような発言や脅しをするような台詞は、うん?となるときや、気分を害するような言葉ではあっても、まあ、あれは普通に男子といえばそうなんだろう。

幼稚園と保育園それぞれ弟が一人づつ。


○スネオ


いうにもがな。



ある日 その小学校4年生の男の子(仮名 一郎くん)が、いたずらをしたそうだ。


○公衆電話の警察を呼ぶボタンを押した。言ってもやめなかった

○それぞれの下の弟や妹をぶった。


いけない事だろう。

だったら、その場で注意すればいい。

注意をしたらしいけれど、注意だけじゃわからないのだ。彼は。

順を追って説明していって、彼が納得できるようなたとえと、順番で説明をしてあげなければ、多分理解できない。

それは、はっきりいったら、スネオくんとダブる。


影でこそこそ言って、あの子はいけない子だわ。うちの子感化されちゃうわ。だから遊ぶのはやめようってきめたの。というスネオくんの母。

スネオくんこそ、彼が被害を受けた、という話を聞いたことはない。

たしかに、スネオくんこそ、感化され、一緒になってやっていた方だ。

悪いけれど、某少年剣士などは、自分が怒られることはしない。

現在不登校をしている某少年や、スネオくんは、それが楽しいとちょっと思ってしまうとついつい、仲間に入ってしまいがちになるので、それこそ、その子を遠ざけたら終りではないのだ。


なぜいけないのか。

なぜ怒っているのか。

なぜまねをしたらいけないのか。


そう注意をせず、臭いものに蓋をしたり、わが子の身さえ守れば大丈夫、という、自分勝手な保身しか子供にみせないから、スネオくんは、相変わらずスネオだし、某少年は周りが怖くてしかたがないんではないの?

と思うのだけど。



現在、良好関係の4年生の男の子をつまはじきすれば、いい問題ではないと思う。

スネオくんがいずれのその立場になりうる状態にある、と気がついてないんだろうか。

うちはその4年生の男の子は、もう息子に意地悪をせず、いけないことを叱る私には、きちんとなにがいけなかったかを尋ねてくる。

だから彼らの同盟の和には入れない。

入れないから、遊べない。


それっておかしくない?

ショックだった出来事

2006-12-08 08:57:14 テーマ:うちの一族

まりもんの友達の日記をある日読んで、ああそうだ、私もちょっとだけわかるなあ、ということがあったので、書いてみようと思う。


我家の父は今は右半身不随。体の中でいえば、肺は通常の1/4しかなく、大腸も2/3。

寝たきりか、と思えば、自分の体の自由をなんとか取り戻すべく、日々リハビリと、一人でこなせることはこなしているようだ。

母も酸素&メプチンのプッシュがないと生きてはいけないのと、どちらかというと体の自由で考えれば、父の方が自由に動けるのかもしれない。

そんな2人が2人で暮らしているのだから、それこそ父は手助けなしでトイレくらい一人でいけないと、施設に入らないといけないんだろう。


施設入りを拒んだのは母で、いまさらだけど「あのとき辞退はしても取り消しするんじゃなかった」といまさら後悔しているようだけれど、あと3年、再登録できるまでがんばってくれたまへ(冷たい)。


そんな父は、かつてはガタイもよく、あの時代の人にしたら背も高く(180cm弱。今69歳)顔も娘からいうのもなんだけど、ハンサムだった。マイク真木、と評した友達もいたけど、いいすぎ・・・・

ああ、でもツアー旅行とかに行くと、おばちゃま方から色目はよく使われていた。


父は子供の頃は九州で育っていたけれど、父の父は大阪に勤めに出たときにそちらで亡くなってしまい、その当時小学生で長男だった父は、家で飼っていた鶏の卵を山を2つ越え町まで売りに行き、学校に行き、ついでに町でバイトをし、それで家族(母、弟、妹・居候だった父の父の弟夫婦)を食べさせ、スポーツの推薦で自力で高校に行き卒業し、弟や妹が中学に入り、彼らが高校へ行く資金を貯めるため、単身大阪に出て働いたらしい。

弟や妹が無事高校を卒業し、父もいろんな職業を掛け持ちをして色々な免許を取っていたけれど、なかでも一番かわいがってくれていた寿司屋の大将から独学で色々まなび、店を出すための知恵をもらい、免許を取得し、まずは屋台で寿司屋をはじめた。


その頃に母と知り合い、結婚したらしい。

母自身も色々と苦労があって(それはまた今度)、お寿司屋さんなら食べるものには困らない、と思ったのが大きいらしいけれど(笑)、なんとか2人で寝る間を惜しんで働いてくれたおかげで、まりもんたち兄弟が生まれる頃には、きちんと店を持ち、家を持ち、一番末娘だったまりもん自身は全く苦労をせず少女期を過ごせた。


そんな苦労しらずだった少女時代、父はまず最初に胆嚢をとる手術をした。まりもんが小学校3年生だ。

母の親族とともに毎年夏、車10台くらい連なり、どこかに旅行を行く事が恒例だったその頃、ちょうどその旅行中、父の大好きだった焼肉をみなでしていたのに、食がすすまない。本当はかなり体調も悪かったんだろうけれど、全く家族はしらなかった。

旅行から帰ったら、彼はさくさく病院に行き、家族が気がついたときは、胆嚢をとる緊急手術のための連絡が病院から来たまさにそのときで、母などは度肝を抜いた。

一緒に店の下準備をしていたら、ふらりといなくなって、どこにいったんや。とぷりぷりしていたら、病院から電話があったらしい。

ざっくり腹きりをした彼は、1週間後には元気に店に立ち、出前をし、そしてまさにせわかけ娘のまりもんが、ちょうどその頃魚の目がばかでかくなり、足の裏を手術して魚の目をとって歩けなかった。

そんなまりもんを抱き上げて学校に毎朝連れて行き、帰りは迎えにきた。


その後も父は、何度か色々と病気をし、そのたびに不死鳥のごとく、病院のドクターや看護士さんたちがびっくりするくらいのスピードで回復し、がたいがでかいことも、その病院に出前に行くことも多く、また何度も繰り返し手術をしたり入退院があったためハンサムフランケンさんと呼ばれていたりした。


店も忙しく、職人さんを入れても、父もなかなかの頑固もので嫌がり、若い見習いさんが住み込みやアルバイトでいたことはあったけれど、基本的には父が店を回していたので、何度入院して、一般の人が数週間、一ヶ月以上入院したり、病後自重するようなときも、恐るべき回復の後の退院後は店をすぐに開けた。

療養しているから、といって、閉めることがなかった。

退院=大将にもどる、という繰り返しをしていた。



そんな父の一番ショックをうけた姿であったのは、まりもんが16の頃、1回目の脳梗塞で倒れたときだ。

そのときも誰も知らなくて、気が付いたのは、店に注文の電話を入れたお客さんだった。

たまたま、家の電話もしっているくらいの懇意にしてくれていたお客さんだったこともあり、家に電話をしてきてくれたらしい。


「大将、しゃべりかた変でっせ」


その電話をとったのが、まりもんの兄で、よくわからないまま店に行き、様子のおかしい父をみつけた。

口がまわらない。足もとがおぼつかない。手足が震えている。

恐怖を感じて、すぐさま病院に運び、その足で緊急手術になった。

もちろんまりもんはしらない。

学校に行っていたので。


高校生だったまりもんは帰りにかならず店に寄ることになっていて、たまたま試験中だったかでいつもより早く店についた。

もちろん誰もいなくて、軽く鍵がかかっていただけだったので、出前でもいったかな。くらいだった。

遅いなあ、と思っていた頃、電話がなり、あまりにもしつこいので出ると兄だった。

聞くと今、父は手術中だという。


またー冗談すきだねえー と笑っていたら、何度もマジマジ、ほんまや、ほんまや、という。

迎えにいくからそこにいろ。まだ終わらないから、もしかしたらあかんかもしれん、という。予定よりかなり長引いている、という。

正直、まだ信じていなくて、えーーー??と思いながら、兄を待った。

まりもんが病院に行ったとき、すでに無事に手術は終わり、父はベッドで寝ていた。

あれはICUにいたのか?そこらへんは記憶がない。

いつも行っていた入院棟ではなかった。

もっと遠い場所だった。


はじめて術後の父をみて、ショックを受けた。

たくさんのコードにつながれ透明のビニールに囲まれて、さらにたくさんの機械に囲まれて、口も半開き状態の父。

取り乱してパパっ子だったまりもんはおお泣きした。

泣いて泣いて眠ってしまい、気がついたら家の近所の母方の祖母のベッドで寝ていて、まりもんの手を祖母がずっと握ってくれていた。


ショックでショックで、その日は祖母と色々話しをしていた。

それまでも、それ以前も、とても仲良くて、行き来が多かった母方の親族を考えても、こうも入退院をするのはまりもんの父だけだった。

もうだめかもしれない、といった兄の言葉も忘れられず、敬虔なクリスチャンだった祖母とともにキリスト様にお祈りしていた。


父は、周りの感情をものともせず、3ヶ月くらいは入院、療養が・・といわれていたにもかかわらず、1ヶ月後には

「へいいらっしゃい!」

と言っていた。


その後、ハンサムフランケンさんの名の通り、通常では考えられないくらい体を切り刻んでいた。

4回、脳梗塞、脳血管からの出血、肺がん誤診で丸々1つ切り取り(のちにアスベストだったことが判明)、その後怪我で残りの1/2を切除、大腸にも腫瘍がみつかりこれまた悪性と良性の判別不可ながら患部をとるなど、色々繰り返し、そのたびに病院から言われる療養期間の1/3程度の期間で復帰しつづけた。

きっと父は死なないんだろうな、と医師さえも言っていた。


そんな父は今から3年前5,6回目を立て続けにし、6回目にはじめて、切れたらダメな場所を切った。そして、溜まったらダメな場所に血液がたまり、右半身が麻痺した。

舌神経などもやられたので、しゃべることもままならない、といわれた。


すでに感覚が鈍っていたまりもん姉妹は、父が入院したから、といっても帰ることはなかった。

今回はもうあかんやろ、と言って電話口で泣き喚いた母に、一応帰るわ、と話した。(もう姉もまりもんも東京にいたのだけれど)


帰ったのは翌日。

手術が終わり、1日がたっていた。

そして、はじめてそのとき、母も私たちも、そのとき、父の今後を聞いた。

年も年だし、今回はあまりにも場所が悪すぎた。ドクターは、ほぼ寝たきりになる、と宣言した。


すでに姉は色々なことの手腕を発揮できる知恵をつけていたので、老夫婦2人で暮らせるべく、役所その他に奔走した。

まりもんが立場的に微妙だ、ということで一度東京に帰された。(ま、色々ね・・・)

どうするんだろう、このままパパは寝たきりになるのかも・・

などと不安はあったけれど、自分は自分の環境をまもるのに精一杯で、手を出せることはなにもなく、手を差し伸べてくれる福祉にゆだねるしかなかった。

母は、今までの経験以上の父の容態にパニックをおこしていたけれど、姉がすべての手配をした。


やはり父だった。


今回はさすがに退院は長引いたし、右の自由は失ったけれど、トイレに一人で行けるようにもなり、食事も一人でできるようになった。

しゃべりも、少し聞き取りにくいところはあるけれど、会話するのに不自由はない。


老夫婦2人でなんとか平穏に暮らしていた。

そして数ヶ月前、また父は入院した。

感覚がなく動かないはずの右足を複雑骨折していた。

感覚がないので、痛くなかったけれど、ちょっと不自由を感じてPTの先生に相談し、レントゲンをとってわかった。

動かないので、無理して動かして骨折していたようだ。

半身不随になって3年後のため、入院自体が彼には新鮮だったようで、楽しく数ヶ月過ごし、母は数ヶ月の自由を楽しんだ。

つい最近退院したらしく、次はしばらくぶりのデイケア施設の若いおねーさんたちと楽しく週数回過ごせることを生きがいでいる。


どうやら、強靭の肉体の父は、自由を失いつつも、彼本来の強靭さはなくなっていなかったようだった。


この2人に限らず、色々と福祉の事では納得がいかないことが多い。

まだまだ生活を安心して送れるすべはない。

保障してあげることは娘にはかなり難しい。

旦那、という人間にも自分の両親がいて、他人であるまりもんの両親は、心配はするけれど、金銭的なことでは感覚はすっとんでいる。


通常、今の父たちの暮らしなどはショックであったり、心配であったりするのだろうけれど、まりもんにとって、一番ショックで心に残ってしまっているのが、一番最初に脳梗塞をしたあとの父の姿だ。


今後を考えれば、今の2人の健康状態などは、一般的には心配がやまないのが普通の娘なのかもしれない。

だけどあの2人の育ってきた経緯、今までの父を見ていると、今回の不随は、もう休憩しないといけないよ、と神様が下した優しさかもしれない、と思ったりする。


だけど、死や死せずとも訪れる方が大変な不自由な生活は、父だけではなくまりもんの身内ででも痛感している。

あのショックだった父の姿は、今の父の姿よりもショックだった。

生きている、ということは、どういうかたちであれ、姿であれ、希望がある。

でも希望を失ってくれ、という言葉や状態は、一番心につきささる。








変身?

2006-11-30 09:07:42 テーマ:子供の発達

まりもの息子が最近いい方向に変わってきた、と思う。


あのあと、学校で、芋ほりの時のH君と掴みあいの喧嘩をした。

遊びの途中で、H君がいつものように、ちょっとした意地悪をいったあと、手をだしてきたことで取っ組み合いになったらしい。

そうしてその結末は、周りでみていた子供の足にお互いがひっかかって、その子たちを巻き込んで将棋倒しになり、本人たちは笑ってごめんな、となり。

まあ、子供らしく平和的に解決していた。


ただ、そこで息子が嫌な気持ちをしたことは、かのスネオ君(G君)が、無表情で自分のことをじーーーっと見ていたこと。


その日は放課後スポーツクラブで、一緒に授業を受けていた最中、息子がふざけて先生に注意を受けたときも、無表情でじーーーっと見ていたり、「お前は悪い子だな」とすれ違いざまに言ったり。


いつもならば、スネオくんだからほっておいて、仕方がないや、ですんでいたことが色々あったらしい。


その翌日。

ちょっとしたことで、息子がいつもスネオくんが息子に言うように言ったとき、スネオ君は逆上。

そのきっかけが息子のスイッチが入り、授業中、2人で大喧嘩になった。との事。

いつも息子が「はいはい」といい。

いつも息子に「注意、文句」をいうスネオ君。

そういう構図で考えたら、息子が怒り出した内容は、ほぼみんなピンとくるものばかりだったようだ。

「俺はこうこうこういうことで、ずっと我慢してきたし、怒ってたし、だけどもういやだ!いい加減にしろよ!」

というような言葉にたいして、スネオ君は「おまえがいつも暴力的だからだ!」と応対。

「それはおまえがきっかけをいつも作るからだ!!!」

でまた掴みあい。


息子が吐き出した言葉は、多分ほかの子供たちにしたら、「なんであんなこと言われてるのにいつも尻尾ふってんだ?こいつ?」

と、思っていたことを、甘んじてうけていたわけでなく、彼のために我慢してあげていたんだ、とわかるものだったようだ。


外からみていれば、たしかに、すべて息子のわがままや、息子の態度で、スネオ君が注意しているように見えていたものも、前後をみていれば、「おまえもっと怒れよ」と息子に言いたくなるようなことが多かったように思う。


だれかが、彼(スネオ君)のはけ口になるなら、自分がなっておいたほうがまだましかも、つきあいも長いし。という息子の気持ちは、素直にスネオ君には伝わらず、単なるペットか舎弟の立場にしていたことを、息子自身、よくわかったようだ。

そして、それはスネオ君にとっては、別に意識をして、そういう立場に息子を見ていたわけではないので、いきなりなんだよっというようなものだったんだろう。


スネオ君の欠点であり、良い点は、物事をすぐに忘れること。

つまり、学習してくれない。何事も自分にとっての不利益なことは利益になるようにすり替え、人につたえ、それで自分はそう思い込む。


今回のこと、たぶんスネオ君母はなにもしらない、と思う。


スネオ君にとっては、クラスで孤立してもしかたがないようなこともすべて洗いざらいぶちまけられていると思う。

でも息子はそれを望んでいるわけじゃない。

今の自分のスネオくんから見られているポジションが不満がつのって、あふれきって爆発しただけ。

それをほかの子がそうだそうだ、と同調してほしい、と思うわけじゃない。

そういう気持ちを持つのをスネオくんにやめてもらいたい、自分(息子自身)の立場は、おまえのおまけじゃない、それをスネオ君に伝えたかっただけだし、二人の時にいくら言ってもわかってもらえなかった背景と、わからないくせになんでも口出しをして、自分を凹ますスネオくんにもう我慢ができなかっただけだと思う。


それをみんなに知らしめる、というのもややあったけれど、それをいじめというきっかけにするのではなく、単純にスネオくんに気がついて欲しい、と思っているだけなんだけど・・・・・・・・


その後のスネオ君の態度や息子とのやりとりを聞いただけだからなんともいえないけれど、全くもってスネオ君には、息子の気持ちは伝わっていないようにも思う


もしかしたら、あそこで授業を妨害した息子が悪い、という認識を今ももっているかもしれないなあ。


スネオ君のママとまりもはとても仲がいいけれど、今回のことは散々以前(芋堀でのとき)に、それまでの状況をくんで、いっぱい遠慮もしてたくさんメールをした。

だからこそ、今回はそういう学校でも状況がこうなった、というのは、もう言わない。

あちらから、聞いてきてこそ、のこと。


私から、あちらのお母さんにコンタクトを取る=スネオくんにしたらまりも息子のほうがわるいから、かーかんが話をしたんだ


という、今までの認識とダブるだけだと思うから。


冷たいかもしれないし、無責任かもしれないけれど、知らないならば、来週からの保護者会でなにか話が担任から聞けると思うし。


その話以外でではコンタクトをとるけれど、しばらくは触れない話題としているまりもです。


やっぱりまりもは、自分の息子は、友達関係の中で、意味もなく、ペット扱いされている状況というのは、好ましくないので。

あたりまえでしょ?


1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
powered by Ameba by CyberAgent