鳥 (the birds)

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平日の朝が来ると少し嫌な瞬間を感じることがある。


しかし、既に夜が明けていて鳥のさえずりを何気なく耳にしたとき、幾分そういった緊張感が自然に和らいでいくような感じがするのは確かに不思議な感覚である。

人間と鳥類との関係というのは、これまでそれほど軋轢というか摩擦が生じえない関係だったように思える。
人間がもっぱら地上を他の動物とともに占領しているのに対し、鳥類は大空のほとんどをその翼によって支配してきたのである。

しかし、その均衡が崩れたとき、我々と鳥類の関係はどうなっていくのか、身近な鳥類による未知なるその恐怖を描いたのがダフネ・デュ・モーリアの「鳥」である。

ダフネ・デュ・モーリアはイギリスの女性作家で、彼女の代表作である「鳥」は1952年に出版された「林檎の木」という短編集に収められている。
その後、1963年にアルフレッド・ヒッチコック監督によって同作品が映画化されると彼の代表的な映像作品として世界的に知られることになる。

デュ・モーリアの原作の舞台はイギリス南西部のコーンウォール地方だ。「地の果て(ランズ・エンド)」と呼ばれる岬の突端部は風光明媚な場所であり、彼女自身人生の大半を過ごした場所でもある。

この物語の主人公であるナット・ホッキンは、ランズ・エンド岬の農場で働いている。
彼はこの近くのコテージで妻とふたりの子供の4人で暮らしていた。

12月初旬の或る日、彼はいつものように隣家のトリッグ氏が所有する農場で働いていた。
ナットは傷痍軍人であり、怪我の影響によりフルタイムで働くことができなかった。

秋から冬へと季節が変わりゆく潮目の時期であった。渡り鳥も留鳥も冬の到来を告げる東風の影響を受けて落ち着き無く不安げな動きを見せていた。

鳥たちの多くは冬になると自然の作用によりその生命を終えることになる。
目前の死を受けてその予兆を敏感に感じ取っているに違いないと、ナットは空を見上げながらそう考えていた。

その夜、天候が急激に変わっていった。冷たく乾いた東風が吹き荒れると、突然ナットの家の窓をコツコツと叩くものがある。
ナットはその不気味な音に耳を澄ませていたが、気になってベッドを飛び出し窓を開けてみると、途端に何者かに襲われる。
鳥の嘴に闇討ちされて負傷するナット。鳥は間もなく羽ばたいたまま裏手へと飛んでいった。

その後も断続的に「コツコツ」が続いてくる。
すると、今度は隣の子ども部屋から子供の怯えた悲鳴が突然聞こえた。ナットが子ども部屋に駆け込むと、窓が大きく開け放たれ、部屋の中を無数の鳥たちがつぎつぎに飛び込んできて、部屋中を荒らしまわっていた。

彼は子供たちを廊下へ押し出すと、毛布を掴み取ってそれを武器がわりに振り回し鳥たちと格闘した。
鳥はみな小さな鳥だったが、小さく鋭い嘴が空中を急降下して体当たりしてくる。
しばらくの格闘の末、ようやく羽ばたきの音が消えて、すべての恐怖が遠のいていった。夜が明けたのである。

僅かな陽の光を通して部屋の中の様子が浮かび上がってきた。
部屋の中に転がる無数の小鳥の死骸。コマドリ、フィンチ、スズメ、ヒバリといった身近にいるちっぽけな鳥たちだった。

外へ出てみると、さっきの急襲が嘘のように思えたが、あたりを見回しても朝の到来を告げる鳥たちの姿がまったく見えない。
風の音と波の音以外は全く何も聞こえない朝。そんな朝を迎えるのは彼にとってはじめての経験であった。

未明の恐怖の出来事について、ホッキン家の人々は動揺を隠すことができなかった。
しかし、朝が来ていつものように朝食の時間を迎えると少しずつ何気ない日常の雰囲気を取り戻しつつあった。

丘の上にあるバス停まで娘を見送るため、ナットは娘のジルを連れて家の周辺を歩き始める。昨夜のうちに気温が急激に下がったため、地面の土はすべて黒く凍っていた。
白い冬ではなく「黒い冬」の到来をナットは少しずつ感づき始めていた。

娘をバス停まで送っていくと、彼は自分の仕事場である農場の方へ行ったみた。農場主のトリッグ家では昨夜の異変に誰も気がついていないようであった。
ナットの恐怖談を聞いても、夢の中の出来事と錯覚しているのではないかというような感じで笑い飛ばされてしまった。

ナットはこの日仕事がなかったので、家に戻ると昨夜の異常な出来事の痕跡をとどめている子ども部屋へと行き、鳥の死骸をひとつひとつ袋の中に入れた。
それを庭の片隅に持って行って埋めようと試みたが、土がガチガチに凍っていてスコップが入っていかない。
そこで岬の下の砂浜へ行ってそこへ埋めることにした。

冬の荒々しい海の光景を眺めていると、白い波頭に見えていたものが実は無数のカモメの大群であることに気がつく。
何万羽ともわからない無数のカモメが恐ろしい程静かに海の上で羽を休めている。
その光景を目の当たりにしたとき、本当の恐怖がこれからやって来るということをナットはようやく悟ることになる。

彼は家に戻ると大工道具を取り出して、家中の窓という窓に板を嵌め込んで窓を補強した。
まるで台風の到来に備えるかのような大げさな行動にも見えるが、何万羽のカモメの姿を見たとき、これから起こるかもしれない恐怖がそれに勝るほどの恐怖であることを本能的に直感したのである。

昼になりラジオのスイッチをひねるとBBCのニュースでも鳥の異常な行動の様子が克明に伝えられた。
鳥たちの行動はこの地域に限った異常ではなかったのだ。
ロンドンを含むイングランド全体で同じことが同時進行で起きていたのである。

ナットは鳥の襲来に備えて、鳥たちが部屋の中に侵入しないように、家の隅々まで点検し隙間という隙間を板で塞いだ。
そして食糧などの生活必需品の備蓄状況を妻に確認し、すくなくても今夜中は持ち堪えられそうであることを確認した。

ナットは娘のジルを迎えに再び外へ出る。
さきほど入江にいたカモメたちは岬の上に上がってきてナットの頭上を偵察でもするかのように旋回していた。
もはや残された時間があまりないことを察知したナットは娘を偶然車で通りかかったトリッグ氏に頼んで家まで送ってもらうことにした。

ナットの深刻な危惧感とは対照的にトリッグ氏は快活であった。
カモメなんぞに負けるわけがないと思っていたのだろう。
銃を取り出してこれから地元の仲間たちを連れ立って威嚇射撃をする予定だと張り切っていた。

しかし、ナットの予想は的中していた。
彼がまさに自分の家に着こうとしたとき、オオセグロカモメという大型の個体が彼めがけて襲いかかってきたのである。
12羽のカモメが入れ代わり立ち代わりで空中で急角度を作って体当たりしてくる。

血の流れる両手で激しく家のドアを叩くナット。
間一髪のところでようやく妻が彼を家の中に入れてくれた。
彼が家に入ったとき、ちょうど隊列がオオセグロカモメからカツオドリへと変わる時であった。
カツオドリはオオセグロカモメよりもさらに大型の鳥である。
もし、これが体当たりしてきたら彼の頭蓋骨は割れていたかもしれない。

家の中は鳥どもが爪で引っ掻く音や、すべる音、ぶつかり合う音があちらこちらで聞こえていた。
幸いナットが事前にすべての窓を板張りで補強したので鳥たちは容易には中へ入ってくることができない。
彼はさらに2階にあるマットレスを下ろして、今夜は全員が1階のキッチンで寝ることにした。

そして新しい情報を確認するため、6時のBBCニュースに聞き入った。アナウンサーの声は非常に厳粛で、英国政府が今夜緊急事態宣言を発令したことを報じていた。
そして国民が平静を保ち、鳥の侵入を阻むために一致協力して出来る限りの対策を講じるように呼びかけていた。
この日のすべてのラジオ放送は前例のない異常事態のため、すべての放送を休止することになっていた。
こうして彼らはまるで戦時下のような異常な事態がイギリス全土に起きていることを知ったのである。

ナットは絶え間なく聞こえてくる、鳥たちが立てる恐怖の音を和らげるために、口笛を吹いたり陽気に歌を歌ったりして子供たちに恐怖を与えないようできる限りのことをした。

そして、どうやら政府は軍隊に総動員をかけたらしい。
コーンウォールのイギリス海峡に艦船を派遣して威嚇のための砲撃が始まった。
さらに、全土の偵察のために飛行機部隊を動員させた。
これらの音が聞こえてきたとき、ホッキン家にようやく安堵の声が聞こえてきた。

しかし、それも長くは続かなかったようだ。
二マイルほど離れたところから突然衝撃音が轟いた。
はじめは飛行機が鳥たちを威嚇するために爆弾を投下したのではないかとも思ってみた。
だが、それはバードストライクによって敢え無く墜落した飛行機の爆発音だったのである。

イギリス全土の空を何千万何億の鳥たちが制圧していたのである。
軍艦の砲撃も、戦闘機の機銃掃射も何の役にも立たなかった。
ナットは毒ガスの散布が有効的だと考えていた。が、イギリス全土に毒ガスを散布すれば何千万の人命すら危うくなるではないか。
とにかく、彼は英国の優秀なブレーンたちが終夜対策を協議して早く有効な手立てを講じてくれることを祈らずにはいられなかった。

一方、ナットは自分なりに鳥たちの行動を分析してみた。
鳥たちは干潮から満潮にかけての6時間のあいだ集中的に人間を襲っていることに着目した。
逆に満潮から干潮にかけての6時間はいったん引き上げて何もせずに体力を温存しながらじっと待機しているのである。

その夜の未明1時から朝の7時にかけての鳥たちの猛攻は凄まじかった。
彼らは燃え盛る暖炉の焔を顧みず、煙突からの侵入を試みるようになった。
ナットは、暖炉に石油を投入してそれに応戦。黒焦げになった鳥の死骸を火かき棒でその都度掻き出さねばならなかった。
そして山積みになった黒焦げの死骸から発生する不快な臭気。
子供たちも怯えきってその夜は一睡もすることができなかったのである。

翌朝、鳥たちは自然のリズムに従い満潮のころに一斉に引き上げていった。
7時に放送予定だったBBCの緊急放送は定刻になっても何も流れなかった。
ナットは家族を連れ立ってトリッグ夫妻の家に行き、食料品などを分けてもらおうとしたが、夫妻は鳥の急襲によってすでに冷たくなっていた。

イギリス全土でどのような被害が出ているのかまったくわからない状況であった。
しかし、ナットにはそれを知ろうとする余裕すらまったくなかったのである。この6時間のあいだに全ての作業をやり終えていなければならなかったからだ。

まずは窓の板の強度を確認し、次の襲撃に備えてさらに補強しなければならなかった。
そのために、彼は亡くなったトリッグ夫妻に謝るような気持ちで彼らの遺した食料品や補強材を拝借せねばならなかった。

鳥たちの攻撃も徐々に巧妙にかつ強力になっている。
スズメやフィンチによる攻撃で始まった襲撃も、ついに猛禽類を投入するようになったからである。彼らの鋭い鈎爪をもってすれば、戸板もいずれ破られるに違いない。

ナットは板を有刺鉄線で覆うことにした。彼は自分の家族を守ることでとにかく必死であった。そして、いつしか大好きなタバコを吸うことすら忘れていたのである・・・。

物語はこうして現在進行形のままで完結してしまう。
人間と鳥類の存亡をかけた戦いはこうして延々と続くことが予想できる。この絶望感漂う雰囲気の中で、一家の大黒柱として家族を守り、そのために奔走するナットの姿に感動を覚えずにはいられなかった。

しばしば問われることであるが、何故、鳥たちはある日突然人々を襲うようになったのだろうか。
答えの一つとして挙げるとすれば、人間によって自然破壊がおこなわれた事に対する鳥たちの反逆かもしれない。

しかし、それが自然のシステムの変動の流れの中で起きたとするならば、それは恐竜の絶滅の理由を考えるようなものなのかもしれない。

恐竜の絶滅についても色々な説が出されているが、隕石の落下にしても、哺乳類の台頭によって自然淘汰されたにせよ、地球規模の大変動の過程の中でその状況に耐えることが最早不可能になったので絶滅したわけである。それは人類が絶滅する時の理由を考える場合も、同じ事が言えるのではないか。
すなわち自然システムの変動に耐えられなければ、自然に淘汰されてゆくよりほかにないわけである。

ダフネ・デュ・モーリアがこの物語を通して言いたかったことは何だろうか。
英国は第二次世界大戦でナチス・ドイツによる苛烈な空襲にも耐え抜いて勝利することができた。
その栄光は英国民の誇りであることは確かであるけれども、こうした事象が人間世界における限定的な事象であることには間違いない。
自然全体の地球規模で考えたときに、先ほど書いたような自然淘汰されるという状況の中で、人は何ができるのか。

それは彼女が描いたとおり、人類全体の問題のみならず、ひとりひとりの人間に与えられた試練なのである。

もしかしたら、すでに人類はその日、ナット・ホッキン家4人だけの状況だったのかもしれない。生き抜いた彼らにはまた今日という日の試練が新たに訪れるだろう。

我々もまた、彼らとは戦うものが違うだけで、実際には同じ戦いを日々繰り返しているということを、気づかせてくれたのかもしれない。

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