すでに このドラマを視聴中の皆様 とってもたくさん
日本での ソン・スンホンssi 人気 健在ぶりに 改めてビックリ
しっとりと落ち着いた大人の魅力です
SBS公式サイトの 登場人物の説明の中に
≪ 宗親(王族) 宜城君(ウィソングン)イ・ギョム ≫
「 역적으로 몰려 죽은 구성군의 손자. 」
逆賊として没落し死んだクソン君の孫 。。。 と有りますが
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
果たして 『実在した人物』 だったのか
そして、更に 『師任堂との』 は
実際にあったのでしょうか
なんだかムズムズして
以下、ネタバレ含みます 知りたくない皆様、見ないでね(笑)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
まず最初に 祖父であるという
구성군(クソン君) とは 誰でしょう
実は 。。。 この 구성군(クソン君) とは
귀성군(クィソン君)と同一人物です
ハングルご存知の方は となりますよね
Marcall も 最初は って思いましたぁ
でも、調べていくと 。。。 こんな記載が
≪ 龜城君 李浚 귀성군(クィソン君) または 구성군(クソン君)イ・ジュン ≫
朝鮮4代王世宗と正妃(昭顕王后)の4男 臨瀛大君・李璆(イミョンテグン
イ・グ)の次男が 「龜城君 李浚」 です。
臨瀛大君(イミョンテグン)は兄首陽大君と同じ様に武術に優れておりました。
しかし、宮女や下女等との醜聞も多く、父王を悩ませたようですが、反面
世宗はとても寵愛していたようで、彼の私家に度々訪れたようです。
1451年には父世宗の命を受けて〝銃筒製作”を監督し、1451年(文宗1)
には〝火車製作”も監督したが、文宗死後 端宗が即位すると、次兄首陽大君
を支持し、癸酉靖難を経て首陽大君が政権を握り、端宗を廃位し王位に就くと
兄王(首陽大君=7代王世祖)を助け信任を得ました。
≪臨瀛大君の次男である龜城君 ≫も
1467年に起きた李施愛の乱の制圧に功を挙げ、伯父世祖の信頼を受け、
1468年わずか28歳で領議政の座に就き、すぐ後世祖が譲位し世子が
王位(睿宗)に就くと、従弟でもある睿宗を助け一時摂政を行うが 。。。
1469年1月 父(臨瀛大君)が亡くなり三年葬の為 領議政の座を退く。
ドラマ≪仁粋(インス)大妃≫ でも こんな姿で
7代王世祖に 世子(後の睿宗)を
しっかり補佐してくれるよう頼まれる
「もちろんでございます」 と答える龜城君(クィソン君)
(このドラマでは 父 臨瀛大君も登場しています)
病床の父は そんな息子を案じます。
龜城君は 1470年 「王位を目論んでいる」と言う 逆謀を仕組まれ
流刑に処され 。。。 9年の後 わずか39歳の生涯を閉じました。
もう少し詳しく 追記しておきます
ソン・スンホン演じる〝イ・ギョム(宜城君)”の
祖父と設定されている 実在した≪亀城君≫をもう少し詳しく
上記の通り 父: 世宗の4男 臨瀛大君(イミョンテグン)
母: 全州 崔氏
夫人: 韓伯倫の次女(清州韓氏)
8代王睿宗の妃(安順王后韓氏)の妹
夫人との間に 子女は無し
養子: 會原君 李崢
養子である會原君にも子女の記録は無く
と、いうことで
≪龜城君 には 〝孫” は 居りません≫
。。。 つまり 。。。
(ドラマ「師任堂、色の日記) 23話より)
素敵な~ ≪宜城君イ・ギョム≫ は 架空の人物
こんな 素敵な 二人の物語も 架空のお話し 。。。でした
文責はMarcall に有り、確実なものではありません
どうぞ、ご理解の上 画像も含め転記転載はご遠慮ください
歴史史劇大好きな皆様の 楽しいコメントお待ちしてま~~す
追伸 : 「韓国大好き仲間たち」 サークルの皆様
≪龜城君≫ は実在ですが
ソン・スンホン演じる≪宜城君イ・ギョム≫は 実在せず
追記 して詳しく お知らせいたしました 。。。 よろしく