思い出三昧

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日記効果はすごい。全然、現実に戻って来れないくらい、今日もぼーーーっと一日を過ごしてしまいました。それでも、仕事は忙しいし、電話はバンバンかかってくるし、やらなくてはいけないことはあるし。現実は大変だ!


92年の春、バルセロナのインターナショナルスクールの9th Grade(日本でいう中学校3年生)に転入しました。英語なんて全然分からないし、授業にはついていけないし、クラスメートとはなかなか喋れないし。幸いなことに、上級生とは結構仲が良く、当時Senior(高校3年生)だったお姉さまたちがかわいがってくれて、面倒みてくれたけど、でも言葉の壁は辛かった。


最初に受けた生物の試験は本当に最悪で、F(成績はA~Fなので、最下点)を取っちゃったガーン このままでは、進級できません、って先生に言われて、必死で勉強。6月の学年末の成績は、なんとかC-毎日、進歩していく喜びがありました。頑張れば成績も良くなるんだって、希望が出てきました。


10th Grade(高1)。この1年が一番辛く、しんどい1年だったな。勉強がどうのこうのというより、色んな悩みがあって、学校で泣いたこともあったりして。かといって、家と学校以外に逃げ道もなく、日本に一人で帰れるわけもなく、とにかく追い詰められた感じがした。本当にいろんなことがあったのよ。。。


今回発見した日記は、10th Gradeが終わって、長い長い夏休みが終わって、11th Grade(高2)の新学期が始まるころに書き始めた日記。(欧米では、9月が新学期で6月が学年末なのです)


「11th Gradeはいいことがいっぱいあるような気がする♡」って書いてあった。辛かった10th Gradeへの思いは長い夏休みの間にリセットしたらしい。どんなときも、前向きに考えるようになったのはこの頃かなあ、と思った。いろんな意味で鍛えられたんだなあ、本当に。希望を持つって素晴らしい。そういう気持ちって、重要なんだよね。


学校がはじまって2ヶ月たったころの日記には、こう書いてあったよ。


1993年10月31日


日本もとっても恋しいけど、日本には当分帰っちゃいけない気がする。帰るのは、私自身、自分を認めることができるようになったとき。私は、人に「何をやってたの?」って思われるような自分のままで帰りたくない。英語ができるようになったから、それがどうしたの?! 英語なんて日本でもできる。そんなことじゃなくて、自分が外国にいて、それで得られるものって何?もっともっと、語学より何より、大切なものを得られるまでは帰らない。


今はまだ何か分からないけど、自分自身を外見だけはなく、中身をもっと磨かなくっちゃいけないから、がんばる。いい映画をみて、いい本をたくさん読んで、いい人間関係を作っていく。どうすればいいのかな。。


いつも人のことを考えて生きていこうね。自分がここにいるのは、いろんな人の助けがあってこそだってことに、いつもいつも気が付いていてね。強い人間になろうね。いつも笑っている人間になろうね。



フーーム。なんか自分に言い聞かせているんだけど、これは今、私が自分に言いたいことかもしれないなあ、と思った。こんな意気込みを日記に書いていたなんて忘れていたけど、きっと今の私があるのは、16歳の私が頑張ってくれたからなんだね。どんなことも、辛いことだとしても、それがいい思い出になる日がくるから、だから諦めてはいけないんだよね。懐かしいと思えることは、幸せなことなんだとつくづく思いました!


今日も長くなっちゃった。。









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パラレルワールド

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friends
高校のある日の風景。わたしはこのベンチでよくお昼寝してましたラブラブ


なんか、今週はとっても長い週末です。今日は長い話になりそうです。


金曜日は、久々にミミコと会いました。なんと1ヶ月前の東京での結婚パーティーぶり。こんなに会わなかったのも久々だなあ。うちの近所でベトナム料理を食べながら、ああだこうだと相変わらず喋り捲る二人。そのまま我が家へ行き、仕事関連の人たちとご飯を食べていた後輩Kも合流し、テンション高く夜は更けていきました!


土曜日は、ミミコも一緒に姉夫婦の家に行って、姪っ子ちゃんに会ってきました!!順調に成長していて、体重も日に日に増えているようで、よかった!!!


ここまでは、今の私の日常。30歳の私の、現実。


でも、姉の家でバルセロナの高校時代のYEARBOOK(学校のアルバム)や日記を発見したことで、いっきに時代感が分からなくなってしまいました。まあ、よくある感傷のシーズンって感じだけど、今回はちょっとヘビー。YEARBOOKに学校の友達や先生が書いてくれたメッセージは、結構今までも思い出したら読んでいて、そのたびに懐かしくて感傷的な気分になっていたけど、でもそれは心地よい感傷でした。


だけどね、高校時代の日記を読んだのは多分10年ぶりくらい。これは、やばい。あのころは、毎日その日に起きたことを細かく書いていて、当時の気持ちや悩みや色々、すごくリアルに思い出してしまった。。。16歳~17歳の私。2冊の日記には、忘れていた当時の色んな日常がつまっていて、そのすべてが走馬灯のように、でもすごくはっきりと思い出されて、どうしようもなく辛い気持ちになってしまいました。


恋愛のこと、友達のこと、家族のこと。そして自分の将来について。

16歳なんて、今から14年も前のことよ!!!当然、今の私より全然幼いはずなのに、毎日あんなにいろんなことを真剣に考えて、大事に一日一日を生きていたんだ、と思ったら、今の自分って一体何をしているんだろう。。。。。。と思った。


うまく説明できるか分からないけど、書いてみるね。

高校時代、「どんなことにも終わりがくる」ということを、毎日のように実感して生きていたの。今、こんなに大好きな彼との恋愛も、こんなに大好きな同級生たちとの何気ない会話も、すべてのことは、私が高校を卒業したら終わってしまうんだ、ということ。卒業は日本への帰国を意するから。どんなにスペインに長く住んでいても、私は日本人。いつか、帰らなければいけない。


なにごとも永遠ではない。


遅かれ早かれ、いつかバルセロナを離れる日がくる。例えば、私が20代や30代なら思わなかったことかもしれない。でも、未成年の私は、両親が帰国することになれば自分も帰国するんだということが必然だった。だから限りある時間を、大切に過ごそうと思っていたのです。


そして、楽しいことも嬉しいことも幸せなことも、どんなにステキなことも永遠ではないのと同時に、辛いことも悲しいことも不幸せなことも、永遠ではない。だから、幸せなことへは感謝の気持ちを。辛いことへは、乗り越えようと頑張っていた。


日記には切ない気持ちがいっぱいあって、読んでいたら泣けてきた。ああいう気持ち、なんで忘れていたんだろう。。


日本に帰ってきてこの10年。特に社会に出てからは、すべてが永遠に続くかのように錯覚して、毎日を無駄に生きてしまったような気がする。とても反省しました。。。


人間は誰でも、一生忘れられない時代ってあるんだね。私の場合は、バルセロナの高校時代。これからも、一生、あのころの思い出とともに生きていくんだと実感した。あのころの自分が原点なんだ、と思った。これから先も、大きな悩みに直面したときには、また日記を読んでみようと思う。答えは、16歳の私が教えてくれるような気がするの


未来ではなく、過去の自分に学ぶ

とっても大切なことなのに、年齢とともに、日々の忙しさの中で忘れていってしまうことっていっぱいある。16歳の私は、忘れてはいけないことを教えてくれたように思います。


とにかく今は、日記の時代へタイムスリップしたような気分でセンチメンタルなのです。何が現実なんだか分からない。。!!前にも書いたかもしれないけど、バルセロナ時代の私だけが、どうも今の人生と重ならないっていうか、あのころのことを思い出すと、一気に高校時代の私に感覚が戻ってしまうというか。。こうして結婚している私もリアルな私。ミミコや友達といる時間もとても大好きでリアルな時間。でも、バルセロナのことを考えたり思い出すと、なんか不思議な感覚なんです。交差しそうでしない、パラレルワールドみたいな感じなの。ふたつの人生が、別々に存在するような。。。。


ああ、あのころの同級生や友達みんなに会って、いろんなことをいっぱい喋りたい気分。だから、これから懐かしい人々にメールしよう!!!そう。今はメールなのよね。。。。あのころはメールも携帯も普及していなかったんだもんね。メールや携帯があったら、もっと違う生活だったかも。。と日記を読んで思いました。


これから暫くは、高校時代の話も書こうと思います。今は誰かに話したい。そういう感じです。

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父の愛情、母の愛情

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日曜日、姉の家へお邪魔して、私の幼いころの写真を選びに行った。今週末の結婚式のスライド用に。うちにもアルバムはわんさかあって、見始めると時間を忘れて思い出の世界に浸ってしまいます。


あとね、私の高校時代や大学時代のノートやら手紙やら色々もダンボールに何箱か置かせてもらっていて、いつも行くたびに少しずつ整理しているのだけど、これまた捨てられないものばかりで困ってしまう。


そんな中に、父と母からの手紙を発見した。

あれは大学2年の終わり、一人暮らしをはじめることになったときのものだった。20歳になったばかりで、父に反発気味だった私は、生意気にも「独立します」と宣言し、学費も生活費も自分で払うから、家を出て行くと言ったのでした。今思えば、精神的にはまだまだ子供で、両親の力なくしては生きていけないくせに、無意味な意地とプライドの塊だったのね、わたし。


父からはA4サイズの紙2枚の手紙。


「独立していく貴方は、もう家族の一員ではありません、云々。。。」といった厳しい内容が1枚半書かれていた。でも、最後にこう書かれていた。


「父は、貴方が会いたいと連絡してきたときには、必ず会い、話でも食事でも何でもしようと思っている。ただし、父からは貴方には連絡することはせず、貴方には極力迷惑をかけないようにする。」


最初の1枚半は、父の建前。最後の2行に、父の本音、すべての想いが込められていたんだなあ、と思ったら、父親というものは切ない存在なんだなあと思った。社会の厳しさを、心を鬼にして自ら教えてあげなくては、という使命感があるのかもしれない。そして、そういう父の気持ちに気が付いてあげられなかった私は、本当に愚かだったと恥ずかしくなった。


そして母からはメモのような手紙。


まりちゃんへ


連絡がとれず、出かける時間になってしまいました。

しばらく会えないコロちゃん(当時、実家にいた愛犬)を抱きしめてあげてください。

お母さんが帰ったら、そのコロをあなたと思って抱きしめます。



多分、荷物を取りに戻ってくる私を母は、仕事に出かけるぎりぎりまで待っていてくれたんだと思う。でも、間に合わず私に会えなかったので、テーブルの上にこのメモを残していってくれたのでした。


10年ぶりに、このメモを姉と読んで、ふたりで泣きました。母親というのは、どんなときにも子供への愛情を200%、ストレートに表現する存在。この数行の中には母の優しさや想いが詰まっていて、母親とはなんて偉大なんだと思いました。


父親の愛情と母親の愛情。形は違っても、子供を想う気持ちは同じで、そんな両親を悲しませていたのかと思うと、10年前に自分に会って、叱ってやりたい気分です。「親の心 子知らず」とは、まさにこのこと。なんと言って、感謝の気持ちを伝えたらいいのか分からない。なんかね、いくつになっても両親は超えられないなあと痛感したのでした。


ああ、また泣けてきた。。。。

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ホームシックな日々

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Barcelona1
常々言っていることなので、私のことをご存知の方なら「ああ、またか」と思うかもしれませんが、今年最初の感傷な時期がやってきた気がします。思い出に翻弄されて、ひとりでジタバタしてます。 ふえーん。

私の癒しといえば、たまにバルセロナの地図を広げて見ること。このところは時間がなかったので、ネットでバルセロナの地図を眺めたりしていました。なんかこうやって書くと、ちょっと暗い人みたいね。。くもり


普段は思い出すことないけど、地図をみていると色んな情景が浮かんできます。懐かしい「Carrer=道」の名前の数々。スペインでは、すっごい短い細い道でもひとつひとつに名前が付いているのです。色んな道の名前、誰かに教えられたわけでもないのに、7年間のバルセロナ生活で自然に覚えてた。


Balmes、Numancia、Muntaner、Aribau、Bonanova、Ganduxer、Sarria、Rda. del General Mitre、Valencia、Calatrava、Augusta。。。。 日本に帰国して10年以上経つのに、不思議なくらいどんどん出てきます。懐かしくて涙が出る。。。


そしてなぜか思い出すのは、学校帰りにバスから眺めていた夕暮れの大通り。普段家に帰る時間は17:00前くらいで、まだそんなに暗くないんだけど、たまに調べものをするために図書館に寄った帰りは、いつもとは違うバスに乗って家に帰るの。見慣れた景色だけど、やっぱり日常とは何だか違っていて、乗っている学生たちも私の生活範囲からは遠くはなれた学校の人たちばっかりだし。


あの感覚、きっともう二度と味わうことないと思うと切ない。。。 本当に本当に私の夢がひとつ叶うならば、私にいつか子供が産まれたら、バルセロナで子育てしてみたい。いや、思っている以上にそれは大変なことなんだろうけど、でもでも、私が通っていた学校に通ってくれたら、すごい幸せだろうな。そして、私が見た景色を見て感じることなんかを話せたら楽しいだろうなあ~。


人は思い出があるから生きていけるのだけど、でも思い出があるから辛いこともある。思い出が現在や未来に勝ることは決してないと思っていないと、人は生きる目的を失うんだろうなあ。私は弱い人間だから、思い出に浸って逃げているだけなのかも。でも!現在も未来も、私にはいつも希望だよ!


感傷なだけあって、混乱した内容になりました。ごめんね。



*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨

PS. あ、ずっと知りたいと思っていたことがあるの。バルセロナは歩こうと思えば、結構街の端から端まで歩けちゃう気がするんだけど、あの街の規模って東京23区で言ったらどんな感じなのかな?? 地図の尺とか見ればいいんだろうけど、そういうのちょっと苦手。もっと感覚的に聞いたら分かるのになあ~といつも思うの。例えばさ、「新宿区+渋谷区」ですよ、みたいなね。どうなんだろう??誰か分かったら是非是非教えてくださいなドキドキ


Lonely Planet
Lonely Planet Barcelona City Map (City Maps)

懐かし写真館 VOL.2

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同級生


またまた懐かしい写真を発見☆

バルセロナへの想いが複雑に絡み合う今日この頃 (大げさ)。高校時代のクラスメートの写真を発見しちゃったわ。向って左側のGABI『ゲイの街』と呼ばれるシッチェスという海の街から通ってきていたこともあり、よくクラスメートの男どもにからかわれていたわ。ほんとのところはゲイだったわけじゃないけど。。 でも、なかなかかっこいいでしょ?


真ん中のMIGUEL。前にも紹介したことがあったような気もするけど、高校時代の親友。よくケンカもしたし、でもそれ以上にいっぱい楽しいこともしたなあ。私が日本に帰るときは、泣いて悲しんでくれて。。。 懐かしいな。今でもメールのやり取りはしてるけど、元気かな?


右側はJACINTO。 彼とは結局、距離は縮まったような縮まらなかったような、そんな関係。MIGUELとはすっごく仲良しだったけど、卒業したら全くコンタクトも取らなくなった、ってMIGUELがぼやいていた。JACINTOは、いつも笑顔だったけど人との間に距離を保つような、よく分からない人だったな。

でもって、超金持ち。スペインでは18歳の誕生日を盛大に祝うんだけど、彼の18歳のお誕生日はもちろん、ゴージャス!! 山にあるプール付き別荘にて開催されたのだけど、なんとみんなをマイクロバスでお出迎え。男はタキシード、女はロングドレスでお呼ばれ。さらに、レストランからテーブルやらウエイターを呼び、ゴージャスディナー。 DJまで呼んでたよ。そんで、ケーキは10段くらい! 披露宴ですか??って感じ。ぷぷぷ。


あら。。なんでかしら?JACINTOのことばかりになってしまった。

まあ、思い出とはそんなものですな。


人生って不思議ね。こうして、色んな人と出会って、色んな思い出があって、そうして色んな人生を歩む。この先、会うことがない人もいるんだろうけど、でも「絶対」ってことはないよね。いつか、思いがけないところで再会するかもしれない。だから、人生って楽しいね!

懐かし写真館 VOL.1

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ぎゃははははーー!!!!!

パパの若かりし頃の、とんでもない写真発見!

31年前、ハワイにて。。


パパ

<左の男性がパパ>

いつでもノリノリのパパ。還暦を迎えた今でも、その性格は全く変わらず。一緒にいたママは、きっと微笑ましく見守っていたんだろうなあ。想像がつきます。 舞台にあがっちゃうなんて、すんごい度胸じゃん!いいぞ、パパー!といいつつ、今、もしも目の前で同じ光景を目にしたらドン引きだけども。。


パパ&ママ

そして、ペアルックなふたり。ひえー。でも、なんかいいな。レトロな雰囲気が満載。

パパ、この写真だとちょっとやばい顔に見える。。実物はもうちょっと男前だと思うわ。ぷぷぷ。。。濃すぎだろうーー!!(彼は『保毛尾田保毛男みたい。。』と言っていた。。。)

そういえば、これはNYに駐在していた2人が、お姉ちゃんを出産し、その3ヵ月後に日本に帰国する途中に立ち寄ったハワイでの写真。 となるとだね、生まればかりの(つまりは生後3ヶ月)のお姉ちゃんも一緒だったはずなのだが、彼女は一体どこに?? まさか、ホテルに置いてきぼりか????ううう、かわいそう。


物心ついてからはハワイに行ったことがないお姉ちゃん。一応、その空気は吸っているのにねえ。

Y子ちゃん、今度またみんなで行こうね☆☆


久々にお姉ちゃん夫婦の家に行って、懐かしい写真を集めてこようかな!写真を見れば、忘れかけた記憶も蘇るもんね!

バレンタインの思い出

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みつばち

<ミツバチチョコ。ソニプラで購入。マーヤ、マーヤ!>

どたばたなお仕事が一件落着して、ほーーーっと一息ついている今日でございます。これが金曜日だったらなお最高なんだけど、そううまくいかないのも、これまた人生ってことで。。


先週の金曜日の記事 で、過去に書いたブログの内容を読み返して感傷に浸っている。。。というようなこと書きましたが、私は1年間の間に、何度か感傷的になる時期があるのです。これは、ある意味で病気かも。一生治らないと思いますー。うふ。彼は、こういう私の、なんていうのかしら、「繊細さ」を理解できないんですって!まあ、過度に反応して心配されるよりいいけどねん☆



今日はバレンタインですね。ということで、感傷ついでにバレンタインの思い出話でもしようかしら。

。。。。。。。。えーと。。。。。


あれ?私にはあまりバレンタインの思い出がない!!!かも?!あれれ??

こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、私は自他ともに認める「恋多き女」です(でした。一応ね!)でも、手当たり次第に恋をするというわけではないのよ。ちゃんと自分なりの恋愛のルールがありますよ、もちろん!浮気はしない、人の恋の邪魔はしない、一途に相手を想いつづける。。。ここは譲れないところです。ふふ。


ということで、いつも誰かに恋していました。多分、幼稚園のときから今までのこの25年くらい、好きな人がいなかった時期はゼロです。だから、バレンタインの思い出のひとつやふたつ、あってもいいのになあ。。ふむ。


これといって、ロマンチックな思い出もなければ、辛かったということもないし。。なんか、悲しい。。。それってどうよ?女としてちょっとさみしいよねえ。。

でもでも、ちょっとだけ悲しかった思い出がありました!!そうそう。あれは小学校6年生のときです。バルセロナ日本人学校で、一つ年上の中学1年生の男の子にチョコレートをあげました。

スペインは日本みたいなチョコレート戦争はないので、かわいいパッケージのものを探すのも一苦労でした。で、ようやくみつけたピンクの包みのチョコレート。これはいいかも!とるんるん気分であげたのだけど。。。


家に帰って、自分用に買ってあった同じ物を食べてみました。これが、またほんとにまずいのだ!!!リキュール入りのチェリーが入っていて、小6の私には大人の味すぎてとても、とても。。そして、そんな激まずのチョコレートを好きな男の子にあげてしまったことを後悔し、翌日は学校に行くのがほんとに辛かったわ。


学校でその男の子に会って、かなり暗い気持ちになっていた私だったけど、一応謝ったほうがいいかしら?と思い、「まずかったでしょう?ごめんね」と一言。そしたら、彼は「リキュール入りでびっくりしたけど、まずくなかったよ。気にしないでね」と言ってくれた!!なんて、いいやつなのーー!!

相手も中学生のこどもだし、きっとリキュール入りのあのチョコはまずかったと思うけど、気を使ってくれたことがうれしかったです。


と、まあここまではいいお話~、って感じでしょ?

でも、ここからが残酷な子供の恋とでもいうのかしら??そんな優しい人だったけど、その1ヵ月後くらいには私はさっさと他の男の子が気になって、あっさりと心変わり。

というのも、義理チョコをあげたほかの男の子にもホワイトデーのお返しをいただいたのだけど、その男の子の方がかっこよく思えて。。。えへへへ。なんて残酷ーー。


みなさんは、どんなバレンタインの思い出がありますか??

ハッピーな一日を過ごしてね!


みつばち

ミツバチマーヤ・マリ より

心の風景

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昨日に引き続き、待ち状態が続く今日。久々に、自分の過去記事を読み返してみた。


不思議なものですね。自分が書いた記事なのに、あらためて「はっ」と気付かされることがあったり、ブログをはじめてからの1年ちょっとの間に、自分の中に起きた心境の変化なんかが分かったりして、おもしろいなあと思いました。




ブログをはじめたころから付き合いのあるKh21さんが、ご自身のブログのタイトルで言っているように、『記憶じゃなくて記録が大切』
ということをあらためて感じたのでした。




「気持ち」とは、やっぱり「生きているもの」なんだなと思いました。そのときそのときに感じた気持ちや、心の中に浮かんだ言葉というのは、その瞬間にしか感じられないもので、少し時間が経てば、どんな気持ちも色あせて見えるものなんだと思うのです。こう断言すると語弊があるかもしれませんが、なんというのか、「今日の私が感じたこの気持ち、言葉」というのは、明日の私では感じられないことなんだと思うし、明日の私が見たら、ちょっと違和感を感じるものなのだろうなあと思ったの。




だからこそ、こうして自分の言葉で残していくことで、過去の色あせた気持ちが、鮮やかに甦るのです。それは、偽りのない、そのときの自分の「真実」だからだと思うの。




私は、ブログをはじめたころは、過去の自分に出会うための一つのツールとして、ブログというものが役に立つだろうとは思っても見ませんでした。さらに、日記と違って、第3者であるみなさんからの客観的なコメントなどを読むことができて新鮮でもありました。学ぶことも多くて、サイバーの世界もなかなかやるじゃないの!!と感心したものです!




そしてね、今の私も「真実」なんだろうけど、当初に比べると、素直に自分の気持ちを100%書けていないことに気がつきました。もしかしたら、「ブログ慣れ」したのかもしれませんね。(そんな言葉あるのかな??)




そんなことを思いつつ、これからは初心に戻るという意味でも、大切にしたいなと思う気持ちが書かれた記事を甦らせていこう、と思います。




今日は、この記事を。。。。

『ずっと見ていたい風景』




バルセロナ時代に感じていた気持ち。帰国して10年が経ち、どっぷりと日本に浸かっている今、忘れかけていた気持ちでした。ここに書かれた気持ちは私の前向きに生きるための原動力でもありました。忘れないようにしなくては!

救世主

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色々とありまして、感情がブルーな今日。

天気は悪いし、朝の血液型選手権でB型はビリだし、仕事はダラダラだし。。。。

ってなことで、今日は人生でも最大の一日なのに、なんだかどうだか、気分は超LOWテンション!!


でもね。神様はいるのだー!

ブルーで死にそうな私に、友人ゴシオの奥さんYちゃんからメールがきて、すんごく励まされた!もう、会社なのに泣きそうなくらい、うれしかったよ。Yちゃんも第1子を出産したばかりで、色々と大変そうなのに温かいメールにほんと、うううう。。。となりました。えへへ。Yちゃん、ありがとうーー!!


Yちゃんはほんとうにすてきな人で、ゴシオにちょっとジェラシー。うーん、かなりジェラシー!!!!超ジェラシー!(しつこい?)


感極まって、ついつい書いてしまいました。

とにかく、今日は何を隠そう、独身最後の日なのだーー!!!

おてもやん、とか言っている場合ではないのだよ。。。。

人生、いろんなことがあるよね。
この先への新たな一歩を踏み出したいから、過去を過去として、良き思い出として心に閉まっておきたいから、わたしの大切な思い出をここに残しておきたいと思った。

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12年前、母方の祖母が亡くなった。膵臓癌だった。

祖母が入院したことを知って、母は急遽日本に帰国して看病することになった。夏前だったと思う。

もう長くないと聞かされたショックと、母の辛そうな姿を見ているのがほんとうに悲しくかった。


母が日本に帰国してしばらくたったころ、母から手紙が届いた。

それまでも電話で話しをしたりしていたけど、母は思ったよりも元気にしているようでちょっと安心。


手紙と一緒に姉と私にプレゼントが同封されていた。ピアスをあけていない私にはイヤリング、そしてピアスをしている姉にはおそろいのピアスが入っていたの。


「病院へ行くバスを待っていたら、近くのお店で売っていたのでかわいいなとおもって2人に買いました。」


なんか分からないけど、とっても切ない気持ちになった。それまで平気だったのに、お母さんがとっても恋しくなった。


情景が目に浮かぶようだった。

きっとね、祖母が入院している病院行きのバスを待ちながら、母は憂うつな気持ちでいただろう。そしてふとアクセサリー屋が目にとまった。何気なくのぞいたら高校生の娘2人が喜びそうなアクセサリーが並んでいたのでしょうね。そのときの母の顔は、きっとやさしい顔になっていたと思うの。遠く離れたスペインに残してきた私と姉のことを想いながら。。。


自分の母親が病魔に侵されているのだから、娘である母はとっても落ち込んでいただろうし毎日祈るような気持ちで過ごしていたと思う。でもそんな母も娘を持つ母親。


母が送ってくれた小さなイヤリングに込められた、とてつもなく大きな母の愛情が伝わってきたの。

そのときに私が感じた気持ちはことばではうまく言い表せない。

私がピアスをあけていないことをちゃんと分かっている母。当たり前じゃない?と思うかもしれないけど、例えば父だったら分からなかったと思うわ。


いつもはスペイン⇔日本間なんてたいした距離じゃないわ、って思うけど、あのときばかりは日本がとっても遠く感じたよ。